孝宏の暑気払いパフェ
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
リグハーヴスにも暑い夏が来ました。
197孝宏の暑気払いパフェ
「やーん、やーなのー」
廊下の奥からルッツのぐずる声が聞こえて来る。
「三日か、頑張った方かな」
ソファーに座って、今日の新聞を読んでいたエンデュミオンが紙面から顔を上げ、ぽしぽしと頭を掻いた。
ルッツは配達でヴァイツェアに行って熱中症になり、療養中なのだ。熱が下がって来たので、動きたくなったのだろう。熱中症になった翌日に、窓拭き屋のアポロニアが来てはしゃいで熱を上げた為、テオとヴァルブルガにベッドから出して貰えなかったのだ。
「そうだねえ。でも熱中症って最悪死んじゃうから、療養は大事だしね。可哀想だから、せめて居間に来て貰おうか」
「大人しくしているのなら、その位は平気だろう」
「おやつの時間だしね」
「ああ。よいしょ」
新聞を一週間分溜めているテーブルの引き出しに入れ、エンデュミオンはソファーから飛び降りた。
「に」
「う」
「よしよし」
ラグマットの上に居たアハトとシュネーバルの頭を一撫でし、エンデュミオンは居間から廊下に出て、テオとルッツの部屋へ向かった。
「にゃーうぅ」
「ほら、また熱上がっちゃうから。あああ、落ちる落ちるっ」
部屋の中ではテオの腕の中で、ルッツが反り返っていた。ご機嫌斜め真っ最中だ。元々活発なので、長時間じっとしているのが辛い性質なのだろう。
早く声を掛けないとルッツが転げ落ちそうで、エンデュミオンは一寸慌てた。
「テオ、ルッツ、おやつにしないか? 大人しくしているなら、居間でルッツを遊ばせても良いだろう」
「エンディ」
テオがほっとした顔になった。ルッツの気を逸らせたからだろう。テオの腕の中で反り返ったまま、ルッツが歓声を上げた。
「おやつ!」
「走り回るのはなしね、ルッツ」
「あいー」
眼元が濡れた顔を、ルッツがテオのシャツに擦り付ける。一年分くらいの不機嫌さを、ここ数日で発揮しているルッツである。
家中の窓もドアも開け放しているので涼しい廊下を歩き、居間に戻る。
台所では、孝宏がおやつの準備を始めていた。台所のテーブルの上に色々な容器が出ている。エンデュミオンも作るのを手伝った、今日のおやつの材料だ。
「今日のおやつはパフェだよ。ルッツは何入れるか考えていて」
孝宏は小さめのマグカップにシュネーバルのパフェを作っていた。テーブルにぴたりと付けた子供用椅子に、シュネーバルとアハトが乗っていた。
孝宏はマグカップの底にグラノーラを敷き、バニラアイスクリーム、ベリーのジャム、クリーム、一口大の桃のシロップ煮、クリーム、四つ切りにした苺を重ねる。
「はい、シュネー」
「う!」
ぶんぶんシュネーバルが白い巻き尻尾を振る。
「に!」
「アハトもアイスクリーム食べようね。先にルッツの作らせてね」
「に!」
ペチペチと小さなピンクの肉球でアハトがテーブルを叩いた。
「ルッツ何にする?」
孝宏はまずコップの底にグラノーラを敷いた。
「んとねー」
ルッツはテオに椅子の上に下ろして貰い、各容器を覗き込んだ。
「アイスとりんごジャムとねー、クリームとももー」
「苺とオレンジもあるよ?」
「それもー」
孝宏はルッツのご希望の通りにパフェを作り最後に苺と、皮を剥いて房を外したオレンジを飾る。兎林檎も乗せた。
「はいどうぞ」
「ありがと」
「柄の長いスプーン、ヘア・クルトに作って貰ったんだよねー。はい」
孝宏はパフェスプーンをシュネーバルとルッツに渡した。
「俺は自分で作るから、ヒロはアハトにアイスクリームあげたら?」
「そうする。ああ、涎……」
アハトがテーブルに涎を垂らしていた。テオとエンデュミオンの分は本人達に任せ、孝宏はマグカップにバニラアイスクリームを盛り、木製のティースプーンで掬い取った。
「待たせてごめんね、アハト。はい、あーん」
「あー」
ぱか、と開いた小さい口の中にアイスクリームを落としてやる。あむあむと口を動かし、アハトがうっとりした顔になった。
まだ余り沢山はやれないが、口の中で溶けてしまうアイスクリームは、離乳食をそろそろ始めるアハトにも安心して与えられる。
「きょうのめぐみに!」
「う!」
ルッツとシュネーバルも食前の祈りを唱え、ぎゅっとスプーンを握ってパフェを掬う。あーん、とクリームと苺を口に入れルッツが頬を押さえる。
「おいしーねー」
「おいちーねー」
口元にクリームを付けたシュネーバルも、真似して頬を押さえる。
マグカップにしたのは、自分達で取っ手を握って押さえられるからだ。むにっと肉球のついた前肢でマグカップを掴んでいるのが可愛い。
