冬支度
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
冬支度はお早目に。
15冬支度
雪が降り始める頃になって、孝宏は気になった。この家の人間は冬服を持っているのかと。寒くなって来ているのに、セーターなどを着る様子が無いのだ。
確認したところ、イシュカは持っていなかった。テオも擦り切れたセーターが一枚だった。
黒森之國で服と言うのは、母親が作るか仕立屋でのオーダーメイドだ。既製品は王都でも無ければ無いのだそうだ。
配達に出歩いているテオに「寒くないの?」と聞けば、「それは寒い」と答えたので、彼らが風邪を引く前に孝宏はセーターを編む事にした。
塔ノ守の男を舐めてはいけない。孝宏は編み物が出来るのだ。
「何処に行けば、毛糸が売っているかな」
「服飾ギルドだな。冒険者や農家から買い取った素材を売っているぞ」
毛糸を買って来るのならと、イシュカにお金を貰い、孝宏はエンデュミオンと一緒に服飾ギルドに出掛けた。
リグハーヴスのギルドは比較的固まってある。冒険者ギルドの隣の建物が服飾ギルドだった。冒険者ギルドの厳めしい感じとは逆に、作りは一般の家と変わらない見た目だ。ギルド員に女性が多い、とイシュカに聞いていたからそんなものかと思いながら、孝宏はエンデュミオンを抱いて服飾ギルドのドアを開けた。
「だから!もう買い取れないのよ!買いたくても値段が付かないの!あなた達凶暴牛と眠り羊を狩り過ぎよ。肉屋のアロイスだってもう冷凍庫に肉が入らないって言ってたわよ?あなた達ならもう下の階に行っても良いわよ」
ドアを開けた瞬間に、女性の声が耳に飛び込んで来た。部屋の奥にあるカウンターの窓口に冒険者らしき少年少女が数人居て、窓口の女性と向かい合っていた。
「刈って来た毛はどうすれば良いんですか!?」
「自分達で使い道が無いのなら、置いて行っても良いわよ」
結局値段が付かない毛が入っている麻袋を置いて、少年達はギルドを出て行った。
「あら、ヒロとエンディじゃないの」
窓口の女性が孝宏とエンデュミオンに気付き、声を掛けて来た。彼女はエッダの母親アンネマリーの幼馴染のヘルガだった。<Langue de chat>の客の一人だ。薔薇の書と宵闇の書の愛好家だ。
「こんにちは」
「いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「毛糸が欲しかったんだけど、ここで手に入る?」
「ええ。今は沢山あるのよ」
ヘルガはカウンターを他の職員に任せ、孝宏達をロビーの隣にある部屋に案内した。そこには壁際の棚一杯に、色とりどりの毛糸の束が納まっていた。入りきらない毛糸は、床の木箱に入って積み上がっていた。
「最近新人の冒険者が地下迷宮に入ってね、馬鹿の一つ覚えみたいに、一階の凶暴牛と眠り羊ばかり連続で狩って来たのよ。あの子達の中に空間魔法が使える魔法使いが居るからこっちが大変よ。冒険者ギルドから仕事が回って来る革屋ギルドと肉屋ギルド、それと服飾ギルドはあの子達の後始末している様なものだわ。毛糸を紡いで染める職人が潰れちゃうわよ」
肉も革も毛糸も飽和状態なのだろう。他の地域に回すにしても、いきなり大量に持って行く訳にはいかない。値崩れしてしまう。倉庫に保存しておくにしても、処理だけはしておかないと駄目になる。職人泣かせの状態らしい。
「そんな訳で、今は毛糸が安くなっているわ。選び放題よ」
元冒険者だったと言うヘルガはさばさばと言いたいこと言う。お言葉に甘えて、孝宏は棚に詰まっている毛糸を眺めた。
「同じ色だけど、値段が違う?」
「こっちは普通の羊で、こっちが眠り羊の毛なの」
眠り羊の毛の方が少しだけ高い。迷う孝宏に、エンデュミオンが言った。
「眠り羊の方を買え。本来ならば倍以上の値段がする良いものだから」
「エンディはお目が高いわね。その通りよ」
くすくす笑ってヘルガは孝宏の腕の中のエンデュミオンを撫でた。
「じゃあ眠り羊の方の象牙色の毛糸を、うちの五人分のセーターが編める分より少し多くと、栗色の毛糸を膝掛が四、五枚編める分。青と赤と緑の毛糸も少し欲しいな」
「解ったわ。上手な紡ぎ手さんの毛糸を選んであげるわね」
目利きはヘルガに任せ、孝宏は彼女が綿の大袋に詰め込んでくれた毛糸を買った。彼女は沢山買ってくれたからと、編み針をサービスしてくれた。
