孝宏とシュネーバル
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
孝宏がグミの実で釣ったのは……。
159孝宏とシュネーバル
王都の新年祝賀会も終わり、〈Langue de chat〉ものんびりとした時間を取り戻していた。年末年始はゆっくり休みを取る國だから、イシュカの店も街の店も年末と年明け一週間は休みになる。
結局、テオとルッツは休み明けまでは〈暁の砂漠〉に帰省する事になったと精霊便が来た。何でもルッツとテオの弟ユストゥスが仲良くなって、一緒に遊んでいるのだそうだ。
〈Langue de chat〉では新年祝賀会の後、イシュカの弟フォルクハルトがそのまま遊びに来て新年市場を楽しんでいたが、昨日渋々ながら帰っていった。領主の仕事を少しずつ学び初めているらしいので、たまに息抜きに来れば良いと思う。
「温室行ってくるね」
「ああ。石畳から外れるなよ、埋まるから」
「うん」
テーブルにカトラリーを並べていたエンデュミオンとグリューネヴァルトに見送られ、肩にショールを羽織って孝宏は台所横のドアを開けた。店は休みだが一階の台所の食材を使う為、今日のお昼はこちらで食べる予定なのだ。
火蜥蜴のミヒェルが魔方陣を刻んでくれた石畳が温室まで並べてあるので、雪で滑る事なく歩いていける。
「雪降ってきたなあ」
ちらちらと灰色の空から降ってきた牡丹雪が、孝宏の鼻の頭に落ちて溶けた。
白い息を吐きつつ温室のドアを開けて中に滑り込む。風徐室で肩の雪を払い、手に持った籠を持ち直して奥のドアを開ける。
まず手前の温室で、ミントとローズマリー、カモミールを摘む。ミントは妖精猫風邪予防に欠かせないので、お茶やお菓子にしておやつにするのだ。
体感的には春の陽気なのだが季節感がおかしいエンデュミオンの温室は、四季の薬草が普通に生えている。それは隣の果樹がある広場でも同様だ。
温室にある果樹の実は妖精達が勝手に取って食べて良い事になっており、遊びに来たリグハーヴス在住の妖精達のおやつになっている。
「付け合わせにグミ生ってないかな」
背の低い繁みを確かめると、朱色のグミの実が沢山生っていた。すっぱい実だが、肉料理の付け合わせに孝宏はたまに貰っている。
「結構沢山取れたな」
流石に年明け早々は、誰も遊びに来ていない様だ。
ガサッ。
背後の繁みが揺れ、孝宏は勢いよく振り返った。
「誰か居るの?グミ沢山取れたからあげるよ。出ておいで」
掌にグミの実を乗せて、孝宏は芝の上にしゃがんだ。
ガサガサと繁みが揺れ、隠れていた者が現れる。
「え……?」
現れたのは小さなコボルトだった。ヨナタンよりも小さいし、毛色が灰色だ。繁みに半分隠れながら、上目遣いで孝宏を見上げている。
「……」
「こっちにおいで」
「……」
恐る恐る近付いて来たコボルトは、差し出した孝宏の掌を小さな前肢の指で掴み、直接グミの実を食べ始めた。
近くで見ると解ったが、本当は白い毛の様だ。薄汚れているので灰色に見えたのだ。しかも紅茶色の目には目脂が付いているし、薄茶の鼻からは鼻水が垂れている。
(この子病気だよね!ドクトリンデ呼ばないと駄目なやつだよね!)
