エンデュミオンのお庭改造計画(前)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
無ければ作ればいいじゃない、寒いんだもの。
149エンデュミオンのお庭改造計画(前)
十一の月になり、寒風が吹き始めたリグハーヴスで、エンデュミオンは寝室の窓から椅子に乗り裏庭を見下ろしていた。
街では路地と路地の間に背中合わせに家が建つ事が多いのだが、<Langue de chat>の裏手は空地である。正確には、裏の土地も<Langue de chat>の──イシュカの物である。
元々の持ち主が畑を作ったりしていたらしいのだが、現在は一部で孝宏が野菜を植えている程度しか使っていない。
「温室が欲しいな……」
ケットシーは寒さが苦手だ。ケットシーの里は常春なのだ。暮らす場所が北でなければ良いのかもしれないが、生憎エンデュミオンが居るのは北のリグハーヴスなのだ。
温室が一つあれば、リグハーヴスのケットシーやコボルトは喜ぶと思うのだが、如何なものだろうか。
「エンデュミオン、おやつなの」
トコトコと足音を立てて、ヴァルブルガが戸口に現れた。
「うん。今日のおやつはなんだ?」
「抹茶と栗のパウンドケーキ」
エンデュミオンの好物だった。孝宏が数日前に焼いて、落ち着かせていたやつだ。
ぽん、と椅子から飛び降り、エンデュミオンはヴァルブルガに並んだ。
「ヴァルブルガ、温室が欲しくないか? アルフォンスの所の様なやつだ」
「欲しい」
妖精は森が好きなのだ。安全な森ならなお良い。
休日の居間には<Langue de chat>の住人が全て揃っていた。
おやつの時には居間のテーブルとソファでのんびりするのが住人の常で、ルッツとヨナタンは各々の主の膝の上に乗って寛いでいた。
「今日はほうじ茶だよ」
「うん」
ほうじ茶にミルクをたっぷり入れた香ばしいお茶を舐め、抹茶のパウンドケーキを頬張る。甘露煮にした栗の歯触りと甘さが、ほろ苦い抹茶に合う。
「美味い」
「おいしーねー」
「……」
フス!とヨナタンが鼻を鳴らす。ルッツとヨナタンは苺のジャムをマーブル模様に入れたパウンドケーキを食べていた。甘くないホイップクリーム付きだ。この二人には抹茶は少し苦いらしい。
「なあ、イシュカ」
「ん?」
「裏庭に温室を建てて良いか?」
「んん?」
マグカップを口から離し、イシュカはお茶を飲み込んだ。
「温室? 何で温室?」
「ケットシーは寒い場所が苦手なんだ。それに冬の間、リグハーヴスには緑が無いだろう?」
数ヶ月銀雪の世界なのだ。
「妖精としては森が欲しいんだ」
「温室なんだよな?」
なぜ温室に森なんだ、とイシュカの顔に書いてある。しかし、隣に座っていたテオが手を打った。
「ああ、領主様の庭園みたいな感じかな?」
「うん、そうだ」
「孝宏が一角で畑作っている位だし、空いてる場所なら良いぞ?」
「大工や鍛冶屋はエンデュミオンが呼ぶし、資金もエンデュミオンが出す。まずは設計をしなければならないし」
エンデュミオンは小金持ちである。ケットシーとしての財産もあるが、大魔法使い時代の財産も、大魔法使いフィリーネがそのまま管理してくれていた。とは言え、まだエンデュミオンは魔法使いギルドのギルドカードを持っていないのだが。
おやつを食べ終わると、エンデュミオンは早速紙とペンを用意して、温室の設計に取り掛かったのだった。
ポンッと最近聞き慣れた音が、家具大工クルトの工房に鳴った。工房の鉱石暖房の前に置かれた、クッションを入れた大きめの籠の中から、グラッフェンが顔を出す。クルトは刃物が付いた工具を使うので、グラッフェンには〈転移〉するなら必ずこの場所にと教えてある。
「おとしゃん」
「グラウ、遊びに来たのか?」
