フィリーネとエンデュミオン
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フィリーネとエンデュミオンの思い出話です。
169フィリーネとエンデュミオン
大魔法使いフィリーネは、子供の頃から可愛らしい物や綺麗な物が好きである。
大魔法使いエンデュミオンがまだ森林族の姿で現役だった頃、当時の王に漸く弟子を持つ事を許されて得たフィリーネをとても可愛がってくれた。言葉遣いは時折辛辣だったが、フィリーネを傷付けたりしなかったし、丁寧に魔法を教えてくれたものだ。
エンデュミオンは王の行幸にお供し、稀に物を下賜されてきたが、意匠が可愛らしかったりするとフィリーネに「使うといい」とぽんと渡してきた。どんなに高価でも、エンデュミオンは実用かそうでないかで判断していた。
ある時、黄緑色の魔石で出来た万年筆を貰ってきて、エンデュミオンの瞳みたいだと見とれていたら、「エンデュミオンはグリューネヴァルトの鱗で作った物があるから」とフィリーネにくれた。それは今でも大切に使っている。
「師匠の万年筆とギルドカードはここに入れた筈……」
自室の居間にある猫足の小物箪笥の鍵付きの引き出しを開け、フィリーネは中から翡翠色の万年筆と魔銀製のギルドカードを取り出した。
長い間しまいっぱなしだったが、万年筆のインクはきちんと洗浄しておいたから問題なさそうだ。
万年筆は〈Langue de chat〉のカウンターでエンデュミオンが使っているのを見ているから、渡せば使うだろう。魔法使いギルドカードも元々エンデュミオンの物だし、本人が存在しているのだから本人が持つべきだろう。
トントントン。
「大魔法使いフィリーネ」
「っ!」
唐突に部屋のドアをたたかれ、フィリーネの肩が跳ねる。手に持っていた万年筆がポロリと落ちて、芝生の様で気に入っている緑色の毛足の長いラグマットの上で跳ねて、ころころと小物箪笥の床との隙間に転がっていった。
「あーっ!」
「花織之國の大使様がおいでに……どうされました?」
「な、何でもありません、今行きます」
ドアの向こうに取り繕いつつ、フィリーネはラグマットに膝をついて小物箪笥の下を覗き込んだ。猫足箪笥なので手を伸ばせばなんとか届きそうだが、来客の相手を先に済ませなければならない。
フィリーネは渋々、万年筆の回収を後回しにして、花織之國の大使の面会へと向かったのだった。
大魔法使いエンデュミオンは変わり者だと言うのが、フィリーネが子供の頃の黒森之國の噂だった。
幼い時分から王宮の専属魔法使いになったエンデュミオンは、普段は王宮内にある魔法使いの塔に籠りきりだった。王の行幸だったり、領同士の小競り合いだったり、そういう時にだけ姿を見せた。
顔立ちの整った背の高い、長い黒髪の鮮やかな黄緑色の瞳の森林族。森林族は緑色の瞳が多いが、エンデュミオン程の鮮やかな瞳の色は珍しかった。
そもそも、フィリーネがエンデュミオンと出会ったのは、他でもない時の王に弟子を持つ事を許された彼が、ヴァイツェアの孤児院に木竜グリューネヴァルトで乗り付けたからである。
普段は大人しくしている癖に、魔道具で自分の居場所が解るんだから構わないだろうと、エンデュミオンは直接やって来たらしい。晩年のエンデュミオンは結構好き勝手していた気がする。
魔法使いに森林族が多いのは、魔法を次代に継承させる為の人材を育成する為である。しかも、エンデュミオンは王に弟子を一人しか許されなかったので、候補は森林族だけだったのだ。
大きな木竜の登場に子供達は逃げ出したが、フィリーネだけは遊び場になっていた孤児院の裏庭から動かなかった。なぜなら、木竜の翡翠色の鱗が太陽に当たり、魔石の様に煌めいていて綺麗だったからだ。
竜から降り「口を開けたままだと土埃が入るぞ」と、フィリーネの顎を指先で押して開いた口を閉じさせたエンデュミオンは、既に晩年に入っていたにも関わらず、二十歳そこそこの若者の姿だった。ちなみに異常な量の魔力を持っていたエンデュミオンは、死ぬまで外見は若かったので、女性の魔法使いに羨まれていたものである。
「り、竜が綺麗で」
