エンデュミオンの日帰り温泉ツアー
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
右手に見えますのは、エンデュミオンの肉球でございます。
152 エンデュミオンの日帰り温泉ツアー
アンネマリーが久し振りに子供を授かってから、朝食はクルトが用意する事にした。元々家事を手伝っていたクルトにとっては、簡単な料理位なら苦ではない。
顔を洗って着替えてから台所でお湯を沸かし、お茶の準備を始める。朝食は卵と腸詰肉かベーコン、それと果物が多い。
パンは昨夜食べてしまったので、今朝はパンケーキを焼く。エッダとグラッフェンがいるので、パンケーキは小さく焼いている。
パタパタと階段を降りて来る音が聞こえ、台所にグラッフェンを抱いたエッダが顔を覗かせた。
「お父さん、おはよう」
「おとしゃん、おはよー」
「おはよう、二人とも。お母さんを起こしておいで」
「あいっ」
グラッフェンが元気よく返事をする。最近一人で歩ける様になったグラッフェンは、アンネマリーを起こしに行くのが楽しいのだ。
エッダが寝室のドアを細く開けてやり、中に入っていったグラッフェンの「おかしゃん、おはよー」と言う声が聞こえるのが、日常になりつつある。
テーブルにエッダと朝食を並べる頃、身支度を整えたアンネマリーがグラッフェンと一緒にやって来た。少しお腹がふっくらしてきたアンネマリーの隣を、ちょこちょことグラッフェンが歩いてくる。兄のエンデュミオンと良く似ているが、顔や四肢の先に白い毛が多い。大きな黄緑色の瞳はいつも興味津々できらきらしている。
「はい、座ろうな」
クルトはグラッフェンをケットシー用の椅子に座らせてやり、首にスタイを着けてやる。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
食前の祈りを唱え、朝食を始める。
エッダがパンケーキを食べやすい大きさに切ってくれるのを待ち、グラッフェンが両前肢で小さなピッチャーを持って、楓のシロップを掛ける。──少し掛けすぎかもしれない。
「んーまっ」
フォークと前肢の両方を使って口にパンケーキを入れ、グラッフェンが尻尾をピンと立てる。現在のところグラッフェンはカトラリーと前肢を半々に使って食事をするのだ。
手掴みで食べようとも美味しそうに食べているので、問題はない。その内カトラリーで食べられる様になるだろう。人の子供と同じだ。
食事の後は、アンネマリーに剥いて貰った林檎をデザートに食べる。グラッフェンは好き嫌いなく食欲旺盛だ。今日も健康状態に異常はなさそうである。
「にゃー?おとしゃん、あれ」
エッダの隣に座って、嬉しそうに林檎を食べていたグラッフェンが、窓に前肢を向けた。
「ん?」
窓の外に白い封筒があった。精霊便だ。クルトは窓を開け、角砂糖を風の精霊に渡して手紙を受け取った。緑色のインクでクルトの名前が書かれている。裏面に返すと、エンデュミオンの署名があった。
「エンデュミオン?」
「でぃー?」
「おっと、触るのは前肢洗ってからな」
テーブルに戻るなり伸びてきた、楓のシロップでべたべたのグラッフェンの前肢を掴んで、水の精霊の力を借りて洗ってやる。簡単な日常魔法はクルトでも使える。
「エンディからお手紙?」
「そうみたいだ」
封筒から手紙を取り出して文面に目を通す。
「今日の午後、俺とグラッフェンに温室に遊びに来ないかと書いてある」
「お父さんとグラウだけ?」
「女の人は別の日に招待してくれるって書いてあるよ」
「おふろ!」
グラッフェンが椅子の上で跳ねた。
「泉はあったけど、お風呂はあったかなあ」
クルトがドアを取り付けに行った時はまだなにも植栽されていなかったが、数日後にもう一度確認に行った際には立派な温室、と言うより森になっていた。奥の広場には、丸い苔むした岩に囲まれた泉はあったと思う。
「持ってきて欲しい物は……着替えとスープ用の深皿とスプーンか。売り物用の深皿とスプーンも?」
何故売り物の? 確かにクルトは家具製作の依頼が無い時は、木製食器やカトラリーを作っている。誰か買うのだろうか。
