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水晶窟のオルガニスト(後)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

皆で酒場に行こう!


182水晶窟のオルガニスト(後)


 黒森之國くろもりのくにの夜は暗い。街灯が無いからだ。街の中は、家のドア横に点くランプの仄明るさだけで照らされる。だから、近所に行くのでもなければ、携帯用のランプを持っていくのだ。

「まあ、ケットシーやコボルトと居ると、こっちの居場所だけは解るよな」

 ケットシーやコボルトの目は夜に光るのだ。特に光を当てると覿面てきめんに光る。

「沢山居るとびっくりするよね」

 ケットシーの里で、夜中にケットシー達に見詰められた事のある孝宏たかひろがテオに頷く。

 ルッツを肩車したテオがランプを持って、のんびり歩いて酒場や宿屋が多くある通りへと向かう。

 流石に乳児のアハトは連れていけないので、今夜は〈ナーデル紡糸(スピン)〉に預かって貰った。今頃マリアン達に可愛がられているだろう。

 シュネーバルはイシュカがスリングに入れて連れている。

「流石にこっちは人が多いね」

「春になって、地下迷宮ダンジョンが解放されたからな。あちこちから冒険者が集まり始めたんだな」

 冬季間は雪の為、地下迷宮は閉鎖される。冬季は地下迷宮の活動も下火になるので、冒険者にとっても旨味がない。

 だから冒険者達は、春に備えてリグハーヴスの街に逗留する。しかし宿屋にも限りがあるので、部屋が取れなかった冒険者は、リグハーヴスの外で冬を過ごすしかない。

『わあぁ、流される』

「イシュカ、孝宏が流される」

「孝宏、手を」

「うん」

 大概の冒険者達より小柄な孝宏は、うっかり人の流れに拐われそうになり、イシュカが差し出してきた手を慌てて握った。テオはやはり人の流れに飲み込まれそうになった、ヨナタンを抱いたカチヤと手を繋いでいる。

 夕食時なので、余計に混雑しているのだろう。

「ここだよ。〈牡鹿おじか亭〉」

 〈ジョッキに牡鹿〉の青銅の看板が下がる酒場の前で、テオが立ち止まった。

 まだ本格的に酒を飲む時間には早く、店の中は空いていた。

「いらっしゃい。あら、テオとルッツじゃない」

 麦藁色の長い巻き毛を一つに束ねた平原族らしき美人が、ドアを開けたテオに明るい声を掛けた。孝宏よりも背が高く、ハスキーな声。そして、胸がなだらかだった。

「こんばんは。うちの〈家族〉連れてきたんだ」

「まあまあ、いらっしゃい! 入って入って! お席は奥の方が良いわね」

 店の奥で、簡素な設えの舞台が良く見渡せる席に案内される。壁際でコの字型のベンチになっていて、妖精フェアリー達が椅子から落ちる心配がない。

 床に平たい箱を並べて置いた舞台は、貸し切り等でテーブル配置を代えられる様に、取り外せるのだろう。舞台の脇にはアップライトピアノに似た楽器が置いてあった。

「私はシュテファンよ。宜しくね」

 席に落ち着くのを見計らい、シュテファンが改めて挨拶をしてくれた。孝宏達もシュテファンに名乗って挨拶する。

 シュテファンは〈牡鹿亭〉の店主だった。年齢不詳だったが、イシュカ達より歳上の様だった。多分、十年後にあっても変わらない容貌じゃないのかと、孝宏は思ってしまった。ちょっぴり人を惹き付ける妖しさを含んだ美貌なのだ。

