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領主と枝豆

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

エンデュミオン、領主と執事を里に招く。

200領主と枝豆


 昨日エンデュミオンから「明日の夕方に迎えに行く」と精霊ジンニー便が届いた。

 領主アルフォンス・リグハーヴスと執事のクラウスは、言われた通りに領主館の温室に居た。

 そこへポンッと音を立てて、〈転移〉で迎えに来たのはギルベルトだった。

「迎えに来た」

「ギルベルト?」

 確かに誰が迎えに来るとは精霊便に書いていなかったが、ギルベルトがやって来るとは思っていなかった。

 成人男性の腰位の大きさのあるギルベルトは、独特な存在感がある。既に退いたとはいえ、元王様ケットシーの力量はそのままなのだ。

 大抵の王様ケットシーは引退しても森から離れないものが多いらしいが、ギルベルトは森林族のリュディガーに憑いたので街に出てきた変わり種である。

 長生きで叡知がある筈なのだが、子供のように無邪気で、エンデュミオンでさえもたまに振り回されている。

 エンデュミオンと〈薬草ハーブ飴玉(ボンボン)〉のラルスを育てたと聞いているが、さもありなんと言う感じだ。

 むに、と大きな肉球の付いた前肢で、ギルベルトはアルフォンスとクラウスの手を握った。柔らかい肉球が温かい。

「いくぞ」

 パチンと音がして、瞬きする間に木立に回りを囲まれた広場に出た。足元は丈の短い密集した緑色の草で覆われている。所々に白や黄色、青や桃色の小花が咲いていた。どこからかコポコポと水が湧く音もする。

「ここは?」

「エンデュミオンの温室だ。あっちに行くと孝宏たかひろとエンデュミオンの薬草園で〈Langue(ラング) de() chat(シャ)〉に出る」

 ギルベルトがアルフォンス達から離した前肢で左右に二つある小道のうち右手を指した。

「あっちがケットシーの里に行く」と、左手の小道も指す。

「なるほど、まるで森の中のようだな。それにしても随分と精霊ジンニーの姿があるな」

 温室の中にはあちこちに精霊が飛び回っていた。孝宏とイシュカは精霊が見えないので気にしていないのだが、街中では奇異といえる量だ。

「うん。そこに〈精霊の泉〉があるからな」

「何!?」

 木陰に苔むした丸い石で囲まれた小さな泉があった。直径は一メートル程度しかないが、底に白く丸い石が敷き詰められているのがくっきり見える程の透明度だ。

「ギルベルト、何故ここに〈精霊の泉〉がある!?」

「源流は〈黒き森〉にある。それをエンデュミオンがここに支流を引っ張ったんだ」

「何しているんだ……」

 アルフォンスは目眩を起こしそうになった。

 〈精霊の泉〉は見付ければ領主管理となる、いわば國宝級の代物なのだ。

「ラルスが薬草師だから〈精霊の泉〉はあった方がいいし、お茶を淹れると美味しいからだろうな」

「つまり、ラルスも知っているのか」

「毎朝汲みに来ているから当然だな。妖精フェアリーは皆知っている。人族ならフィリーネは気付いているかもしれない」

 しかし、フィリーネは師であるエンデュミオンの不利になる事はしない。〈精霊の泉〉がエンデュミオンの温室にあっても、リグハーヴスに害はないからだ。

「……管理をエンデュミオンに任せておけば問題はないか……」

「それが一番安全でしょうね」

 クラウスも同意する。

 下手に〈精霊の泉〉があるなどと広めたら、アルフォンスへのやっかみが増えるだけだ。一応各領に〈精霊の泉〉は存在しているのだが、規模はまちまちだし、使用権限も異なる。エンデュミオンの〈精霊の泉〉はかなり小規模だ。

 エンデュミオンであれば、必要な者には分け隔てなく与えるのは目に見えている。もしエンデュミオンから温室を奪おうとしたなら、リグハーヴス中の妖精に呪われそうだ。

 そもそも、ここはエンデュミオンの縄張りである。土地自体は領主のものだが、その辺り妖精には関係ない。

「疲労度が増した気がする」

御前ごぜん、お気を確かに」

「精霊水でも飲め」

 ギルベルトが〈時空鞄〉から出した木のコップで泉の水を汲み、アルフォンスとクラウスに差し出した。

有難う(ダンケ)