精霊便でお邪魔する旨を伝え、クルトは持ち手つきの籠に作り置いてあった深皿とスプーンを入れた。
それを見ていたアンネマリーが、脇に置いてあった子供用スプーンを手に取った。
「クルト、子供用のスプーンも持っていたら良いんじゃないかしら」
「子供用も?」
「何となく、使うのが人ではない気がするの。エンディからのお願いだし」
子供用スプーンは持ち手が輪になっていて、ケットシーでも使い易いと言われていた。
「そうだね」
エンデュミオンがわざわざ頼んでくるのだから、理由があるはずだ。
クルトは子供用スプーンも籠の中に入れた。
「おとしゃん、ぐらっふぇんもあるく」
「まだ人が多いからな。お庭まで我慢してくれるか?」
小さいグラッフェンが足元に居たら、間違って蹴飛ばされそうで怖い。
「ぐらっふぇん、がまん」
「もう一寸だからな」
しゅんとしたグラッフェンの頭にキスをしてやり、クルトは<Langue de chat>の裏庭に入る路地に向かった。クルトは裏庭に入れる権利をエンデュミオンに貰っていて、柵の扉を開けられる。
「ほら、良いぞ」
錬鉄の柵の扉を開け、温室へ続く煉瓦道の上にグラッフェンを下ろしてやる。冬が近いので、孝宏の畑は綺麗に片付けられていた。今は腐葉土をすき込んだ土の間に赤い煉瓦道が延びている。
ちょこちょこと前を歩くグラッフェンの後ろから、クルトはのんびりついていく。ケットシーは後ろ姿も可愛い。
「おとしゃん」
ドアまで辿り着いたグラッフェンが振り返った。
「下のドアのレバーを下げて押してごらん」
「あい」
むに、と前肢でノブレバーを掴み、グラッフェンがドアを押し開ける。下のドアレバーを使うと、下のドアしか開かない。グラッフェンがドアの向こうに入ってから、クルトも上のドアを開けた。
防寒対策の為の小部屋の奥にあるドアも同じ仕組みで、グラッフェンがドアを開ける。向こう側に誰かいても解る様に、ドアにはケットシーの顔の形に窓がある。
「いらっしゃい」
「でぃー!」
ハーブガーデンにはエンデュミオンが居た。グラッフェンが歓声を上げて抱き付き、エンデュミオンもグラッフェンに頬擦りする。
「お招き有難う」
「一番乗りだな、クルト。エッカルトやカール達も来るんだ。リュディガーとギルベルトはもう店の方に居る」
面子の名前を聞くと、何となく気が付いた。
「ケットシー絡みなのか?」
カールはカミルがエンデュミオンと孝宏の弟子だからなのか、後々グラッフェンがエッダと一緒にカミルの元に行く事になるからなのか。
エンデュミオンは頷いた。
「ああ。ケットシーと一緒でないとならないんだ。カチヤは先にヴァルブルガとコボルト達と行っているんだけどな」
コボルト達と言う事は、クヌートとクーデルカが遊びに来ているのだろう。
「来たよ、エンディ」
そこにカールとカミル、エッカルトがやって来た。三人は揃って手籠や革鞄を持っている。
「言われた通りにパン持ってきたけど」
「砥石が要るとは、刃物を研ぐのか?」
「それなのだがな」
ぽしぽしとエンデュミオンが頭を掻く。真似をして、グラッフェンも同じ動きをした。
「これから行くのは、ケットシーの里なのだ。ギルベルトがそこにある温泉とこの温室を繋げてな、エンデュミオン達は温泉に入らせて貰う代わりに食事を作るのだ」
「……はい?」
「ケットシーと混浴だがな」
聞きたいのはそこではない。
「エンデュミオン?」
そっとエンデュミオンがクルトから目を逸らす。つまり、やらかしたのだ、ギルベルトが。
「ギルベルトとグラッフェンが温泉に入りたいと言うから」
「おふろ!」
エンデュミオンの隣で、グラッフェンが両前肢を挙げる。嬉しそうだ。
「フィリーネとアルフォンスにも許可を貰ったので、問題はない。だがまだ教会には言ってない」
「ああ……」
元王様ケットシーがやらかした事に、何か言えるだろうか。エンデュミオンとリュディガーが頭を抱えた姿が目に浮かぶ。教会には言ってないので、イージドールとシュヴァルツシルトが居ないのだ。その内テオからでも伝えるのだろう。
「里のケットシーはたまに冒険者が作るスープがご馳走なんだ」
贅沢には興味がないケットシーだが、たまのご馳走は歓迎する。だからお風呂代は一食分のスープなのだ。
