ロルツィングの来訪(中)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
一般的には<暁の旅団>の民が複数集まっているだけで、注目されたりします。
146ロルツィングの来訪(中)
腹の上の重さと温もりに、テオは意識が浮上すると共に掛け布団を少し持ち上げた。
「……ルッツ?」
腹の上にルッツが俯せになって寝ていた。胸の上に乗っている頭を撫でる。テオのパジャマをぎゅっと掴んで寝ているが、こんな風にルッツが寝るのは、一人で先に寝かせた時に多い。
(昨日は一緒にベッドに入ったよな……)
となると、思い付くのはロルツィングだ。昨日は寂しい思いをさせたかもしれない。
(意外と寂しがり屋だからなあ)
明るく元気に振る舞うが、やはり幼い子供なのだ。
「一緒に居るから大丈夫だよ、ルッツ」
大きな耳の付け根を掻いてやり、テオは布団を元に戻す。今日はゆっくり起きる事にした。
トトトン、トトトン。
「そろそろ起きろ」
「……朝か」
ティルピッツのスタンピングでロルツィングは目を覚ました。〈暁の旅団〉では床に布団を敷いて寝ているので、ベッドは少し感覚が違う。それでも枕元でスタンピングされるのは同じだ。
昨夜、ティルピッツは枕元で、レヴィンは足元で寝ていた。手を伸ばしティルピッツを一撫でしてから、ロルツィングは起き上がり伸びをした。弱く暖房が入っているが、〈暁の砂漠〉の朝とは違う涼しさだ。
バスルームに行ってシャワーを浴び、ロルツィングはテオに借りた服に着替えた。足元でピョコタピョコタ、カコカコと付いているティルピッツとレヴィンと共に居間に行く。
「お早うございます」
居間と続きの台所には、孝宏とカチヤが居た。彼らに憑いているエンデュミオンとヨナタンも居間に居た。
「お早うございます」
ロルツィングも丁寧に挨拶を返し、邪魔にならない為にソファーに居るエンデュミオンの隣に座った。ソファーの肘掛けには、グリューネヴァルトが丸くなっている。ティルピッツとレヴィンもラグマットの上の座布団に思い思いに座った。
「テオとルッツはもう少し後になるぞ。ルッツが朝に弱いからな」
視線で捜していたのが解ったのか、エンデュミオンが読んでいたノートから束の間顔を上げ、ロルツィングに言った。
エンデュミオンが読んでいたのは、ロルツィングが読めない文字で書かれた物だった。青いインクで手書きで書かれているが、結構な文字量だ。
「それは?」
「孝宏が書いた原稿だ。孝宏の母国語は倭之國と同じだからな。これをエンデュミオンが黒森之國語に翻訳するのだ」
「原稿?」
「テオやイージドールに聞いていないか? <Langue dechat>にある貸本は孝宏が書いているんだぞ」
「……〈異界渡り〉の恩恵か」
「そうとも言うな。本を借りるなら、後で店を見ると良い」
そう言って、エンデュミオンは再びノートに集中してしまった。
もう一人のヨナタンは、座布団と言う薄いクッションに座り、裁縫箱を開けて黒く長い布に刺繍をしていた。〈星を抱く三日月〉が銀糸で織り込んであるストラだ。
ピンク色の舌先をちろりと出して、すいすいと刺繍をしているが、縫い取っている綴りが〈Isidor〉に見える。青い小鳥に赤い花冠を載せ、ヨナタンは糸の始末をした。白と黒の房飾りのあるストラを畳み、蔦模様の織り柄のあるオリーブグリーンの布に包む。
フス!と鼻を鳴らし、ヨナタンは立ち上がって布包みをロルツィングに差し出した。
「イージドールにわたして」
「これはコボルト織じゃないのかい?」
フス!とヨナタンが肯定する。
「ヨナタンおった。イージドールにあげる」
