テオとルッツの里帰り(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ルッツとユストゥスの初対面。
156テオとルッツの里帰り(後)
「テオ、たんけんしてきていい?」
子供が飽きやすいのはケットシーも同じで、おやつを食べたルッツはテオを膝の上から見上げた。
「この建物だけね。渡り廊下の向こうは後で俺と行こうね」
「あい」
テオの膝から降り、ルッツはトテトテと床を歩いて透かし彫りの戸に前肢を掛けた。手入れされた戸はルッツの力でも軽く開いた。
「開けておいて構わないぞ、ルッツ」
「あーい」
ロルツィングに返事をして、ルッツは廊下に出た。水の妖精レヴィンがいる部屋の中より、外に面した廊下は暑い。
〈暁の砂漠〉の民の住居は日射しを避けるために軒が長く作られていて、廊下は日陰になっていた。
廊下には欄干が廻らされていて、玄関に当たる部分に階段が作られている。
「にゃんにゃん」
テオたちが居る部屋を囲むようにある廊下を、ルッツはトテトテ歩く。木立の中にある広場に集落があるので、風が吹くとサワサワと葉擦れの音が聞こえてくる。
「にじ」
床に七色の光がちらちらと動いていた。
軒の下に硝子の棒が数本ぶら下げられていて、陽の光が当たっているのだ。風が通ると硝子棒がチリチリ鳴った。
「きれい」
吹いてくる風は温い。北生まれのケットシーとしては、暑く感じる。
ロルツィングの部屋から繋がる渡り廊下の向こうは、人気が多いらしい。ルッツは大きな耳を動かし、気配を知る。気になるが、後でテオが一緒に行こうと言っていたので、くるりと身体の向きを変えた。
カラリ。
背後の建物の戸が開く音がしたが、ルッツはそのまま廊下を進もうとした。
「妖精? どこから入ったんだ?」
掛けられた声に、ルッツは振り返った。そこには細身の少年が居た。〈暁の砂漠〉の民は大抵痩せて引き締まった身体をしているが、この少年も例外ないらしい。蜜蝋色の髪とヘイゼルの瞳も同様だ。
「ルッツ、テオときたもん」
質問に応える。ルッツは不審な妖精ではない。
「テオってテオフィル兄?」
「ルッツ、テオのケットシーだよ。だあれ?」
「俺はユストゥス」
「ユストゥス」
ルッツには一寸発音しにくかった。舌足らずな怪しい発音で復唱する。そしてさっき聞いた名前だと思い出した。
「テオのおとうと?」
「そうだよ」
渡り廊下を渡りユストゥスが近付き、ルッツの首のギルドカードを指で掬った。
魔銀製のギルドカードは表にルッツの名前、裏に所属ギルドであるリグハーヴス冒険者ギルドと主であるテオの名前が刻印してある。
ユストゥスがルッツをじっと見てから口を開く。
「お前さあ、テオフィル兄から憑くのを止めたりしないの?」
「しない」
即答するルッツにユストゥスが食い下がる。
「お前が憑くの止めたらティルピッツとレヴィンが憑けるだろ? そうしたらテオフィル兄が族長になれるんだぞ」
「やだ。テオ、ルッツのだもん」
妖精が憑くのは早い者勝ちなのだ。憑く憑かないは、妖精の方に選択権がある。他人にどうこう言われる筋合いはない。
「テオ兄がお前を要らないって言ったらどうするんだ?」
「テオ、いわないもん。ルッツ、ユストゥスきらい」
「あっ、おい!」
くるりと踵を返し、ルッツは廊下を駆けてロルツィングの部屋に飛び込んだ。
「お帰りルッツ、冒険どうだった? ……ルッツ?」
常ならば真っ直ぐ抱き付いて来るルッツが目の前でぴたりと立ち止まったので、テオが腕を広げたまま怪訝そうな顔になる。
「やーなの」
タシッとルッツは床を肉球で蹴った。タシッタシッと続けさまに蹴る。
「やーなの、やーなの!」
「何が嫌なんだ?」
「やーなの! やーにゃの!」
タシタシと床を蹴り、じたんだを踏むルッツが遂に泣き出し、発音が幼くなる。
「やにゃようー、やーにゃー」
「ルッツ、肢痛くしちゃうよ。抱っこさせてくれる?」
テオは泣くルッツを抱き上げて膝に乗せた。ぎゅっとテオにしがみついてきた、ルッツのきちんと先端を切った爪がシャツに食い込む。
「テオ、どっかいっちゃやーにゃのー」
「ルッツを置いてどこにも行かないよ。どこか行く時は一緒に行こう。ね?」
「あいー」
ずび、と鼻を啜るルッツの背中を優しく撫でていたテオの手がふと停まる。
「ルッツ、何か熱くない?」
「あついー」
「む? どれ」