率直に応えたフィリーネに、エンデュミオンは嬉しそうに笑った。
「うん。グリューネヴァルトは綺麗だろう。グリューネヴァルトに驚かないとは見所があるな。名前はなんと言う?」
「フィー。フィリーネです」
「そうか。フィリーネ、エンデュミオンの弟子になるか?」
それが大魔法使い唯一の弟子への勧誘だったのだから、結構酷いとフィリーネは今でも思っている。「なります!」と即答したのはフィリーネなのだが。
そのままエンデュミオンは孤児院長に話を付け、少なくない額の寄付をして、フィリーネとグリューネヴァルトに乗って王都の魔法使いの塔へと帰ったのだった。
壁の内側に螺旋階段が付いている不思議な魔法使いの塔は、きちんと片付いていて落ち着きのある内装だった。でも、外見より広い気がした。
「一寸エンデュミオンが弄ったから、変わっているが気にするな」
空間魔法を使っているらしかった。
多分、王にも断らず自分勝手に改装したのだろうと、後々塔を預けた弟子のジークヴァルトと頷きあったものである。
「エンデュミオンの部屋の隣が、フィリーネの部屋だ」
エンデュミオンはフィリーネに一人部屋を用意していた。そして、分厚い布見本を渡して、カーテンやベッドカバーの布地を選ばせ、更には仕立屋を呼んでフィリーネの服をあつらえさせた。今まで古着しか着ていなかったフィリーネは、その待遇に戦いた。
「ふ、古着でも……」
「森林族は急激に大きくなる訳じゃないだろう? 最低でも二年は着るのだから遠慮するな。それに王宮の使用人にフィリーネが馬鹿にされるのは我慢ならん」
小花柄の布を両手に持って見定めながら、フンと鼻を鳴らしたエンデュミオンが少し楽しそうだったので、フィリーネは甘んじて可愛らしいワンピースやマントを作って貰ったのだった。
エンデュミオンは王や王宮の人間に対しては、素っ気ない態度を頑なに取り続けたが、フィリーネにはいつも優しく機嫌が良かった。
一緒に暮らしはじめてすぐ、フィリーネの方が、家事が上手いと判明した。エンデュミオンは掃除は出来たが、料理は作り方は知っている癖に余り得意ではなかったのだ。二人で台所に立ち、食事を作るのは楽しかった。
二人が塔の周囲を散歩し始める様になると、不愉快な噂話が流れたが、エンデュミオンの世話をあれこれ焼くフィリーネの姿に、「あれは師弟以外の何物でもない」とその噂はあっという間に立ち消えるのだった。
黒森之國の騎士や魔法使い、召喚士などは学院に入って公的な資格を得る。生活魔法は親などからでも教われるが、中位・高位魔法は学院で学ぶのだ。卒業すれば、騎士は各領に配属され、魔法使いは師匠について更に学ぶ事になる。
既にエンデュミオンに魔法の手解きを受けて数年経っていたフィリーネも学院に入学した。
入学式では公爵家の子供以外は親の名前と自分の名前を呼ばれる。誰々の娘、と言うように。親が解らない場合は、女の子なら〈シルヴァーナの娘〉というように月の女神シルヴァーナの名前を借りる。
フィリーネも親が解らない為、シルヴァーナの名前を借りて呼ばれるのだろうと思っていたら「エンデュミオンの娘フィリーネ」と呼ばれ、周囲の視線を集めてしまった。
黒森之國でエンデュミオンはただ一人である。
塔に帰って当人を問い詰めた所、「入学手続きに保護者名を書く箇所があったから書いた」とエンデュミオンは悪びれなく答えた。フィリーネが知らなかっただけで、引き取られた時からエンデュミオンの養女になっていたらしい。
「師匠、そういう事は最初に言って下さい」
「むう、すまん。フィー」
フィリーネの前で、長い耳を心なしかへにょりとさせたこのエンデュミオンが大魔法使いだと、誰が思うだろう。
卵を焼けば少し焦がすし、自分の髪を三つ編みにも出来ない。そんな少し不器用なエンデュミオンが。
ちゃんとエンデュミオンが自分で食事を用意して食べるのか心配で、結局フィリーネは学院へ塔から通学したのだった。おかげで杖を持っていれば、自力で〈転移〉出来る様になったのだから、訓練次第で魔法は上達すると実感したものだ。
身寄りのないエンデュミオンが養子にしたのはフィリーネだけだったので、エンデュミオンが亡くなった後、遺産は全てフィリーネが相続した。
