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〈王と騎士〉とシャボン玉

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

黒森之國にもボードゲームはあります。


153 〈王と騎士〉とシャボン玉


「ヘルブラウ、今いいかしら?」

 軽い足音を立てて店から居住区である二階へ上がってきたマリアンだったが、ソファーに座っていたリュディガーが「しーっ」と唇の前に人差し指を当てたのを見て声を飲み込んだ。

 ソファー前のラグマットで、ギルベルトとヘルブラウが向かい合って座っていた。二人の間にはいくつもの駒が乗る、格子模様のある盤が置いてあった。

 黒森之國くろもりのくにで〈王と騎士〉と呼ばれているボードゲームだ。テオが持っている物を見て、孝宏たかひろが「将棋かチェスみたいだな」と感想を述べたゲームだったりする。

 王や竜騎士、騎士、司祭、城等の駒があり、駒ごとに動かせる範囲が違う。盤や駒の素材は木製や石製と様々だ。ギルベルト達が使っているのは、ここ数日リュディガーが作っていた木製の物だった。木の色で敵味方が区別出来る。

 そして特徴的なのは、駒がケットシーなのだ。王は王冠と笏を持ったケットシー、司祭は〈星を抱く三日月〉の意匠が入った聖書を持ったケットシーといった風だ。ちなみに一般的なのは王なら王冠、司祭なら聖書の形の細長い駒だったりする。

 コトリ、とギルベルトが竜に乗ったケットシーの駒をヘルブラウ側の王様ケットシーの駒に当てた。

「王手」

「にゃーう」

 ギルベルトの勝ちだ。どうやらギルベルトは駒を減らしてやってはいるが、手加減はしていないらしい。

 ペシンペシンとヘルブラウの短い尻尾がラグマットを叩いた。悔しそうだ。

「出来上がったのね」

「うん、試しにギルとヘルブラウに使ってみて貰った。ケットシーでも持てるね」

 ギルベルトは箱形の盤をひっくり返し駒を収め、蝶番で半分に閉じた。留め具を掛ければそのまま片付けられる。

「リュディガー、ギルベルトこれ欲しい」

「へるぶらうもほしい」

「良いよ、作ってあげるよ」

 二人のおねだりにリュディガーは請け負う。リュディガーは雪のない季節は薬草採取をしているが、冬場は木工細工をして売っている。リュディガーの作るブローチや飾りボタンは、女性に人気があるのだ。わざわざ別の領から買いに来る者も居る。

「〈王と騎士〉は<Langue(ラング) de() chat(シャ)>で置いてくれるって」

 流石に仕立屋である〈ナーデル紡糸(スピン)〉にボードゲームは違和感がある。<Langue de chat>には手帳やインク等が置いてある棚があるので、イシュカは二つ返事で委託販売を引き受けてくれた。リュディガーの歳上の甥は、下宿人のテオと時々晩酌しつつ〈王と騎士〉をしているらしい。テオが携帯版の〈王と騎士〉を持っていると言っていた。

「まーりぃ!」

 マリアンに気が付いたヘルブラウが目を輝かせた。前肢をついて立ち上がり、とたとたと数歩歩いてラグマットに膝を着いたマリアンの脚に抱き付く。

 ヘルブラウはここに来た最初の晩からマリアンと一緒に寝る位懐いているが、憑いている訳ではなかった。ギルベルト曰く、「母親認識されている」らしい。親から幼くして離れたケットシーは、往々にして親の代理を作り甘えるのだ。

「ヘルブラウ、セーター作ったの着てみてくれる?」

「あい」

 マリアンは蜂蜜ホーニック色のセーターをヘルブラウに被せ、前肢を通した。蜂蜜色の眠り羊の毛糸を見た時に、これはヘルブラウに似合うだろうと思ったのだ。

「ハニカム模様なんだ、可愛いね」

 リュディガーの頬が緩む。

 ヘルブラウはオレンジ色に見えるくらい明るい茶色の毛に、水色の瞳のケットシーだ。ハニカム模様を編み込んだ蜂蜜色のセーターと焦げ茶色のズボン。そしてズボンのお尻から出ている短い尻尾。これで背中に羽を着けたら可愛いケットシーの蜜蜂ビーネだ。