うあああと内心呻きつつ、コボルトに問い掛ける。
「どこから来たの?」
「……?」
こて、とコボルトが首を傾げた。
「お腹空いてない?」
返事より先に、ぐうーとコボルトの腹が鳴った。
「暖かい所に行こうか。お風呂入って、温かいミルク飲もうか」
ミルク、と言う言葉にコボルトの口から涎が落ちた。
「抱っこしていい?」
「……」
コボルトが前肢を孝宏に伸ばしてきたのでショールを巻き付けてから抱き上げた。
「うわ、軽っ」
びっくりする程の軽さに、孝宏はコボルトを驚かせない様にしつつ早足で温室を出た。
「ただいま」
「お帰り──って誰だその子は」
台所に戻ってきた孝宏を見るなり、エンデュミオンが黄緑色の瞳を瞠った。
「温室に居たんだよ。お風呂入れてくるから、ドクトリンデ・グレーテルを呼んでくれる?あとヨナタンの通訳が要るかも」
「解った」
孝宏はコボルトをバスルームに連れていき、バスタブの中で怖がらない様に弱いシャワーを出して身体を洗ってやった。固まった目脂と、かぴかぴの鼻水も綺麗にしてやる。石鹸を洗い流す頃には、コボルトは真っ白になっていた。
「シュヴァルツシルト位の大きさかな?」
濡れてちんまりとしたコボルトを浴布で包んで水気を取り、乾いた浴布に包み直して一階の居間に戻る。
「グレーテルは往診の帰りに寄ってくれるそうだ」
「そっか。この子の身体を乾かしてくれる? エンディ」
「うむ」
エンデュミオンが風の精霊に頼み、コボルトの濡れた毛を乾かして貰った。そのままブラシでコボルトの毛をエンデュミオンが梳かしている間に、孝宏は牛乳を鍋で温めて楓の樹蜜を少し足らす。両側に持ち手のあるスープカップにそれを注ぎ入れ、コボルトの元へと運んだ。
「……っ」
「落ち着け落ち着け」
ローテーブルの端を掴んで、ぴょこぴょこと跳ねるコボルトをエンデュミオンが宥め、孝宏が目の前にスープカップを置いてやる。
「……」
人肌より少し熱い牛乳の匂いを鼻をひくひくさせて嗅ぎ、コボルトがじゅわっと口元の毛を濡らす。そそそ、とスープカップに鼻先を近付け、桃色の舌先で牛乳を舐める。
「っ!」
そこからコボルトは夢中で牛乳を飲み始めた。チャプチャプチャプチャプと言う音しか聞こえない。顔に牛乳の滴が跳ねても気にしていない程だ。
「あああ、身体に悪いからゆっくり飲んで欲しいんだけどな……」
「う、うむ。余程空腹だったのだな」
はらはらしながら孝宏とエンデュミオンが見守る内に、コボルトは牛乳をすっかり舐めてしまった。器がぴかぴかだ。
「お腹まだ空いているかもしれないけど、ドクトリンデ・グレーテルに診て貰ってからね」
顔に飛んだ牛乳を拭き取ってやり、孝宏は浴布にコボルトを包み直して、湯たんぽを入れた籠の中に寝かせた。この籠は普段は畳んだ洗濯物を入れて各部屋に置きに行く時に使っているのだが、大きさが丁度良かったのだ。余分の毛布があったので底に敷き、コボルトの即席ベッドにした。
「ヒロ、よんだ?」
カチカチと爪を鳴らしてヨナタンが一階に降りてきた。
「ヨナタン」
「コボルトいる」
白いコボルトに気付いたヨナタンが、籠の横に座る。そしてアウアウとコボルト言語で話し掛け始めた。コボルトの方もアウアウと返事をしている。はっきり言って、何を話しているのかさっぱり解らない。エンデュミオンもコボルト言語は理解出来ないらしい。
「どうやって温室に入ってきたんだ?」
「きづいたらいたんだって」
「自覚のない魔法使いコボルトか? 弱っているから、エンデュミオンでも気付かなかったぞ。孝宏が見付けて良かった」
もう少し感度を上げておくかと、エンデュミオンがぶつぶつ呟く。
アウアウと話す二人のコボルトの会話を要約すると、一人で暮らしていたコボルトが知らない間にエンデュミオンの温室に紛れ込んだらしい。敵意が全くなかったので、エンデュミオンの防御魔法をすり抜けたのだ。
「グラッフェン位の月齢じゃないのか? 親はどうしたんだ?」
「コボルトがりにあったときにはぐれたって。それからひとりだっていってる」
「こんなに小さいのに!? 名前とか呼び名はあるのかな?」
「コボルトげんごでおしえてくれたけど、くろもりのくにごならシュネーバル」
「雪玉?」
「じぶんでつけたっていってる」
「独立妖精か……」
エンデュミオンが前肢で顎を擦った。
「独立妖精?」
「主を持つと言う概念がない妖精だ。そういう妖精は自分で自分に名前を着ける。主従契約は結べないから、人とは友誼を結ぶんだ」
「そうなんだ……」
シュネーバルの額を孝宏は指先で撫でてやった。クウ、と気持ち良さそうに喉を鳴らす。
「生活している内に黒森之國語は覚えると思うがな。エンデュミオンの温室に来た以上、ここで保護するしかないだろう。冬の森になど戻せないぞ。……イシュカに頼みに行ってくる」
ぽしぽし頭を掻きつつ、エンデュミオンは二階へ上がっていった。エンデュミオンの縄張りでも、家主はイシュカなのだ。
