孝宏の不思議な夢
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
不思議な物は黒森之國以外にもある様で……。
170孝宏の不思議な夢
ニャーニャー、キューキューと言う鳴き声で、孝宏はふと眼を覚ました。
(エンディ……?)
夜中に起き出してグリューネヴァルトと話しでもしているのかと、モノトーンに霞む眼でベッドの隣を見れば、そこにエンデュミオンが居た。
今晩はシュネーバルがイシュカとヴァルブルガの部屋で寝ているので、体毛の柔らかさをパジャマ越しに感じる程近くで寝ている。すうすうと、深い寝息が聞こえるので、起きている訳がない。
(あり?)
ベッドの隣に置いてある子供用の揺り籠の中でも、グリューネヴァルトと火蜥蜴のミヒェルが眠っているのが見えた。
寝惚けたのかと、再び眼を瞑ろうとした孝宏は、窓際が仄かに明るくなっているのに気が付いた。雪が朝陽で照らされた青白さではなく、暖かなオレンジ色だ。
「……?」
孝宏はそっとカーテンが引かれている窓を伺った。窓には浅い窓台があるのだが、今はグリューネヴァルトが並べたフェーブが数個置かれているだけで、ランプはない筈だ。
「ニャーウー」
不満そうなケットシーの鳴き声が聞こえた。
窓台には灰色縞のケットシーと翡翠色の竜、それと暖炉と開いた本から大木の生えているフェーブが置かれている。
その、灰色縞のケットシーがニャーニャー言っていた。
「キュー。……プッシュ!」
翡翠色の竜がくしゃみをする。
灰色縞のケットシーは、大木の生えた本に向かってニャーニャー訴え始める。すると、コロリンと本の中から薪が転がり出てきた。
「ニャッ」
灰色縞のケットシーが嬉しそうに、薪を暖炉に放り込む。その瞬間、パッと暖炉の火が燃え上がり、金色の火の粉がチラチラと舞い輝いた。
「ニャアー」
「キュアー」
満足げな声を上げ、灰色縞のケットシーと翡翠色の竜が暖炉に当たり始める。
(寒かったんだ……)
窓台は木製なので、室温を少し下げる夜には寒かったのだろう。ラグマットの様な物を下に敷いてあげれば良いかもしれない。明日マリアンの所で端切れを探してみよう。これならきっとイシュカの部屋の三毛ケットシーも、カチヤの部屋の青い小鳥のフェーブも寒がっているだろうし──。
「孝宏、何を作っているんだ?」
「フェーブの為のラグマット。昨日何か変な夢見たんだ。ケットシーと竜のフェーブが寒がってる夢」
縫い物をしている手元を覗いてきたイシュカに応え、孝宏は〈針と紡糸〉から買ってきた毛足の長い緑色の布の縁をかがる。布地を丸く切ってみたら、中々良いラグマットに見える。
「フィリーネの部屋のラグマットみたいだな」
イシュカの弟フォルクハルトをヴァイツェアに送ったついでに、フィリーネの部屋を突撃訪問した事があるエンデュミオンが、縁をかがり終わった布地を手にそんな感想を述べる。
「出来た。これ置いてくるから、部屋に入るね」
「ああ、構わないよ。シュネーは見てるよ」
イシュカにコボルトの編みぐるみに抱き着いて昼寝をしているシュネーバルを預け、孝宏はそれぞれの部屋を回った。
イシュカの部屋には三毛ケットシーの他に花籠と暖炉と大木の生えた本のフェーブがある。一つずつ取った他に、一度ガレット・デ・ロワを皆で食べたからだ。
「暖炉と薪、なんだよなあ」
何故か生き物のフェーブを持っていた者に、暖炉や大木の生えた本のフェーブが当たるとは不思議だ。シュネーバルが無作為にガレット・デ・ロワに入れた筈なのに。
三毛ケットシーの身体の下にラグマット敷いてやる。これで少しは暖かいだろう。
カチヤの部屋には青い小鳥と暖炉、大木の生えたフェーブだ。ラグマットの上に小鳥を乗せる。
テオとルッツの部屋には、帆船と灯台、薄黄色のとげとげした星形の宝石フェーブがある。こちらは生き物はいないので、帆船の下に青いラグマットを敷いてみる。船は海に浮かばないと、と思ったのだ。
そして、孝宏は自分の部屋の灰色縞ケットシーと翡翠色の竜の下にも緑色のラグマットを敷いた。これで夜中に起き出して寒いと文句を言わなければ良いのだが。
