フロレンツの輸入品店
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
見掛けは青年その実、結構お爺ちゃんなフロレンツです。
186フロレンツの輸入品店
フロレンツはリグハーヴスでも長老に入る森林族である。
元々リグハーヴスは地下迷宮が近い事と、黒森之國で最後まで未開拓地域だった事もあり、冒険者や傭兵の集落が点在するだけだった。
しかし地下迷宮の魔物から質の良い魔石が獲れる事が解り、時の王はリグハーヴスの開拓を命じた。名ばかりの領地だったリグハーヴスが陽の目を見た瞬間だった。
森の伐採から始まったリグハーヴス開拓は、造られる街に入植する住民と共に、各種ギルドや商人達も選ばれた。
フロレンツはその頃馬車で行商をしていた。昔から変わった物が好きで、領から領へと他の地域には無い物を運んでは売買していた。長く生きる森林族だから代々の付き合いのある一族も多かったが、その中に王都に暮らしていた頃のリグハーヴス公爵が居たのだ。
フロレンツがリグハーヴス公爵に打診されたのは、魔石が獲れる様になれば他國との輸出入が盛んになる。ついてはフロレンツにリグハーヴスで輸入品を扱う店を開いて欲しい、と言う事だった。
それからもう一つ。長命種として、リグハーヴスの街の歴史を記す書記として雇用したいと告げられた。
若く、これからの長き時をもて余していたフロレンツは、その要請を受けた。
各種ギルド員や職人達と共に、フロレンツが囲壁が出来上がったばかりのリグハーヴスの街に馬車でやって来たのは、もう随分昔の話だった。
輸入品と言うのは、そう売れる物ではない。特に開拓されたばかりのリグハーヴスでは嗜好品と言う扱いが強い。そもそもどの様にして使用すれば良いのか謎な物も多々ある。解説書が黒森之國語でなければ尚更だ。
フロレンツは噂話の収集も担っていた。物珍しい輸入品を見ながら、噂話に花を咲かせる主婦も多い。中には他領の噂もあったりするので、侮れない。
領主の書記と言う仕事柄、フロレンツの店は忙しくなくても支障はないのだが、最近は少し客が増えた気がする。
切っ掛けはリグハーヴスに〈異界渡り〉の少年が降りた事だ。〈異界渡り〉が倭之國の民と共通する点が多いと知り、フロレンツは彼の國の食材を取り寄せてみたのだ。黒森之國には倭之國の大使がいるので、食材も以前から輸入はしている。リグハーヴスでは特に必要とする者が居なかったので、殆ど置いていなかったのだが、米や味噌、醤油を取り寄せた。フロレンツは高品質の〈魔法鞄〉を倉庫代わりに使っているので、食材の品質が落ちたりしない。〈異界渡り〉らしき少年が来たら出してやろうと、フロレンツは彼が来るのを楽しみにしたのだった。
キイ、と店のドアが開いた。
「ちはー」
「こんにちは、シュネーバル」
とててて、と足元に走ってきた真っ白なコボルトに、フロレンツは屈んで微笑み掛けた。
「こんにちは、ヘア・フロレンツ」
「米はあるか?」
後ろから孝宏とエンデュミオンも店に入って来る。シュネーバルは店のドアを開けた所で床に下ろして貰ったのだろう。
「ええ。いつもので宜しいですか?」
「ああ、精米は自分でやるから」
フロレンツが〈魔法鞄〉から取り出した厚い紙袋に入った未精米の米を、エンデュミオンが〈時空鞄〉へとしまい込む。
「あとは醤油と味噌と鰹節も下さい」
「承知しました。味噌は最近人気なんですよ。あと削り節も」
最近冒険者が鰹節を求めて来るので、使いやすく削った物も売っている。
エンデュミオンが孝宏の顔を見上げた。
「孝宏、味噌と鰹節はあれでじゃないか?」
