エンデュミオンの守り
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
暗躍していても目立つエンデュミオンです。
161エンデュミオンの守り
新年明けの凍てつく空気の中、アロイスは店の板戸を開けた途端「うおっ」と声を上げた。目の前に鯖虎柄のケットシーのエンデュミオンが立っていたのだ、驚きもする。
裏起毛の緑色のケープを着て、すっぽりとフードを被っているが、白い煙を口からフーと吐いている。そして前肢を覆う黄緑色の手袋をしゅっと挙げた。白い毛糸で雪模様の飾りが縫い付けてあるのが可愛らしい。
「お早う、アロイス」
「お早うって、随分早いな。どうしたんだ?」
いつもなら孝宏とエンデュミオンは一緒に買い物に来るが、それにしてもこんな朝には来ない。
「急なんだがな、干し肉一樽と薫製肉を一塊欲しいのだ」
その注文内容には覚えがあった。
「〈向こう〉に行くのか? 週末じゃあないけど」
週末にはケットシーの集落に温泉に入りにいかないかと誘われる事がある。
「ああ。〈お礼〉には違いないんだが──アロイスには話しても良いか。ハイエルン出身だろう?」
「そうだが?」
「今、ハイエルンで妖精犬風邪が流行している筈なんだ。それがリグハーヴスにも蔓延してな、ドロテーアの所だけじゃカモミールの在庫が足りなくなりそうなのだ」
「それは一大事じゃないのか?」
特効薬のカモミールさえあれば妖精犬風邪は治るが、他の薬では予後が悪いのだ。
「リュディガーとギルベルトが持っている分とエンデュミオンの温室のカモミールも出しているが、そろそろ間に合わなさそうだからな、奥の手を出す」
「それが〈向こう〉なのか」
「ああ。アロイスの肉が大好物だからな。皆、遊び感覚でせっせとカモミールを摘んでくれている。孝宏のシチューが待っているんだからな」
「解った。丁度出来の良い干し肉と薫製肉があるぞ」
「頼む。それから領収書をくれ。ドロテーアにその金額でカモミールを売るから」
どうやら薬作りで手が離せないドロテーアやブリギッテに代わり、エンデュミオンが動いているらしい。ラルスも店番で出掛けられないのだろう。
エンデュミオンは干し肉と薫製肉を買い、「カールの所でパンも買う」と言ったので、アロイスはレバーペーストの瓶をおまけに付けてやった。
「また温泉に誘ってくれ」
「ああ、落ち着いたら必ず」
買った荷物を〈時空鞄〉にしまい込み、エンデュミオンは〈転移〉していった。
「やれやれ、世話焼きだな」
〈Langue de chat〉にもコボルトが居るから他人事ではないのだろうが、リグハーヴス中のコボルトと人狼の為に走り回るのだから、世話焼き以外の何者でもない。多分、エンデュミオンは自分がお人好しだと気付いてもいないだろう。
「あ、エンディの奴、特定伝染病届を領主様に出したのかね。それともドクトリンデが出してるか……?」
コボルトだけではなく人狼にも感染する感染力の強い妖精犬風邪は、発生すると領主に知らせなければならない。ハイエルンでは常識なのだが、リグハーヴスで妖精犬風邪が発症したとはアロイスも住み始めてから初めて聞いたのだ。
実はエンデュミオンもグレーテルもすっかり忘れていたのだが、アルフォンスの所へは別方向から報告が上がるのだった。
「エンデュミオン、これ位で足りるか?」
ギルベルトが乾燥させたカモミールがたっぷり入った木樽を肉球でポンポンと叩いた。
「一先ずは。無くなりそうになったら、又頼む」
乾燥させた物でも、やはり新しい物の方が香りが良い。
エンデュミオンが肉を届けて孝宏がシチューを煮込み始めたのを見計らった様に、カモミール摘みに行っていたケットシー達がわらわらと戻ってきた。
各々集めてきたカモミールを、ギルベルトと王様ケットシーが乾燥させ、木樽に詰めてくれたのだ。
カチヤが黒パンを薄く切り、レバーペーストと苺のジャムを塗ったサンドイッチをそれぞれ作って行くのを、他のケットシー達はきらきらした目で見詰めている。