(夢、だよなあ)
陶器で出来たフェーブが動くなんて、あるだろうか。日中見ていても動く様子はないのだ。
おかしな夢を見たせいで、仕事をしていても客にどのフェーブが当たったか気になってしまった孝宏だが、灰色縞ケットシーのフェーブを持っているフィリーネが再びやって来て暖炉のフェーブを当てた時、残っていた大木の生えた本のフェーブを渡してしまったのは、彼女のフェーブも「寒い!」と訴えるかもしれないと頭の片隅で考えてしまったからかもしれない。
孝宏がフェーブの為のラグマットを作って数日後。
頼まれている製本仕事で、背の糊付け乾燥待ちのイシュカは、今日は午後から店に出る。
「いしゅかー」
二階の居間から店に降り様としたイシュカとヴァルブルガを、カチカチ爪を鳴らしてシュネーバルが追い掛けた。
「シュネーも一緒に行くか?」
「う」
右前肢をしゅっと挙げシュネーバルが、イシュカが床近くまで伸ばした手をするすると登り肩にしがみつく。
店に降りると、ヴァルブルガはいつもの席に裁縫道具の入った籠を持参して行き、レースの花を編み始める。今のうちに作り溜めしておき、春になったら〈針と紡糸〉厳選の客に売っているのだ。一度売った客からの依頼があれば、それも請け負っている。
「いしゅか、しゅねーばる、のぼる」
シュネーバルは本棚を指差した。ルッツ同様にシュネーバルも何故か高い所が好きだった。但し、落ちても本能的に受け身が取れるルッツとは違うので、一人では登らせていない。故に、シュネーバルはおねだりする事を覚えた。
「一回だけだぞ」
「う」
最近は声に出して返事もしたりする。
床から足付き本棚に取り付き、シュネーバルは小さい四肢で危なげなく登っていく。勿論、背後で落ちても受け止められる様に、イシュカが構えているのだが。
元々森の中で木に登ったりしていたのだろう。シュネーバルはそれほど時間を掛けずに本棚の上まで登りきり、しゅぴっと両前肢を上げた。
「登頂おめでとう」
イシュカとヴァルブルガが拍手してやる所までが、シュネーバルお気に入りの本棚登頂なのである。大概一度登ればその日は満足するので、本棚から降ろした後は自由にさせている。コボルトは裸足ならカチカチ爪音をさせて歩くので、何処に居るのか解るのだ。
ちりりりん。
店のドアベルが鳴り、顔高の位置にステンドグラスの嵌まったドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
「あの、こちらに医師か魔女はいらっしゃいますか……?」
ドアから顔を覗かせたのは、幾分顔色の悪い焦げ茶色の髪を編んで後頭部でまとめた若い女性だった。黒森之國の物より、ふんわりと膨らんだ踝まである臙脂色のスカートを履いている。上に着ている外套もスカートの形に沿う様に作られているので、基本の服装がこのスカートなのだろう。
「居りますが、ご病気かお怪我を?」
「あの、酷く靴擦れを起こしまして。広場にある診療所が往診中で、こちらに回る様にと札があったものですから」
ヴァルブルガが免許持ちだと知った魔女グレーテルは、先日から往診中の急患については〈Langue de chat〉に行けと、ドアに札を引っ掛け始めたのだ。しかし意外と保守的なのか、〈Langue de chat〉に居る魔女の名前が書かれていないからなのか、現在のところ診療に訪れたのは、指に切り傷を負った靴職人ゼルマだけだった。ゼルマはハイエルンでヴァルブルガの診療を受けた事があるので、誰が魔女か知っていたのだ。
「こちらにどうぞ」
イシュカは本棚の前に椅子を一つ置き、ひょこひょこと歩く女性を座らせてから店の外のドアノブに〈準備中〉の札を掛けた。
「ヴァル」
「うん」
カウンターに一番近いいつもの席から、ヴァルブルガは床に下り、とことこと女性の前にやって来た。
「こんにちは、フラウ。魔女ヴァルブルガなの」
「えっ!?」
やはりケットシーが魔女だとは思ってもいなかったらしい。明るい空色をした瞳を丸くした女性に、ヴァルブルガはゆっくりした口調のまま話し掛ける。
