表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/448

リグハーヴスの仕立屋さん

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

眠り羊の毛糸、流行中です。

20リグハーヴスの仕立屋さん


 黒森之國くろもりのくにの北東にあるリグハーヴスには、仕立屋が何件かある。

 基本的には母親が布を買い、時には自ら織って服を作る事が多いのだが、独り身の者や、晴れ着などは仕立屋に頼む。

 仕立屋にも得意分野があって、男服・女服・子供服と受注を選んでいる店もある。

 マリアンの店は全ての服を仕立てる店だった。子供の普段着から、領主の礼服まで作れと言われれば作れる。

 そしてたまには無茶な注文も来る。

「眠り羊の毛糸でセーターって、ここは防具屋じゃないのよ」

「防具屋に行ったら、うちは仕立屋じゃねえって言われたんだよ」

 王都からハイエルンを経由して来たらしい冒険者の青年が、カウンターに肘をつく。行儀が悪い。マリアンのこめかみがひくりと脈打つ。

「とにかく、ハイエルンで着ている奴を見掛けたんだよ。鎖帷子くさりかたびらや革の胴着より防御が硬いし軽いらしいんだ。頼むよ、ヘア……」

「フラウよ」

 マリアンは森林族の男だ。だが、心は乙女なのだ。街の住民にも、敬称もフラウで通して貰っている。ちなみにマリアンは男性名だ。

「……フラウ・マリアン」

「一度現物を見てみたいわねえ」

 眠り羊の毛糸をマリアンは扱った事が無かった。

「こんにちはー!」

 そこに店のドアを開けて軽量配達屋の冒険者テオが入って来た。片腕にケットシーのルッツを抱き、片腕に蝋紙に包まれた小包が幾つか入った木箱を抱えている。

 テオとルッツはマリアンが贔屓ひいきにしている配達屋だ。マリアンは心からの微笑みを二人に向けた。

「あら、いらっしゃい」

「ハイエルンの集落を回って、頼まれていたレースを集めて来たよ」

「いつも有難うございます」

 職人のアデリナがテオから木箱を受け取り、カウンターの後ろにある作業台に乗せて確認する。頼んだ集落分の包みがある事を確認して、テオの受取票にマリアンがサインした。

 レース編みは冬場の農家婦人たちの内職なのだ。ギルドでも買い取るのだが、マリアンは直接依頼していた。後でマリアンがギルドを通して代金を彼女達の口座に振り込むのだ。

「雪だっていうのに、ごめんなさいね」

「道だけは付いているからね。魔法使い達が馬や馬車を通れる幅だけ溶かしてくれていたよ」

「そうなの?それなら良いけど。ルッツもごくろうさまね。アデリナ、ボンボンがあったわよね」

「はい、フラウ・マリアン」

 アデリナはガラス瓶に入っていた、色とりどりの蝋紙で包まれた飴を、小物を売った時に入れる生成りの巾着袋に一掴み入れ、ルッツの桃色の肉球の付いた前肢に渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがと」

「いつもすみません。フラウ・マリアン、フラウ・アデリナ」

「気にしないで」

 テオも好青年だが、最近テオの相棒になったケットシーのルッツも、マリアンとアデリナの癒しなのだ。

「あーっ!こいつだこいつ!」

「ん?」

 突然指を差され、テオは青年に視線を移した。

「大声出さないで頂戴、聞こえているわよ」

 内心まだ居たのかと思いつつ、マリアンは青年に注意する。

「こいつだよ、眠り羊のセーター着ていた奴!」

「あら、そうなの?テオ」

「うん、着ているけど?」

「見せて貰ってもいいかしら。どんな感じか知りたいの」

「ルッツでも良いかな?」

 テオはルッツをカウンターに座らせ、裏起毛のフード付きのケープを脱がせた。象牙色のアランセーターに、マリアンとアデリナは職人の眼差しで検分する。ルッツには貰ったばかりの飴を口に入れてやったので、大人しくしている。尻尾だけはカウンターの上を、ぱたりぱたりと遊んでいるが。

「普通の羊の毛より光沢があるのね。手触りも柔らかくて良いわ。これ、軽いでしょう」

「うん。これだけ目を詰めて編んであるけど、軽いよ」

「これ、誰が編んだのかしら」

「ヒロだよ。普通の毛糸と同じ様に編んでた」

 孝宏は眠り羊の毛に、どれだけの防御力があるか知らないのだ。

「服飾ギルドに眠り羊の毛はあるかしらね」

「ヒロが買った時は、かなり在庫があったみたい。フラウ・ヘルガが選んでくれたって」

「ヘルガね、解ったわ。明日にでもヒロに話を聞きたいって、伝えておいてくれる?」

「了解。じゃあ、まいどさん」

 ルッツにケープを着せ直し、テオは店を出て行った。

「さて、と。お待たせしたわね」

 マリアンは青年に向き直った。

「セーターは編めると思うけど、防具並みの値段になるのは覚悟しておいてね」

「お、おう」

 何しろ素材自体が高いのだ。それに手編みで手間が掛かる。その手間賃は頂く。

「じゃあ、採寸させて貰おうかしら」

 マリアンは首から下げていた巻き尺をびしりと音を立てて伸ばしたのだった。


 実はマリアンの店<ナーデル紡糸スピン>は、<Langueラング de chatシャ>と同じ路地の並びにある。

 孝宏たかひろ達が服を誂えて貰っているのは、マリアンの店なのだ。マリアンの店も比較的新しい。マリアンの親方マイスターのそのまた親方の店を、引き継いだのだ。

 マリアンの親方が王都で独立した後は、弟子を取らなかったらしく、引き継ぐ者が居ないならばと、孫弟子であるマリアンにお鉢が回って来たのだ。

「じゃあ、行って来るわね」

「いってらっしゃいませ」

 翌日アデリナに見送られ、マリアンは編み針と毛糸が入った籠を持ち、<Langue de chat>へと向かった。

 ちりりりん、りん。

 木の厚いドアを開けると、上部に取り付けられているドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ、フラウ・マリアン」