 礼を言って飲んだ精霊水は、身体の隅々にまで染み込む美味しさだった。

「あれ? もう来ていたのか。遅いからどうしたのかと思ったぞ」

 ケットシーの里に続く小道からエンデュミオンが現れた。予想よりも遅いので、着地点である温室へ来たらしい。

「……」

 アルフォンスはじろりとエンデュミオンを見てから、黙って〈精霊の泉〉を指差した。

「あー、バレたのか。妖精達の遊び場にするつもりだったから環境を整えたんだ」

 ちょっぴりばつが悪そうな顔をしたものの、エンデュミオンはあっさりと〈精霊の泉〉を引いた事を認めた。

「まだ顔色が悪いな、アルフォンス。ラルスの薬草茶や香草茶を飲むなら精霊水の方が効きが良い。ビーネを送る時にギルベルトに届けて貰おうか?」

「是非お願いします」

 これにはクラウスが食い付いた。

「お礼は──」

「要らないぞ。自然に湧いている物なんだし。それよりスープを作ろう、皆待っている」

 エンデュミオンは前肢でアルフォンス達を招き、小道の奥へ入っていった。ギルベルトにコップを返し、アルフォンス達もそれに続く。

 小道の向こうは、にわかに湿度が上がった。

「これは……」

 大きな天然の岩風呂の回りにすのこやベンチが置かれ、浴場となっていた。

 壁などはないから、露天風呂だ。ベンチの所に衝立があるが、ケットシー達は元々服を着ていないから、気にせずに風呂の近くの簀の上で身体を洗って、湯船に浸かっている。

「ベンチや衝立は、クルトがきちんとした物を作ってくれたんだ」

「ああ、親しいのだったな」

「うむ。クルトとカールとアロイスとエッカルトの家族はここにも来るからな。あとはベネディクトとイージドールも」

司祭プファラーもか!」

「シュヴァルツシルトが憑いているイージドールが、テオの叔父だからな。それにベネディクトは無害だし、余り身体が丈夫ではない。正直言って、あの二人の司祭には長くリグハーヴスに居て欲しいんだ。他にも招いている者はいるが、妖精憑きが多いな」

