東の國からの便り
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
あの人からの手紙です。
*一部ネタバレっぽい感じになっていますので、『チェンジリング。』未読で気になる方はご注意ください。
175東の國からの便り
黒森之國にも郵便事業はある。
とは言え國民は、風の精霊に手紙を頼んで届けて貰う事が多い。故に郵便事業は荷物を送ったり、國外からの荷物や手紙を運ぶ為にあった。
國内便に関しては、配達を請け負う冒険者に依頼するので、冒険者ギルドで扱う。
國外便に関しては、フィッツェンドルフの港から各領へと〈転移陣〉で荷を移動させるので、〈転移陣〉を管理している魔法使いギルドで扱っていた。
リリーン、と地下の〈転移陣〉が起動するベルが魔法使いギルドのロビーに響いた。
「今の時間だと荷物便でしょうか。私が行って来ます」
「ヨルン、お願いね」
ロビーに客が居なかったので、カウンターを魔法使いクロエに頼み、ヨルンは地下に向かった。
「クーデルカも行く」
後ろからクーデルカが付いてきたので、階段の降り口で抱き上げる。今日の天気は冷たい雨で、遊びに行く気にはならないらしい。北にあるリグハーヴスの春は遅い。朝も〈転移〉でさっさとヨルンと魔法使いギルドに出勤していた。
「よいしょ」
重厚な木の板に補強と飾りを兼ねた鋼細工が付けられた扉を開ける。丁度魔方陣が起動した所で、石畳の床に銀色の魔方陣が浮かび上がっていた。作業机の通信魔道具を見ると、やはり荷物の様だ。
「フィッツェンドルフからだから、輸入品か手紙かな」
現在この世界の國々では、大使など特定の人間以外は他國へ渡航出来ない。しかし、物品等の輸出入はしているので、輸入品科目の中から各領の商人は仕入れ希望を出して輸入する事は出来るのだ。
リグハーヴスで輸入品を扱うのは、右区にある輸入品店位なので、大概はあの店へ行く商品が多い。重要文書などは使用者指定のギルド金庫を介してやり取り出来るので、〈魔方陣〉で送られて来るのは、大抵〈空間庫〉を付与した〈魔法鞄〉だ。
〈魔法鞄〉は闇の精霊魔法が使えない者が、沢山の荷物を運ぶ時に使う。冒険者にも良く使われている便利道具だ。闇の精霊魔法を使える職人だけが作れるので、生産数が少ないのが難点である。
一瞬強くなった魔方陣の光が終息する。光を失った魔方陣の上には、跳ね上げ金具の付いた茶色の〈魔法鞄〉と、ギルド専用の黒い荷箱が残っていた。
〈魔法鞄〉にはやはり輸入品店のフロレンツ宛の荷札が付いていた。こちらはフロレンツに精霊便を出して後程引き取りに来て貰う。保管用の棚に〈魔法鞄〉を入れてから、ヨルンは黒い荷箱の両側に付いている持ち手金具を掴んで持ち上げ、作業台に乗せた。
「お手紙?」
「そうですよ」
机の荷物側にあった三本足の丸椅子によじ登り、クーデルカが藍色の瞳を輝かせる。内側が白い黒い巻き尻尾も揺れているので、興味があるらしい。
荷箱に付いている鍵を割符型の鍵を合わせて開ける。蝶番の付いた蓋を持ち上げて、ヨルンは中を確認した。
紐で束ねられた手紙や、小さな小包の上に今回送られて来た物の一覧が書いた紙がある。一般住人は配達を請け負う冒険者に頼む事が多いが、商人は魔法使いギルドの魔方陣で送って来る事もままある。何故なら速いからだ。但し、送料は高めだ。
ヨルンは一覧と荷箱の中身があっているか確認した。間違いはない様だ。
商人からの小包は引き取りに来て貰うので、棚に納める。手紙は魔法使いギルドの職員が配達するのだ。
魔法使いギルドから近い順に、かつ右区と左区にと分けて行く。
「これ……」
封筒に入れられた手紙を分けていたヨルンの手が止まる。色や形が様々な封筒だが、その封筒は手触りからして違ったのだ。