 その為か、孝宏達が店に居る間、シュテファンは何度も客に口説かれていた。──主に男に。

 それをシュテファンは嫌味なく軽くあしらっていたのが、流石だった。

「ごはーん」

 ルッツが肉球でテーブルを叩く。子供用の少し固めのクッションが用意され、それに妖精達は座っている。

「ごあーん」

 ルッツを真似してシュネーバルもテーブルをペチペチ叩いた。こちらは危なっかしいのでイシュカの膝の上に座っていた。

「こら、テーブル叩かないの。メニュー見るよ」

「あいっ」

 テオがルッツのあたまに掌をポンと置き、テーブルに広げられたメニューに意識を向けさせる。

「人数居る場合は大皿で出して貰えるから、好きなもの選んでみたら?」

「んん、と」

 孝宏は黒森之國語で書かれたメニューを解読しながら、「これ」と指差した。

「〈海老とアスパラガスのフリット〉か。こっちの〈小魚の香草揚げ〉も一緒に頼んじゃおう」

 テオがメニューに挟んであった紙と鉛筆で、料理名を書いていく。

 単品だと店員が聞いていくが、まとめて頼む時は、字が書ける者は紙に書いて渡したりもする様だ。

「〈狂暴牛と春玉葱の煮込み〉も頼む」

 煮込み料理が好きなエンデュミオンがキラリと目を光らせる。

「ちーず!」

「シュネーは〈ハムとチーズの盛り合わせ〉ね」

 酒のつまみなのだが、イシュカとテオとコボルト組で食べるだろう。

 その他にもフルーツサラダや中に茹で卵が入った肉団子等を頼んだ。

「イシュカとテオはお酒飲まないの?」

「そうだな。軽いのにするかな」

 二人は白ワインの炭酸割りを頼み、孝宏とカチヤは炭酸水を、妖精達は白葡萄のジュースを注文した。


「はい、〈海老とアスパラガスのフリット〉と〈小魚の香草揚げ〉よ」

 揚げ立てで湯気の立つフリットが盛られた籠を、シュテファンがテーブルに置いた。

「旨そうだな」

 ケットシー達の視線が〈小魚の香草揚げ〉に集まる。

「シュネー熱いぞ!」

 イシュカが止めるが、シュネーバルが前肢を伸ばし、アスパラガスのフリットを掴んで直ぐにパッと放した。驚いたのか、もう片方の手に持っていた齧りかけのサラミをテーブルに落とす。

「あちゅい」

 桃色の舌で指先を舐めて〈治癒〉し、テーブルからサラミを拾って口に入れる。

 野生時代の名残か、自分で〈治癒〉して、自分で慰めるのが身に付いている行動だった。

「シュネーバル、湯気の立つ物は、とても熱いかとても冷たい物だから、いきなり触ったら駄目なの」

 イシュカの隣に座っていたヴァルブルガが、シュネーバルの火傷をした前肢を確認し、肉球で撫でる。

「う」

「シュネー、ほら」

 イシュカがフォークでアスパラガスのフリットを刺し、シュネーバルに持たせる。今度は慎重に息を吹き掛け、舌先で温度を確かめてからシュネーバルはフリットの端を齧った。

「うー!」

 美味しかったらしい。残りも「あー」と口に入れ、シャクシャク音を立てて食べる。

 シュネーバルはイシュカとヴァルブルガに任せて大丈夫そうなので、孝宏は目の前の小魚のフライを見た。

『ワカサギ……っぽいな』

『丸ごと食べられる魚だぞ、孝宏』

 ハーブと香辛料を混ぜた粉を叩いて、油でカラリと揚げている。

「リグハーヴスの北に湖があるんだけど、そこで獲れたものよ。もう終わりの時季だけれど」

 ワカサギっぽい小魚を前に話す孝宏とエンデュミオンに、シュテファンがテーブルにフルーツサラダの器を置きながら言った。

「どの辺り?」

「〈黒き森〉の手前だな」

「冬に行ったら釣れるのかな」

「寒いけど釣れるわよ。冬になると釣り小屋が出来るの。氷に穴を開けて釣るのよ」

 ワカサギと釣り方も同じらしい。

 フォークでプスリと小魚を刺し、孝宏は口に入れた。カリッと揚がっていて、香辛料とハーブが効いていて、内臓の部分が少し苦い。

「美味しい」

「そうでしょ?」

 ふふ、と笑って孝宏とカチヤのコップに炭酸水を注ぎ足し、シュテファンはカウンターに戻って行った。

「エンディ、煮込み食べる?」

「うん」

 塊肉のまま煮込まれた狂暴牛の煮込みをナイフとフォークで切り分ける。玉葱も丸のままとろとろに火が通っている。マッシュルームもニンジンもごろごろ入っていた。取り皿にエンデュミオンが食べる分をよそい、薄切りの黒パンシュヴァルツブロェートゥを付ける。

「はい、どうぞ」

有難う(ダンケ)