 数えるように前肢をにぎにぎして、エンデュミオンが言う。

 シュヴァルツシルトはエンデュミオンと兄弟のように育ったラルスの弟だ。クルトにしても娘のエッダにエンデュミオンの弟のグラッフェンが憑いている。

 知らない間にケットシー達の縁が張り巡らされているリグハーヴスだった。

「ここは浴場でな、皆が暮らしているのはこの奥だ」

 エンデュミオンについて浴場の奥にある広場に向かう。生活場所だと言う巨木に囲まれた広場には、沢山のケットシー達が居た。

「一生分以上のケットシーを見ている気がするな、クラウス」

「誠に」

 様々な毛色のケットシー達が思い思いに過ごしている。その中に黒褐色のコボルトが二人と、小麦色のコボルトが一人混ざっていた。

「あれはクヌートとクーデルカと……ヨナタン?」

「いや、あれはメテオールだ。ヨナタンより大きいだろう? 鼻筋が白いのも特徴だ。アルフォンスがまだ会っていないと言っていたから呼んだのだ。メテオール!」

 エンデュミオンの呼び掛けに、クヌートやクーデルカ、ケットシー達と追いかけっこをして遊んでいたメテオールがこちらに近付いてきた。

「呼んだ?」

「ああ。紹介しておく。領主のアルフォンス・リグハーヴスと彼の執事のクラウスだ」

「メテオール!」

 しゅっとメテオールが右前肢を挙げた。

「宜しくメテオール」

 差し出されたアルフォンスの手の匂いをすんすんと嗅ぎ、メテオールはきゅっとその指先を握った。

「移住についてハイエルンとは話をつけたから安心して欲しい」

「有難う」

 ふるふるとメテオールの尻尾が揺れる。

 実際の年齢はヴァルブルガと同じ位らしいが、こんなに可愛らしい妖精をどうして捕まえ酷使出来るのか、アルフォンスには理解出来ない。

 リグハーヴスであれば、自由な妖精にものを頼むのなら、ちゃんと礼をする。

「スープ作りをクーデルカ達には手伝って貰うんだ」

「それは頼もしいな。温泉に浸からせて貰うお礼に、お気に入りの林檎のジュースを持ってきたぞ」

「あれは結構いい値段がするんじゃないのか?」

 金色の林檎ジュースは王都で販売されており、作成に手間が掛かる事もあって値段が高めに設定されている。しかし、この林檎ジュースはケットシー達のお気に入りだった。

「リグハーヴスはケットシー達に〈黒き森〉の管理をしてもらっているからな。そのお礼でもある」

「そうか。皆喜ぶ」

 アルフォンスとクラウスは柔らかそうな苔の上で、赤ん坊ケットシーをあやしていた王様ケットシーを見付け、〈魔法鞄〉から出した林檎ジュースの樽を渡した。

 まだ若い王様ケットシーは、ギルベルトに良く似た毛色で、黒くて胸元の毛が白かった。

「嬉しい。有難う、アルフォンス」

 ふさふさの毛足の長い尻尾をぴんと立てて揺らし、王様ケットシーは大きな緑色の瞳をきゅうと細めた。

 林檎ジュースは赤ん坊ケットシーも飲めるので、樽を見た里住みのケットシー達が揃って「にゃーっ」と喜びに鳴いた。

 アルフォンスとクラウスは驚いて心臓がぴょんと跳ねたのだが、表情に出さないように努めたのだった。


「これの皮剥いて欲しいな」

「解った」

「承知しました」

 クーデルカに示された桶の中に入っていた馬鈴薯と人参の皮を、アルフォンスとクラウスは手持ちのナイフで剥き始めた。

 学院の騎士科では学生の間は階級は不問であり、全員が同じ課程をこなす。その為公爵家の生まれであるアルフォンスも、野営訓練に参加している。

「上手いな、アルフォンス」

「包丁は兎も角、ナイフなら何とかな」

 危なげ無い手付きで馬鈴薯の皮を剥くアルフォンスに、エンデュミオンが感心の声を上げた。そして当人は〈時空鞄〉からずるずると腸詰肉ブルストを引っ張り出していた。ぷりぷりとした立派な腸詰肉だ。

「肉屋のアロイスからの差し入れだ。あとこっちはパン屋のカールから」

 続けてエンデュミオンは、掌大の丸パンが沢山入った木綿の大袋を取り出した。

「領民がケットシーに差し入れだと?」

「時々温泉に来ているからな。エッカルトはナイフを研いでくれるぞ。ケットシーも物々交換だからな、お互いに納得出来たら良いんだ」

「成程……」

 つまり損得勘定がないのだ。お互いに必要なものと交換してもらえたら、満足なのだろう。

 繋がった腸詰肉を三人仲良く切り離しているコボルト達もまた、物々交換種族だ。

 のんびりとして穏やかな彼らの生活には、それで良いのだ。

「にゃー」

「めにしみるー」

「おやおや、おいで目を洗おう」

 玉葱の皮を剥いて涙目になっている里住みの幼いケットシー達を抱き上げ、アルフォンスは木樋から水が流れ落ちる水盤へと連れていったのだった。


 皆で作ったのは大鍋一杯のポトフだった。丸パンには切れ込みを入れ、アロイスの店からエンデュミオンが買って来たレバーペーストか、孝宏が作ったベリーのジャムを選んで塗り付ける。

 大人のケットシーにはレバーペーストが、子供のケットシーにはジャムが人気らしい。コボルトも、メテオールはレバーペーストを選んでいたが、クヌートとクーデルカはジャムにしていた。

 アルフォンスはレバーペースト、クラウスはジャムを選ぶ。クラウスは甘いものが好きなのだ。

 皆が自分の木皿にポトフを注いで貰い、食前の祈りを唱える。

「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」

 ふうふうとポトフを吹き冷ましながら、ケットシー達がポトフを口に運ぶ。あちこちから「うまー」と声が聞こえて来る。ケットシーやコボルトは大抵子供の声をしているので、目を閉じると大勢の子供に囲まれていると錯覚しそうだ。

