Guten Rutsch!
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
良い年越しを。
21Guten Rutsch!
大晦日だ。今日は朝から随分冷え込んでいた。
黒森之國は年末年始の二週間は、店が閉まってしまう。各家庭は冷蔵庫や食品倉庫に備蓄をし、家でのんびりと過ごすのだ。
ただし主食を売るパン屋だけは、交代で休むのだそうだ。黒森之國ではパン屋しかパンを売れないので仕方がないのだと、パン屋の息子カミルが言っていた。
そう言われてしまうと、孝宏がパンを焼けるのはかなりおかしな事になるのだと、今更ながら気付いたりした。でも、売らなければ問題にならないので、構わないらしい。
今だっておやつ用に焼いておいたメロンパンを、エンデュミオンとルッツが食べている。ケットシーも食べるので、孝宏は菓子パンは小さめに作っておいている。
ちなみにエンデュミオンはあんパンが好きらしい。食料品店で倭之國からの輸入品の小豆を見付けたので、こしあんを作ってあんパンを拵えたら、一口齧って固まっていた。尻尾がピンと立ったままふるふると震えていて、それから物凄く大事そうに食べていたので、孝宏のを半分あげた位だ。
ルッツはカスタードクリームパンで同じ反応をした。
(また作ってあげるか)
そして今、孝宏は黒豆を煮ている。食料品店でこれも見付けた。リグハーヴスの食料品店は、孝宏以外買いそうにもない倭之國の食材を何故か置いてある。
あの店の森林族の店主は、見掛けは若いがかなり歳を重ねている気がするので、何か勘付かれているのだろうか。
(あ、でも俺の外見が倭之國の人だからかな)
だから倭之國の食材を、置いてくれているのかもしれない。
「お、膨らんで来た」
黒豆を煮つつ、孝宏はスモアを作っていた。アメリカやカナダでキャンプの時に良く作るお菓子だ。
グラハムクラッカーにチョコレートと焼いたマシュマロを乗せ、グラハムクラッカーで挟む。「some more!」と言いたくなるから略して「スモア」なのらしい。
グラハムクラッカーは無いが、全粒粉を混ぜている孝宏のクッキーで代用だ。
クッキーの上にマシュマロを乗せてオーブンに入れ、マシュマロが膨らんだら取り出して、割った板チョコを乗せてクッキーで上から挟む。すぐ食べてもトロリとして美味しいが、少し置いておいてもチョコレートとマシュマロが固まり、これはこれで美味しい。
孝宏は肉桂と胡桃のクッキーと、ココアと南瓜の種のクッキーの二種類を作っていた。
「次のあるか?」
台所にイシュカが顔を出す。孝宏はスモアが乗った皿を差し出した。
「今出来たよ」
居間のテーブルでは、イシュカとテオが蝋紙で作った紙袋に、この二種類のスモアを入れていた。
これをどうするのかと言うと、子供達に配るのだ。
黒森之國では、大晦日に未成年の子供達が聖歌を歌いに各家を回る風習がある。
そこで聖歌のお礼に、子供達にお菓子や小銭をあげるのだそうだ。お菓子は子供達の休み明けまでのおやつになる。
(所謂、七夕イベントかハロウィンみたいなものか)
孝宏の住んでいた地域では、8月7日の七夕になると、子供達が「蝋燭出せ」と歌を歌い、お菓子を貰っていくと言う、和製ハロウィンイベントがあったのだ。
そんな訳で<Langue de chat>ではスモアにしたのだった。イシュカもテオもスモアを知らなかったので、面白いかと思ったのだ。
お菓子屋などないので、マシュマロから作ったのだが、中々良く出来たと思う。イシュカ達は勿論、マシュマロも知らなかった。
孝宏が変わったお菓子を作る、と言うのは<Langue de chat>でクッキーを食べている客には知られているので、今更だとイシュカとテオは思っている。
黒豆も仕上がったお昼過ぎになって、店のカウンターにスモアの紙袋を入れた籠を用意して待っていると、子供達がやって来た。
流石に街全部を回るのは大変なので、左区と右区と分かれて居住区を各々回るらしい。
リグハーヴス全体で百人前後の子供が居るが、集落の子供は来ていないので、右区だけなら三十人位だと聞いていた。
各自貰った戦利品を入れる布袋や籠を持っている。
十二の月に入ってから教会で練習をしていたと言う聖歌を歌って貰い、子供達にエンデュミオンとルッツからスモアの袋を一つずつ渡した。
「上手だったよ、エッダ」
「えへへ」
少し恥ずかしそうに笑うエッダの隣で、エンデュミオンに貰った紙袋の中身をカミルが覗いている。
「パンじゃないんだね」
「パンはカミルのお父さんがくれるでしょう?」
「まあねー」
カールは子供向けに、甘い南瓜とレーズンを練り込んだ白パンにしたそうだ。
(まだ中に何か詰めるって発想は無いんだな)
