小さな名持ち妖精猫
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
赤ちゃんケットシーを預けるには最適な場所、〈Langue de chat〉。
173小さな名持ち妖精猫
店が休みの日は、朝食の後はそれぞれが思い思いに過ごす事が多い。
しかし、今日は初春の太陽が朝からリグハーヴスの街に気持ち良く降り注いでいたので、皆でエンデュミオンの温室に来て寛いでいた。物凄く近い場所にピクニックだ。
緑の濃い芝生に敷物を敷いて、木漏れ日の下でのんびりする。
イシュカとテオが〈王と騎士〉を指す駒の音が時折聞こえる。あとは温室にある小さな泉がコポコポと湧く音、温室の筈なのに微風で揺れる葉の擦れる音。
長閑だなあ、と敷物に転がりシュネーバルと絵本を眺めつつ孝宏は平和な時間を満喫していた。
ケットシー三人は木漏れ日の落ちる敷物の上に毛布で丸く巣を作り、昼寝をしている。ケットシーは睡眠を大事にするので、寝ようと思えば何処でも気持ち良く寝る為の努力を惜しまない。先程も三人で協力して毛布を居心地良く整えてから潜り込んでいた。
ケットシーは皆仲が良い。困った事があれば、皆で協力しあうのだそうだ。
コボルトのヨナタンはカチヤの隣に座り、一緒に若草色の本を読んでいた。小さな声でカチヤが読むお話を嬉しそうに聞いている。
ガサガサッと葉を揺らし、ケットシーの里に続く繁みの切れ目から元王様ケットシーのギルベルトが現れた。
「やあ、ギル。朝から里に行っていたの?」
「うん。皆、居るのだな」
ギルベルトは温室の広場に〈Langue de chat〉の全員が揃っているとは思わなかったのか、孝宏が声を掛けるとパチパチと大きな緑色の瞳を瞬きした。
「お休みだからね」
「そうか。エンデュミオンとヴァルブルガを起こして貰いたい」
「もしかして患者さん?」
ギルベルトは腕に布で包まれた物を大切そうに抱いていた。
「うん」
ギルベルトが頷く。
「う」
孝宏が動く前にシュネーバルが歩いていって、毛布の巣の中のエンデュミオンとヴァルブルガを揺すり起こした。
「んん……? なんだ? シュネーバル」
「ぎるべると、きた」
「ギルベルト?」
「かんじゃさん」
「患者さん?」
むくりと起き上がったエンデュミオンとヴァルブルガは、ギルベルトを見てぱっちり目を開いた。
「ギルベルト、こっちに」
エンデュミオンはルッツが寝ていない方の毛布を平らに伸ばし、ギルベルトが抱えていた布包みを下ろさせる。ヴァルブルガがそっと布を開くと、中にはまだ顔の横に耳がある赤ん坊ケットシーが居た。孝宏の掌に乗るほど小さい。チュッチュと肉球を吸っている黒白ハチワレの赤ん坊ケットシーに、エンデュミオンは黙ってヴァルブルガの診察を待った。
孝宏もイシュカとテオも手を止めて成り行きを見守る。
「……お乳、ちゃんと飲ませてる?」
赤ん坊を見るなり、ヴァルブルガがギルベルトに訊いた。
本来赤ん坊なら乳を飲みお腹がぽっこりしている筈なのに、この子の腹はぺたんこだったのだ。
「それなんだが」
ギルベルトは大きな肉球で赤ん坊のぽやぽやとした毛の生えている頭をそっと撫でた。
「この子の通り名はアハト。多分、エンデュミオンと同じで名持ちだと思う」
「育て難いのか?」
名持ちは総じて育て難いものなのだ。
「乳が飲めないんだ」
「母親の乳の出が悪いのか? 乳が出るケットシーは他にも居るだろう?」
エンデュミオンも赤ん坊の時には、貰い乳をして育ててもらっている。
「いや、乳を飲むと身体を痒がる。ほら」
そっと赤ん坊の薄い毛をギルベルトが掻き分ける。ピンク色の皮膚には瘡蓋が沢山あった。赤ん坊が掻きむしってしまったのだろう。まだ血が滲んでいる場所すらある。
「代用の乳を与えようにも、里には山羊も牛も居ないんだ。だからこちらで育ててくれと頼まれた」
「試すにしても魔女が居ないと危険か……」
「ケットシーがケットシーのお乳のアレルギーなのかあ」
それは切ない。まだまともに目も開いてない赤ん坊ケットシーは、時折もぞもぞと動いて自分の肉球を吸っている。空腹なのだろう。