 アルフォンスもそっと木のスプーンをポトフに入れて、ほくほくに柔らかくなった馬鈴薯を割った。湯気の立つ馬鈴薯にコンソメスープが染みている。

 ケットシー達は意外にもお手軽に作れるスープの素を愛用していた。冒険者達から分けて貰っていたので、存在自体は知っていたのだ。今はエンデュミオンの温室と繋がったので、手に入りやすくなったと言う。

 ケットシーは前肢の形状的に余り細かい作業には向かないので、材料を入れて煮込めば味を調えられるスープの素は画期的だったのだろう。

 具沢山のスープと果物、川魚がケットシー達の主な食事なのだ。

「味はどうだ?」

「美味しいな」

「本当に」

 問うてきたエンデュミオンに、素直に答える。はっきり言って、下手な食堂よりも遥かに上等だった。

 エンデュミオンは「そうだろう」と嬉しそうに頷き、慎重に腸詰肉を舐めて温度を確かめていた。熱い物は苦手らしい。

 賑やかな食事を終え、後片付けを済ませると、ケットシー達は寝床に戻る者と、温泉へと向かう者とに分かれた。アルフォンス達は温泉へと連れて行かれる。

「衝立の向こうに籠があるから、脱いだ服を入れるといい」

「有難う」

 エンデュミオン達(あるじ)持ちの妖精は、脱いだ服を〈時空鞄〉に放り込んでいる。

 細かな模様の格子を嵌め込んだ衝立の陰にはベンチと籠の置かれた台があった。基本裸族の里住みケットシーは使わないので、何も置かれていなかった。

 服を脱いで軽く畳んで籠に入れ、衝立の陰から出た先では、エンデュミオン達が泡だらけになっていた。ただし、エンデュミオンは遠い目をしてギルベルトに洗われていたのだが。

「大丈夫なのか? エンデュミオンは」

「大丈夫」

「いつもだから」

 ギルベルトの背中を泡立てていた、クヌートとクーデルカがあっさり答える。メテオールは桶の中に入っていた赤い皮の木の実を割り、濡らした毛皮に擦り付けている。

「それは何だ?」

「泡の実。石鹸みたいなの」

「ほう」

 アルフォンスの眼が輝く。面白そうなものは、嫌いではないのだ。

 クラウスが手伝って泡を流したギルベルトとエンデュミオンが湯船に移動して場所があいたので、アルフォンス達も湯を身体に掛ける。

 ギルベルトにぎゅっとしがみ付いたエンデュミオンは、いつになく可愛らしかったが、口に出したら呪われそうだったので黙っていた二人だった。

 泡の実は布に擦り付けても直ぐに泡立った。

「面白いな」

「昔は人族もそれを使っていたんだが、今は深い森の中にしか生えていないのだ」

 ゆったりと湯に浸かるギルベルトから、そんな昔話も聞けた。

 湯船のお湯は丁度良い温度で、顔を出したまま泳ぐコボルト達を目の端に見ながら身体を沈める。ケットシーの温泉は強い匂いはせず、お湯も透明だった。温泉の周りを囲む森からの緑の香りが時折強く鼻先をくすぐる。

「暮れて来たなあ」

 見上げた梢の先にある空はラベンダー色から紺色へと移り変わっている最中だ。ぽつりぽつりと星も見え始めている。

「贅沢な事です。この環境で温泉とは」

 隣で同じ様に空を見上げてクラウスが呟いた。

 本来、自力で〈黒き森〉を抜け、偶然このケットシーの里に辿り着かなければ入れない温泉だ。そもそもケットシーのお気に入りでなければ、里には入れない。

 エンデュミオンの温室からの入口も誰もが使える訳ではないが、〈黒き森〉経由の入口も迷路になっていると噂される。道に迷わない〈暁の砂漠〉の住人でさえ、最初だけは偶然でなければ辿り着かないと。

 そうして迷い込んだ冒険者に気紛れに憑くのがケットシーで、街中に居てケットシーやコボルトに憑かれるというのは、実はとても珍しいのだ。イシュカのように血縁以外で二人目以降の主として選ばれるのも又珍しい。