「お風呂、入ってきたー」
奥の小道からクヌートとクーデルカが出てきた。後ろからカチヤとヨナタン、ヴァルブルガがやって来る。
「湯加減はどうだった?」
「丁度良かった」
「広かった」
「……」
ふりふりと三人のコボルトの巻き尻尾が揺れる。
「カチヤの方は?」
「台所を見てきましたけど、ナイフは鈍ってました。あとフライパンに穴が空いているのがありました」
「鍛冶屋はあそこまで行かないからなあ。エッカルトに砥石を持ってきて貰って良かった」
「鍋の穴はその場では直せないぞ?」
「うん。持ち帰って直して貰った物をエンデュミオンが届ける」
ここまでの会話で、クルトが頼まれた食器の謎が解けた。
「この食器って」
「ケットシー用だ。普段は冒険者から物々交換で手に入れているんだが、最近足りないと言われてな」
グラッフェン達と同じ頃に産まれたケットシーが多いから、とエンデュミオンが弟の頭を撫でた。
カールとカミルに頼んだのは、今日の夕食分のパンだと言う。
「スープが出来たら呼びに行くから、イシュカ達を呼んでくれ」
「はい」
カチヤの後ろにコボルト達がついていく。カチヤはコボルトと親和度が高いのだろう。ヴァルブルガはと見ると、グラッフェンを撫でていた。
「では先に行っていよう。ヴァルブルガ、イシュカ達が来たら頼む」
「うん」
こくりとヴァルブルガが頷いた。
「行くぞー」
旅行の引率者の様にエンデュミオンが広場の奥にある小道へと先立っていく。グラッフェンはカミルに抱っこされていた。
小道を抜けると空気が変わった。暖かい。そして湿度も上がった気がする。
「ここがケットシーの里の温泉だ」
「おふろ!」
湯気の立つ池が温泉らしい。クルトも話では聞いていたが、リグハーヴスでは、地下迷宮の中以外で温泉はない。樹海である〈黒き森〉の中の温泉はそもそも秘湯で簡単には辿り着けない。
広い温泉のあちこちに毛色の違うケットシーが浸かっていた。洗い場で泡だらけのケットシーも居る。
「それで、台所がこっちだ」
温泉がある広場の隣に居住区らしき広場があった。こちらはかなり広い。虚のある大木が広場をぐるりと囲んでいて、広場の端の方に苔むした岩伝いに流れる細い清水が、木樋からつるりとした大石をくり貫いた水盤に流れ込んでいた。その近くに石組みの竈が幾つか作られていて、大鍋が乗せられていた。干し魚や干し果物は、側にある木の虚に箱に入れて置かれていた。
「ケットシーは基本的には、干し魚と香草のスープが多いんだ。余り普段は濃い調味料を使わない。岩塩、蜂蜜、胡椒はあるかな」
だから、冒険者が持っているスープの素や干し肉がご馳走なのだ。
「本日の食材は、アロイスの塩漬け肉」
エンデュミオンが〈時空鞄〉から紙に包まれた塩漬け肉の大きな塊を取り出す。
「野菜はそこの木箱に入っているのを使って良い。年中ここでは収穫しているから。吊るしてある香草も。生の香草が欲しければ、頼めば取ってきてくれる。今日はポトフの予定なんだ」
「馬鈴薯とローリエ? 人参もかな?」
カミルが木の虚をグラッフェンと覗き込む。
「そうだな、出してくれ。この鍋いっぱいに作るから」
大鍋を前肢でエンデュミオンが叩いた。
「研ぎが必要なナイフがあると言ってなかったか?」
「これ」
エッカルトの近くにいたケットシーが、布で包まれたナイフを渡す。布を解き、ナイフの刃を指の腹で確かめ、エッカルトが顔を顰めた。
「こりゃ酷い、返って怪我しちまうぞ。直ぐに研いでやるからな」
さっさとエッカルトは清水の近くに行き、肩から提げていた革鞄から砥石を取り出し、ナイフを研ぎ始めてしまった。
「穴の空いた鍋も集めて置いてくれ。持ち帰って直せるものはエッカルトが直してくれるから」
エンデュミオンの指示に、ケットシーが木の虚から鍋やフライパンを幾つか出してくる。それをエンデュミオンは〈時空鞄〉に突っ込んだ。
「じゃあ、俺達は下拵えをするか」
黒森之國の男性なら、大抵ナイフは持ち歩いているものだ。カールとクルトは馬鈴薯の皮を剥き始めた。グラッフェンの面倒はカミルに任せる。
「うわー、久し振り」