「大きさは丁度良いみたいね」

「まーりぃ」

 マリアンの膝によじ登り、ヘルブラウはお腹に抱き付いた。今日のマリアンは昼食の時以外は店で作業していたので、甘え足りないらしい。リュディガーとギルベルトがお守りをしていても、マリアンに甘えるのは別腹なのだ。

 ケットシーが子供の時に思い切り甘えさせて貰うのは重要な事で、成体になって主等から不当な扱いを受けた時『大切にされていない』と認識する基準になると言う。ケットシーは主に可愛がられる権利がある妖精フェアリーなのである。

「アデリナももう上がってくるよね。シチュー温め直すよ」

 リュディガーはソファーから立ち上がり台所へ向かう。その後ろにギルベルトがついていく。

 リュディガーは薬草採取で留守にしていない時は、夕食作りをする事もある。今日みたいにマリアンもアデリナも、作業で手が離せない日も多いからだ。

「今日は孝宏に教わった牛乳を使ったシチューだよ。ギルもヘルブラウも好きなやつ」

 ホワイトソースを使ったシチューはケットシーに人気があるのだ。<Langue de chat>でも良く作るのだと、孝宏が言っていた。ヴァルブルガも好きなこのシチューだけは、料理が不得手なイシュカも危なげ無く作れるらしい。

 弱火でシチューを温め直しながら、リュディガーは塩胡椒をした鮭の切り身に刻んだパセリを混ぜた小麦粉をまぶし、熱してバターを溶かしたフライパンに並べて焼く。付け合わせの人参を甘く煮た物と、塩茹でしたグリンピースと玉蜀黍の粒を和えた物は、皿に既に添えてある。

 ギルベルトは切って布巾を掛けておいた黒パンシュヴァルツブロェートゥ白パン(ヴァイスブロェートゥ)の入った籠をテーブルに運ぶ。人の少年程の大きさのあるギルベルトは、立っていてもテーブルに前肢が届くので物を運んだりといった手伝いが出来た。

「お店閉めてきました」

有難う(ダンケ)、アデリナ」

「あでぃー」

 一階の店から二階に上がってきたアデリナに、ヘルブラウが前肢を伸ばす。その前肢を軽く握り、アデリナはヘルブラウの頭を撫で、耳の付け根を掻いてやる。

「にゃー」

「やっぱり可愛いですね。ヘルブラウに良く似合ってますよ、このセーター」

「毛糸の色も良いのよね」

 この染色職人が染めた毛糸や布は、マリアンとアデリナのお気に入りで、<Langue de chat>のコボルト、ヨナタンに卸しているのもこの職人が染めた糸だ。

「ご飯出来たよー」

 リュディガーの声で、全員が食卓に集まる。

「はあい。んー、美味しそうね」

「ヘルブラウの鮭、骨取れてると思うけど、気をつけて」

「あい」

 スプーンで全て食べられる様に、ヘルブラウの鮭は一口大に切られ、縁の高さのある皿に盛られている。

「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」

「今日の恵みに!」

 これが、〈針と紡糸〉のこのところの日常だった。


 翌日の昼食後、ギルベルトはヘルブラウを抱き上げた。

「エンデュミオンの温室に行ってくる」

「気を付けてね」

「うん」

 ギルベルトは時々ヘルブラウを連れて<Langue de chat>に行く。子守りに気を取られずにリュディガーやマリアン達がやりたい作業が出来る様に配慮しての事だ。マリアンとアデリナは領主の礼服の依頼を受けていて、そちらの作業に入るらしい。

 <Langue de chat>の居間の方に行けば誰か彼か居るし、先日エンデュミオンと作った温室では歩き回らせておける。

 ポンッ!