 程よく身体が温まったところで湯船を出て、アルフォンスとクラウスはコボルト達を回収し、簀の上に下ろしてやった。

「乾かすよー」

 クヌートが風の精霊(ウィンディ)に頼んでまとめて身体を乾かして貰う。アルフォンスとクラウスも一緒に乾かしてくれた。エンデュミオンはギルベルトに身体を乾かして貰い、漸く動き始めた。

「温室に戻ろう」

 第二段のケットシー達がやって来たので、エンデュミオンはアルフォンス達が服を着るのを待って温室へと促した。自分達は服を着ず、そのままだ。

 陽が暮れてしまったので、温室の中も当然暗いと思いきや、光の精霊(ラーハ)がふわふわと飛んでいて、辺りが見渡せる位には明るかった。そして、温室の芝生の上に敷物が広げてあり、黒い影のようなラルスが座っていた。左右色の違う青と金の瞳が薄闇の中で光っている。

「待たせたか? ラルス」

「いや、さっき来た」

 家での用事を済ませて来たのか、ラルスも服を着ていなかった。エンデュミオンに右前肢を軽く上げ、その前肢で敷物をポンと叩く。敷物近くの光の精霊の光度が上がった。

「一服して行け。ヒロにつまみと酒を預かってきている。まずは先にこれを飲め」

 水差しと硝子のコップを取り出し、ラルスが香草茶を注いだ。すうっとする香草茶で風呂上がりの喉の渇きが癒える。

「あとはつまみと酒だな」

 〈時空鞄〉からラルスが木の深皿を数枚取り出す。千切りの野菜が生ハムやスモークサーモンで巻かれたものや、薄く切ってカリカリに焼かれた黒パンにチーズが乗せられたもの、ひと口大に切られたスイカ、それと緑色の莢の豆がそれぞれ盛られていた。

「これは豆か? こんなに若く収穫したのか」

「枝豆だ。これは若いうちに収穫して食べるのだと孝宏が育てたのだ」

「新種か?」

「いや、これが育ち切ると大豆になる。こうやってな、豆を莢から押し出して食べるんだ」

 むに、とエンデュミオンは少しくすんだ緑色の莢から翡翠色の豆を押し出して見せた。

「塩茹でしてあるから美味いぞ」

「美味い」

 ぷちぷちと枝豆を押し出して口に入れ、メテオールが小麦色の巻き尻尾を振った。

「クルトに教えたら喜ぶ」

「だろうな。そのうち教えるつもりみたいだったが。孝宏は黒森之國くろもりのくにで枝豆を食べないのに驚いていたな。ちなみに、酒に合う」

「ほう」

「では」

 クラウスが先に枝豆を口に入れる。

「確かに美味しいですね。莢にも少し塩をまぶしてあるのですね」

「そうだ」

「これは酒精が欲しくなります」

「ヒロから預かって来たのは、辛口の林檎酒シードルだ」

 ずるりとラルスが〈時空鞄〉から林檎酒の瓶を取り出す。エンデュミオンが受け取り、栓抜く。

「うちはイシュカもテオもエールは普段飲まないんだ。毎日も飲まないしな。ギルベルトとメテオールも少し飲むか?」

「うん」

「飲む」

 クヌートとクーデルカは香草茶だ。二人は木の実が混ぜ込んであるチーズを幸せそうに齧っていた。

 エンデュミオンが注いでくれた林檎酒は素朴な硝子のコップの底からパチパチと気泡を上げた。香りは甘いが、口に含むときりっとした味わいだ。

「美味いな。この枝豆も」

「リグハーヴスで作付けさせるかどうかは、アルフォンスに任せる。自家用にそれぞれが食べる分であればそれ程場所は取らないが、売り出すとなるとな」

「大豆を若いうちに食べると言う発想がな。まずはリグハーヴス領内からだろう。農業ギルドに教えれば、実験的に来年から作付けしそうだ」

 リグハーヴスは若い公爵領であり、結構柔軟なところがある。地下迷宮ダンジョンを持ち、冬には数か月雪で埋まる。だからこそ、取り入れられる知識があれば吸収する。生き延びるために。