「コボルトの織り子は気に入った相手に布を贈るんだ。純然たる好意だから、受け取ると良い」
ノートの頁を捲り、エンデュミオンが顔を上げずにロルツィングに進言する。
「貴重な物を有難う、ヨナタン」
「……」
しゅっとヨナタンが右前肢を上げる。それから裁縫箱に蓋をして、部屋へ片付けに行ってしまう。
「コボルト織のストラとは、加護がありそうだな」
「あるぞ。それには〈防御〉と〈幸運〉が付いている」
あっさりとエンデュミオンが応える。
「……〈付与〉が出来る織り子なのか?」
「カチヤが好きに織らせているから、ヨナタンは好き放題しているぞ」
孝宏が縞模様以外の布もあると教えたので、今では柄物も良く織っている。ヨナタンは魔法は使えないのだが、布に〈付与〉は付けられるのだ。服地には〈健康〉や〈防御〉など、用途に応じて付けているし、小物用には〈幸運〉を付与している。とてもささやかな〈付与〉だし、悪いものではないので、エンデュミオンは放置していた。
ちなみに一般流通しているコボルト織に〈付与〉は付いていない。これがばれたらまた一騒動起きそうなのだが、ヨナタンはカチヤ個人に憑いているので、他人がどうこう出来はしない。
ヨナタンに何かあれば、リグハーヴス中のケットシーが呪うし、南方コボルト兄弟の魔法の杖が雷を落とす。つまり、命が惜しければ馬鹿な事は考えない方が良いのだ。
とてとてと足音を立てて、ヴァルブルガが居間に入ってきた。おっとりとした毛並みの良い三毛のケットシーで、最初は女の子かと思ったロルツィングである。
小さな声で「おはよう……」と言って、ヴァルブルガは後ろから入ってきたイシュカの脚の影に隠れる。人見知りだ。
「お早うございます」
片手でヴァルブルガの頭を撫でてやりながら、イシュカがロルツィングに挨拶する。
限り無く赤毛に近い茶色の髪をしたイシュカは、鮮やかな緑色の目をしていた。イシュカがヴァイツェア公爵の長子だという情報は、ロルツィングも知っていた。隣接する領として、ロルツィングはヴァイツェア公爵とは面識があるので、「目元が似ているな」と内心で勝手に納得していた。
それから三十分程して、漸くテオがルッツを抱いてやって来た。首の付け根を支えているので、寝ている様だ。
「ルッツ、起きてる?」
卵片手の孝宏に、テオは首を横に振った。
「夜中に目を覚ましていたみたいで、まだ無理」
テオは座布団の上にルッツを寝かせ、身体に膝掛けを掛けた。シャツとズボンに着替えさせてはいるが、熟睡している。
コボルト織の端切れで作った栞を挟み、エンデュミオンが読み掛けのノートをパタンと閉じた。キロリ、とテオに黄緑色の瞳を向ける。
「ルッツを不安にさせたのか?」
「そうみたいだ。起きたら心配しなくても良いんだよって、ちゃんと言うよ」
「そうしろ」
二人の会話に、ロルツィングが訝しげに問う。
「その子がどうかしたのか?」
テオが優しく膝掛けの上からルッツのお腹に手を置き、宥める様に指先で叩く。
「一寸ね。ルッツは物心が付いてから親が〈ケットシーの集落〉を出たみたいで、置いていかれるのを凄く嫌がるんだよ」
旅先では一緒に居たので気が付かなかったが、<Langue de chat>に戻って来た時、ルッツが寝ている間に部屋を出たテオを泣きながら探し回った。
それからは用事がある場合、前日に先に部屋を出るが同じ建物内に居るからと説明し、ルッツが不穏になるのを回避した。そして<Langue de chat>からテオが外に出る時は、居間に必ず誰かが待機して、起きてきたルッツを安心させて貰っている。
「今回はロルツィングが俺を迎えに来たんじゃないかと思っちゃったのかな」