グラッフェンはクルトとアンネマリーを「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。エッダが使う呼称で覚えたのだろう。
「エッダはどうしたんだ?」
「えっだ、おかしゃんと、あみにょにょ」
「編み物か」
ケットシーにも趣味嗜好がある。グラッフェンは料理と木工細工には興味を示したが、編み物には興味がないらしい。現在エッダはグラッフェンの靴下を編もうとアンネマリーに習っているのだが、当のケットシーは退屈するとクルトの工房に遊びに来る。
「俺と散歩に行くか? パンを買いに行くついでに、<Langue de chat>に寄ろう」
「あいっ」
元気な返事に笑って、クルトは籠の中からグラッフェンを抱き上げた。エンデュミオンより二回り小柄なケットシーは、軽くて軟らかい。
他のケットシーは解らないのだが、グラッフェンは主のエッダだけではなく、クルトと一緒でも散歩に行くのだ。エッダが喚べばどこでも〈転移〉出来るとはいえ、良く懐いてくれている。ちなみに風呂にもクルトと二人で入る時もある。
クルトは上着を着て、グラッフェンにも明るい緑色のケープを着せた。ケープの縁には、エッダが頑張った青い小鳥の刺繍が入っている。
「グラッフェンと散歩に行ってくる。〈麦と剣〉でパンも買ってくるよ」
「有難う、気を付けてね」
「私も行きたいなあ」
「すぐに暗くなってしまうわ、エッダ。明日、<Langue de chat>にグラウと一緒に行くでしょう?」
「はあい」
エッダは残念そうに編み物に戻った。秋のリグハーヴスは日の入りが早いのだ。
「いってきましゅ」
前肢を振るグラッフェンを片腕に抱いて、片手に手籠をぶら下げて家を出る。
「にゃにゃん、にゃにゃん」
何やら歌っているグラッフェンは機嫌が良い。と言うか、余り機嫌が悪い時がないのだが。
「こんにちは」
「いらっしゃい、クルト。今日はグラウも一緒なのね」
身重のアンネマリーに代わって、最近クルトがパンを買いに来る事が多い。売り場に居たベティーナは早速カボチャの種が練り込まれたパンの切れ端を、クルトとグラッフェンに試食にくれた。カボチャのペーストが渦巻き状に入っている。
柔らかいパンなので、そのままあむっと齧りついたグラッフェンが耳をピンと立てる。気に入ったらしい。
「んーまっ」
「甘いね」
アンネマリーとエッダも好きそうだ。クルトは黒パンとカボチャのパンを一つずつ買った。
「クルトは聞いてる? <Langue de chat>の裏に何か作るみたいなのよ」
「裏に? あそこも<Langue de chat>の土地だろう?」
イシュカは前の住人の土地と建物をそっくり買い取った筈だ。
「そうなのよね。エンデュミオンに呼ばれたって、エッカルトが今日行ったんですって」
「ふうん。これから<Langue de chat>に行くから見てくるよ」
代金を支払い、クルトは路地を辿って<Langue de chat>の裏手に回った。私有地の為、<Langue de chat>の裏庭には細い鋳鉄の柵がある。裏からも出入り出来る様に扉もついていたが、今日はその扉が久し振りに開いていた。
「やはり雪が積もるから頑丈に作りたいのだ。魔法で補強もする」
「温室なら強化ガラス張りで良いのか?良い作り手が知り合いに居るんだが」
「ああ、頼みたいな。──ん? そこに居るのはクルトとグラッフェンか?」
「やあ、エンディ、エッカルト」
裏庭で熱心に話し込んでいる二人にどうしようかと思っていたら、エンデュミオンが気付いてくれた。
「入ってこい」
「お邪魔するよ」
<Langue de chat>の土地はエンデュミオンの守護下にある。場合によっては、エンデュミオンの許可がなければ入れないのだ。
「でぃー」
「グラッフェン、何食べたんだ? 髭にペーストが付いているぞ?」