エンデュミオンはテオにパフェを作って貰っていた。抹茶アイスクリームに餡子トッピングで。好みが揺るがない。
「豪華だね、これ」
テオはバニラアイスクリームと桃を選んでパフェを作り、グラノーラと一緒に掬い上げた。
「間にゼリーを入れても美味しいんだよね。白玉団子入れても良いし」
「それも良いね。イシュカ達にはどうするの?」
「希望を聞いているから、作って保冷庫に入れておくよ」
今の店番はイシュカとヴァルブルガ、カチヤとヨナタンだ。
幼いアハトとシュネーバルがいるので、誰かは二人を見ている。おやつを作りに孝宏が二階の居間に上がっているが、片付け終われば一階の台所へ入る。
孝宏はアイスクリームを食べ終えたアハトに白湯を飲ませ、口の回りと前肢を拭いてやった。
アハトの隣ではシュネーバルがマグカップに鼻先を突っ込んで底を舐めているので、やはり顔を拭いてやらねばならなそうだ。
ルッツはシュネーバル程鼻先が長くないので、スプーンで器用にマグカップの底のグラノーラを掬っていた。精神年齢は幼いままだが、器用さは少し上がった気がする。
妖精の精神年齢は個体差があるので、幼い個体はずっとそのままだと、孝宏はエンデュミオンに以前聞いていた。ルッツは多分幼いままだろう。
「ルッツ、大分元気になったね」
「あいっ」
孝宏に返事をしたルッツの大きな耳がピンと立っている。元気がない時は耳も尻尾も垂れてしまうので、解りやすい。
とはいえ、ここで無理をするとまたすぐに熱中症になるとヴァルブルガに言われているので、テオはしっかり休みを取るつもりだった。冒険者ギルドにも休みを取ると知らせてある。
「そうだ、ルッツ。フリッツとヴィムの新しいお話書いたから、テオに読んで貰いなよ」
「あいっ」
「まだ店に出す前だろ? 良いのか?」
「今朝製本出来たんだよね。俺の保存用のやつだから、大丈夫だよ」
孝宏は店に貸本として置く本の他にイシュカに一冊製本して貰い、書斎の棚に置いてあるのだ。
「俺が一階行っちゃうから、アハトとシュネーバルも一緒に読み聞かせして欲しいんだけどね」
「それは構わないよ」
恐らく途中で全員が寝落ちるだろう。年少組を大人しくさせるのに、本の読み聞かせは効果的な手法なのである。
孝宏はマグカップを洗ったあと、イシュカ達の希望通りにパフェを作り、冷凍用保冷庫に入れた。それから自分の部屋に行って、若草色の革表紙の〈少年と海底の都〉を持って来た。
「はい、テオ」
「有難う。よーし、部屋で本読んであげるからおいでー」
「あい」
「う」
「に」
テオがアハトを掬い上げ、足元をルッツとシュネーバルが付いて行く。
「大人しく昼寝をするかな?」
「そうだと良いんだけど。あとでイシュカに様子見て貰おうかな」
着けていたエプロンを外し、孝宏は自分とエンデュミオンの身なりを確認してから、一階に下りた。
「カチヤ、ヨナタン、休憩して来ていいよ。保冷庫にパフェ入っているから食べてね。果物一杯乗っているのが、二人のやつね」
ちなみにヴァルブルガはバニラアイスにベリー尽くし、イシュカは抹茶アイスと餡子とクリームに苺、というエンデュミオンに近い選択だった。
「はい」
「……」
しゅっとヨナタンが右前肢を挙げる。今日は機織りでは無く、店をお手伝いしてくれているヨナタンだ。昨日、メテオールの布を織る為に織機に糸を張っていたので、今日は目を休ませるらしい。
カチヤとヨナタンが二階に上がって行ったので、孝宏とエンデュミオンは店に出た。
「イシュカ、ヴァル、交代するよ」
「有難う。今お客は居ないけど、休憩して来るかな」
「二階の保冷庫にパフェを入れてあるよ。それと、テオの部屋覗いて来てくれる? シュネーとアハトも居るから」
「解った」
「んしょ」
いつものカウンターに一番近い〈予約席〉からヴァルブルガが下りる。とことことエンデュミオンに近付き、こてりと首を横に倒す。
「ルッツ、落ち着いた?」
「さっき癇癪を起して、テオの腕の中で海老反りしていたぞ」
「まだ一寸大人しくしていて欲しい」
「孝宏がルッツのお気に入りの本を与えたから、少しは大人しくなるんじゃないか?」
長く生きるケットシーのエンデュミオンとヴァルブルガにしてみれば、ルッツはまだまだ幼い子供だ。あの年齢にして、ルッツは聞き分けが良すぎる方なのだ。たまに癇癪を起すくらい可愛いものだ。
「じゃ、少し二階行ってくる」
イシュカはヴァルブルガを抱き上げ、階段を上がった。
「俺は様子を見てくるよ」
居間の入口でヴァルブルガを下ろし、イシュカは静かな廊下を歩いて、テオとルッツの部屋を覗いた。
開けた窓から微風が抜けていて、思ったより涼しい。壁際に寄せてあるベッドの上で、シーツを掛けてテオ達が眠っていた。
