イージドールと妖精猫(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
イージドールは王家の虜囚です。
143イージドールと妖精猫(後)
建設予定地の〈祝福〉をしてきたベネディクトを、イージドールは司祭室で出迎えた。
「お帰りー」
「ただいま、イージドール」
空になった聖水の小瓶を机に置き、ベネディクトは椅子に腰を下ろした。やはり風邪気味だからか、疲れた様子だ。
イージドールは茶道具が置かれた棚に行き、熱鉱石の入ったポットに水を入れお湯を沸かし、茶葉を入れたティーポットに注いで砂時計を引っくり返す。
砂時計の砂が落ちきったのを確認して、ティーカップに紅茶を注ぐ。
「蜂蜜入れるかい?」
「うん、有難う」
蜂蜜を一匙入れたティーカップをベネディクトの前に置き、机の上にのど飴の小瓶を置く。
「色々混ぜて貰ったよ」
「結構種類あるんだね。幾らだった?」
「要らないよ。それより話があってね」
「ん?」
ベネディクトがティーカップを机に戻し、口の中の紅茶を飲み込んだのを確認してからイージドールは口火を切った。
「〈薬草と飴玉〉に居るシュヴァルツが僕に憑いてね」
「っ!?」
「明日からここに来るんだけど」
「イ、イージドール!?」
「あ、うん、気持ちは解る。人質がケットシー憑きって、もうどうしようって話だよね。一番困るのは新たに〈暁の旅団〉から聖職者を出せって言われる事なんだけど、前任が現存している場合は次の人質出さない決まりだから」
つまり、イージドールが生きている間は、〈暁の旅団〉から次の人質を出す必要はないのだ。
「僕を暗殺したら、まあ王家が滅ぶからね。シュヴァルツが呪うだろうし、まだ赤ちゃんだから加減しないだろうし」
「ケットシーって、小さな呪いだけじゃないのかい?」
「あれは加減しているだけだよ。主が無事だから」
主に危害を加えられたら本気で呪われる。
「……司教様に手紙を書かないとならないね」
「すまない」
報告書を上げるのは主席司祭のベネディクトだ。
「構わないよ。それよりシュヴァルツが来るのなら、用意する物はないのかな」
「孤児院から使ってない子供用と言うか、赤ん坊用のベッドを持って来る位かな」
シュヴァルツシルトは小さいので赤ん坊用で足りる。
「後は……シュヴァルツは目が悪いんだ。近くしか見えないから気を付けないと。リグハーヴスでレンズを扱っている店は無いかな」
「魔石を沢山扱っているとなると、〈クレスツェンツ〉かな。木製の杖や細工物を作っている店らしいけど。コボルト達の杖を作ったり、〈生命の指輪〉を作れるみたいだ」
「へえ、それは凄い。明日シュヴァルツを迎えに行った帰りに寄ろうかな」
「店があるのは大工通りだって」
ベネディクトは街の住人とも話すので、意外と情報通だった。
翌日、イージドールは朝の聖務を済ませてから、〈薬草と飴玉〉に向かった。
「お早うございます」
「お早うございます。司祭イージドール」
今日はカウンターにブリギッテとラルス、シュヴァルツシルトが居た。
「いーじゅ!」
カウンターに座ったシュヴァルツが、イージドールに前肢を振る。
「はい、お早う」
「にゃん!」
イージドールはシュヴァルツを抱き上げた。シュヴァルツはすりすりと司祭服に頭を擦り付ける。
「ふふ。目を覚ましてから、ずっとそわそわしていたぞ。そっちから入ってくれ」
ラルスがカウンターの奥に入って行ったので、イージドールはドアを開けて廊下へ足を踏み入れた。
「こっちこっち」
居間の入口からラルスが手招きする。居間には布でまとめられた布団や、玩具が入った籠があった。
「何だか増えてしまって」とドロテーアが済まなそうに笑ったが、シュヴァルツシルトが可愛がられている証だろう。
「良いんですか?こんなに」
「ここにも玩具は少し残したんですよ」
籠の一番上には、ラルスと良く似ている黒いケットシーの編みぐるみが載せてあった。青と黄色の魔石釦が目に使われている。おまけにちゃんと鉤尻尾だ。
「これは寝台に一緒に置いてやってくれ。シュヴァルツシルトのお気に入りなんだ」
実はグラッフェンの件があってから、ヴァルブルガはシュヴァルツシルトとヘルブラウにもそれぞれの保護者そっくりの編みぐるみを渡していた。勿論、ドロテーアとリュディガーに協力を頼んでいるのだが、ラルスとギルベルトは知らない。
「では有難く使わせて貰います」
イージドールは〈時空鞄〉にシュヴァルツシルトの荷物をしまった。
「シュヴァルツシルトの検診は、教会に行って貰う様に魔女グレーテルに頼んでおく。基本的な食べ物や扱いは人の赤ん坊と同じだ」
「解ったよ」
仔ケットシー達は定期検診を受けていると聞いて、イージドールは少し安心した。