「靴擦れの、痛いのはどっちの足?」
「両方、です」
「靴、新しい?」
「はい。まだ慣れてなかったみたいです」
「うん。まず痛み止めするの」
靴の上から肉球を翳し、ヴァルブルガは女性の足を緑色の光で包む。
「痛くないから、靴と靴下脱いで欲しいの」
「はい」
さっとイシュカは視線を外し、カウンター奥の一階居間に顔を出した。
「孝宏、お茶を頼む。ヴァルの患者さんが来たんだ」
「あー、ドクトリンデ往診中だったんだ」
マーヤが〈Langue de chat〉に預けられていないと言う事は、直ぐに戻ってこられる場所への往診だったのだろうが、こればかりは仕方がない。
イシュカが店に戻ると、靴擦れを既に治療し終えたらしきヴァルブルガが、女性の靴下を水の精霊魔法で洗っていた。豆が潰れるような酷い靴擦れだったのだろう。
「はい、どうぞ」
洗って乾かした長靴下をヴァルブルガが女性に渡す。
「宜しければ、バスルームをお使い下さい」
カウンターの奥にあるバスルームへ、イシュカは女性を案内した。膝まである靴下を、人前で淑女に履かせる訳にはいかない。
ヴァルブルガの診察室をイシュカの工房の手前にある小部屋に作った方が良さそうだ。基本的にはグレーテルが留守の時の患者を見る感じなので、それで間に合う筈だ。
「お世話をお掛けしました」
女性がバスルームから戻って来たので、イシュカは閲覧スペースの緑色のソファーへと移動を促した。
ヴァルブルガは〈時空鞄〉から診療録と柘榴石のような万年筆を取り出した。
「お名前なあに?」
「花織之國の大使をしております、コレットと申します。黒森之國には来たばかりで、挨拶回りの最中です」
「補佐官はいないの?」
「人狼の騎士ヘア・イザークを付けて頂いたのですが、今朝から熱を出されて〈跳ねる兎亭〉で寝込まれていて。その往診も頼みたいのです」
ヴァルブルガの緑色の瞳が一瞬細められる。
「……リグハーヴスの前にハイエルンに行った?」
「はい。王都、ヴァイツェア、ハイエルンの順に」
カリカリと診療録を埋めていき、ヴァルブルガは万年筆のキャップを閉めた。
「イシュカ、孝宏にカモミールティー頼んで欲しいの」
「解った。水筒に一先ず入れて貰うな」
「うん。あとエンデュミオン呼んで欲しいの」
「ああ」
ヴァルブルガはカモミールティーが用意されると、エンデュミオンと一緒に〈転移〉していってしまった。
「あ、あの……?」
「往診に行ったので、暫くしたら帰ってきますよ。恐らくヘア・イザークは妖精犬風邪じゃないかと思います。今時季ハイエルンで流行るんだそうです。戻ってくるまでこちらでお待ち下さい」
孝宏がカウンターの奥から盆にお茶のポットとカップ、クッキーの載った皿を運んでくる。
「お茶どうぞ」
「有難うございます」
コレットがイシュカと孝宏に会釈する。
カチカチと音がして、「う!」と声がした。コレットの足元にシュネーバルが居て、ぴょんぴょん跳ねていた。ソファーに登りたいらしい。
「うちの子なんですが、お隣に座らせて頂いても良いですか?」
「ええ」
イシュカはシュネーバルを抱き上げ、コレットの隣に座らせた。シュネーバルは〈時空鞄〉の中から、蝋紙で包まれたキャラメルを取り出しコレットに差し出した。
「う!」
「差し上げると言ってます」
「まあ、有難う」
コレットがキャラメルを受け取ってくれたので、シュネーバルは自分の分のキャラメルを取り出し、蝋紙を剥いて「あー」と茶色いキャラメルを口に入れる。
エンデュミオンはシュネーバルに杖の要らない基礎魔法を少しずつ教え始めていたが、一番興味を持って直ぐに覚えたのは空間魔法だった。「おやつを持ち歩けるようになるぞ」と言うエンデュミオンの言葉が効いたらしい。
コレットもキャラメルを口に入れ、「美味しい」と微笑んだ。
「……」
シュネーバルは再び〈時空鞄〉に前肢を突っ込み、白い布袋を引っ張り出す。巾着型の袋の口紐を緩め、中からフェーブを取り出してテーブルに並べ始める。
「それはマダム・キトリーのフェーブでは?」