テオが移動するならルッツも一緒なのに、言葉で説明しないと不安になるのだろう。
「ケットシーは独占欲が強いからな」
ぽしぽしとエンデュミオンが頭を掻いた。エンデュミオン位ふてぶてしくなると、主に何がなんでも憑いていくが、幼いルッツは遠慮してしまいそうになるのだろう。
「そんなに可愛らしいケットシーをテオフィルから離したりせぬ」
「全くだ」
ティルピッツとレヴィンが眠るルッツを、穏やかな眼差しで見詰める。年長の妖精にとって、幼い妖精は種族に関係なく保護対象なのだ。ロルツィングの養子に憑いたのなら、可愛がる大義名分がある。
「ルッツが起きたらレヴィンの背中に乗せてやろう」
「うん、喜ぶと思う。養父さん、イーズに精霊便出したの?」
「あちらも聖務があるからな。朝食の後がよかろう」
フレンチトーストと腸詰肉とサラダの朝食を食べ、イシュカとカチヤは工房に下り、孝宏とエンデュミオンが店に出る。
居間のテーブルの引き出しからテオに紙とインク、ペンを取り出して貰い、ロルツィングはイージドールに宛てて手紙を書いたのだった。
ちりりりん。
「いらっしゃいませ、司祭イージドール、シュヴァルツ」
「うちの兄がお邪魔しているそうですね。お世話を掛けます」
司祭服に合わせたのか、黒いフード付きのケープを着たシュヴァルツシルトを抱いたイージドールは、カウンターの孝宏とエンデュミオンに頭を下げる。
「いいえ。テオのお父さんですし。二階にどうぞ」
「お邪魔します」
「ちまちゅ」
まだ舌の回らないシュヴァルツシルトがエンデュミオンに小さな前肢を振る。現在のところルッツよりも二回り小柄だが元気だ。
イージドールはカウンターの奥の廊下にある階段を上り、目を丸くした。
廊下に少し大きく変化したレヴィンが居て、ルッツとヨナタンを背中に乗せていたのだ。レヴィンの横にはテオが居て、二人が落ちない様に見ていた。足元にはティルピッツが居て、落ちたら背中で受け止める気らしい。
「あ、イーズいらっしゃい」
「テオフィル。良くレヴィンが背中に乗せたね」
「何をいう。テオフィルの妖精ならばレヴィン達の孫の様なものだ」
ふふん、と鼻を鳴らし、レヴィンがサラサラの尾を振った。永く生きているので、子を通り越して孫感覚らしい。
あれから目を覚ましたルッツはテオに朝食を食べさせて貰い、〈暁の砂漠〉に里帰りする時は自分も一緒なのだと教えられてすっかり機嫌が治っていた。
「ほれ、その子も乗せろ」
「シュヴァルツシルトー」
ルッツが手招きする。イージドールはルッツの前にシュヴァルツシルトを座らせた。
「にゃー」
シュヴァルツシルトがレヴィンの青銀色の鬣を掴む。
「良し、歩くぞ」
ゆっくりと揺らさない様にレヴィンが廊下を歩いて行く。きゃっきゃと声を立てて喜ぶ三人に、イージドールは微笑み、居間に顔を出した。
「兄さん」
声を掛けられ、本を読んでいたロルツィングが顔を上げる。最近、視力でも下がったのか、持っていたレンズを閉じた本の表紙に載せた。
「兄さん、目が悪くなったの?」
「細かい文字が少しな。お前のケットシーは連れて来なかったのかい?」
「今、廊下でレヴィンの背中に乗せて貰っているよ」
「そうか。元気そうで何よりだ」
「ええと、人質の役目としてケットシーが憑くのはまずいんだけど?」
「構わん。下らぬ事で可愛い弟が殺されずに済むのだからな」
〈暁の旅団〉の族長であるロルツィングは、現時点で王家に何の恨みもないが、王家や聖都の騒動にイージドールが巻き込まれるとなるなら話は別だ。
前任者が寿命で亡くなった後、後任者を出す事をロルツィングは酷く渋った。反逆の意思があるのかと王宮の重臣達が騒ぎ始める気配があり、イージドールが自ら教会に入るとロルツィングに申し出た経緯がある。
