シュヴァルツと宝箱
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
リグハーヴスのケットシーとコボルトはクルトの宝箱を皆持っています。
144シュヴァルツと宝箱
司祭イージドールの朝は早い。夏場なら夜明けと共に、冬場なら夜明け前に起き出す。
起床と共に月の女神シルヴァーナに目覚めの祈りを唱える。それからバスルームに行って沐浴し、身支度を整える。
大体その頃にはシュヴァルツシルトも物音で目を覚ますので、沐浴させおしめを取り替える。夜におしめを濡らさない事も多いが、汚れていなくても交換する。シュヴァルツシルトにも服を着せたら、イージドールと一緒に孤児院の台所まで連れていく。
秋になり少しひんやりしている台所でするのは、当然料理だ。シュヴァルツシルトを子供用の椅子に座らせ、イージドールは司祭服の袖を捲った。
孤児院があるので、基本的にこの教会での食事は孤児院の子供達と一緒に摂るのだ。
以前は司祭ベネディクトと助祭のヨハネスしか居なかったので、ベネディクトが食事を作っていた。ヨハネスは掃除は出来たが料理は不得手だったのだ。子供に不味い物は食べらせられない。
今春からイージドールと修道女フローラがリグハーヴスの女神教会に異動となり人員が増えたのだが、子供好きなフローラには孤児院に常駐して孤児達の面倒をみて貰って居るので、朝食を担当する事にしたのだ。昼食や夕食は、フローラが当番の孤児達と作っている。これは孤児達が独立した時の為に、料理は出来た方が良いと言う、ベネディクトの考えからだ。
「シュヴァルツ、玉葱の皮剥いてくれるかな?」
「あい!」
子供用椅子を作業机に付けて、玉葱を五個ばかりシュヴァルツシルトの前に置く。シュヴァルツシルトはレンズを取り出して玉葱を確認してから、ちょっぴり出した爪を使って器用に玉葱の茶色い皮を剥き始めた。
先日お手伝いしたそうだったので、試しに渡してみたら意外な上手さだった。
イージドールは南瓜を火の精霊と水の精霊の力を借りて蒸し煮にし、細かく切って鍋に入れた。そこにコンソメスープの素を少し、刻んだベーコンと玉葱、生米を入れてバターで炒め、米が透き通ったところで水を注いで煮始める。これは水気の少ない南瓜の粥になる。孤児院では穀物の量を増やせる粥は多いのだ。
「ちゃまねぎー」
「有難う、シュバルツ」
綺麗に皮が剥けた玉葱を受け取り、シュヴァルツシルトの前肢を水の精霊魔法で洗っておく。幼いケットシーが目を擦ってしまう前に忘れずにやる。
粥に使った以外の玉葱は薄切りにしてバターとオリーブ油を溶かした鍋に投入し炒める。ここでも少し火の精霊の力を借りて手早く玉葱を飴色にして、水とスープの素を入れる。これは玉葱のスープだ。
鍋二つを煮込んでいる間に、天板に深皿に入る大きさに切った白パンにチーズを載せる。
「シュヴァルツ、これ美味しい色になるまで焼けるかな?」
シュヴァルツシルトを天板まで抱っこしてきて、火の精霊魔法で狐色に焼いて貰う。
「にゃん!」
レンズを目の前に翳して、シュヴァルツシルトは真剣にチーズパンをこんがりと焼き上げた。
「上手い上手い」
誉めると、キューとシュヴァルツシルトの腹が可愛らしい音を立てる。香ばしい匂いに空腹が刺激されたのだろう。
「しゅゔぁるちゅしると、おなかしゅいた」
「もう少し待っててな」
イージドールは両手持ちの木製のカップで、牛乳に楓の樹蜜を溶かしたものを人肌に温め、シュヴァルツシルトに出してやる。
「にゃう」
レンズで確認しようとして曇らせ、シュヴァルツシルトは慌ててシャツの中にしまい込んでから、ちゃむちゃむと牛乳を舐め始めた。
「お早う、イージドール、シュヴァルツ」
「お早う、皆揃ったかな?」
朝食が出来上がる頃ベネディクトが台所に顔を出したので、チーズパンを入れた深皿に玉葱のスープを注いで、食堂へ運んで貰う。その間に南瓜の粥を別の深皿に注ぎ分けた。薄く切った黒パンとティーポットもフローラと子供達が取りに来た。
シュヴァルツシルトに重い物は持てないので、自分のスプーンを持たせて、食堂へと抱いていく。子供用のスプーンは持ち手が輪になっていて、握る力が弱くても落とさないのだ。大工のクルト作品だ。
全員が席に付くのを待って、ベネディクトが食前の祈りを唱え、皆で唱和する。
「にゃん!」