「ああ、クーデルカのお料理教室? ヘア・フロレンツ、魔法使いギルドと冒険者ギルドの初心者講習で野営料理も教えていて、その中に味噌を使ったスープもあるんですよ」
「そうでしたか。仕入れる量を増やしましょうかね」
カウンターに置いてある備忘録用の手帳に、忘れないように書いておく。
「ヘア・ヒロは使い方の解らない物の使い方を教えて下さいますから、私も助かります。先日のフェーブも本当にお菓子の中に入れて焼くとは思いませんでしたよ」
孝宏はフロレンツにも差し入れとして、ガレット・デ・ロワを届けていた。
「俺もフェーブの実物見たのは初めてだったんですけどね」
「う!」
「あ、シュネー!」
足元の籠に入っていた金型をシュネーバルが引っ張り出していた。重さによろけて、孝宏が慌てて支える。
「重いから危ないよ。……あ、これマドレーヌの型だ」
細長い貝の形が並んだ焼き型を、孝宏が手に取る。
「マドレーヌ、ですか?」
「焼き菓子の型ですよ。これは領主館でも使ってたかな……? まとめて焼けるから良いなあ」
「使うなら買えば良いんじゃないか?」
「うん。お小遣いあるし。抹茶も買おう」
孝宏は米等と一緒にマドレーヌ型の代金も支払う。
「マドレーヌ焼いたら持ってきますね」
「ふふ、楽しみにしていますよ」
ドアを開け、孝宏達を見送る。
「うっうー」
孝宏のスリングに戻されたシュネーバルがフロレンツに手を振ってくれる。可愛い姿にフロレンツも手を振り返した。
長く生きていても、妖精と見える事は少ない。特に幼い妖精にはフロレンツも初めて会ったものだ。
懐いて貰えるのは、善人判定された事になり、少しくすぐったいが、悪い気はしない。
「さて」
店の中に戻り、フロレンツは売れた物を台帳に書き込んだ。
やはり菓子作りの道具類は孝宏に需要があるようだ。
コツコツと鉛筆の尻で紙面を叩く。
「魔法使いギルドと冒険者ギルドの初心者講習ねえ」
確かに若い冒険者ばかりが買いに来ていたなと思い返す。
コボルトに初心者講習をさせるなんて、頭の固い冒険者ギルド長ノアベルトの考えではないだろう。きっと魔法使いギルドのクロエや冒険者ギルドの人狼トルデリーゼの発案に違いない。魔法使いギルドには南方コボルトのクーデルカの主ヨルンも勤めている。
キイィ。
ドアの蝶番が少し軋む音を立てる。近い内に油を注さなければならない。
「こんにちはー」
「こんにちはー」
二人で一緒にドアを押し開けて入ってきたのは、黒褐色の毛に被われた南方コボルトだった。フロレンツの膝位までしかない、小柄な妖精だ。背中に澄んだ魔石の填まった杖を背負っているので、魔法使いコボルトだ。
「いらっしゃいませ、クヌート、クーデルカ」
「お味噌」
「くーださーいな」
「はい。いつもの量で良いですか?」
「これに入れて欲しいな」
クーデルカがホウロウの器を〈時空鞄〉から取り出してフロレンツに差し出した。この双子のコボルトの見分け方は、クーデルカの耳の先の白さだ。クヌートは耳の先まで黒褐色だ。
「はい」
フロレンツが器に樽から味噌を入れているのをクーデルカが見ている間に、クヌートは店の中を歩き回っていた。茶葉が売っている棚を見上げている。基本、人族の視線に合わせて品物は置いてあるので、妖精には位置が高い。
「下の棚にあるお茶の缶も、上の棚と同じ物ですよ」
「本当だ。有難う」
前に取ってあげた事があり、下の棚にも全種類置くようにしていたフロレンツである。
クヌートはアールグレイの缶を二つ選び、戻ってきた。一つをクーデルカに渡す。
「あと鰹節欲しいな」