その日の晩から孝宏はセーターを編み始めた。まずは配達に出掛けているテオとルッツの分だ。サイズを測っておいたので二人が不在でも編める。
「ルッツのは小さいから早く編めるなあ」
子供用のサイズと変わらない。身体の大きさが同じ位なので、毛糸玉を転がしているエンデュミオンの背中に当てつつ編んで行く。
「温かい様にアランセーターで編もう」
目が詰まった船乗りに愛好されるセーターの編み方だ。テオとルッツでお揃いにしてみた。あの二人はパーティを組んでいるし、良いだろう。
「はい、セーターだよ」
一週間後に配達から帰って来た二人にセーターを渡すと、嬉しそうに受け取った二人だったが、直ぐにテオの顔が引きつった。
「ヒロ、これ何の毛なの?」
「眠り羊だよ。大量に狩って来ていた人達が居て、安くなってたんだよね。手触り良いよね、目を詰めて編んでも軽いし」
「うん、そうだね。有難う」
(解ってないんだ……)
早速セーターをイシュカにねだって着せて貰っているルッツの様子を見に行った孝宏から、テオは手元の象牙色のセーターに目を落とした。
眠り羊の毛は防具の内側に張られる程、防刃性に富んだ素材なのだ。地下迷宮の一階に居る癖に、高級素材なのである。その強靭さは、相当な手練れの鍛冶師が打った武器以外は通さないと言われる程だ。
地下迷宮の深部で活躍している冒険者の装備にも欠かせないとさえ言われている。
服飾ギルドに眠り羊の毛が売っていたのは、飽和状態になった物が武器防具ギルドから流れて来たのだろう。普段はそれ程在庫が無い様な代物なのだ。王都の騎士団御用達素材でもあるし。
服飾ギルドとしてはそれを一般に売れる形にするため、毛糸やフェルトに加工したのだろう。
本来なら、一般家庭のセーターに使われる素材では無い。しかもこれだけ目を詰めて編まれているとなれば、いっぱしの防具になる。下手な鎖帷子より軽いし丈夫だ。
(これ、売ったら金貨だよな……)
いままで眠り羊の毛糸でセーターを編んだ者など居ないだろう。まだ安く売っているのなら、買う者も居るかもしれないが、一般家庭のセーターに眠り羊は過剰防衛だろう。
テオとルッツの場合は冒険者なので、隠れた防具としては大変有難いのだが。
(本人が無意識で作っているのが凄いなあ)
衣服としての防具を作ってしまった孝宏に呆れつつ、普通の羊毛より少し光沢のあるセーターをいそいそと着るテオだった。
孝宏は自分とイシュカ、エンデュミオンの分は制服の上に着る事を考えてカーディガンにした。解る人が見たなら、一体何を相手にした店を開いているのかという代物である。
それから孝宏は栗色の毛糸で雪の結晶の様なモチーフを沢山編み、それを繋げて膝掛を作った。一枚の膝掛の中で、モチーフの一つだけを象牙色や赤、青、緑と色を変えてアクセントにする。全体が栗色なのはお茶を零しても染みが目立ち難いからである。
「冬の間はやっぱり寒いかと思って」
気配りは良いのだが、防刃素材で膝掛である。手触り柔らかでふんわりと軽い膝掛に、お客の反応も上々だったが、解る客には解る素材に、騎士ディルクがお茶を吹き出し掛けていた。
後で「何かあってもこれを盾に出来るよ」と、店を手伝っていたテオにこっそり耳打ちしていた位である。
冬の間孝宏の編んでくれた眠り羊のセーターを着て配達をしたテオとルッツは、届け物をした先々や宿屋で「そのセーターは何だ」と聞かれ、「眠り羊の毛のセーターだ」と答えた。
眠り羊の毛でセーターを編むと言う、一見酔狂な発想に笑いが起こる事も度々だったが、テオもルッツも気にしなかった。逆に軽くて暖かく冬は鎖帷子よりも良いと、冒険者に勧めてやった。
暫くしてからリグハーヴスで山となっていた眠り羊の毛糸は、徐々に各方面から注文が来る様になる。
何でも冒険者が妻や恋人に、眠り羊の毛糸でセーターを編んで貰うのが流行していると言う。
その陰の功労者が誰か気付いたヘルガから、後日沢山の眠り羊の毛糸が<Langue de chat>に届けられたのだった。
エンデュミオンは眠り羊の毛糸が防具になると解っていて勧めています。
イシュカは羊の毛糸ならどれも毛糸だと思っています。
ルッツは可愛いし暖かいので良いと思っています。
テオが一番常識人かもしれない。