 ホロホロになるまで煮込まれた肉と玉葱をフォークで掬い、エンデュミオンが嬉しそうに食べる。

「うん、旨い」

「美味しいね」

 孝宏も自分用に取って食べて頷く。多分、この酒場の料理はどれも美味しいに違いない。

 カチヤとヨナタンも、中に茹で卵が入っている肉団子を分けあって食べている。孝宏も少し食べてみたが、肉団子にミントが少し入っていて面白いと思った。


 ポロン、とピアノの音が鳴った。

 いつの間にか、ピアノの前の椅子にパウルが座っていた。

 サラリ、と衣擦れの音を立ててツェツィーリアが店の奥の衝立の向こうから現れた。上半身から太腿辺りまで身体に沿い、そこから踝まで大きなフリルで動き易そうなドレスだ。肩口は明るい橙色、裾に行く程赤が強くなる。

(フラメンコのドレスみたいだな)

 五分袖で袖口にもフリルが付いているのも華やかだ。

 ツェツィーリアは豊かな髪を少し無造作に見える様に結い上げていた。手には銀色の輪に鈴が付いた物を持っている。彼女の足首にも鈴が付いた飾りが付けられていた。

 舞台に上がりソールが太めのヒールでコン、と音を鳴らす。孝宏が思った通り、踵で音を鳴らすらしい。

 店内にいる客が醸し出す、期待する空気を孕んだ静寂。

 そして、パウルの指が鍵盤に落ちると共にツェツィーリアは踊り出した。踵でリズムを刻み出し、鈴で音色を添え、鈴を持っていない方の手でスカートの裾を翻す。

「凄い……」

 間近で見ると迫力が違う。音が振動として伝わってくる。

 一曲目が終わると、客が半銀貨をピアノの上に置かれた木のコップに入れ、次の曲を頼んだ。恐らく常連客なのだろう。

 一曲半銀貨だとしても、それをパウルとツェツィーリアで折半するのなら、それほど高くもないだろう。

 数曲踊った後、二人は休憩を入れた。ツェツィーリアは常連客のテーブルに呼ばれていき、パウルはレモンの輪切りの入った炭酸水を片手に、空いていた孝宏達の隣のテーブルに着いた。そこにシュテファンが狂暴牛の煮込みが入った深皿と黒パンの薄切りの皿を置く。

 どうやら休憩中に食事を摂るらしい。

 パウルは孝宏と目が合うと、柔らかい笑顔を見せた。笑うと目尻に笑い皺が寄った。

「やあ、今朝教会(キァヒェ)に来てたね」

「はい。司祭プファラーベネディクトに貴方がここで演奏すると聞いて来ました。ヘア・パウルもフラウ・ツェツィーリアも素晴らしかったです」

「それはどうも有難う。僕としてもこれだけ沢山の妖精フェアリーに会えるのは幸運だよ」

「確かに街中にこんなに居るのはリグハーヴスだけだろうな」

 エンデュミオンが同意する。

「僕は夜に仕事をしているからね。午前中は寝ていて今まで会った事がなかったんだよ。ところで一つ聞いても良いかな」

「何だ?」

 パウルはイシュカの膝の上に居て、小魚を齧っているシュネーバルをじっと見詰めた。

「コボルトとヘア・スヴェンのリヒトとナハトは違うのかい?」

「違うぞ。シュネーバルやヨナタンはコボルトと言う種族になる。スヴェンのリヒトとナハトは属性妖精が犬の姿を取ったものだ。だから、同じ属性だとしても、別の動物の形や、稀に人型のものもいるぞ」