「削ってあるのもありますよ。削り立てよりは少し香りが落ちるかもしれませんが、少量ずつお求め頂けます」
「じゃあそれを一袋」
クヌートとクーデルカは、それぞれコボルト織で作られた財布からお金を取り出して支払った。
コボルトは本来、物々交換する種族だが、街の中なのでお金を持たされているのだろう。
買った物を〈時空鞄〉にしまい、クヌートとクーデルカは「またね」と帰って行った。
可愛らしくて、フロレンツが密かに来店するのを楽しみにしている客である。
「アールグレイ……と」
台帳にコボルト二人が買った物を書き込む。
アールグレイ等のフレーバーティーも、孝宏が買い初めて需要が増えた品物の一つだ。
〈Langue de chat〉で客に提供し、そこから売っているのがフロレンツの店だと教わり買いに来る、と言う流れで。
あの店が出来てから、確実に他の店の売り上げも伸びている。
〈異界渡り〉と言うのは、本当に富をもたらすものなのだ。直接何かをしなくても、回り回って。
囲い込まず、領の中で保護主と共に自由な暮らしをさせるという、アルフォンス・リグハーヴス公爵の選択は正しかったと言えるだろう。
これは後に〈異界渡り〉が現れた時、大切な事柄として伝えなければならない。
長く生きるフロレンツさえ説話集の中でしか知らなかった、妖精が遊び竜が飛ぶ街。
彼らが現れる様になってから、街が活性化し始めた気がする。
竜は定住する事で、その地域の資源を豊かにすると伝えられている。
きっと、これが黒森之國の本来のあるべき姿なのだろう。
「長生きはするものだねえ」
外見は青年でありながら、実は結構なご長寿であるフロレンツは、一休みするべくカウンターの内側にある布張りの椅子に腰掛けた。
水筒に入れておいた薬草茶をティーカップに移す。この薬草茶には蜂蜜の結晶玉が一つ入っている。
〈薬草と飴玉〉のラルスが処方してくれた薬草茶は、美味しくて疲れが取れる。〈鑑定〉してみたら霊峰蜂蜜の結晶玉で、思わず〈鑑定〉をかけ直してしまったが。
ラルスが霊峰蜂蜜の結晶玉を使っていると決して言わないので、フロレンツも有難く頂いているのだが、本来銅貨五枚で処方出来る代物ではない。
エンデュミオンの兄弟としてギルベルトに育てられただけあって、やる事の遠慮のなさが似ている。
薬草茶を一口啜り、吐息を漏らす。
もう少ししたら、小さな子供達が母親と一緒に量り売りの菓子を買いに来る頃だろう。
結婚をしていないフロレンツは、自分に子供がいない分、街の子供達を可愛がっていた。勿論、教会にも時々布や食料品を寄付していた。
「そろそろ跡継ぎを考えなければならないかねえ」
フロレンツは魔力の多い森林族で、まだまだ死にそうにはないのだけれど、領主の書記と言う仕事は誰かに引き継いでいかなければならない。
この仕事を面白いと感じる者を。
「リグハーヴス程、面白い街はない」
一人笑って、フロレンツはティーカップの薬草茶を飲み干した。
リグハーヴスは比較的新しい街です。
フロレンツはリグハーヴスの生き字引。
妖精が好きで、エンデュミオン達やコボルト達が来るのを楽しみにしています。
クヌートとクーデルカは、店の前まで〈転移〉してきていたり。
二人共、騎士団や騎士隊に〈魔法陣〉を封入した魔石を納入したり、初心者講習会やったりしたお小遣いを貰っているので、好きな物をたまに買いに来ます。
食料品は主がお金を出してくれると思いますが、「主に美味しいものを食べさせたい」ために買いに来るので、あんまり気にしていない二人です(コボルトは基本物々交換なので、お金に重きをおいていない)。




