大雪の日
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
冬将軍がやって来ました。
17大雪の日
<Langue de chat>のドアを閉める時、イシュカは空を見上げて顔を顰めた。
「夜中に降って来るな」
「これはかなり降るぞ」
イシュカの隣まで歩いて行き、同じく灰色の空を見上げたエンデュミオンが同意する。
「この辺りって、どれだけ降るの?」
「西のハイエルンよりは少ないのが通常なんだがな。その年によってはこちらも降るらしい」
イシュカも王都でずっと暮らしていたので、詳しく解らないのだ。
「一応スコップは買ってあるから、雪掻きは出来る。食料もあるしな」
冬はそれぞれの街や集落が孤立しがちな黒森之國だ。つねに各家は勿論、街や集落全体で食料は備蓄してある。
「ごはーん」
階段をとたんとたんと一段ずつ降りて、ルッツが知らせに来た。今日は家に居たテオとルッツがシチューを作ってくれたのだ。
「有難う、もう二階に上がるよ」
「あい」
今日は紺色のセーターを着ているルッツを抱き上げ、孝宏は渋い顔で空を見上げている二人に声を掛けたのだった。
『ん……?』
夜中、孝宏は目を覚ました。やけに静かな気がする。気になったのでベッドから降りて、窓のカーテンを捲ってみた。
『ここは街灯が無いんだっけ』
真っ暗な世界に、大粒の雪が降り注いでいた。暗すぎて、何処まで積もっているのか見えない。しかし、かなり降っていそうだ。
『これは雪掻き大変だなあ』
だが、今やれる事は無い。孝宏は冷えた身体をそそくさとベッドに戻す。エンデュミオンが居るので温かい。天然の湯たんぽだ。
『うう、温い』
ケットシーの温かさと寝息につられ、孝宏は再び眠りに落ちた。
「孝宏、孝宏」
『んう?もう起きる時間?』
再び目を覚ました時には朝になっていた。もそもそとベッドに起き上がり、ベッドカバーの上に広げて乗せていた眠り羊のカーディガンを羽織る。
『何か静か過ぎない?』
『雪が積もったからだろう』
エンデュミオンと二人だけの時は、つい日本語で話してしまう。
部屋履きを履いてカーテンを開けるが、窓にべったりと雪が張り付いていて外が見えない。孝宏はエンデュミオンを抱えて寝室から廊下に出た。向かいにある書斎の窓から外を見る。この窓は店の正面の路地が見える。
『白いな』
まだ朝の早い時間なので、人気が無い。しかし、向かいにある家のドアが半分雪で埋まっている気がする。見間違いではなさそうだ。
『ドア、埋まってない?』
『埋まっているな』
『イシュカ、起こそうか』
『ああ』
二人でそのままイシュカの部屋のドアを叩く。間も無くイシュカがドアを開けてくれた。
「どうした?」
「雪、凄い。向かいの家のドア埋まってる」
「は?」
その言葉でしっかりと覚醒したらしいイシュカも書斎から窓を見に走り、廊下に戻って来るなりテオとルッツの部屋のドアを叩いた。起きて来たテオに数言話し、孝宏達の元に戻って来る。
「着替えよう。多分街全体で雪掻きになる」
「解った」
孝宏はバスルームで顔を簡単に洗い、うがいをして髪を梳かし、パジャマから服に着替えた。エンデュミオンの着替えを手伝い、廊下に出た所で着替えたテオに会う。
「ルッツは?」
「起こすのは無理だから、風邪引かない様に寝かせて来た」
「やっぱり」
朝に弱いルッツは、寝惚けた状態でうろうろさせている方が危ない。
イシュカも着替え、四人で一階に降りたところで、漸く外から人の声が聞こえて来た。
孝宏達は閲覧スペースの窓際の机と椅子を動かし、窓を内側に開いた。
「うわっ」
窓の桟近くまで雪があった。窓にへばり付いていた雪が床に落ちる。
「おーい、熱鉱石は足りてるかー?」
窓の外から大声で呼び掛けられる。かんじきの様な物を履いた鍛冶屋のエッカルトが、金属の箱を持って歩いて来ていた。熱鉱石を豊富に持つ鍛冶屋と言う職業柄、タイミング悪く熱鉱石の力が落ちて凍えている家が無いか、回ってくれている様だ。
「うちは大丈夫でーす!」
ケットシーが二人も居るので、もし熱鉱石の力が切れても復活出来る。これは秘密らしいので、他の人には言っていないが。
「もうすぐ雪掻きが始まるから、協力出来るなら手伝ってくれ。その前に何かしっかり食っておけよ」
「解りました」
雪はすっかり止んでいた。それにしても一晩で良く降ったものだ。
『一晩で膝まで降った経験はあるけどなあ』
孝宏は北国産まれだ。その位は珍しくも無い。
やはり、窓から出るしかないだろう。ドアも内開きなので開けられるが、雪が室内に雪崩れ込んで来るに違いない。
昨日のシチューを温め、黒パンに塊から切り出した生ハムとチーズを挟む。それに熱いミルクティーで朝食にした。
膝までのブーツを履き、眠り羊のセーターとマフラーと手袋を付け、その上にコートを着て、イシュカとテオは雪掻きに出掛けて行った。因みに毛糸の靴下も眠り羊の毛糸製だ。物凄く丈夫で温かく、重宝している。素材だけを見れば戦いにでも行くのかと言う出で立ちだ。彼らは雪掻きに行くだけなのだが。
マフラーと手袋、靴下を渡された時、最早イシュカとテオは何も言わずに受け取った。
孝宏も雪掻きに出掛けると言ったのだが、スコップが鉄で出来ていて、重くて無理だと言われてしまった。