「そうなのか。勉強になったよ。どちらにしても可愛らしいね」

「スヴェンを知っているのだな」

「僕は同じ〈水晶窟〉に住んでいるんだよ。あそこの〈茶水晶の部屋〉にね」

「ほう」

 エンデュミオンの黄緑色の瞳がキラリと光った。実はスヴェンとザシャが「中々会えない住人がいる」と言っていたのだが、パウルの事だったらしい。

「さて、後半戦と行きますか」

 食事を終えたパウルが立ち上がり、エンデュミオンの頭を撫でた。

「楽しんで行ってね」

「ああ」

 パウルとツェツィーリアが立ち上がったのに気付いた客が、半銀貨を木のコップに入れ曲を頼む。

 再び〈牡鹿亭〉は熱気に包まれた。

「遅くなっちゃったね」

「シュネーバル寝ちゃったしな」

 イシュカのスリングの中で、既にシュネーバルは寝息を立てていた。

 最後までツェツィーリアの踊りを見るには遅くなりすぎるので、途中で店を出たのだが、年少組は眠る時間だ。ルッツとヨナタンも前肢で目を擦っている。

 宿屋がある通りには他にも酒場があるので、遅い時間になってもまだ人気がある。

 帰りも孝宏はイシュカと手を繋いで歩いた。

「楽しかったか? 孝宏」

「うん。元の世界でもああいう所に入れる年齢じゃなかったから」

「俺もだ。徒弟の身分じゃ酒場には簡単に入れないからな」

 手持ちの物もなかったしな、とイシュカが小さく笑った。孤児から徒弟になったイシュカなので、衣食住には困らなくても、遊ぶ金などなかった。

「アハトも食事が取れる様になったら、また皆で行こう」

「うん」

 孝宏は素直に首肯した。お酒を飲んだ訳でもないのに、ふわふわする。アルコールの匂いだけでも酔ったのかもしれない。それか、あの店の雰囲気に。

「ヘア・シュテファンも綺麗な人だったね。フラウ・マリアンとも違う綺麗さで」

 マリアンは清楚な美人だが、シュテファンは隠れた妖艶さがあった。

「ああ、シュテファンは淫魔の血が入ってるぞ。親のどちらかが淫魔なんだろう」

 孝宏の胸元から、エンデュミオンが答えた。

「あ、やっぱり?」

 以前にもシュテファンに会っていたテオは勘づいていのか、エンデュミオンの言葉に驚きを見せなかった。

「地下迷宮に居るんじゃないの? 魔物トイフェル……だよね?」

「母親が冒険者だった場合は、まあ……なくはないだろう」

 地下迷宮内で契ったとしても、外で産めば淫魔の血が入った子供が街中に居ても不思議はない。

「勿論、領主に申告しなければならない。マーヤやイグナーツと同じく、領主から与えられた聖別された魔銀の魔道具メダルを身に付けている筈だ」

 魔物の血が入っている以上、リグハーヴスから出る事は叶わない。

 だが、シュテファンは淫魔の能力を酒場の主として利用している節があるし、不幸そうには見えなかった。

「明日は寝坊しないようにしなきゃ」

 これから風呂に入ってから寝ると、いつもよりは遅い時間になる。

「あー、ルッツが……。起こして歯を磨かせないと」

「ヨナタンもです」

 背後で年少組が睡魔に負けたらしい。孝宏も寝ているシュネーバルの歯を磨かないとならない。

 エンデュミオンとヴァルブルガも少し眠そうだ。

「夜更かしが似合わないよね、うちの家族」

 孝宏の呟きに、イシュカが吹き出した。

「そうだな。健康的でなによりだ」

 宿屋通りを抜けて〈Langue de chat〉に近付くにつれ、人が疎らになっていく。

 ぽつぽつと家のドア横に点くランプを辿る様にして歩く。

 夜の暗がりの中で、少しひんやりする雪垢が溶けて発する水と土埃の匂い。

 見上げると瞬きもしない星々が、紺青の空に縫い付けられている。

「孝宏、つまづくぞ」

 ぎゅっと、孝宏の手を握るイシュカの指の力が一瞬強くなった。

「うん」

 正面に向き直る。暗くて石畳のデコボコは良く見えないが、躓きそうな物があれば、夜目が利くエンデュミオンが教えてくれるだろう。

『俺、〈Langue de chat〉の子になって良かったなあ』

「孝宏、何て?」

「独り言だよ」

 イシュカの問いをはぐらかし、孝宏はチラリと見上げてきたエンデュミオンに笑ってみせた。


酒場に行こう編の後編です。

アハトは<針と紡糸>でお留守番ですが、マリアン達に遊んで貰っています。

踊り子ツェツィーリアのお仕事が出て来るお話も書きそびれていたので、パウルと合わせて書いてみました。


平原族と他の種族との混血の場合、母方が平原族なら種族は平原族となりますが、父方の素質も持って生まれて来る場合があります(平原族だけど、森林族まではいかないにしても寿命が長いとか)。

なので、シュテファンは淫魔の血が濃い平原族なのです。とってもモテるよ!何故か男にばっかり!


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