エンデュミオンの遺産の目録を魔法使いギルドから貰ったフィリーネは、軽く目眩を覚えたものである。
どこで集めてきたものか、魔法や魔道具に使う希少素材が山程あった。全て放出したら市場が値崩れを起こしそうな程に。恐ろしいので必要な時に必要なだけ使わせて貰うと決めた。目録を持ってきた魔法使いギルド職員も泣きそうな顔だったのだから、洒落にならない。
殆ど使う事もなかったらしい王宮からの給金や魔石も溜め込まれていて、フィリーネが成長しては新しい服をあつらえるのを楽しみにしていたエンデュミオンの姿が浮かんで泣けてきた。
だからフィリーネは、エンデュミオンの魔法使いギルドの口座に手を付けぬまま、時を過ごした。
それから五十年余り経って、エンデュミオンがひょっこり現れるとは思いもしなかった。しかも、元の身体より何倍も小さくなって、柔らかくて艶々ふかふかになって、楽しそうにきらきらした黄緑色の瞳がちょっぴり目付きが悪いのはそのままで、悪意のない意地悪な事をフィリーネに言ってからかうのだ。それが少年の声だったりするのだから、拗ねた風に聞こえたりして可愛くて堪らない。
「もおおお、ケットシーになってるって可愛すぎでしょう!師匠ー!」
再会した日、〈Langue de chat〉から魔法使いギルドの自室に帰って来た後、ベッドの上で転がり回ったのは、乙女の秘密である。
「万年筆万年筆っ」
花織之國の新しい大使との面会を終え、フィリーネは部屋に急いで戻ってきた。
小物箪笥の前に膝をついて下を覗き込もうとして、眼を丸くする。
「あら?」
小物箪笥の手前まで敷かれているラグマットの縁に、翡翠色の万年筆が転がっていたのだ。
「奥まで行っちゃったと思ったのに……」
ラグマットの色で見間違えたのだろうか。ほっとして万年筆を取り上げようとしたフィリーネは、その近くに落ちていた物に眼を止めた。
「やだ、何でこの子が落ちてるの?」
慌てて拾い上げたのは、最近手に入れたばかりの灰色縞のケットシーのフェーブだった。エンデュミオンに似ていてお気に入りなのだ。指先で撫でて欠けがないのを確かめ、安堵の息を漏らす。
「良かった……」
ケットシーのフェーブをフィリーネはソファー横のティーテーブルの上に置いた。そこには二度目にガレット・デ・ロワを食べに行った時に手に入れた、暖炉のフェーブと開いた本から大木が生えたフェーブがある。
暖炉のフェーブはフィリーネのケーキに入っていたのだが、暖炉が出たのを孝宏が気付き「良かったらこれも」と本のフェーブをくれたのだ。
〈Langue de chat〉でガレット・デ・ロワを出す最終日だったので、ケーキに入れなかったフェーブが余ったのだろうとフィリーネは思ったのだが、「必要だと思うので」と孝宏は何故か不思議な事を言った。
「いい子にしていてね」
ちょん、と指先でケットシーのフェーブを突き、フィリーネはエンデュミオンの万年筆と魔法使いギルドカードを、別の引き出しから出した洗い立てのハンカチで包んだ。
この後は予定が入っていないので、〈Langue de chat〉に行って万年筆とギルドカードを返すついでに本を借りて来られる。
「リグハーヴスはまだまだ雪の中よね。暖かくして行かなくちゃ」
寝室へ行って外套を手に取り、フィリーネは踊る様な足取りで部屋を出て、ドアを閉めて鍵を掛けた。
「ニャー」
軽い足音が遠ざかる居間に、小さな鳴き声と、パチパチと薪が弾ける音がした。
訥々とした思い出話。
森林族の晩年なので、約百年くらいエンデュミオンとフィリーネは一緒に暮らしています。
王族には塩対応だけど、フィリーネの事はとても可愛がっていたエンデュミオンです。
地味に孝宏とフィリーネの言う事しか聞かない。
料理苦手選手権。
料理の作り方を知っているけどちょっぴり焦がすエンデュミオンVS作り方が解ればそれなりに作れなくもないイシュカ(イシュカは煮込み料理なら作れる様になっています。材料入れて火にかけるだけ。今ならミヒェルにお任せも出来る)。
〈Langue de chat〉に来た日、イシュカに料理をさせたのは、焦がした料理を孝宏に食べさせたく無かったから……?かも。