「ああ、それベティーナに貰ったカボチャのパン……」
口元を拭いてやるのを忘れていた。ハンカチでぽやぽやとした髭に付いたカボチャペースト拭き取ってから、地面にグラッフェンを下ろしてやる。
「何か作るのかい?」
「冬が寒いから温室を作るんだそうだ」
「建物を作ってくれれば、中はエンデュミオンが作る」
「へえ、凄いな」
ケットシーは園芸も出来るらしい。
「クルトには扉と、中でお茶が飲める様にテーブルと椅子を作って欲しいな。人用とケットシー用で」
「良いけど、そんなに広いのかい?」
「それなりにはな。出来上がったらグラウと来ると良い」
「楽しみだな。あれ、グラウ?」
どこに行ったのかと思ったら、エッカルトの足元に居た。
「ぐらっふぇん!」
右前肢をしゅっと挙げ、グラッフェンがエッカルトに挨拶する。エッカルトと会うのは初めてだったのだ。
「俺は鍛冶屋のエッカルトだよ」
エッカルトが屈んで、見上げているグラッフェンの頭を分厚い掌で恐る恐る撫でる。嬉しそうにグラッフェンが黄緑色の目を細めた。
「にゃー」
「この子は俺を怖がらないんだなあ」
採掘族で鍛冶屋のエッカルトはがっちりとした体つきと大きな声で、子供に怖がられる事が多いのだ。
「グラッフェンは人に傷付けられた事がないからな。大きな人はイシュカとテオが居るし、大きな声はルッツとヨナタンが走り回って遊んでるのに慣れてるし。それにエッカルトには火蜥蜴のエルマーの匂いがするから安全だと解る」
ヴァルブルガの場合は人見知りなだけだぞ、とエンデュミオンが苦笑いする。
「どんな温室になるのか、明日でも設計図を見せて欲しいな。今日はもう陽が暮れるから」
「解った。エッダに設計図の写しを持たせる。アンネマリーを一人にさせたくないしな」
「有難う」
クルトとグラッフェンが帰る時、エッカルトも一緒に裏庭を出た。
「雪が降る前に温室の外側を作って欲しいと言われてな」
「なぜ温室なんだ?」
「ケットシーは寒さが苦手な上、リグハーヴスの冬は緑が無いからだそうだ。妖精には森が欠かせないと言っていた」
元大魔法使いのケットシーでも、ムラムラと衝動的に温室が欲しくなったらしい。
「採掘族の鍛冶屋仲間で仕事が空いている奴に声を掛ければ、面白がって来るだろう。ケットシーは空間魔法が使えるから、資材運びはしてくれると言うし」
「ああ、運搬に時間が掛からないのか」
それならば、早く温室が建つだろう。
途中でエッカルトと別れ、クルトは自宅のドアを開けた。
「ただいま」
「ただいまー」
弱く暖房が入った家の中から、シチューの香りがした。きゅう、とグラッフェンから腹の虫の声が聞こえた。
「お帰りなさい」
居間からエッダが出て来たので、クルトはグラッフェンを渡す。
「えっだ、ぐらっふぇん、おなかしゅいた」
「もうすぐご飯だよ」
「おかしゃんの、しちゅーしゅき」
エッダとお喋りしているグラッフェンからケープを脱がせ、自分の上着と共に、玄関脇の廊下にある外套掛けにしまう。
「パンを切って、夕御飯にしようか。カボチャのパンも買ってみたよ」
「やったあ、ヘア・カールのカボチャのパンは美味しいよ、グラウ」
「あいっ」
居間に入っていく二人の背中を眺めつつ賑やかになったなあ、とクルトは思う。元々エッダはクルト達ときちんと会話する子だったが、やって来たグラッフェンも結構お喋りだった。
幼い子供の声で、時々怪しい発音で話すのが可愛いのだ。これで春頃にはもう一人増えるのだから、ますます賑やかになるだろう。
「おとしゃん、ぱーん」
「はいはい、今行くよ」
少し毛深い息子の催促に、クルトはパンの入った籠を持って台所へと向かった。
エンデュミオン、ケットシーの本能により温室を建てます。
使う場所が今までなかったため、結構小金持ちなエンデュミオンです。
グラウは頻繁にエンデュミオンに会いに来ています。