枕元に閉じた若草色の本があるが、殆ど読まずに寝落ちたのではなかろうか。テオもここ数日の看病疲れがある筈だ。
「う?」
壁際に寝ていたシュネーバルがむくりと起き上がった。どうやらシュネーバルは寝ていなかったようだ。イシュカの姿を見て、目を輝かせた。
「いしゅか!」
「しーっ」
慌ててイシュカは唇に人差し指を当て、シュネーバルを黙らせた。
「……」
イシュカは足音を立てないように気を付けてベッドに近寄り、きゅっと両前肢で口を押さえたシュネーバルを回収する。このまま置いておいたら、折角寝ているルッツやアハトを起こしてしまう。珍しい事にイシュカが部屋に入ってきても目を覚まさないのだから、テオも寝かせておいてやりたい。
そろそろと足音を忍ばせて廊下へ撤収する。
「……」
「もう喋っても良いぞ、シュネー」
「うー」
台所まで連れてきて、シュネーバルを撫でてやる。
テーブルに保冷庫から出したマグカップのパフェを置いていたカチヤが、シュネーバルを連れてきたイシュカに気付く。
「シュネー、起きちゃったんですか?」
「そうみたいだ」
イシュカはソファー横で膝掛け等が入れてある籠から青いスリングを取り出し、首から掛けてその中にシュネーバルを入れた。
シュネーバルの場合は、スリングに入れると眠ってくれる。そして何故か、孝宏よりイシュカの方がシュネーバルを寝かし付け易かった。
孝宏曰く「安定感の差」らしいが、エンデュミオンは「イシュカが群れの長だから」と言った。
シュネーバルにとって、イシュカが外敵から守ってくれる者なのだと言う。つまり、父親認定されているのだと。
ヨナタンとヴァルブルガを子供用の椅子に座らせ、イシュカもヴァルブルガの隣の椅子に腰を下ろした。座ると下半身に疲れを感じる。
客が居ない間はカウンターの後ろにある三本足の椅子に座ったりもするが、インクや手紙用の紙といった小物も置いているので、近隣住民が買いに来たりする。意外と立っている時間が長いのだ。休憩時間のおやつは結構嬉しい。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
食前の祈りを唱え、カチヤとヨナタンは果物が多く乗ったパフェを口に運ぶ。
「美味しいねえ、ヨナタン」
「……」
ぱっさぱっさとヨナタンの尻尾が揺れる。北方コボルトは寡黙だが、尻尾が雄弁だ。
徒弟に毎日おやつがある職場は通常ない。〈Langue de chat〉はかなり異色である。そもそも妖精憑きの妖精も養っているのだから異常とも言える。
「うー。いしゅかー」
もそもそとスリングからシュネーバルが顔を出した。じっとイシュカの抹茶アイスクリームを見詰める。
「シュネーはさっき食べただろう? お腹冷えちゃうから、アイスクリームはもう少しあとでな。ほら」
アイスクリームの代わりに苺をシュネーバルの口に入れてやる。
「うー!」
あぐあぐと苺を食べ終え、シュネーバルがスリングの中に潜っていった。昼寝する気になったのだろう。
「ん? どうした?」
何故かヴァルブルガとカチヤとヨナタンがイシュカを見ていた。
「いえ、親方のシュネーバルの扱いが物凄く手慣れているなあと思って」
「ああ、俺は孤児院で育ったから、徒弟に出るまで小さい子の世話をしたりしていたんだよ」
イシュカはスリングの中で居心地の良い体勢を取ろうと動くシュネーバルを、とんとんと軽く指の腹で叩いてあやす。
「自分の家族が欲しいと思っていたから、今は賑やかで楽しいよ」
「ふふ」
ヴァルブルガが目を細めて笑う。一度主を喪ったヴァルブルガも、今がとても楽しいのだ。
「私もここで徒弟になれて良かったです」
「……」
フス、とヨナタンが鼻を鳴らした。
少し溶けてきた抹茶アイスクリームをスプーンで掬い、イシュカは舌の上に乗せる。倭之國のお茶独特の苦味と甘味が溶けて広がる。
風通しの良い部屋でこんな冷たい物を食べるなんて、孤児院にいた頃も徒弟時代も考えもしなかった。
孝宏とエンデュミオンがイシュカの元へと現れたのは、偶然と言えば偶然なのだが、これもまた女神様の思し召しなのだろう。
今年のリグハーヴスはもう暫く暑い日が続きそうで、おやつにも冷たい物が増えそうだ。
「そろそろスイカの季節か」
ヴァイツェアやフィッツェンドルフ産の物が八百屋に並ぶ季節だ。スイカは美味しいが、一人では持て余す大きさの果物だ。あれは、皆で分けてこそ美味しい。
やはり家族が増えて良かったなと思うイシュカだった。
ルッツの熱中症のその後です。
永遠の幼児ルッツ。たまには癇癪を起します。でも、機嫌が直るのも早いです。
孝宏がパフェを食べ損ねているのですが、あとでちゃんと食べてます。
アハトは現在シュネーバル位大きくなっていたり(シュネーバルが小さいのです)。すくすく成長中です。