シュヴァルツシルトはレンズで朝食を眺めた後、自分の粥とスープを氷の精霊魔法で食べ頃に冷まし、スプーンを入れる。
ケットシーは食いしん坊であり、食べ物を粗末にはしない。シュヴァルツシルトは自分で食べても殆ど溢さなかった。食事中ラルスに持たせて貰った前掛けをしているが、余り汚れない。
「おいちー」
南瓜の粥が甘くて気に入った様だ。ぽやぽやと髭の生えた口元に黄色いソースがべったり付いているが、食べ終わった後で拭かないと、結局また付くので好きに食べさせている。一度に食べられる量は少ないが、好き嫌いなくご機嫌で食べる。
シュヴァルツシルトは小柄で強度の近眼だったが、他に身体で悪い場所はなかった。この間初めて教会に検診に来た魔女グレーテルにも、「身体が小さいだけで健康」とお墨付きを貰っている。
もしかするとルッツよりも小さいままで身体の成長が止まるかも、とは言われたが。そもそもケットシーの身体の大きさはマチマチだから気にしなくて良いと。人族の身長差の様なものらしい。
朝食後の皿洗い迄がイージドールの仕事だ。その間も、シュヴァルツシルトは台所にある子供用の椅子で待っている。
「良し、終わり。お待たせ、シュヴァルツ」
振り返った先には、レンズで自分の前肢を見るシュヴァルツシルトが居た。にゅっと爪を出している。
「ちゅめ」
「伸びているのか?あー、爪研ぎ板なかったな。こら、机で研ごうとしないんだよ」
爪を出したまま机に前肢を伸ばしたので、慌ててシュヴァルツシルトを椅子から抱き上げた。部屋に戻ってラルスが手帳に書いた育児指導書を読む。
「ええと、〈爪研ぎ板は大工のクルトに端材を貰え〉?」
どうやら、爪研ぎ板は大工のクルトがケットシー御用達らしい。何が違うのだろう。しかしお勧めならば行かねばならない。教会の家具や聖具で爪を研がれる前に。
「ベネディクト、爪研ぎ板を貰いにヘア・クルトの工房に行ってくる」
「解った、気を付けて」
ベネディクトに声を掛け、イージドールはシュヴァルツシルトをショールで包んで教会を出た。そろそろ風も冷たくなるので、早めに〈針と紡糸〉で、シュヴァルツシルトのフード付きのケープを注文しなければ。柔らかいマフラーや手袋も欲しい。靴下もだ。靴はもう少ししてからでないと大きさが変わるかもしれない。
食料品を売っている通りを抜けて、街の奥にある大工通りに向かう。
広い路地には荷馬車があり、製材された木材が積まれている。木の香りが立ち込める路地を、イージドールは静かな方へと進む。
家具大工のクルトの工房は、既に開いていた。外側の厚い扉が両方開いており、内側の硝子窓のある扉が閉まっている。夏場は双方開いていたりするのだが、秋になって、防寒の為内側を閉めてあるのだろう。
工房の中を覗くと、クルトとグラッフェンが見えたのでノックする。
「いらっしゃい、司祭イージドール」
「お早うございます。この子はシュヴァルツシルトで、〈薬草と飴玉〉のラルスの弟です」
「しゅゔぁるちゅしると!」
「俺はクルトだよ」
しゅっとショールの中から挙げたシュヴァルツシルトの前肢を、クルトが握る。
「ぐらっふぇん!」
クルトの作業机に座っていたグラッフェンも挨拶してくる。何故か片方の前肢に小さな鉋を持っていた。その鉋で机の上を擦り始める。机が削れないか、イージドールは心配になってしまった。
「あの、グラウの鉋は大丈夫なんですか?」
「あれは木で作った玩具なんだよ」
笑いながらクルトが言う。色合いが違う木で作った本物そっくりの鉋だった。
「エッダがアンネマリーの手伝いをしている間、グラウを俺が見ててね。興味ありそうだったから、作ってやったんだよ」
クルトは作業台の上で蓋付きの箱を作っていた。蝶番も木で作り、箱に取り付け太い木のネジを差し込む。ネジの先端を覆う部品を付けて軽く回してから、クルトはグラッフェンを抱き上げて箱の中に入れた。
「グラウ、ここを最後まで回してくれ」
「あい」
むに、と肉球で掴み部品を回して行く。回しきってからグラッフェンはクルトの顔を見る。
「うん、ちゃんと絞まってるな。上手いぞ、グラウ」
仕上げにクルトが絞め、グラッフェンの頭を撫でた。
「にゃー」
誉められてグラウが照れたように笑った。エンデュミオンと良く似ているのだが、性格は違う様だ。
(エンデュミオンの場合は、まあ少しひねていても仕方がないからなあ)
通常ケットシーは主と同じか主を補佐する技能を取得する事が多いのだが、グラッフェンは大工仕事を覚えそうだ。