細長い形の白い封筒だったが、典型的な黒森之國の紙よりも細い繊維で漉かれていて、軟らかかった。それに、白い繊維の間にピンク色の花弁が漉き込まれている。手間の掛かる仕事だ。随分と長い手紙なのか分厚い。宛名も黒森之國で使われるインクよりも深い墨色だった。
「ペン先じゃなくて、筆で書いているのかな? 〈Langue de chat〉の……ヘア・ヒロ宛だ」
宛名は黒森之國で使われている文字で書かれていたが、裏の差出人はヨルンには読めない文字だった。封筒の端に支払われた料金が書き込まれた紙が張り付けてあるが、これには枝から咲くピンク色の綺麗な花が木版画で刷られていた。確かこの料金票は倭之國の物だった筈だ。
どうして孝宏に倭之國からの手紙が届くのか、ヨルンは知らない。そして詮索する事でもない。
そっと右区宛ての山に重ねる。
「届けに行きましょう」
「雨だよ」
「雨だけど、お手紙を待ってる人が居ますからね」
「クーデルカも行く」
「雨ですよ」
「雨だけど、ヨルンと行く」
丸椅子から降りて、背中に背負っていた魔石の填まった杖を両前肢で持つ。
「クーデルカ、雨避ける」
「お願いします」
主の為に仕事をするのが、コボルトの楽しみなのだ。有難くクーデルカの申し出を受け、ヨルンは手紙の束を配達用の鞄に詰めたのだった。
ちりりん、りん。
「こんにちは」
「こんちはー」
ドアベルが鳴って顔高にステンドグラスの填まる緑色のドアが開く。ドアの向こうには魔法使いヨルンが立っていた。黒い革製の肩掛け鞄を肩から斜めに掛け、腕には南方コボルトのクーデルカを抱いている。クーデルカは先端に魔石の填まった杖を両前肢に持っていた。クーデルカは水の精霊魔法を使っているのか、傘の様に二人の頭上の雨を弾いていた。
初めて見る魔法の使い方で、面白いと孝宏は思ってしまった。
「いらっしゃいませ、ヘア・ヨルン、クーデルカ」
店内に入り、ヨルンはドアマットで靴底の雨水を拭ってから、カウンターの前にやって来た。
「ヘア・ヒロにお手紙ですよ」
「俺に手紙? 誰からだろ」
孝宏には手紙の差出人が誰だか解らなかった。何故なら孝宏の黒森之國の知り合いは、精霊便で手紙を寄越すだろうと思ったからだ。
ヨルンが片腕でクーデルカを抱き直し、肩掛け鞄を開けて、中から白い封筒を取り出して孝宏に差し出す。
「どうぞ」
「有難うございます。お休みになって行かれませんか?」
「いえ、他にも届けなければなりませんから。おやつにクッキーを頂いていきます」
カウンターの上の籠に並べられたクッキーの袋をじっと見詰めていたクーデルカに、ヨルンは大きい袋を一つ取って持たせた。クーデルカがぱっと笑顔になる。
ケットシーやコボルトも結構表情が豊かなのだ。嬉しい時や悲しい時は直ぐに解る。
クーデルカはヨルンに頬擦りした。
「有難う、ヨルン」
「戻ったらお茶にしましょう」
「うん」
「有難うございました。お気を付けて」
クッキーの代金を受け取り、孝宏はヨルンとクーデルカの為にドアを開けて見送った。
「孝宏、客じゃなかったのか?」
丁度一階の居間に行っていたエンデュミオンがとことこと店に出てきた。
「ヘア・ヨルンとクーデルカが手紙を届けてくれたんだ」
「手紙を? 精霊便じゃない手紙か」
「うん。誰からだろう」
孝宏はカウンターの上に置いていた、厚い封筒を手に取った。
『和紙だ。桜の花を漉き込んであるみたい。綺麗だね』
『これが倭紙か』
白い封筒にうっすらとピンク色の桜の花びらが透けている。表書きには、『黒森之國 リグハーヴス 〈Langue de chat〉』と孝宏の名前が黒森之國の文字で書かれている。黒森之國では珍しい墨と筆で書いてある。