ヨナタンとシュネーバルはイシュカとヴァルブルガに預けて来たのだが、コボルトはその家の家長をきちんと見極める為、大人しくイシュカのベッドに一緒に寝ていた。
「ではこれを〈薬草と飴玉〉に納品して、各患者に分配だな」
「うむ。早速置いて来る。ゲルトの所はもうカモミールの残りが無かったんだ」
人狼の方が症状が重く出ると解ってきたので、療養期間も長引きそうだった。
「エンデュミオンが遅くなりそうだったら、ギルベルトが孝宏を温室へ送ってやってくれ」
「解った」
そこからエンデュミオンはドロテーアにカモミールを届けて、処方袋に分配してもらってからリグハーヴス中のコボルトと人狼に届けていった。
「うう、疲れた……」
エンデュミオンが〈Langue de chat〉に帰りついたのは、昼をとっくに回った頃だった。
「お帰り、エンディ」
既にケットシーの里から帰って来ていた孝宏がエンデュミオンのケープを脱がせてから抱き上げた。
「お疲れ様。お昼ご飯温めるね」
「腹が減った……」
台所のケットシー用の椅子に下ろして貰い、エンデュミオンはテーブルにぱたりと突っ伏した。
流石のエンデュミオンでも続け様に〈転移〉を乱発すれば疲れる。そしていつもよりも高速で空腹になった。
「はい、どうぞ」
ケットシー達に作ったのと同じ薫製肉と根野菜のシチュー、ツナと玉葱のサンドウィッチと分厚い卵のサンドウィッチが皿に乗せられて目の前に置かれる。
前肢を濡れたキッチンタオルで拭かれ、スプーンを渡された。
「今日の恵みにっ」
スプーンをシチューに突っ込み、ふうふう吹き冷ましてからほくほくの馬鈴薯を口に入れる。
「美味い」
ホワイトソースがベースのシチューに、薫製肉の味と香りが少し移っている。馬鈴薯も人参も玉葱も甘く煮込まれているし、マッシュルームもぷりぷりだ。
サンドイッチもケットシーにツナはご馳走だし辛味を抑えた玉葱はシャキシャキだ。分厚い卵焼き、と言うか孝宏は蒸しているらしいが、これもパンに塗られたマスタードがピリッとして卵にも出汁が入っていて美味しい。
夢中で食べた後で、空の食器と入れ換えでエンデュミオン好みの温度のミルクティーが出される。そこではっとした。
「孝宏、シュネーバルは?」
「イシュカの部屋でヨナタンと一緒に、フリッツとヴィムの本を読んで貰ってるよ。黒森之國語の聞き取る方は結構出来るみたいなんだよ」
イシュカがヨナタンとシュネーバルをベッドに入れて本を読んでやった所、ヨナタンだけでなくシュネーバルも楽しそうに聞いていたらしい。
「ああ、話すのは慣れてないと単語が出てこないからな。そもそも北方コボルトだし」
「ヨナタンが、〈はい〉の時は前肢を上げるって教えたから、意思の疎通は出来るようになったかな」
はっきり言えばシュネーバルは野生児である。但しとても素直なので、教えた事柄は直ぐに覚えた。
「うう、眠くなってきた」
前肢で閉じた目を擦るが眠気は覚めず、大きな欠伸をする。
「昼寝したら?」
「うん……」
半分寝始めたエンデュミオンを抱き上げ、孝宏は寝室へ運んだ。服を脱がせてベッドに横たえ、掛け布団を掛けてやる。
艶々した額の毛を撫でてやっている内にエンデュミオンが寝息を立て始めた。
「頑張ったね、エンディ」
一人であちこちエンデュミオンが飛び回るのは、孝宏としては少し心配なのだ。リグハーヴスの住人達は、エンデュミオンが何をやっても「そういうもの」と見ている節があるのだが、小さな身体のケットシーには違いないのだ。
今日の様にお腹を空かしてふらふらになって帰って来られると堪らなくなる。
「温泉で皆でゆっくりしようか」
プスーと返事をするかの様にエンデュミオンの鼻が鳴り、孝宏は思わず笑ってしまった。
「御前」
執事のクラウスの声に熱鉱石の暖炉の前に立っていたアルフォンス・リグハーヴスは執務机に戻った。
「商業ギルドと冒険者ギルドから、〈Langue de chat〉に新たなコボルトが住人として増えたと連絡がありました」
「二週間以上前じゃないか」