孝宏がイシュカとヴァルブルガと居住区に入ってきた。恐らく他は温泉で足を停めたのだろう。
「孝宏はスープ作りを手伝ってくれ。イシュカはクルトの食器を売ってくれ。クルト、魔石でも良いか?」
「良いけど、そんなに高くないぞ?」
平民が使う素朴なスープ皿とスプーンなのだ。
「わざわざここまで持ってきてくれる職人なんて居ないんだぞ、クルト。それにクルトの仕事はとても丁寧だ。子供のケットシーに使わせても安心だからな」
エンデュミオンはイシュカに食器の入った籠を持たせ、子供のケットシーが集まっている場所へと行ってしまった。
暫くして二人が戻って来た時には、籠の中に残っていた革袋一つに大小様々な魔石が入っていた。手持ちの魔石を代金がわりにくれたのだろう。
「カールとカミルには王様から。今日のパン代だ」
「げ、貰いすぎだぞ」
エンデュミオンがカールの掌に落としたのは、澄んだ深紅の石と薄紅色の石だった。小指の爪ほどの大きさの石だが、貴族が高額で宝石商から買う代物だった。
「首飾りか胸飾りにでもするといい。人は晴れの日には着飾るのだろう?」
誰のと言わずとも、ベティーナとエッダの物だろう。
「たまに美味しいパンを届けてくれれば良い」
「何年分のパンだよ……」
「カールとカミルの気が済むまででいいんだ」
「大雑把過ぎる……」
永く生きるケットシーなので、そんな事になるらしい。
「ナイフ研げたぞ」
「お借りして良いですか?」
エッカルトからナイフ借りて、孝宏が塩漬け肉を切り、驚嘆の声を上げた。
「うわ、凄い」
「気を付けろよ、良く切れるから」
「はい」
すぱすぱ切った塩漬け肉を、エッカルトが手際よく火を点けた竈の大鍋に入れていく。柄の長いヘラで炒め脂を出し、切った野菜も入れて炒める。コンソメスープの素も目分量で入れていく。
「エンディ、お水入れて」
「ん」
木樋の清水が空中を走り、鍋の中に注ぎ込む。ジュワーと弾ける音が居住区に広がった。
「ろりえ、ろりえ」
カミルが両脇を掴んだグラッフェンが、鍋の中にローリエを数枚落とす。乳鉢で細かくした岩塩と胡椒で孝宏が手際よく味を整える。
「これで煮込めば良いかな」
ケットシーのスープは具沢山だ。
「ごめん、遅くなった。温泉の方にベンチ置いてきたよ。カチヤ達も呼んできた」
温泉の方から、テオとリュディガーが入ってきた。その後ろから、ルッツとヘルブラウを抱いたギルベルトとコボルト達をつれたカチヤがついてくる。
「ん?杖を持ってきたのか?」
「遊ぶ」
「遊ぶ」
クヌートとクーデルカは二人とも背中に魔法使いの杖を斜め掛けにしていた。
「ここは森だから、火の魔法は使うなよ」
「解った」
「使わないで遊ぶ」
素直に頷く二人の隣で、ヨナタンは尻尾をふりふりしている。二人が何をやるのか知っているのだろう。
「そろそろ煮えたかな」
孝宏が馬鈴薯の煮え具合を確かめる。スプーンを差し込むと馬鈴薯はほくりと割れた。
「良い感じ」
エッカルトに竈の火を落として貰う。
ケットシーの夕飯は少し早い時間に始まる。寝るのが早いからだ。
まずは王様ケットシーの皿にスープを注ぎ、パンと届ける。それから小さなケットシーから並んで皿を孝宏に差し出していく。隣でカールとカミルがスープを貰ったケットシーにパンを渡す。
柔らかいロールパンと黒パンだ。黒パンはナイフで端を繋げて薄く切り、間にバターと肉屋アロイス特製チキンレバーペーストを塗り付けてサンドウィッチにした。
全員に行き渡り、スープが飲み頃になった所で「今日の恵みに!」と食前の祈りを唱えて夕食になった。
「このサンドウィッチ美味いな」
「アロイスの所のペーストだよ。普段魚が多いって言ってたからさ。栄養あるし」
クルトとカールが喋っている隣で、カミルはグラッフェンとポトフを食べていた。
「んーまっ」
「うん、ポトフ美味しいね。グラウ、レバー大丈夫か?」
「ればー?」
「この黒パンに挟んであるやつ」
少し千切って口に入れてやる。もぐもぐ口を動かした後、グラッフェンの鼻の頭に皺が寄った。その表情がエンデュミオンにそっくりだった。しかしレバーは少し早かった様だ。
「苦手なら苺ジャム塗ったのと変えてやるよ」
「じゃむ!」