「お茶淹れるね」
シュヴァルツシルトを抱いたテオが、ルッツとヨナタン、元の大きさに戻ったレヴィンとティルピッツと共に居間に戻って来た。
「いーじゅ、だあれ?」
テオからイージドールの膝の上に乗せられたシュヴァルツシルトが、レンズを取り出してロルツィングを観察する。
「僕の兄さんのロルツィングだよ。シュヴァルツ」
「ろるつぃー」
「そうだ。シュヴァルツ、私もレンズを持っているぞ」
「おしょろい」
「そうだな」
舌足らずだがお喋りなシュヴァルツシルトと話すロルツィング達の会話を聞きながら、テオは薬缶でお湯を沸かした。子供用の椅子に座るルッツとヨナタンに聞く。
「どのお茶にする?」
「これ」
「いいにおい」
ルッツとヨナタンがお気に入りの、林檎のお茶が一押しらしい。
「シュヴァルツにはミルクかな」
「あい」
楓の樹蜜の瓶をヨナタンが押し出してくる。クーデルカから貰ったこれは、エンデュミオンでさえ唸らせる代物だった。
基本的に上質な物はコボルト経由でしか手に入らないので、リグハーヴスではクーデルカからしか入手出来ないだろう。クーデルカはハイエルンの集落で暮らしていたので、〈転移〉をして物々交換してこられるのだ。
ヨナタンはコボルト織をクーデルカに渡し、交換をして来て貰う事が出来る。
「お茶だよー」
お茶を淹れたティーポットとカップをお盆に載せて居間に運ぶ。いつものクッキーの皿はヨナタンに持たせ、ホロホロと崩れる柔らかいクッキーの皿はルッツに持たせる。
「はい、シュヴァルツはミルクね。クッキーはこっちの柔らかい物が良いかな」
「あいー」
もそもそとシャツの間からレンズを取り出し、シュヴァルツシルトはミルクのコップと粉砂糖をまぶされた丸いクッキーを確認する。
「スノーボールクッキーって言うんだって。雪玉だね」
「あい。いーじゅ、ちょうらい」
身体が小さく前肢が届かないので、シュヴァルツシルトがイージドールにおねだりする。イージドールはテオが渡したおしぼりで手を拭き、スノーボールクッキーを摘まんで膝の上に座るシュヴァルツシルトの口に入れてやった。
「おいちー」
鉤尻尾がピンと立つ。ミルクも舐めさせて貰って、尻尾がふるふる揺れる。
「おやつに孝宏が包んでくれているよ。孤児院の子達のクッキーもあるし」
「にゃー」
「いつも悪いなあ」
孝宏は定期的に孤児院の子供達にクッキーを届けてくれるのだ。
「でもお菓子を差し入れてくれる人って少ないんでしょ?」
「そりゃあね」
菓子は食べなくても生きていける。だから、住民からの差し入れは野菜等が多い。
「てぃるー」
ティルピッツの元によたよた歩いてシュヴァルツシルトが抱き着く。最近歩き始めたのだ。まだ短い距離しか立っていられないが、尻尾に気合いが入っていて可愛い。
「兄さん、昨日着いたんだよね? 領主様には挨拶したの?」
「いや、これからだな。最初にここに来たからな」
「僕とテオフィルも一緒に行く?」
「そうして貰った方が良いかな」
イージドールにロルツィングが頷く。リグハーヴス公爵にイージドールは余り面識がない。
「じゃあ、精霊便を執事宛に送っておくよ」
テオがテーブルの引き出しを開けて紙とペン、インクを取り出す。
領主邸に行く面々の名前を書きながら、襲撃に来たと思われたら嫌だなあ、と思うテオだった。
エンデュミオンよりも高齢なティルピッツとレヴィン。
幼い妖精は孫みたいなもので、大層可愛がります。
エンデュミオンは大魔法使い時代に<暁の砂漠>に当時の王の付き添いで行った経験があり、ティルピッツとレヴィンとは顔見知りでした。