「雪掻き終わりで炊き出しをするだろうから、うちでも何か用意をしておいてくれ」と言われたので、孝宏は料理をする事にした。
まずは家にあるパンに切れ込みを入れながらスライスして、ポテトサラダを作って挟む。生ハムとチーズや、自家製の魚の油漬けの油を切って、これまた自家製マヨネーズを混ぜてツナマヨを作り、みじん切りの胡瓜と水に晒して辛味を減らした玉葱を合わせて嵩増ししこれも挟む。各種サンドイッチを作ったものの、足りない気がした。
「パンはこれ以上無いしなあ。……米炊くか」
食料品店ではインディカ米もジャポニカ米も売っていたので、ジャポニカ米を買っておいていた。カップで鍋に米を測り、しゃきしゃきと研いで水に着けておく。三十分程待ってから炊き始める。その間におにぎりの中に入れる具を考えた。
「挽肉……は無いから肉を叩いて甘辛くして澱粉でとろみ付けるか。あと出汁取った後に作った、おかかのふりかけ位だよなあ」
具を作り御飯が炊けたら、良く洗った手で塩をしながら握って行く。俵型にして、これまた食料品店で見付けて買った海苔をくるりと巻く。
炊いた米の分を握って皿に並べ終わったら、鍋一杯にホワイトシチューと豚汁を作る。街の人に米と豚汁が不評でも、イシュカとテオが食べるだろう。
それから作り置きのクッキーを琺瑯の蓋付きの保存容器ごと出した。素焼きのタイルの様な、湿気を取る便利アイテムがあるので、それを容器の底に入れてある。
布巾を掛けたサンドイッチとおにぎりとクッキーを閲覧スペースのテーブルに乗せる。鍋は冷めるので、一階の台所に置いておく。おしぼりも数を作ってテーブルに置いた。
「テオいない」
準備に一息ついた頃、ルッツが何も着ないまま起きて来た。泣きそうな顔をしているので、抱き上げて頭を撫でてやる。エンデュミオンにも手伝って貰っていたので、目覚めたら一人で寂しかったのだろう。
「イシュカとテオは、雪掻きに行ったんだよ」
「ドアが開かない位降っているんだぞ」
孝宏とエンデュミオンが説明すると、ルッツはぐいぐいと孝宏の肩に甘える様に額を擦り付けた。
「ごはん食べようか?」
「ごはんー」
ルッツに甘辛い挽肉が入ったおにぎりと、ツナマヨのサンドイッチを取ってやり、豚汁で食べさせる。削り立てのおかかも少し付けてあげた。お腹が膨れたところで着替えさせ、閲覧スペースでエンデュミオンと本を読ませておく。
昼近くになる頃、イシュカとテオが街の男達を数人連れて戻って来た。
「まだ終わっていないんだけど、食事に来た」
「ご苦労様。座って食べてて」
温めた鍋を閲覧スペースに運び込み、好きな方を有り合わせの器で飲んで貰う。
肉体労働をした後の男達の食欲は凄まじかった。イシュカとテオが食べているのを見て、見慣れないおにぎりと豚汁も綺麗に食べ尽して行った。そしてクッキーを一人数枚ずつ掴み、再び出て行った。
『嵐の様だったな……』
空になった鍋や食器を流しに運び洗いつつ、孝宏は呆然と呟いた。確かにあれには混ざれない。途中で倒れる。
大型の除雪機械など無いので、人海戦術で男達が除雪をし、広場に集められた雪を馬橇で街の外に捨てに行くのだそうだ。そこまでの道は魔法が使える者達が作ると言う。
リグハーヴスは北の丘にある領主の館を上に見た状態で市場広場を中心とし、左右の区に分かれる。住民は自分達が居住する区を担当し、雪掻きをするのだ。ちなみに、<Langue de chat>は右区にある。
お互い囲壁に囲まれている領主館から街までの道は、騎士と住民とで半分ずつ雪掻きするらしい。
(今頃ヘア・ディルクやヘア・リーンハルトも雪掻きなんだろうなあ)
そんな事を考えながら、孝宏は閲覧スペースを片付け、雪で濡れた床をモップで拭く。
『イシュカもテオもお腹空かせて帰って来るだろうから、夕ご飯はお肉かな』
「お肉ー」
邪魔にならない様にソファーの上に避難して貰っていたルッツが両前肢を上げる。
『……生姜焼きかな。豚肉あるし』
食料品店で醤油もゲットしていた。生姜焼きにはやはり米だろう。というか、パンが無い。お昼で使い切ってしまった。さっき食事をしに来た中に、肉屋とパン屋の親方も居た。明日の朝までパンは売って無いだろう。
(まだ酵母作ってる最中だしなあ)
孝宏は最近干し葡萄から酵母を作っていた。エンデュミオンにちゃんと出来ていると言われているので、近い内に自分でもパンを焼こうとは思っているが。
今日は街中の店は休業だろう。時折カウンターが光り、今日が返却期限の本が戻って来ている。今回ばかりはペナルティは付けられない。
孝宏はモップを片付け、自動返却された本の処理の為カウンターに向かった。
十年ぶりだと言うリグハーヴスの大雪は、一日掛かりで街中の除雪を終えた。
翌日、炊き出しのお礼として、上等な粉で作った白パンと素晴らしい色合いの生ハムが届けられ、「そんな大層な料理出して無いんだけどなあ」と恐縮しながら受け取った孝宏だった。
黒森之國には四季がありますが、大陸の北側の方が四季がはっきりしています。
南側には殆ど雪が降りません。
街中の雪を魔法で溶かさないのは、雪が多すぎて洪水になるからです。
春になれば雪は溶けるので、生活に困らない部分が除雪出来れば良いのです。