 直接〈転移〉した温室には、先客が居た。

「来たか、ギルベルト」

 芝生の上に敷物を敷いた上に、木製の洗濯挟みで束ねた紙を読んでいたエンデュミオンが居た。エンデュミオンの傍らには、クッションを枕に毛布を掛けて寝ている孝宏が居る。

「孝宏は?」

「昨日夜更かしして原稿を書いていたんだ。ふらふらしていたから休ませてるのだ」

「ハンモックは使わないのか?」

 温室の木と木の間のごく低い位置にハンモックが吊ってあり、妖精達は結構そこで昼寝をしている。

「孝宏はハンモックに慣れていなくてな。落ちると危ないから」

「ほう」

「にゃー」

 芝生の上に下ろされたヘルブラウは真っ直ぐに孝宏に近付いて毛布の中に潜り込んだ。孝宏のお腹の上に位置を決め、毛布から耳の先だけ出してそのまま昼寝を始める。ヘルブラウは軽いので、孝宏も起きる様子もなく寝ている。

 普通、主でも保護者でもない人族にこれほどなつかないのだが、孝宏は妖精や精霊との親和性が非常に高いのだ。実は魔法が使えない者程この傾向が強く、イシュカも妖精や精霊に好かれやすい。

「グリューネヴァルトは家なのか?」

 いつもはエンデュミオンの頭にくっついていたりする木竜の姿がない。

「ああ、ミヒェルとお喋りしてるぞ。ギルベルト達の方はマリアン達が細かい作業にでも入ったのか?」

「ああ。領主の新年祝賀会の衣装を作るらしい」

 幾種類か意匠を描いて、領主館に持っていくと数日前にギルベルトは聞いていた。リュディガーも〈王と騎士〉の木工細工をするのに、ヘルブラウがうろうろしているのは危ない。今日の様にあっさり昼寝をしてくれると良いが、いつまでもぐずって寝ない時だってあるのだ。

 エンデュミオンは紙の束を〈時空鞄〉にしまい、敷物の上に置いてあった手付きの籠から水筒と木製のコップを取り出した。

「冷たいミントティープフェッファアミンツテーだ。少し蜂蜜を入れてある」

 温室は暖かいので冷した飲み物らしい。ミントティーなのは、妖精猫風邪ケットシーエッケルトン予防だろう。

 コップにガラスのストローを入れてくれたので、エンデュミオンと二人、ミントティーを飲む。コポコポと小さな泉から湧き出る水音と、時折吹く微風が心地好い。

 ギルベルトは倒れない様に敷物の上の盆にコップを置いて、〈時空鞄〉から〈王と騎士〉の箱を取り出した。

「エンデュミオンは〈王と騎士〉は出来るか?」

「出来るぞ。懐かしいな」

「これはリュディガーが作ったんだ」

「ほう、上等の駒だな。王都では金や水晶で作った駒もあったが、ケットシーは木の方が肉球に馴染む」

 箱を広げた盤の上に駒を並べる。

「どっちだ?」

「では表を」

 エンデュミオンが木製のコインを軽く放る。敷物の上に落ちたコインは王冠を被ったケットシーが彫り込まれていた。裏面は剣が彫ってあるので、王様ケットシーの方が表だ。

「ギルベルトが先手だな」

「うん」

 それから暫くは、コツ、コツと言う駒を動かす音が温室を支配した。


「ん……?」

 何かお腹の上がふかふかしていると思ったら、ヘルブラウが寝ていた。ヘルブラウが転がらないように抱えて起き上がった孝宏の目の前では、エンデュミオンとギルベルトがチェスに似たボードゲームに向き合っていた。