ぺろりと裏を返す。そこには孝宏にも苦なく読める慣れ親しんだ日本語──倭之國語で『倭之國 京 内裏 蒼穹舎 皓』と書かれていた。
『皓?──あ、航か!?』
『航、と言うと孝宏の親戚だったか?』
『うん、多分そう』
客が誰も居なかったので、孝宏は魔銀製のペーパーナイフで丁寧に封筒の端を開けた。中の便箋は封筒と同じ紙の束と、黄色く細長い花弁を漉き込んだ紙の束が入っていた。ふわりと何かの香の香りが鼻先をくすぐった。筆字に縦書きの手紙など、初めて貰った気がする。
『桜の花びらの便箋が航のか』
便箋を開き、読み始める。
エンデュミオンは三本足の丸椅子に立ち孝宏を見上げていたが、読み進めるうちに次々と表情が変わるのを見て堪らず吹き出した。
『エンディ……』
じとりと孝宏がエンデュミオンに視線を落とす。
『だって凄い顔をしていたぞ、孝宏』
『凄い顔にもなるよ。色々盛り沢山過ぎてさ。航は俺より早くこっちの世界に来たみたい。倭之國の樹族の身代わりで入内して帝の中宮になったんだって。しかも今や子持ち』
『中宮?』
『帝の正妃の事。前に知晴さんに聞いたけど、男でも帝の嫁になれるんだね』
以前リグハーヴスに来た倭之國の大使、桔梗宮知晴だ。短い時間だったが、倭之國について教えて貰った。
『ああ。國を司る神様の理にもよるが、男が子を産めない國の場合は、側室として男を召し上げる事は少なくないぞ。子が出来て継承争いにならないからな』
『そうなんだ──って、男でも子供産める國あるの!?』
驚く孝宏にエンデュミオンは頷く。
『倭之國も神様や高位の妖と番うと孕めると、何かで読んだ気がする』
大魔法使い時代に王宮の禁書庫で読んだ記憶があるのだが、通常一般人は入れないので黙っておく。
『男が子を産めない國も、神様に願えばなんとかなる時もあるらしい』
『何とかなっちゃうの!?』
『その國の神様が理だからな。神様が認めれば叶うんだ』
『すんごい世界だよね……』
読み終わった航からの手紙をたたみ、黄色い花弁の漉き込まれた紙を手に取る。
『うわ、こっちは篤典兄さんだ』
『誰だ?』
『俺や航より歳上の親戚。篤典兄さんまで来てるのか……』
手紙を読み進める間、暫し孝宏は黙する。エンデュミオンはカウンターに前肢を掛けたままじっと待つ。暇なのでゆらゆらと縞のある尻尾を揺らして時間を潰す。
『……うん、そっか。篤典兄さんは最初は英之國に行ったみたい。そこで大使として倭之國に派遣されたんだって』
『〈異界渡り〉が大使だと?』
『〈異界渡り〉はそもそもが倭之國の神官が行った召喚儀式で来た、倭之國の血を引く人間なんだって。だから英之國から大使っていう理由を付けて倭之國に送り返したのかな』
『いや、恐らく篤典には英之國が求める〈天恵〉がなかったのだろう。そうでなければ〈異界渡り〉を手放すなど考えられん』
『んーとね、篤典兄さんは〈浄化〉を持ってるみたい。だから黒天狐と番になったんだって書いてある。尻尾が沢山あるからブラッシングが楽しいみたい』
篤典は犬好きだったなーと、孝宏は思い出す。
エンデュミオンは鼻を鳴らして短い前肢を組んだ。
『〈浄化〉持ちを手放したのか。恐らく気付かなかったのだろうな』
〈浄化〉を持っていれば、その人間が居るだけで場を浄化出来ると言うのに。知られていたら神官として囲われていただろうから、篤典としては倭之國に送られた方が良かったかもしれない。
『航は自分の〈天恵〉がまだ解ってないみたい。俺も解んないしね』
物語を書く能力や料理を作る能力が〈天恵〉と思われがちだが、それは違うと孝宏は思っている。
『孝宏の〈天恵〉は妖精や精霊との親和性じゃないだろうか。多分、どんな妖精に声を掛けても話を聞いて貰えると思うぞ』
