グラウとクルトとお師匠様
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
クルトの工房を訪ねて来たのは……。
190グラウとクルトとお師匠様
「にゃーにゃー」
作業机の上で木工細工の鉋を動かして遊んでいるグラッフェンは楽しそうだ。
先程まで魔石暖房の前に置いてある籠の中で毛布にくるまって昼寝をしていたので元気一杯だ。
以前、仕事をしているクルトの様子を楽しそうに見ていたので、鉋の玩具を作ってあげたのだが、グラッフェンは思いの外気に入ったらしく、いつも持ち歩いていて、寝る時もベッドに持ち込んでいる程だ。
鉋の掛け方もクルトのやり方をちゃんと見て覚えたのだろう。板と本物の鉋を渡してもきちんと削れそうだ。
グラッフェンは主であるクルトの娘のエッダが外出する時には必ずついていくが、家にいる場合はクルトの工房に良く顔を出す。
今日もアンネマリーとエッダが家事をしている間、息子のデニスをあやしていたが、家事が一段落するのを待ってクルトの工房にやって来た。昼食後だったので、まずはしっかり昼寝をしてから遊び始めたのだった。
コンコンコン。
ここ数日暖かい日が続いているので開け放している工房のドアがノックされた。
「どうぞ」
「お邪魔するよ」
工房に入ってきたのは雪のように白い髪の小柄で痩せた老人だった。肩から黒い鞄を斜め掛けしている。
クルトは座っていた三本足の椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「親方ネーポムク!」
「ははは、儂はもう引退した爺だよ。ただのネーポムクさ、親方クルト」
「貴方の前では、俺もただのクルトですよ」
家具大工ネーポムクは細工師としても優秀で、王都大聖堂も手掛けた一人だ。人は彼の事を〈女神の細工師〉と呼んだ。
ネーポムクはクルトの師匠だった。クルトが徒弟に入った時には既に老齢だったネーポムクは、クルトを最後の弟子とした。
ネーポムクは自らの息子も徒弟にしており、店を譲った後息子はクルトがリグハーヴスで開業するのと入れ替わるように王都へと店を移転した。そしてネーポムクも王都へと移住した筈だった。
「ご旅行ですか?」
「いやいや、リグハーヴスへ戻ってきたのさ。儂には王都は賑やか過ぎていかん。息子達は王都だがね。挨拶を兼ねてお前さん方の顔を見に来たんだ」
節くれだった指を持つ手を振って、ネーポムクは笑った。
ネーポムクは妻を既に亡くしており、一人で戻ってきたのだろう。
「儂一人住む位なら、広い家はいらんからな。一階に食堂のある下宿が空いていたんで、そこに住む事にしたよ。飯が旨い所でな」
「そうですか。ネーポムクが戻ってきたと知ったら、皆喜びますよ」
「はは、枯れ木が増えちまったって言われるさ。所でクルト、その子はどうしたんだい」
ネーポムクの視線は作業机の上に座ったまま二人を見上げている、グラッフェンに向けられていた。
グラッフェンはしゅっと右前肢を挙げた。
「ぐらっふぇん!」
「ケットシーのグラッフェンです。エッダに憑いたんですよ」
「おやおや、街にケットシーが居るなんていつ振りだね」
「ネーポムクは彼らが来る前に王都へと移住したんでしたね。最初は〈Langue de chat〉と言うルリユールにエンデュミオンと名乗るケットシーを連れた少年が来たのが始まりで、それから他の妖精も増えていったんですよ。グラッフェンはエンデュミオンの弟です」
ネーポムクが顎を指先で擦った。
「エンデュミオンと言うのは、もしやあのエンデュミオンかね?」
「恐らくそのエンデュミオンです。頑固な所もありますが、義理堅いですよ。あと、人にものを教えるのが好きですね」
大魔法使い時代、弟子を一人しか取らせて貰えなかった反動のように、エンデュミオンは機会があれば知識を分け与えている。
「にゃにゃー」
二人が話している間に、グラッフェンは再び作業机に玩具の鉋を掛けていた。その動きに、ネーポムクが目を止める。
「こりゃまた……」
「玩具の鉋を作ってあげたら気に入ったみたいで」
「そうかい」
ネーポムクはグラッフェンの柔らかな毛で被われた頭を撫でた。
「じっじ?」
「グラウ、ネーポムクだよ。俺の師匠だ」
「おー」
グラッフェンがエンデュミオンとそっくりな黄緑色の瞳を大きくして、ネーポムクを見上げる。
「じっじで構わんさ。儂の孫は皆でかくなっちまったからな。こんな可愛い孫が出来るのは嬉しいね」
ネーポムクはリグハーヴスに居た時から子供好きで、エッダを可愛がっていた。エッダもネーポムクに良く懐いていたものだ。
「グラウは大工仕事は好きかね」
「あいっ」
「やってみたいかね」
「あいっ」
「どれ、前肢を見せてごらん」
「あい」
ネーポムクはグラッフェンの前肢から肩の付け根まで、確認するように触った。
「ふむ。ケットシーの身体は軟らかいのだな」
「ええ。ですからグラウの道具は身体に負担のない物にしないと」
「お前さんもグラウに教える気だったかい」
「楽しそうにしていますからね。本来なら主の能力を覚える筈なんですが、何故か俺の仕事に興味を持って」
一応エンデュミオンに確認したのだが、「グラッフェンが覚えたい事を覚えさせてやれば良い」と言われたのだ。