「王手」

「むー。エンデュミオンは強いな」

「ギルベルトも強いぞ。ん、孝宏起きたのか」

 孝宏にエンデュミオンが顔を向ける。

「うん。それ〈王と騎士〉?」

「リュディガーが作った駒だそうだ」

 正規の大きさの物は初めて見る孝宏だった。いつもはテオの携帯版だったのだ。携帯版は盤も駒も当然小さい。

「へえ、可愛い駒だね。ケットシーなんだ」

「どの駒か判別出来れば良いんだ」

 王様なら王冠、司祭なら聖書といった決まった意匠があれば、駒の形や大きさは厳密には決まっていない。

「今度、<Langue de chat>で委託販売をすると言っていた」

「そっか、冬の方が売れるよね」

 リグハーヴスの冬は長く、雪で街からの移動は難しくなる。室内で出来る娯楽と言えば、読書かこういったボードゲームだろう。

 特にこんなに可愛らしい駒なら人気が出そうだ。

「にゃう……」

 ヘルブラウが目を覚まし、孝宏の腹に額をぐりぐりと擦り付けた。それからもそもそと孝宏の太股の上に座り直し、前肢で目を擦る。

「へるぶらう、のどかわいた」

「ミントティー飲めるかな。蜂蜜入ってるけど」

「ヘルブラウ位大きくなると大丈夫だな」

 エンデュミオンがミントティーを入れたコップを孝宏に渡す。ストローを口に入れて貰ったヘルブラウは、そのままミントティーを吸い始める。

「ヘルブラウはミントティー平気なんだね」

「甘いからかな」

 チューチューとミントティーを満足するまで飲み、ヘルブラウはストローを口から放した。

「おいちー」

「それは良かった」

 喉の渇きを癒したヘルブラウは、孝宏の腕をぺしぺし叩いた。昼寝をして元気一杯らしく、水色の瞳をきらきらさせている。

「ひろ、あしょぶ」

「遊ぶ?何しようかな……」

 まだ走り回れる訳でもないので、遊ぶにしても限度がある。

「あ、エンディ、泡の実あるかな」

「あるぞ」

 なんやかんやと放り込まれている〈時空鞄〉からエンデュミオンは泡の実を一つ取り出した。

「一寸待っててね」

 ヘルブラウを敷物の上に下ろし、孝宏は空のコップとストローを持って泉に向かう。割った泡の実をコップに入れて泉の水を注ぎ、それをストローでかき混ぜた。

「こんなもんかなー」

 濃い目の泡の実水を作った孝宏は、ストローを持ち上げ唇に当て、そっと息を吹き込んだ。ガラスのストローの先から、虹色のシャボン玉がほろほろと宙に零れ出て、温室に広がる。

「にゃあー!」

 思った通り、ヘルブラウが食い付いた。と思ったら、エンデュミオンとギルベルトも目を丸くしていた。

「何だ?それは」

「シャボン玉って言うんだよ。子供の時に遊ばなかった?」

「子供の時……?」

 子供らしい子供時代を過ごした事がなかったエンデュミオンが、遠い眼差しになる。ギルベルトも泡の実は身体を洗う物としか使用していないので、孝宏の問いに首を振る。

「やってみる?ヘルブラウ、これは吸い込まないんだよ。ふーって息を吹くの」

「ふー。……にゃう!」

 泡の実水を付けたストローを口に当てて貰ったヘルブラウが息を吹き込む。ほろほろっとシャボン玉がストローから飛び出していくのを見て、前肢を叩いた。

「む。面白そうだな」

「うん」

 エンデュミオンもギルベルトもストローを手にしてシャボン玉に挑戦する。

「ふー」

「ふー」

 ほろほろっ。ほろほろほろっ。

 温室中に虹色のシャボン玉が広がり、ふわふわと漂う。芝生まで落ちてきたシャボン玉はパチリと弾けて消えていく。

「これは面白いな」

「うん。里でも遊べる」

 殆ど道具が要らない。仔ケットシーに遊ばせる時には一緒に遊べば問題ないだろう。そもそも泡の実は口に入っても害はない。

「にゃん!にゃん!」

 気がすむまでシャボン玉を吹いたヘルブラウは、次は落ちてきたシャボン玉を割って遊び始めた。よちよち歩いてシャボン玉を割っていくヘルブラウに負けじと、エンデュミオンとギルベルトがシャボン玉を吹いていく。

 結局コップの泡の実水がなくなるまで遊んでから、ギルベルトとヘルブラウは帰っていった。


 後日、温泉に入りに行ったギルベルトからケットシーの里へ〈王と騎士〉とシャボン玉の作り方が持ち込まれ、これといった趣味を持たないケットシー達に大流行するのだった。


リュディガーの冬の内職木工細工。今年は<王と騎士>に決まりました。

そしてシャボン玉を知らなかったエンデュミオン。温室でもシャボン玉は妖精達に流行ります。

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