おやつを持っていけば、正しく孝宏は妖精ホイホイだろう。そう、孝宏ならどんな妖精でも手懐けられる。だからこそ、この〈天恵〉が知られると面倒なのだ。物語を書いたり料理が出来たりと言った能力で誤魔化せて幸いだった。
『バレると面倒だよね……』
『まあエンデュミオンが憑いているからな』
孝宏を拐って高位妖精との契約の段取りをさせようとする馬鹿は居ないだろう……と思いたい。
『しかし倭之國の神官の召喚儀式は、随分と座標が曖昧なのだなあ』
國内での誤差ではなく、他國にまで及ぶとは。
『航のお兄さんになった人が最高の呪術師みたいなんだけどね。神官じゃないからそういう儀式には関わらないらしいよ』
孝宏は航の手紙を読み返し答える。
『格下の神官が集まって儀式を行った結果か』
『俺、海に落ちなくて良かった……』
孝宏は鳥肌の立った腕をシャツの上から擦ってしまった。
『いや、陸地に降りる様にはなってると思うぞ……』
神々も〈天恵〉持ちの人間をわざわざ死なせたりしない。自分の司る大陸の近くに召喚されて来たら、引っ張り寄せるだろう。神様達は結構勿体無い精神が強い。
『孝宏は倭之國に行きたいか? その……エンデュミオンは黒森之國から出られないのだが』
『うーん、そもそも民間人は渡航が出来ないよね? だから篤典兄さんは大使の身分で渡航したんだろうし』
『そうだな。王宮も孝宏を國外には出さないだろう。〈天恵〉があるからな』
『手紙のやり取りが出来るのが解ったから、良いかな』
孝宏はあっさりと言った。
『航にも篤典兄さんにも手紙書けるから近況が解るし、こっちの事も知らせられるし』
『そうか?』
『うん。返事書いたらどうやって出せばいいの?』
『魔法使いギルドに頼んで、フィッツェンドルフの魔法使いギルドへ送るんだ。そこで取りまとめて船に積んで、倭之國へ運ぶ。届くまで二ヶ月は掛かるが』
『遠いんだね』
便箋を丁寧にたたみ、孝宏は封筒に戻した。
『夜に手紙を書くよ。書く事沢山あるなあ』
『そうか』
『部屋に手紙を置いてくるね』
『ああ、行ってくるといい』
軽い足取りで孝宏が二階への階段を上って行った。エンデュミオンは緑色のドアへ向き直り、顎をカウンターに乗せた。
(いやはや、あれは呪術師の仕業か)
孝宏が難なく開いた封筒には、受取人しか開けられない強固な封印がしてあったのだ。きっと、航の兄になったという呪術師が封をしたに違いない。検閲されるのを避けたのだ。
そもそも帝の嫁が送った手紙を見ようなど、不敬も甚だしいが。
確か倭之國は四人の〈柱〉が居た筈だ。巫子が〈柱〉だった気がするから、あの呪術師は〈柱〉ではないのかもしれない。しかしエンデュミオン並みの呪力があるだろう。草原之國の原始の魔女といい、規格外の術師が各國に存在するのは事実だった様だ。
孝宏の親戚が倭之國の中宮や英之國の大使だと言うのは、王宮に知られると少々厄介かもしれない。現在は國同士の争いはないから、取引に使われたりはしないだろうが。
(アルフォンスに知らせておいた方が良いのかなあ)
アルフォンス・リグハーヴスの胃に打撃を与えるだけの気がしないでもないのだが。
一応黒森之國も、過去の〈異界渡り〉からの〈天恵〉で恩恵を受けてきた歴史があるのだし、その分の庇護はして貰わないと。
(孝宏の他に倭之國に二人か……)
他の國にも誰か〈異界渡り〉が居るんだろうなあ、と思わざるを得ないエンデュミオンだった。
晧と篤典から手紙が届きました。
帝の嫁とか黒天狐の嫁とかどういう事なの!?でも幸せそうならいっかー、という孝宏です。
これから文通し始めるんだろうな、という感じ。
そして桃李は晧から黒森之國について聞くのでしょう。
「黒森之國でも猫や犬が立って喋る……?」とか。颯たちはまだ喋れないですからね(猫又の年数不足)。