「美味い」

 ひょいとギルベルトの前肢が延び、スモークサーモンの野菜巻きが一つ消える。メテオールも生ハムの野菜巻きを片手に林檎酒を舐めている。クヌートとクーデルカはスイカを食べていた。エンデュミオンとラルスは香草茶で枝豆を食べている。話しながらでも翡翠色の豆を口に放り込んでいる辺り流石だ。

 一通りつまみを食べ、ゆっくりと林檎酒のコップを空ける。つまみはどれも美味しくて、エンデュミオンはその材料が何処の店で買えるのかをクラウスに教えた。枝豆に関しては、領主の大豆畑に行けば収穫出来るだろう。

「ところでエンデュミオン」

「なんだ? ラルス」

 ラルスがアルフォンスを前肢で指した。

「領主だろう? 踏んでいいのか?」

「だって前肢で押すと力が入り難いんだろう?」

「そうだが」

「何の話だ」

 いきなり踏まれる話をされてもアルフォンス本人が解らない。

「按摩だ。肩が凝っていそうだからと、エンデュミオンに頼まれたのだ」

「ラルスに揉んで貰うと植字職人の肩凝りも一発だぞ。体重が軽いから、踏んだ方が揉みやすいんだ」

「なんだ、そういう事か。では頼めるか? 温泉に入って少し楽にはなったんだが」

「どれ」

 ぎゅう、と握った前肢でラルスがアルフォンスの肩を押す。芳しくなかったのか、ラルスの鼻先に皺が寄った。不摂生で不健康な者に厳しいラルスである。

「寝ろ」と温泉で使わなかったタオルを畳んだ物を枕に、アルフォンスを俯せにさせて腰の上に登る。黒い肉球を伴う肢が、的確にアルフォンスの凝り固まっている部分を狙う。

「うむ、ごりごりだな」

「ちょ、そこ、痛たたたっ」

 相当凝りを放置していたのか、ラルスの施術にアルフォンスが悲鳴を上げる。柔らかい肉球で踏まれているのにも関わらず。回りでギルベルト達がアルフォンスを応援しているのだが、聞こえているのか解らない。