大工は大まかに削る時や、硬い木を削る時、鑿の柄の端を肩の付け根に押し当てる。軟らかいケットシーの身体には硬い柄は辛いだろう。
「端は綿を詰めた布張りにせんとならんな。よし、儂がグラウの道具を用意してやろう」
「ネーポムク、グラウを弟子にするおつもりですか!?」
「儂とお前が師匠かね」
最初の道具を用意するのは、師匠の役目なのだ。
「引退した爺は暇でな。最後の弟子をもう一人育てても良いかと思ってなあ。それに長く生きるケットシーに技術を教える事は後世に残す事になるだろうて」
「じっじー」
グラッフェンがネーポムクの手に抱き付いた。その丸い頭にネーポムクが痩せた手を優しく乗せる。
「王都へ行って、うちの工房の意匠は王都好みになってなあ」
「それは……」
細工物は各領毎に好まれる意匠があった。ネーポムクは当然リグハーヴス好みの細工師であり、それを受け継いだクルトも同様だ。だが、ネーポムクの息子は王都で店を開く以上、王都好みを取り入れたのだろう。
「今はもう、儂の正当な後継者はクルトとグラッフェンと言う訳だな。だからお前さん方にこれをやるわい。儂の物だから息子にも文句は言わせん」
ネーポムクは肩から掛けていた黒い鞄をクルトに押し付けた。
「何ですか?」
「その〈魔法鞄〉には儂の意匠帳が全て入っとる。ちゃんと木工ギルドのお前さんの金庫に預けておけよ」
「はい!?」
伝統的な意匠は別だが、細工師が独自に作り出した意匠は木工ギルドに保管され、本人と継承者のみが使える。継承者の証明には、意匠登録した際の原本である意匠帳が必要だ。
「一寸、師匠何してくれてんですか!」
「仕方なかろう。息子はリグハーヴス好みの細工はせんし、技術もお前より劣るからのう。デニスも家具大工になるなら、後々デニスに継がせればいいわい」
「ネーポムク……」
「老い先短い爺のお願いだと思え」
クルトは大げさに溜め息を吐いて見せた。この師匠はそう言うとクルトが断れないのを知っているのだ。
「長生きしてくださいよ」
しかしながら、グラッフェンに教える為にネーポムクが工房に通って来るのなら、高齢の師匠を見守れるのでクルトとしても安心ではある。クルトもアンネマリーもネーポムクを親のように思っていたし、エッダも祖父のように懐いているのだから。
「それにしてもグラウは人懐こい子だな」
「複数の妖精と人に育てられたからでしょうかね。害意がない者には物怖じしません」
「おとしゃん」
「抱っこか? ほらおいで」
前肢を伸ばして来たグラッフェンを、クルトは抱き上げた。これにもネーポムクは驚いた。
「お前さんをお父さんと呼ぶのかい」
「エッダが呼ぶ呼び方で覚えたらしくて。グラウもうちの可愛い息子ですよ」
「はは、違いない。グラウもクルトがお父さんで良かったろう」
「あいっ。おとしゃん、しゅきー」
元気にグラッフェンは返事をした。
クルトは温厚で愛情深い男であり、本人は気付いていなかったが、リグハーヴスの妖精達に大層気に入られていた。
〈女神の細工師〉の技能を継ぐ最後の愛弟子であり、娘のエッダがエンデュミオンの実弟グラッフェンの主になった事から、領主アルフォンス・リグハーヴスが特に見守る領民の一人であるのだが、やはり本人にその自覚はなかった。
グラッフェンに家具大工の技術を教えるにあたり、クルトは木工ギルドへと向かった。
「こんにちは、ファイト」
「親方クルト、いらっしゃい」
「ギルド加入の申込書貰えるかな」
木工ギルドのロビーに入ってすぐ、クルトは受付で職員ファイトにギルド加入申込書を貰う。
大工も家具大工も細工師も、木を扱う職人は木工ギルドに加入する。
「息子さんのギルド加入ですか? 流石に早くないですか?」
「デニスはまだ先だよ」
「じゃあ徒弟を取られるんですか?」
「……この子も息子には違いないんだけどね」
「え?」
ぼそりとしたクルトの呟きはファイトにははっきり聞こえなかった。
クルトは申込書用紙に備え付けのペンで丁寧に書き込んで、ファイトへ滑らせた。
「これで頼むよ」
「はい。……え?」
申込書を確認の為に読んだファイトは、クルトと申込書に交互に視線を走らせた。
「これ、冗談じゃないんですよね」
「ギルド申込書には本当の事しか書いちゃ駄目だった気がするんだが」
「そうなんですけど! うーん、これはギルド長が物凄く喜びそうですね。ギルドカード、直ぐに作りますね」
「宜しく」
その日、リグハーヴス木工ギルドに小さなギルド員が加入した。
ギルド員の名前はグラッフェン。種族はケットシー。親方の名前はクルトとネーポムク。
〈女神の細工師〉師弟が弟子を取ったという驚愕の話題は、木工ギルドを通じて静かに広がっていくのだった。
クルトの師匠ネーポムク登場です。
グラッフェン、実はネーポムクときちんと発音できない為「じっじ」と呼んでいます。
〈女神の~〉という称号がある人は、人間国宝みたいな感じです。
身体が小さいので大きなものは作らなそうですが、クルトとネーポムクに色々教わり始めるグラッフェンです。
クルトは無自覚ですが、とても妖精に好かれます。なのに何で憑かれないのかと言うと、街にフリーの妖精がそうそう居ないから。街にフリーの妖精が沢山居たら、多分クルトは取り合いになるかも。
エンデュミオン達、主持ちの妖精達にも気に入られています。
いつかクルトにも妖精が憑く日が来るのでしょうか。