「マダム・キトリー?」
「はい。花織之國の土人形作家のフェーブですよ。こちらへの輸入品目の中で見た覚えがあります」
「ゴ、土人形……」
ごくりと孝宏は唾を飲み込んだ。
「あの、変な事をお聞きしますけど、このフェーブ動いちゃったりしませんよね?」
笑われるかと思ったのに、コレットは両手を合わせて眼を輝かせた。
「まあ、ご覧になりまして? とても運が宜しいですよ! マダム・キトリーのフェーブは人が見ている前では殆ど動いてくれませんの」
「ええと、夢かと思ったんですけど……」
「何を見たんだ?孝宏」
「夜中に寒かったのか、暖炉のフェーブに薪をくべる灰色縞のケットシーと翡翠色の竜をね」
「ああ、だからラグマット……」
フェーブの為にラグマットを作っていた孝宏の行動を、漸く理解出来たイシュカだった。
「なくし物をした時に見付けてくれたりするそうですよ」
コレットが竜のフェーブを飛ぶ様に動かして遊んでいたシュネーバルの頭を撫でる。
「黒森之國で土人形は珍しいのですね」
「俺も孝宏も魔法が使えないので詳しくは解りませんが、聞いた事がないかと」
説話集でも書いていなかった気がする。
ポポン!と音を立ててエンデュミオンとヴァルブルガが戻ってきた。
「やれやれ、イザークは妖精犬風邪だったぞ。熱が下がっても数日隔離だ。予定があったのなら悪いが、延期してくれ。人には移らないから、イザークの食事など世話してやってくれないか」
「解りました。重い風邪なのですね」
戻ってくるなりエンデュミオンが言い放ったが、コレットは反発せずに頷いた。
「お薬はカモミールなの。お茶として飲ませてあげて。紅茶に入れてもいいの。処方箋書くから〈薬草と飴玉〉でカモミールを処方してもらってね」
椅子によじ登り、ヴァルブルガは用紙を取り出して処方箋を書き出した。診療録も出してイザークの物を新たに作成する。
「私のとヘア・イザークの診察費はお幾らですか?」
「一人ハルドモンド半銀貨一枚なの」
ヴァルブルガの診察費はグレーテルと同じなので、基本ハルドモンド半銀貨一枚だ。
ヴァルブルガは半銀貨二枚を受け取り、領収書をコレットに渡した。
「〈薬草と飴玉〉に案内するの。それから、靴は〈オイゲンの靴屋〉で調整してもらえるの」
「有難うございます」
「両方この通り沿いだから、一度行けば覚えるだろう。イザークの往診にはヴァルブルガとエンデュミオンが毎日行く」
妖精犬風邪はきちんと治療しないと、予後が悪いのだ。特に今年のは人狼が掛かると症状が重い。
「しかし、ハイエルンではまだ妖精犬風邪が終焉していなかったんだな」
罹患する人口が多いからだろうか。エンデュミオンは息を吐き、コレットを見上げた。
「そう言えば何だって花織之國の大使がリグハーヴスに? 前に倭之國の大使も来ていたが」
「リグハーヴスに花織之國の輸入品を仕入れて下さるお店がありますのでご挨拶に参りました」
「……フロレンツか」
森林族の輸入雑貨屋の店主だ。
「顔馴染みだからな。ついでに案内してやろう」
「う!」
「シュネーバルも行くか?」
「う!」
散歩に行けると解り、いそいそとシュネーバルがテーブルに出していたフェーブをしまい始める。
「上着持ってくるから待ってて」
急いで孝宏は二階に上がり、外套とマフラーを取ってきた。エンデュミオンとシュネーバルのフード付きケープもだ。ついでにコレットを送った帰りに買い物をしようと、買い物籠と財布も持つ。
エンデュミオンに土人形について聞くのは帰って来てからになりそうだ。
まずはオイゲンの靴屋に連れていってあげた方が良いよね、と店を回る順番を考えながら孝宏は階段を降りた。
実は夢じゃ無かった、マダム・キトリーのフェーブ。
2~3センチ程のフェーブなので、小さな失せ物を探してくれたりします。
あとは夜中に勝手に動いてくつろいだり、光ったり、持ち主が困ったり危機に陥った時に助けてくれたりする、不思議なフェーブです。
3月3日なのをすっかり忘れてお話書いちゃった。
でも黒森之國に雛祭りはないのです。孝宏が何かしない限り……。