子供のケットシーは皆近くに居たので、レバーが苦手なケットシーには、ジャムサンドと交換してやる。チキンレバーサンドは広げた布巾の上に乗せて置いたら、大人のケットシーが嬉しそうにひょいひょいと持っていった。無駄がない。
食後にケットシー達が持ってきた季節外れの苺を食べ、一休みしてから温泉に向かう。
カチヤとコボルト達は温泉に先に入っているので、居住区で子供のケットシーと遊び始めた。ヴァルブルガはそのままイシュカについてきて、ベンチの端に座ってしまった。機嫌良さそうに尻尾をゆらゆらと揺らしている。
エンデュミオンは湯船から離れた場所から、温泉の使い方を説明した。
「服を脱いで、体を洗って流して、湯に浸かる。奥の方は深いが、大人なら足は立つ筈だ」
「解った。この籠に入っている木の実は?」
洗い場にアプリコット大の赤い殻をした実が、籠に盛られている。初めて見る実にクルトが指差す。
「それは泡の実と呼ばれているんだ。石鹸代わりになる。割って布で揉むと良い」
「凄いな……」
ケットシー達は布がなくても毛で泡立つらしい。それでも湯を掛けるとあっという間に泡は消えてしまう。泡切れがよい。
「グラウ、服脱ぐぞ」
「あい」
自分の服を脱いで軽く畳んでベンチに置いてから、クルトはグラッフェンの服を脱がす。最近は寝る時以外はおしめは着けていない。洗い場に行って桶を一つ借り、湯船とは別の湯溜まりから湯を掬い、膝に乗せたグラッフェンに掛けてやる。
「にゃあー」
気持ち良さそうな声を上げ、グラッフェンが目を細める。
濡らした毛に泡の実を割って擦り付けると面白いように泡が立った。その泡を貰ってクルトの身体も洗えた程だ。
初めての泡の実なので、良く流してからグラッフェンを抱いて湯船に入った。浅い方は、階段状の一番上にグラッフェンを座らせても安心な深さだった。水面を前肢で叩いて遊んでいるグラッフェンを支えつつ、改めて周囲を見る。
湯船の近い場所では孝宏がエンデュミオンを抱いて浸かっていた。エンデュミオンは水が苦手だと聞いていたが、孝宏の首にしっかりと抱き付いている。腕には尻尾まで巻き付けているから、本当に駄目らしい。
ルッツはリュディガーに頭を洗って貰っているギルベルトの背中を泡だらけにしていた。そのルッツの背中をヘルブラウが泡だらけにし、その仔ケットシーの身体をテオが洗ってやっている。
カールとカミルは、里住まいのケットシー達と湯船に浸かりながら話をしていた。エッカルトも身振りから察するに、ナイフの研ぎ方を聞かれてケットシーに教えている様だ。
本当はリグハーヴスの街から随分と離れた〈黒き森〉にいる筈のケットシー達と温泉に入っているなんて、おかしな気分だ。
ポンポーン、と少し離れた場所から音が聞こえた。
「お?」
パアッと藍色に暮れた夜空に色とりどりの光が弾けた。
『花火だ!上見てエンディ!』
「ん?」
孝宏の声にエンデュミオンがポンポンと光が踊る空を見上げた。
「あれは光の精霊魔法だな。騎士だと信号弾として使ったりするんだが……クヌートとクーデルカが遊んでいるんだろう」
だから魔法使いの杖を持ってきたのか、とエンデュミオンが呟く。
流石の二人も領主館でやろうとは思わなかったのか、もしくはヨルンに止められたのだろう。
〈黒き森〉ならば、多少羽目を外しても問題ない。なにしろ、人は住んでいないのだから。
「おとしゃん、きれーい」
「そうだなあ」
暫しクルト達はコボルトの花火を堪能したのだった。
〈黒き森〉の日帰り温泉ツアーは、男子会と女子会、家族貸切に分けられ、その後も月に一回ずつ慣行された。
<Langue de chat>の友人を中心に招待されるこのツアーに、アロイスも呼ばれるようになるのだが、それは彼が処理する肉の美味さにケットシー達が気付いたからである。
当然と言えば当然だが、〈黒き森〉から打ち上がる花火は早々に領主アルフォンス・リグハーヴスの知るところとなり、クヌートとクーデルカはお祭りの花火係に抜擢されるのだが、それはまた別のお話。
皆で温泉に入りに行く回です。
一応他の冒険者が来ていないか確認してから行っています。
ケットシーは肉は狩らないので、たまにお肉料理があると嬉しいのでした。