「薬草師は按摩も出来るものでしたか?」

 クラウスがラルスに踏まれて呻くアルフォンスを見つつ、エンデュミオンに疑問を呈する。エンデュミオンはぽしぽしと頭を掻いた。

「通常は調剤だけだな。ケットシーだから知識があるからやれる。按摩は倭之國わのくにだとかそっちの方で発展した技だし。ヴァルブルガも出来ると思うが」

「エンデュミオンは?」

「出来るが、余りエンデュミオンに踏まれたい者はいないんじゃないか?」

「成程」

 寝首を掻かれそうな気分になるに違いないと、クラウスは思ったがそっと胸の内に留めた。エンデュミオンが傷付きそうな気がしたので。

「こんなもんかな。これ程になる前に知らせろ、揉みに行ってやる」

「……ああ、助かるよ。随分身体が軽くなった」

「では次はクラウスだな」

「私もですか?」

「うむ。アルフォンス程ではないが凝っているだろう?」

 きらりとラルスの色違いの瞳が光る。こういう所が、兄弟同様に育ったエンデュミオンとよく似ている。

「宜しくお願いします」

 結果として立ち仕事の多いクラウスは腰や背中の凝りを暴かれて、呻く羽目になった。

 施術終わりに改めて香草茶を貰い、一息吐く。

 あれほどガチガチに凝っていたアルフォンスの双肩が軽い。

「これ、女性にも要望あるんじゃないのか?」

「頼まれれば行くが、黒森之國では医療行為に認められないんだが良いのか?」

「そうなのか? ……なら、王を踏みに行くか?」

「御前」

 言っている言葉だけ捉えれば不敬である。クラウスにたしなめられたアルフォンスに、ラルスは首を横に振った。

「そんな場所まで出張していたら、店番出来なくなる」

「それもそうか」

 ラルスは〈薬草と飴玉〉のドロテーアに憑いている主持ちだ。そちらが優先になる。

「ラルスの手の届く範囲ならな」

「承知した」

 エンデュミオンやラルスの言う手の届く範囲と言うのは、リグハーヴス領内の事だろう。

「今日は随分楽しませて貰ったな」

「そうか。それならば良いのだが」

「今度はロジーナとヴォルフラムもと、頼みたいところだが」

「ビーネが憑いているからヴォルフラムは問題なく里に入れるが、ロジーナの御付きを厳選する必要があるな。エルゼならいいがキッチンメイドだからな」

 エルゼはケットシーやコボルトに好かれているが、奥向きのメイドは別にいるのだ。

「検討しよう」

「そうしてくれ。見極めとしてはクヌートとクーデルカに好かれる者であれば問題ない」

 意外と初対面でコボルトが尻尾を振るのは珍しいのだ。最初から尻尾を振れば、善人判定を通過している。

「参考にしよう」

「では、送って行こうか。クヌートとクーデルカも一緒にな」

「うん」

「送ってー」

 双子のコボルトが、エンデュミオンの隣に寄って来る。

「メテオールはギルベルトが送ろう」

「ラルスは片付けておこう。お休みエンデュミオン」

「頼む。お休み」

 芝生の上に銀色の魔法陣マギラッドが広がり、次の瞬間にはアルフォンス達は領主館のロビーに居た。

「クヌートとクーデルカはここから帰れるか?」

「私が送って行きますよ」

 クラウスが双子の頭を撫でた。渡り廊下を通れば、使用人宿舎へと行けるが、陽が落ちてから子供のコボルトだけで行かせるつもりはない。

「按摩をして貰ったあとだから、白湯を飲んでゆっくり寝ると良い。お休み」

「そうしよう。お休みエンデュミオン」

「お休みなさーい」

 前肢を振るクヌートとクーデルカに前肢を振り返し、エンデュミオンがパチンと音を立てて消えた。

「私は二人を送って来ます」

「ああ、頼むよ。お休み、クヌート、クーデルカ」

「お休みなさい、アルフォンス」

 声を揃えた二人の頭を撫でて見送ってから、アルフォンスは寝室に上がった。

 寝室に妻のロジーナの姿が無かったので、寝室の続き部屋にある扉をノックする。寝室を真ん中にして左右にアルフォンスとロジーナの私室があるのだ。

「どうぞ」

 返事を待ってドアを開ける。ロジーナはソファーにランプを引き寄せ、本を読んでいた。光鉱石の光で、ストロベリーブロンドの髪が映えている。ロジーナはアルフォンスの姿を見て、本に栞を挟んで閉じた。

「ただいま」

「お帰りなさいませ。いかがでしたか? ケットシー達は」

「皆元気だったよ。あれ程のケットシーを一度に見たのは生まれて初めてだ」

「まあ」

 ロジーナは顔を輝かせた。両掌を合わせておねだりの姿勢を見せる。

「どんな事があったか、話して下さいますわね」

「勿論、と言いたいところだが、今日は白湯を飲んでゆっくり休めと言われているのだ」

「まあ、では白湯を用意致しましょう。クラウスはお部屋ですか?」

「クヌートとクーデルカを部屋へ送っているよ」

「では私が」

 騎士の家の出であり学院も出ているロジーナは、やろうと思えば自分で家事が出来る。

 ソファー脇のテーブルに置かれていた、紅茶に注す為の白湯の入ったポットを火の精霊(サラマンダー)魔法で温め直し、新たに用意したティーカップに注いでアルフォンスの前に置く。

「どうぞ、旦那様」

「有難う」

 湯気の立つ白湯に息を吹きかけ、一口飲む。そしてアルフォンスは傍らで期待に満ちた顔をしているロジーナに微笑みかけた。

「寝支度をする前に少し話そうか。〈転移〉で行ったエンデュミオンの温室にはね──」


ケットシーのおもてなしなので、孝宏達は少しお手伝いをしただけです。

早々に<精霊の泉>がばれていますが、見逃して貰っています。

エルゼもかなり妖精と親和性が高いのですが、学院にも行っていない平民なのでキッチンメイドなのです。

妖精達はお店で会うと可愛がって貰えるので、エルゼが大好きです。


祝200回記念で、長めのお話になりました。


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