テオとルッツと新年祝賀会(前)
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テオが新年祝賀会に来るのは初めてです。
157テオとルッツと新年祝賀会(前)
「テオフィル、きつくないかしら?」
「大丈夫だけど……。ユストゥスは良いの? あれ」
「良いんですよ」
テオの着ている正装の帯を結んでいたグートルーンは、にっこりと微笑んで浅緋色の裾の長い上着を手に取る。しかし目が笑っていなくて少し怖い。長い蜜蝋色の髪を細かく編んで一つに束ねたグートルーンは美人なので、余計に迫力がある。
帰省した初日、ルッツとユストゥスの間に何かあったらしい。
レヴィンに呼ばれて遅めのお昼御飯に向かった居間で、ユストゥスは翡翠色の兎型の木の妖精ティルピッツを太股の上に乗せて正座をしていた。ティルピッツは通常の兎よりは大きい。妖精なので体重は軽めだが、それなりの重さがある。
どうやらロルツィングもグートルーンも理由を知っている様で、ユストゥスが座っている時は必ずティルピッツが太股に乗っていた。
(あれやられる時って、悪さしたときなんだよな……)
幼少のみぎり、やられた経験のあるテオである。
(ルッツもあからさまだしなー)
ルッツはユストゥスを見るとぷいっと横を向くのだ。基本が人懐こいルッツがこの態度を取る時は、まず相手側から嫌な事をされたに他ならない。ユストゥスがルッツに何か言ったのだろう。呪われていない様なので、知らないうちにテオがルッツを宥めたのかもしれない。
確かなのは、謝らない限りティルピッツは太股から降りない事だ。代々の子供達の子守りをしているティルピッツとレヴィンは躾に厳しい。
「テオ、かっこいい」
「有難う」
誉めてくれたルッツの耳の間を撫でてやる。
〈暁の砂漠〉の民の正装は、白くゆとりのあるシャツとズボンの上から、鮮やかな色をした砂漠蚕の裾の長い上衣を羽織る。グートルーンが結んでくれていたのはシャツの腰に着ける帯だ。この帯には護身用の短剣を挿す。この短剣を抜く時は命を懸けて戦うという慣例のある代物で、普段は手入れの時以外は鞘に納まっている物騒な一品である。
テオの上衣は浅緋色で、族長であるロルツィングの上衣は濃緋色だ。
ルッツはリグハーヴスの〈針と紡糸〉で作って貰った黒森之國の一般的な正装を着ている。黒いベストには黄色い花の刺繍が入れてある。この刺繍はテオの帯にも縫いとられている花と同じだ。ケットシーに〈暁の砂漠〉の正装をさせたら動きにくいだろうと思ったのだ。
「ルッツ、私はどうだ?」
「ロルツィングもかっこいい」
「有難う」
「にゃー」
ロルツィングにぎゅっと抱き締められて、ルッツが嬉しげな声を上げた。
「旦那様、そろそろお時間ですよ」
「ああ。そろそろ行こうか、ティルピッツ、レヴィン」
「うむ」
レヴィンが蹄を鳴らして立ち上がり、ティルピッツもユストゥスの膝から飛び降りた。呻いてユストゥスが床に転がる。脚が痺れているに違いない。無慈悲にも前肢でティルピッツがユストゥスの足を突いた。
「ティルピッツ達が帰ってくるまで反省していろ。テオフィルは新年祝賀会の後もこちらに帰ってくるのか?」
「うん。三日くらいは居るよ。まだルッツに砂漠を案内してないしね」
「ううううう」
「あ、ルッツ?」
床で悶えているユストゥスにルッツが近寄った。おもむろにユストゥスの足の親指を肉球で掴み、ぐいっと上に反らせる。
「ぎゃーっ」
「こうするとはやくしびれとれるってヒロいってた」
ユストゥスの両方の足の指を容赦なくぐいぐい反らせてから、ルッツはテオの元へと戻ってくる。すっきりした顔をしているのは気のせいかもしれない。一応、孝宏が言っていた事を教えたのは確かなので。
「夕方には戻ってくるよ」
「〈転移〉するぞ」
レヴィンが蹄をカカッと鳴らした。新年祝賀会では大魔法使いフィリーネが王宮の前庭に即席の〈転移陣〉を描き、招待客はそこに〈転移〉する。ルッツは王宮の前庭に行った事がないため、今回はレヴィンにまとめて〈転移〉してもらったのだ。
目の前の景色が滲み、直ぐに広く色石でモザイク画が描かれた王宮の前庭が現れた。足元には銀色に光る〈転移陣〉が浮かび上がっている。
〈転移陣〉の向こうには赤いテントが張られ、受付の簡易テーブルが置かれていた。受付をしているのは、王宮の官吏だ。
「あ、イシュカ達だ。イーズも一緒に来たんだな」
見慣れた後ろ姿を視線の先に見付ける。テオ達の前に〈転移〉してきたのはイシュカ達だったらしい。
マリアンに誂えて貰ったフロックコートがよく似合っているイシュカは、こういう格好をすると貴族の血を引いているのを感じられる。