レヴィンが鼻先をルッツの耳に押し付け、青銀の尻尾をピシリと振った。
「体温が上がっているな。ここの暑さに中ったのだろう」
「リグハーヴスは涼しいからなあ……」
「テオフィル、ルッツと沐浴しておいで。部屋に冷たいものを届けておくから昼寝をすると良い」
「そうする」
ロルツィングの薦めに、テオはすぐに立ち上がった。部屋を出てロルツィングの家族が住む方向とは別の渡り廊下を進んで、テオに宛がわれている建物へと入る。テオの部屋は離れにあたり、独自に小さな沐浴場があった。
沐浴場への扉を開けると、そこには塀で囲まれた水盤がある。基本的に晴れの日が多い〈暁の砂漠〉なので露天であり、水盤の中央にある噴水の飛沫に太陽の光が当たって小さな虹が出来ていた。
「ルッツ、ほらご覧虹だよ」
「にじー」
「まずは身体を水で流してからね」
脱衣場で服を脱ぎ籠に入れ、洗い場で温いシャワーを浴びる。それからテオはルッツを抱き上げ、階段状になっている水盤の縁を降りた。深さはテオの腰位までしかないので、階段の途中に腰を下ろす。テオの膝に乗せたルッツのお腹辺りの水深になるようにして、掌で掬った水を掛けてやる。水盤の水は太陽の光で温められ、気持ちの良い冷たさだった。
「気持ち良い?」
「あいー」
「虹の近くに行こうか?」
「あい!」
結構機嫌が治ってきたようだ。ルッツは具合が悪いとご機嫌も斜めになる傾向がある。テオはルッツを片腕に抱いて、噴水の近くまで歩いていった。太陽を背にした飛沫がきらきらと輝き、七色の弓を見せている。
「てんきあめみたい」
「そうだね」
二人の上から噴水の滴が降ってきて笑い会う。
ルッツの前肢を引いて泳がせたりして暫く遊んでから、テオはルッツと自分の身体を乾かして綿地のローブを身に着け部屋に戻った。
「お届け物だぞ」
部屋にはレヴィンが居た。持ち手つきの籠に水筒と、白磁の器に入った冷やした桃のシロップ煮を入れて運んできてくれたらしい。
「有難う。ルッツ、桃も好きなんだよ」
「それは良かった。グートルーンが心配していたぞ」
「後で養母さんにお礼言わなきゃ」
ロルツィングの妻であるグートルーンは、引き取った幼いテオを育ててくれた恩人である。先程のお菓子もこの桃も、料理好きなグートルーンが用意してくれたのだろう。
ぷるりとした白い桃を木匙で掬い取り、ルッツの口元に運ぶ。
「ルッツ、あーん」
「あーん。……おいしーねー」
両前肢で頬を押さえ、ルッツが美味しさを表現する。余り喋らないヨナタンも同じ事をするので、二人並んで「おいしい」をしている時、孝宏とカチヤはいつも嬉しそうにしていたなと思い出す。
ルッツと桃を半分こして食べ、冷たいお茶を飲んで一息吐く。
「さあ、少し昼寝をするといい。風の精霊に頼んで微風を通しておいてやろう」
「有難う、レヴィン」
ルッツと並んで蚊帳の下がる寝所に入り、テオは上掛け用のシーツを腰まで掛けた。暑い〈暁の砂漠〉では大概これで充分だ。
部屋に置いた蓮の花の形をした香炉から、虫除けの香が細く立ち上っている。
時折蚊帳を通して心地よい風が抜けていく。レヴィンの心遣いだ。
「食事の時間には起こしてやるからよく休め」
「うん」
帰省するギリギリまでお得意様の年内最後の配達に飛び回っていた。直接依頼以外はギルドに行って依頼を引き受けないと仕事はないので、リグハーヴスに戻るまでは配達屋の仕事はお休みだ。
(お、来たか)
さて寝るかと思ったところで、もそもそとルッツがテオの腹の上に移動してくる。ルッツは寂しくなるとテオの腹の上に場所を取り、体温を感じながら寝る癖がある。
(うーん、朝までは元気だったんだけどなあ)
腹の上で腹這いになって眠り始めたルッツの寝息を聞きながら、指先で滑らかな毛が生えている耳に触れて熱が下がった事を確かめた。昼寝から目覚める頃には、気分も良くなっているだろう。
(砂漠蚕の服をルッツにも作らないと……)
あれがあれば熱中症になりにくくなる。
欠伸を一つして、テオもささやかな眠りにつくのだった。
その頃、風の精霊の告げ口により、ティルピッツとレヴィンにユストゥスがお仕置きされていたのだが、テオが知るのは暫し後の事である。
非が無い場合、精霊は妖精の味方をするので、しっかりとレヴィンに告げ口されたユストゥスです。
「それは言っちゃ駄目なやつ」なので、しっかりとじいちゃん妖精達に怒られるユストゥスなのでした。