「こんにちは。中はこんな風になっていたのね……」

 マリアンが<Langue de chat>の中に入るのは初めてだった。

「フラウ・マリアン、俺に用だと聞いているんですが」

 カウンターから孝宏が出て来た。空いたカウンターはどうするのかと思ったら、にょきりとエンデュミオンの顔が生えて来た。椅子に登ったらしい。黄緑色の瞳をきらきらとさせている。

「そうなの。編み方でね」

 マリアンは毛糸の入った籠を持ち上げて見せた。

「こちらにどうぞ」

 孝宏はマリアンを閲覧スペースに連れて行った。<予約済み>テーブルに案内し、一度奥に入ってお茶(シュヴァルツテー)クッキー(プレッツヒェン)の乗った小皿を運んで来る。

「どうぞ」

「有難う。評判のお菓子ね」

 おしぼりで手を拭いて、マリアンはクッキーを摘まんで半分に割り、齧った。

「うん、美味しいわ。肉桂シナモンと胡桃ね。今時季作るケーキみたいね」

「香辛料が効いているケーキなんですね」

「お酒もたっぷり含ませて、熟成させるのよ」

「酔っ払いそうですね」

「お酒に弱い子には駄目ね」

 くすくすと笑って紅茶を飲み、マリアンはおしぼりで指先を拭い、孝宏の着ている象牙色のカーディガンの袖に触れた。

「うーん、本当に目が細かいわね」

(しかも、眠り羊の毛だわ。どんなに危険な客が来るのよ)

 疑問である。

 黒森之國の一般的なセーターはもっと太めの毛糸でざっくり編む事が多いのだ。しかし、昨日ギルドで見た限り、眠り羊の毛は細目に紡がれ易い様だ。だからこそ孝宏の様にきっちり詰まった目で編めるのだろう。

「一寸コツを教えて欲しいのよ。セーターの依頼が入ったんだけど、テオが着ていた物位目が詰まったのが欲しいって言われちゃって」

「良いですよ」 

 黒森之國の仕立屋として、マリアンは当然編み物が出来る。孝宏に教えて貰って、間もなくコツを掴んだ。

「良しっと。……有難う、後は編んでみるしかないわね」

 もうすぐ黒森之國は年末と年始の二週間の休日になる。受取は年明けで良いと言っていたから、休みの間も使えば物に出来るだろう。

 籠に毛糸と編み針を戻したマリアンは、途中で寒かったら使ってと渡されて膝に掛けていた膝掛が、眠り羊の毛糸で編まれた物だと、今頃になって気が付いた。

(膝掛が防具ってどういう事なのかしら)

 はなはだ疑問である。

「皆が読んでいるのは貸本なのかしら?」

 閲覧スペースの緑色のソファーのあるテーブルにはエッダとカミルが、窓際の席にはクロエがいる。カミルに関してはまだ字を覚えている最中だ。鉛筆を持ってざら紙の前で唸っている。エンデュミオンが出した問題を解いているらしい。エンデュミオンは簡単な計算もエッダとカミルに教え始めている。

「そうですよ。フラウ・マリアンは本を読みますか?」

「んー、暇潰しに説話集せつわしゅうを読む位には読むわね」

 説話集は暇潰しに読む物なのかどうか、孝宏は解らない。しかし、説話集は物語の形式になってはいるので、読めるのだろう。

「何か読んでご覧になりますか?棚の方で試し読みが出来ますよ」

「あら、良いの?借りるのなら銅貨三枚だったわよね」

「はい。一回一冊銅貨三枚で二週間です。お早目の返却であれば、期間内でもう一冊無料で借りられますよ」

「一寸、見て来るわ」

 いそいそと本棚に向かったマリアンは、間もなく薔薇の書をエンデュミオンに貸出手続きして貰って戻って来た。マリアンのカードを既にエンデュミオンは用意していたらしい。タイトルは<波間なみまによせて>だった。

(あ、やっぱり薔薇の書なんだ)

 流石、心は乙女である。外見は森林族らしく明るい金髪の美青年なのだが。ちなみに着ている服は男性服である。

「借りて行くわ。アデリナにも教えてあげないと。あの子も好きそうだわ」

 そっと毛糸の入った籠の中に薔薇の書を入れて、マリアンは<針と紡糸>に帰って行った。


 フラウ・マリアンが店主マイスターを務める<針と紡糸>。

 彼女と職人のアデリナが編む眠り羊の毛糸のセーターは、その目の細かさと繊細な模様から<冬場の鎖帷子要らず>と言われ人気になる。  

 毎年冬前になると、妻や恋人にセーターを編んで貰えない冒険者の男達が<針と紡糸>にセーターの予約に並び、「うちは防具屋じゃないわよ!」と言うマリアンの叫びが路地に響くのだった。



マリアンねえさん登場。

眠り羊の毛糸のセーターの余波が、マリアンの元にも来ました。

マリアンのところの職人アデリナも森林族です。

<Langue de chat>の男五人が服を新調する時は、<ナーデル紡糸スピン>に注文するので、彼女達はキャッキャッとしながら作っています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