先日のシナモンロールパンをあげてから、カールのパン屋ではサンドウィッチを売るようになった。
何となく自分のせいの様な気がして、新たに焼いたパンを<Langue de chat>に来たカミルにあげても良いものか迷っている。
カミルは新しいパンを孝宏が見せてくれないか、期待している気がするのだが。
(あんパンとカスタードクリームパンとメロンパン、もう作っちゃったんだけど)
まだクロワッサンは作っていない。あれはバターを沢山使うからだ。
子供達を送り出すのと入れ替わりに、騎士ディルクが顔を出した。
「休みなのに悪いけど、本を借りて行って良いかな?」
「良いですよ」
年末年始中に返却期限が来る客には、自動返却で良いと伝えてあるのだが、ディルクは子供達が聖歌を歌いに回る時間を狙って来たらしい。
持って来た本を返却し、ディルクは悩んだ末に〈月下の剣〉の一巻を手に取った。漸く読める位まで文字を覚えて来たのだろう。
「これ、お願い」
「はい」
孝宏は返却日を書いた短冊を挟み込み、裏表紙の内ポケットにディルクの水晶雲母で出来た会員カードを入れる。
「はい、どうぞ。それからこれも」
銅貨三枚と引き換えに、本が入った革袋と共に、籠に残っていたスモアの袋を三つディルクに渡す。
「ヘア・リーンハルトとフラウ・エルゼにも」
「フラウ・エルゼ?」
「領主館のキッチンメイドですよ。彼女も常連さんなんです。渡せたらで良いですよ」
「解った。有難う」
腰のポーチから出した布袋にスモアを入れ、ディルクはエンデュミオンとルッツをひと撫でしてから帰って行った。
黒森之國の大晦日は、教会にお祈りに行くのも決まりらしい。
もしかしたら、ディルクは早めのお祈りに来た帰りだったのかもしれないな、と孝宏は思った。
日暮れの夕食前に皆で教会に行き、祭壇の月の女神シルヴァーナを模したと言われる、大理石で作られた女神像に祈りを捧げる。
教会には沢山の街の人達がやって来ていた。黒森之國は月の女神シルヴァーナの一神教だ。
この世界では國ごとに神様は違い、神様の柱数も様々だと言う。この世界で神様と言うのはとても大きな存在だ。何故なら、神が居ない國は沈む。
だからこそ、人々は神に感謝し、日々を過ごす。
(うーむ)
祭壇前の赤い座布団の様な物に膝を付き手を組んで、孝宏は悩んだ。普通は年内の懺悔や感謝を心の中で述べるらしい。
しかし、孝宏は典型的日本人で、八百万の神を信じている。月の女神シルヴァーナもその一つになるだろう。それでも良いのだろうか。
(良く解らないけど黒森之國に来ちゃったんで、宜しくお願いします)
それ位しか言えない。本やパン、お菓子で黒森之國に無いものを作るかもしれないが、武器などは作らないし、作り方を知らない。
黒森之國もこの世界も戦争はしていない様だ。ならば、武器の知識は必要ないだろう。
(平和が一番だ)
お祈りが終わった順に待っていた教会の入口で合流し、顔見知りの人達と「良い年越しを!」と挨拶しながら<Langue de chat>に戻った。
孝宏は黒森之國の大晦日の食事など知らないので、生ハムや刻んだゆで卵をマヨネーズで和えて乗せたサンドウィッチや、ザンギ、カボチャのスープを用意した。デザートはカスタードプリンだ。ザンギとカスタードプリンはかなり好評だった。
交替で風呂に入り、パジャマにセーターやカーディガン姿で、居間で白ワインの炭酸割りを飲みながら本を読んでいるイシュカとテオの隣で、孝宏はレモネードの炭酸割りを傍らに、説話集をケットシー達と読んでいた。エンデュミオンとルッツは解説員だ。
この世界の事を、もう少し知っておこうと思ったからだ。
休日でもあり、誰もベッドに行かず、各々が光鉱石のランプを引き寄せ本を読む。
「あ、鐘?」
リーン……ゴーン……と、カーテンの向こうの窓の外から鐘の音が聴こえて来た。
「聖夜の鐘だな」
普段も朝六時から夜八時まで二時間毎に教会の鐘が鳴るが、夜中の十二時に鳴るのは大晦日だけである。
暫しの間、孝宏達は鐘の音に聞き入っていた。
新たな年が明けたのだ。
大晦日なので、おまけ投稿です。
既に何種類かのクッキーを作っている上、孝宏が作る料理は黒森之國のメニュー以外の物が出て来る事も多いので、イシュカもテオも今更何も言いません。
スモアは串に刺したマシュマロをガスレンジで炙っても良いのですが、グラハムクラッカーに乗せたマシュマロをレンチンしても出来ます。
ただし、見張っていないとあっという間に膨れ上がるのでご注意を。火傷注意。
北海道の大半の地域は8月7日が七夕です(一部地域は7月7日)。
「蝋燭出せ出せよ 出さないとかっちゃくぞ おまけに噛み付くぞ」とハロウィンばりに脅迫されるというイベントです(地域によって歌詞が変わります)。
脅された時はお菓子をあげると良いでしょう。