「これはグラウの宝箱なんだ」
グラッフェンを箱から出し、クルトは蓋を閉めて見せる。丸みのある蓋は、まさしく宝箱だった。金具は使っておらず、全て色合いの違う木を使い分けている。
「あとは艶出しのオイルを塗り込んで磨けば出来上がりだな」
「ぐらっふぇんのー」
グラッフェンが宝箱に頬擦りする。
「シュヴァルツシルトのも作って貰えますか?」
「良いよ。リグハーヴスのケットシー達は皆持っているかもな。コボルトもだけど、頼まれて作ったんだよ」
「ああ、妖精は宝物を収集するらしいですから」
見ている側でグラッフェンが宝箱の蓋を開け、玩具の鉋を中に入れた。お気に入りなのだろう。
「ちゃからもの?」
「大切なものを入れる箱なんだよ、シュヴァルツ」
「いーじゅ?」
「流石に僕はこの中には入らないかな。ほら、こういうの」
イージドールは〈時空鞄〉から翡翠色の魔石を取り出した。大きさはおはじき程度だが、薔薇の形をしている。二つ取り出して、片方をグラッフェンに渡す。もう片方を受け取ったシュヴァルツシルトが耳をピンと立てた。
「しゃばくのはにゃ!」
「そうだよ、〈砂漠の花〉だよ。良く知っていたね」
〈砂漠の花〉は〈暁の砂漠〉で発掘される花の形をした魔石だ。薔薇の他にも花の種類はある。
〈暁の砂漠〉は地表にある迷宮と言われ、固有種の魔物が出る。〈暁の砂漠〉の魔物は魔石を有し、〈砂漠の花〉は砂漠で死んだ魔物が朽ち、魔石が砂で研かれて出来るのだ。薔薇の形をした物は特に人気がある。
「良いのかい?そんな珍しい物を」
「ええ。子供の頃に良く拾ったんですよ。僕は〈暁の旅団〉産まれですから」
「そうか?グラウ、お礼は?」
「ありがとー」
「ありがと、いーじゅ」
シュバルツシルトがイージドールの頬にキスする。ふにっとした温かい感触がくすぐったい。
机に出ていた工具を箱に入れたクルトが三本足の椅子から立ち上がった。
「用事があったんだな。こちらの仕事を優先させて悪かった」
「いえ、シュヴァルツの爪研ぎ板を譲って貰えたらと思って来たんです」
「爪研ぎ板か。一寸待っててくれな」
クルトは端切れ板をまとめて置いてある場所に行き、一枚の板を持ってきた。
「ラルスの好みはこの板なんだが、シュヴァルツはどうかな?」
差し出された板の匂いをすんすんと嗅ぎ、シュヴァルツシルトは軽く爪を研いでからレンズで良く見る。
「これ、しゅき」
「じゃあ、角を整えてやるからな」
クルトは板の形を整えて角を丸めてから、イージドールに渡してくれた。
「お幾らですか?」
「端切れだから要らないよ。それにグラウに〈砂漠の花〉をくれたろう。こっちが払わなきゃならない位だろうに」
「有難うございます」
「ありがと」
「教会で何か困った事があったら言ってくれよ。直しに行くから」
「助かります。ベネディクトに確認してみます」
多少の事ならイージドールでも直せるが、礼拝堂などの不具合に関しては、本職にきちんと直して貰った方が良い。
「グラウ。お互いもう少し歩けるようになったら、シュヴァルツと遊んで下さいね」
「あい!」
元気良くグラッフェンが前肢を挙げた。本当にエンデュミオンと顔は似ているのに、あちらとは似ていない溌剌さだ。あちらは……中身が老成していても仕方がないのだが。
グラッフェンはエッダのケットシーだから、その内<Langue de chat>でも会う筈だ。
「板が薄くなったら又来てくれよ」
「はい、有難うございます」
「じゃあねー」
「じゃあねー」
ケットシー達も前肢を振って挨拶する。
帰途に付きながら、イージドールはほうと息を吐く。
全くもってリグハーヴスの住人達は誠実で、外部から来たものも受け入れるおおらかさがある。イージドールが〈暁の旅団〉の人間だと知っても態度が変わらない。
(見た目だけならテオフィルで慣れているか……)
リグハーヴスに定住して三年近く経っているのだから、テオの顔見知りも多かろう。
「さ、帰ったら爪研ぎしような」
「あい!」
小さなケットシーと話しながら教会に帰る司祭イージドールを、街の住人達が温かい眼差しで見ていた事を、当人達は気付いていなかった。
そしてイージドールとシュヴァルツシルトが帰った後、工房にグラッフェンを迎えに来たエッダに、「呼んでくれれば良かったのにー」とちょっぴり拗ねられたクルトだった。
シュヴァルツシルトの宝物はイージドール。




