エンデュミオンのお庭改造計画(その後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
フィリーネにばれました。
151エンデュミオンのお庭改造計画(その後)
ちりりん、りん。
「師匠!」
ドアベルを鳴らして大魔法使いフィリーネが店内に入ってきた時、エンデュミオンは咄嗟にカウンターの下に隠れてしまった。
「師匠、グリューネヴァルトがカウンターから見えてます」
「きゅっ」
「ぬう」
頭の上に乗っていたグリューネヴァルトを忘れていた。渋々エンデュミオンはカウンターの上に顔を出した。
「昨夜クロエから大きな魔力が使われたと精霊便が来ましたよ。何やったんですか」
「うう、エンデュミオンがやった訳ではないのだ」
ペタリと耳を伏せ、エンデュミオンは三本足の椅子から下りた。閲覧席のテーブルを拭いていた孝宏に声を掛ける。
「孝宏、カウンターを空ける」
「うん。裏庭に行くの?」
「説明しないと、フィリーネが納得しないだろうからな」
「あれは仕方ないよね……」
「では行ってくる」
苦笑する孝宏に見送られ、エンデュミオンはフィリーネのローブの端を掴んで裏庭に〈転移〉した。
「ここは?」
「<Langue de chat>の裏庭だ。ここには孝宏の畑があるんだが、先日温室を建てた。冬の間妖精達が遊べるようにと思ってな」
「素敵な温室ですね」
蔦の意匠が武骨な鉄骨を柔らかく印象付けている。限り無く平らな上質の強化硝子からは、僅かな歪みの向こうにある植物が見える。ケットシーの顔の形に窓があるドアも可愛らしい。
「上のドアノブを使うと良い、上下ともドアが開くから」
上下に分かれたドアは、下だけでも開くらしい。
「雪が降った時はどうするんですか?」
「裏門と台所から続く煉瓦道には、ミヒェルに魔法陣を刻んで貰ったから、雪が溶けるぞ」
「ミヒェル……? どなたですか?」
知らない名前にフィリーネが首を傾げる。
「<Langue de chat>の火蜥蜴だ。後で会わせる。臆病だから、驚かせないで欲しい」
「はい。ここは良くオーブンを使いますからね。火蜥蜴が来ても不思議はないかと」
「いや、ルー・フェイが連れてきたんだ」
「はい?」
「もう一回言うか?」
「いいえ。ルー・フェイですか……」
火蜥蜴の長が何してんだ、とフィリーネの顔に書いてある。
温室のドアをフィリーネが開けると、暖かな空気が流れてきた。中に入って直ぐにドアを閉める。そこは小部屋になっていて次のドアを開けるとハーブガーデンが現れた。寄せ木細工のテーブルと椅子があり、お茶を淹れるタイル張りの簡易キッチンもあった。火の気がないのは、ここでは精霊魔法で水や火を使う仕様だからだろう。
花が可愛いハーブも多いが、料理に使うハーブも植えられていた。季節感がおかしく、四季のハーブが咲いているが、この辺りは許容範囲だ。
「ここがハーブガーデンだ。それで、こっちが広場になる」
ハーブガーデンの奥にある小道をエンデュミオンが先に立って進む。頭の上ではグリューネヴァルトが器用にしがみついている。重くないのだろうか。
小道を抜けきった先には明らかに空間魔法が使われた広さの芝生が広がっていた。回りには数種類の果樹や団栗の木が植えられ、灌木の繁みもある。ポコポコ音のする方を見れば、泉も湧いていた。エンデュミオンが広場を見回す。
「今は誰も居ないのかな?」
「師匠、これだけじゃないですよね? 魔力の流れがもう一つありますよ」
「フィリーネ。言っておくが、エンデュミオンがやったのはこの広場までだからな? ここから先は違うからな?」
「はいはい。まずは見せてください、師匠」
前置きするエンデュミオンを促し、広場の奥にあった小道へと進む。
「?」
ふわりと頬に湿度を感じた。そして、子供の笑い声。
木立が開けた先にあったのは、湯気の立つ広い池だった。
「温泉……?」
温泉の回りには平たい石が敷かれ、着替えが置ける岩もある。何故か桶があるのも見えた。そして、何より温泉に浸かっているのは人ではなかった。
「ケットシー!?」
「ここは〈黒き森〉のケットシーの里だ。ギルベルトが里の温泉と温室の広場を繋げたんだ」
「何やってるんですか! 師匠ー!」
「だからやったのはギルベルトだ。物凄く悪気のない顔で……元に戻せとエンデュミオンは言えなかった……」
「それは……」
無理かもしれない、とフィリーネも思った。
「どうするんですか?これ」
「温室からはケットシーと一緒でないと人は来られないし、里に住むケットシーの方からは温室には来られない様になっている。そもそも裏庭には限られた者しか入れないし」
「それなら安心ですが……」
「実は、ギルベルトとグラッフェンが温泉を楽しみにしていてな……」
はふう、とエンデュミオンが溜め息を吐く。最大の理由がそれだと知り、フィリーネは額を押さえた。
「領主様には安全面に問題なしと報告しておきます」
「頼む。たまにフィリーネも入りに来ると良い。疲労に効くから。ケットシーと混浴だがな」
「有難うございます。今度クロエとお邪魔します」
ケットシー好きのフィリーネとクロエには、願ってもない事だ。
しかし、ケットシーの里の温泉は秘湯中の秘湯の筈なのだが、こんなに簡単に招待されて良いのだろうか。そう訊いたら、エンデュミオンはグリューネヴァルトを乗せたままの頭を傾げてよろけた。慌ててフィリーネが手を伸ばして支える。
「むう、すまん。フィリーネはケットシーを怒らせたりしないだろう? だから大丈夫だな」
ケットシーを怒らせれば呪われる。それだけの事だ。
「折角来たんだ、孝宏に美味しいお茶とお菓子を用意して貰うから、ハーブガーデンでお茶を飲んで行け」
「良いんですか?」
「予約していた本もあった筈だしな。ゆっくりしていけ」
フィリーネをハーブガーデンに案内し、エンデュミオンは孝宏の元へ〈転移〉した。
「孝宏、フィリーネにお茶とお菓子を頼む」
「向こうで飲むの?」
「うん。怒られなかった」
「ギルじゃ仕方ないよねえ」
フィリーネ好みのお茶をティーポットで用意し、クッキーとパステルカラーのマカロンをレースペーパーを敷いた籠に盛る。マカロンもフィリーネの好物だ。
背中にフィリーネが借りる本の入った鞄を背負い、お茶とお菓子の乗ったお盆をそっくり〈時空鞄〉に入れてエンデュミオンは温室へと〈転移〉した。
その姿をクロエが見ていたなら、「大師匠は師匠を物凄く可愛がってますよね」と言われるのは間違い無かったのだが、生憎エンデュミオンに自覚はなかった。
ケットシーの姿をした師匠とお茶を飲む時間が、フィリーネにとって何より最高のもてなしだったと言う事に。
エンデュミオンは自覚していませんが、唯一の弟子であるフィリーネをとても可愛がっています。
孫弟子であるクロエやジークヴァルドも気に入っています。