黒森之國の貴族や準貴族正装は、騎士であれば騎士の、魔法使いであれば魔法使いの礼装になるが、それ以外であれば黒いフロックコートだ。内側に着るウエストコートの色は決められていないので、様々だ。
フロックコートも黒いとはいえ、襟や袖口、裾に刺繍を入れる。その刺繍は家紋に花鳥等を加えた物と決められている。
イシュカと孝宏のフロックコートにも、ヴァルブルガとエンデュミオンのベストにも、同じ桃色と白の花と青い鳥が刺繍されていた。唯一、イシュカの左襟にだけ、金糸でヴァイツェア公爵家の家紋である〈鷲と麦穂〉が追加されているのが違う所だ。
ヴァイツェアの第二位継承者になったイシュカは、母親の家紋を主体に使う事に決めていたが、公の場に出る時は身分を表すため公爵家の紋も使わなければならなかった。何故なら、イシュカの顔を紋章官がまだ知らないからである。
「イシュカ・ヴァイツェアとケットシーのヴァルブルガです。こちらは家人の塔ノ守孝宏とケットシーのエンデュミオンです」
イシュカが公爵名を名乗るのを初めて聞いたなあ、とテオが眺めて居ると紋章官が慌てて紋章録と貴族録を捲って確認しているのが見えた。
「おやおや」
苦笑してティルピッツを小脇に抱えたロルツィングが受付に向かった。
「ロルツィング・モルゲンロートだ。彼は間違いなくヴァイツェア公爵の御子息だと私が保証しよう」
「ヘア・ロルツィング、お久し振りです」
ロルツィングとイシュカのやり取りと、丁度紋章録でイシュカの紋が確認された事で、イシュカと孝宏は受付を通してもらえた。エンデュミオンも今はケットシーなので黙っていたのだろうが、この黄緑色の瞳のケットシーの存在を覚えておかないと、紋章官として不味いのではないかとテオは思ってしまった。
〈暁の砂漠〉出身の司祭であるイージドールは王都でも顔が知られているので、シュヴァルツシルトの確認がされただけで済み、ロルツィングとテオも、テオとルッツの確認に時間を取った。
継承者ながら公の場所に滅多に出てこないからだとロルツィングにちくりと嫌味を言われつつ、ルッツを片腕に抱いたままテオはイシュカ達の元へ向かった。
「やあ」
「テオ達も今来たんだな。ここから何処へ行けば良いんだ?」
「そういえば俺も知らない」
イシュカもテオも王宮の中に入るのは初めてだった。ロルツィングとイージドールは後方で話しているので、訊く為に立ち止まる。
「……まずそこの大階段を登ったら玄関に当たるホールがある。その正面にある大扉の向こうが大広間だ。入る時にはメイドが扉を開けてくれるから安心しろ」
ロルツィングに訊きに行く前に、孝宏の腕の中からエンデュミオンがぼそりと教えてくれた。
「ほら、堂々と歩け。貴族は紹介されるからな」
準貴族の方が入場時間が早いのだ。準貴族達がいる場所へ、貴族が紹介されて入場する形式だ。
「今日はグリューネヴァルトは連れて来なかったんだ」
「流石にエンデュミオンが木竜を連れてくるのは不味かろう。グリューネヴァルトは王都にいる事になってるからな」
元大魔法使いエンデュミオンがケットシーになって木竜グリューネヴァルトを従えてやって来た等と言う状況は、王都を襲撃に来たと思われかねない。エンデュミオンもそれ位は理解している。
「だからこうして大人しくしているのだ」
口を開かなければ可愛いケットシーである……筈だ。目付きは少々悪いが。
「王都を焦土と化す位、このエンデュミオン一人でも出来」
「しーっしーっ」
それは言ってはならない。多分皆知っているだろうけれども。エンデュミオンの主である孝宏はリグハーヴスに降りたとされているが、ヴァイツェアの継承者であるイシュカが保護者なので、微妙な立場にあるのだから。
扉の前でロルツィング達が来るのを待つ。
イージドールの腕の中でシュヴァルツシルトがきらきらした瞳で城の中を見回していた。今日はシュヴァルツシルトも黒い司祭服を着ていた。ストラの代わりなのか、司祭服の胸に銀糸で〈星を抱く月〉の刺繍が縫いとられている。
イージドールはヨナタンが織ったストラを双肩に掛けていた。黒地に銀糸で〈星を抱く月〉が刺してあるだけのストラだが、月の女神シルヴァーナに人生を捧げた身の清楚さを現している様だった。
「では頼もうか」
にこりとロルツィングが扉の引き手に手を掛けたメイドに微笑み掛ける。
ゆっくりと磨かれた飴色の木と真紅と金に彩られた扉が開いた。
扉の隙間から、眩い光が溢れだす。その光にテオは目を細めた。
紋章官を慌てさせる〈Langue de chat〉の面々です。
イシュカ達はリグハーヴスから来ているので、ヴァイツェア組のハルトヴィヒやフォルクハルトとは別々で来ています。
身長が高いので、黙って立っていると堂々としていると勘違いされるイシュカです。
ユストゥスに対するルッツの所業は、九割は親切心でやっています。