余りに酷い赤ん坊の皮膚状態に、里で育てるのは無理だと早急に判断されたらしい。何しろ乳の代用物を与えなければ、赤ん坊の命も危ない。
「ヴァルブルガも居る事だし、家で預かろう」
背後から覗き込んでいたイシュカが、ギルベルトの頭に掌を乗せた。
「良いのか? イシュカ。手間を掛けると思うが」
「魔女も居て、人手が多いのは家くらいだろう?」
こんなほやほやな赤ん坊をあちこちつれ回す訳にもいかない。
「ギルベルトはマリアン達に、この子のおしめを頼んでくれると有難い」
「うんっ。すぐに頼んでくる」
ポンッとギルベルトが〈針と紡糸〉に〈転移〉していった。
「まずはこの子の食事だな」
アハトを孝宏に抱いていて貰い、エンデュミオンは〈時空鞄〉から哺乳瓶を取り出した。次いでもう一度〈時空鞄〉に前肢を突っ込んで、牛乳の入ったピッチャーを取り出した。これは今朝届いたばかりの新鮮な牛乳だ。何故牛乳を持っているかと言えば、お昼も温室で食べるつもりだったからだ。
「三分の一くらいで頼む」
「……よし」
イシュカに洗浄し直した哺乳瓶に牛乳を注いで貰い、エンデュミオンはそれを火の精霊に頼んで温めた。アハトが火傷しないように人肌にする。
「アハト、ミルクだぞ」
「肉球吸ってたらミルク飲めないぞー」
孝宏はそっとアハトの細い前肢を摘まんで、まだ歯も生えていない口から離した。アハトが吸い続けていた肉球は赤く腫れ上がっていた。
「うわあ、肉球腫れてる」
「手袋作るの」
涎まみれの前肢をヴァルブルガが水の精霊魔法で洗浄し、〈治癒〉する。
「にゃー」
「はいはい。ミルクだぞー」
哺乳瓶の吸い口をピンク色の口に含ませてやる。
「……」
ちゅく、と一口飲んだ後、アハトは夢中でちゅくちゅくと牛乳を吸い始めた。その姿を孝宏とヴァルブルガが慎重に見守る。
「……全部飲んだみたい」
アハトの身体を起こして背中を擦り、飲み込んだ空気を「けぷっ」と出したのを確認してから、左胸に耳が付くように抱き直す。
「大丈夫かな」
ぽこ、とお腹を膨らませたアハトはうとうとと眠り始めたが、身体を痒がる様子は見せない。
「もう暫く様子を見て、お腹を下さないかも確かめるの」
「後でお風呂にも入れてあげようか。フラウ・ドロテーアに皮膚に良い入浴剤をハーブで作ってもらおうかな」
「ラルスに頼んでおく」
エンデュミオンは紙と鉛筆を取り出して手紙を書き、温室の外に出て風の精霊に配達を頼んだ。
幸いな事に、アハトは牛乳で皮膚が荒れる事もお腹を壊す事もなかった。
ぐっすり眠っていて目が覚めてからアハトに気付いたルッツは、驚いてはいたものの「かわいい」と大喜びだった。グラッフェンが居た時にも可愛がっていたので、自分より小さい妖精を大事にする優しい気質なのだ。
グラッフェンが使っていたベッドは木竜のグリューネヴァルトと火蜥蜴のミヒェルが使っているので、エンデュミオンが〈転移〉で一跳びして大工のクルトの工房に行って事情を話し、仕事見本としてあった揺り籠型のベッドを譲って貰ってきた。
アハトは本当に小さいので、床に寝かせて置くのは危ないからだ。
「ところでアハトって」
「倭数字の八からきて、黒森之國語でアハトだな」
あっさりとエンデュミオンは孝宏に答えた。
ハチワレだからアハトという通り名なのだろう。ケットシーの通り名は結構そのままなのだ。ヴァルブルガも三と言う意味のドゥライが通り名だったらしい。
「主が見付かれば一番良いんだがな。心も落ち着くし」
「そうだね」
しかし名持ち妖精が主を見つけるのは、かなり難しいのだ。
「何となく、エンデュミオンより待たないで主が見付かる気がするんだが」
肉球で顎を擦り、エンデュミオンはいとおしげに揺り籠の中で眠るアハトを覗き込む。揺り籠タイプのベッドは、ケットシーが覗き込める高さなのだ。
エンデュミオンは五十年待った。アハトはそんなに待たなければ良い。
満腹で眠るアハトは、肉球を吸うのも忘れ、夢の中だった。
またもや赤ん坊を預かる事になりました。
まさかのケットシーのお乳アレルギーに、マジか!の孝宏達です。
主が見付かるまで、お預かりです。