エンデュミオンから報告を受けたイシュカは、慌てて商業ギルドと冒険者ギルドへ住人登録を出しに行ったのだった。
「またコボルトだって?」
「またです」
他の患者の往診帰りに寄ってくれたグレーテルとマーヤに、孝宏もエンデュミオンも苦笑いするしかない。
「?」
グレーテルを見て、起き上がったシュネーバルがこてりと首を傾げる。その動きで小さな茶色の鼻から、たらりと鼻水が垂れた。
「こんな感じです」
水を通しすぎてくたくたになった布を端切れにした物で、孝宏はシュネーバルの鼻を拭ってやる。
「これは……」
真顔になったグレーテルが、診療鞄からのど飴が先端に巻き付けてある棒を取り出した。
「ヨナタン、口を開けて見せて欲しいと頼んでおくれ」
アウアウ、とヨナタンが通訳するなり、シュネーバルがかぱりと口を開けた。
「そうだねえ、この子はグラッフェンと同じ位の月齢だね。霊峰蜂蜜を使えるよ。可愛そうに喉が真っ赤じゃないか。ほら良い子だ、飴を舐めておいで」
白い巻き尻尾をふりふりしながらシュネーバルが飴を舐めている間に、グレーテルは目薬を注したり耳の中に薬を塗ったりと手際よく手当てを済ませた。
グレーテルはヨナタンとマーヤにものど飴を渡してから、孝宏とエンデュミオンと一緒に台所に移動した。
「ヒロ、エンディ。シュネーバルは妖精犬風邪だよ」
「その病名って妖精猫風邪に似てますね」
「それのコボルト版だよ。つまりコボルトに感染するんだ。おまけに人狼にも感染する」
「ええっ」
リグハーヴスには数は少ないとはいえ、コボルトも人狼も暮らしている。
「シュネーバルはハイエルン側の〈黒き森〉に居たのだと思うが……」
リグハーヴス側の〈黒き森〉にはケットシーの集落しかない。エンデュミオンの言葉に、グレーテルは眉を寄せた。
「単独で暮らしていたあの子が感染しているとなると、あちらでは随分流行しているかもしれないね」
「特効薬はあるんですか?」
「カモミールさ。ここの温室にも生えていたね。ハーブティーにしても良いし、紅茶に混ぜても良いから飲ませておあげ。当然ヨナタンもだよ。あたしは診療所に戻って、リグハーヴスに暮らしているコボルトと人狼に精霊便を送るとしよう。シュネーバルには軟らかい粥から少しずつ食べさせると良い」
妖精犬風邪大流行の危機に、グレーテルとマーヤが慌ただしく帰って行くのを見送ってから、孝宏はカモミールをブレンドしたミルクティーと米を軟らかく煮た卵粥を作った。
「美味しい?」
「……!」
一口ずつ卵粥を食べさせてもらい、すっかりシュネーバルは孝宏になついた様で、尻尾を盛んに振っている。
「あれ? エンディ、そういえばシュネーバルって北方コボルト? 南方コボルト?」
「コボルト言語でもこれだけ話さないとなると、北方コボルトだな。白子だから白いだけで」
「じゃあ、強い太陽光は避けた方が良いんだね」
「そうだな、そう聞くな。しかし、暫くはシュネーバルもヨナタンも二階に隔離だなあ」
霊峰蜂蜜を入れたカモミールミルクティーを舐めつつ、シュネーバルの籠から心配そうな顔で離れないヨナタンにも感染の恐れがある。
「もし本当にハイエルンで大流行しているとなると、まずいかもしれないな」
エンデュミオンは独り言ちた。
ハイエルンにはコボルトも人狼も多い。特効薬のカモミールはハイエルンで買い占められる恐れがある。そしてリグハーヴスには〈薬草と飴玉〉しか薬草店兼薬局がない。
「孝宏、エンデュミオンは少し出掛けてくる」
「どこに?」
「〈薬草と飴玉〉と〈針と紡糸〉だ」
言うなりエンデュミオンは〈転移〉して姿を消した。
エンデュミオンはまずドロテーアにカモミールの在庫をハイエルンには流さずにいてくれと頼み、リュディガーとギルベルトにも暫く卸すのは〈薬草と飴玉〉だけにしてくれと伝えた。ギルベルトの〈時空鞄〉に薬草の在庫があるのを知っていたからだ。昔からギルベルトは、集落のケットシー達の為に薬草を備蓄する癖がある。
「妖精犬風邪がリグハーヴスまで来るのか?」
「人の出入りがある以上は来るだろう」
ドロテーアとリュディガーが持つ在庫でも、リグハーヴスのコボルトと人狼の予防薬兼特効薬としてはぎりぎりかもしれない。何しろ流行期の間は飲み続けなければならないからだ。それに、他の患者にも処方されるだろう。
エンデュミオンはギルベルトと額を付き合わせた。
「アロイスの干し肉一樽と、薫製肉を使ったシチュー大鍋一杯でどうだろう」
「一回につき、だな」
「解った、仕入値としてドロテーアに伝えておく」
エンデュミオンとギルベルトの密談から暫く後、ハイエルンからリグハーヴスへと妖精犬風邪は猛威を奮う事になる。
イシュカは商業ギルドに入っているので、実際のシュネーバルの登録は商業ギルドだけなのですが、何かあった時の為に冒険者ギルドにも知らせています。