机に置かれた報告書を読んだアルフォンスが隣に立つクラウスを仰ぐ。
「年始の休み中でしたしね。追記がありまして、冒険者ギルドでは担当職員が妖精犬風邪で寝込んでいた為、処理が遅れたそうです」
「待て、妖精犬風邪!? あれには報告義務があるだろう、今までなかったのか?」
「リグハーヴスで妖精犬風邪が出たのは初でございますから。多分、対応に追われて思い付かなかったのでしょう。冒険者ギルドの報告に魔女グレーテルの報告が添付されておりました。既に終息に向かっております」
アルフォンスの前に追加の文書が置かれる。
「……ハイエルンで妖精犬風邪が流行した等とどこで知ったのだ?」
「コボルトはハイエルン居住の妖精です、御前」
「〈Langue de chat〉の新たなコボルトが知らせたか、もしくは罹患していたか……」
「恐らくは。ハイエルンに照会しましたところ、かつてない蔓延具合だったそうです。その為ハイエルンからリグハーヴスに特効薬のカモミールは一切流れてきていません。領内消費で手一杯だったそうです」
「は!? リグハーヴスのコボルトと人狼の薬は足りたのか!?」
クラウスが更にもう一枚書類を机に載せる。
「足りたのではなく、足りる様にした、と言った所でしょう。〈薬草と飴玉〉で在庫を他領に流さずに保持し、ヘア・リュディガーがフラウ・ドロテーアにカモミールの備蓄を卸しています。ハイエルンに売ればかなり高値で売れた筈なのですが」
「それだけで足りたか?」
「足りない筈です。今回、人狼は重症化したそうですので。エンデュミオンが薬包を届けるのをこちらの使用人が見ております」
「エンデュミオンが動いたのか」
ならば、ケットシーに協力を求めたに違いない。大魔法使いフィリーネに、エンデュミオンの温室から直接ケットシーの里に行けるのだと聞いている。緊急事態だと判断し、ケットシー達にカモミールの放出を頼んだのだろう。
「何とまあ……」
ハイエルンからのカモミールの流出はないと見切った時点で動いたに違いない。ヴァイツェアにもフィッツェンドルフにも人狼は居る。故に他領に頼らず、リグハーヴス内だけで処理しようとしたのだろう。
「これが〈エンデュミオンの守り〉か」
孝宏を守るついでにリグハーヴスを守ってやると──。あの、小さなケットシーが。
アルフォンスは椅子の背に体重を預けて腕組みし、天井を仰視した。
「どんなお礼をしたものか」
「それでしたら、今度の〈氷祭〉でグリューワインを振る舞われたら如何です? 喜ばれますよ」
さらりとクラウスが提供案を出す。
「そんな事で良いのか?」
「リグハーヴスの住人が楽しめますから」
確かにエンデュミオンに何か礼をしたとしても、喜びはしないだろう。それよりは街の住人を喜ばせた方が、エンデュミオンを嬉しがらせそうだ。
「では、街の酒屋に手配を。グリューワインの無料屋台を出して貰おうか。ケットシー達には何が良いか、後程エンデュミオンに訊こう」
「承知致しました」
クラウスが執務室を去り、アルフォンスは机の上に残された書類を改めて眺めた。
エンデュミオンはシュネーバルと言うコボルトが妖精犬風邪と解った時点で〈Langue de chat〉に隔離し、カモミールの入手方法を模索した形跡がある。
コボルトの確認に来いとハイエルンと繋がりのあるヨルンに連絡すらしていないのはヨルンのコボルト、クーデルカに感染する危険があったからだろう。それでもリグハーヴス中のコボルトと人狼に感染したのだから、妖精犬風邪の感染力には舌を巻く。
「敵わないなあ、全く」
きっと忙しくてアルフォンスに知らせるのすら忘れていたのだろう。
妖精犬風邪が完全終息した暁には、シュネーバルに会わせて貰わなければ。
〈手の届く範囲〉が一寸広すぎやしないかと思いつつ、アルフォンスはエンデュミオンとケットシー達に感謝した。
孝宏と一緒にお湯に浸かってしまえば、それなりに楽しむエンデュミオンです。
エンデュミオンは孝宏を守るついでにリグハーヴスを守護しています。