「いつでも遊びに連れて来ますから、教会にご連絡下さい」
「いってきましゅー」
イージドールの腕に抱かれたシュヴァルツシルトが、見送るラルス達に小さな肉球の付いた前肢を振る。
〈薬草と飴玉〉を出て、その足でイージドールは<Langue de chat>に行った。
ちりりん。
「いらっしゃいませ──って、イーズ?あれ、その子ってシュヴァルツ?」
カウンターにはテオが居た。今日は手伝っている日だったらしい。白いシャツにピンストライプのベストに黒いズボンを着て、きちんと店員に見える。ルッツは奥の居間に居るのか店側には姿が見えない。
「うん。テオフィルに一先ず伝えておこうと思って。シュヴァルツが僕に憑いたんだよ」
「養父さんには?」
「これから手紙を書くよ。先にシュヴァルツにレンズを探したくてね」
「あ、もしかして遠くが見えないのかな?」
「そうなんだ」
シュヴァルツシルトはどこかぼんやりと辺りを見ているのだ。テオはシュヴァルツシルトの前肢を片方軽く握った。
「俺はテオだよ。また遊びにおいでね、ルッツや皆に紹介するから」
「あい」
返事をして、シュヴァルツシルトはテオの匂いをすんすんと嗅いだ。
大工通りは街の外れの方にある。〈クレスツェンツ〉の看板を見付け、イージドールはその店のドアを開けた。木製のドアベルがコロロンと音を奏でる。
「いらっしゃいませー」
目の前のカウンターに大きな栗鼠が居た。
「……」
一瞬固まったイージドールだが、エプロンをしている栗鼠が店員だと理解し、立ち直った。
「この子の使うレンズがあればと思ったんですが」
「レンズのお客様!クレスツェンツ呼んでくる!」
尻尾の先が緑色の栗鼠が壁の穴に飛び込む。
(店員が栗鼠……。いや、あれは木の妖精か)
結構高位の木の妖精だと思われる。まず大きい事からしても間違いない。
「いらっしゃいませ。親方のクレスツェンツです」
奥から銀髪の人狼がカウンターに出て来て挨拶する。
「初めまして。僕は司祭イージドール、この子はシュヴァルツシルトです。この子の目に合うレンズはありませんか?」
「ではまず検査をしましょう。このカードを見て下さい」
クレスツェンツはカウンターの引き出しから、子供用なのか可愛らしい蛇が円になった大きめのカードを手にした。円になった蛇の頭と尻尾はくっついておらず、Cの形だ。
「この蛇の頭と尻尾の間がある方を教えて下さいね」
一番大きく描かれた蛇の絵をシュヴァルツシルトに見せ、クレスツェンツがカウンターの奥の壁へと移動する。
「これはどっち?これは?」
クレスツェンツは小さな蛇のカードから見せていくが、シュヴァルツシルトには全く見えていなかった。一番大きな蛇のカードで、数歩近付いて漸く答えた。本当に視力が弱いのだ。
「ゼーフェリンク、レンズの箱をお願い」
「はいよー」
ゼーフェリンクと呼ばれた栗鼠が壁の穴に潜り、細長い木箱を尻尾で巻き付け戻ってきた。
箱を受け取ったクレスツェンツが蓋を開けた。蛇腹折りにされた柔らかそうな布に挟まれたレンズが露になる。
「シュヴァルツシルトの目に合うのは、この辺りですね。変幻蛇虫の魔石なんですが、弱い視力を補い、拡大もしてくれます」
変幻蛇虫は目が大きな魔物で地下迷宮にいる。魔石はレンズの材料にされるのだ。純度によって値段はピンキリだ。
黒森之國では眼鏡もあるがレンズが二枚必要であり中々高価だ。その為大抵の者は片手持ちのレンズを使う。レンズの縁飾りや持ち手を凝るのは、準貴族や金持ちだが、平民は首から鎖で下げる簡素なレンズを使っていた。
角の丸い四角いレンズを布の間から取り出したクレスツェンツが、シュヴァルツシルトの顔に近付ける。
「にゃああ!」
シュヴァルツシルトが驚いた声を上げた。良く見える事に驚いたのだろう。
「こちらと、こちらと、どちらが見えやすいですか?」
二枚のレンズをシュヴァルツシルトに交互に試す。
「こっち」
「ご自分で持ってみて良いですよ」
「にゃん」
シュヴァルツシルトはレンズを両前肢で持ち、目の前に翳してイージドールの顔を見た。嬉しそうに笑う。
「いーじゅ」
「良く見えるかい?」
「あい!」
「では、こちらでお願いします。紐か鎖を付けられるようにして貰えますか?」
「はい、承知しました」
クレスツェンツは窓際の苗木を一つ運んできて、レンズを布で磨いた後に近付ける。苗木の枝がしゅるりと伸びてきて、レンズの縁を包む。紐を通す輪も作ってから、ゼーフェリンクが余分な枝を削り切った。前歯で。
青色の革紐を付けたレンズを、クレスツェンツはシュヴァルツシルトの首に掛けてくれた。
「〈破損防止〉を掛けてあるので、滅多な事では割れませんから。普段はこうしてシャツの内側に入れておくと良いですよ」
シャツの釦と釦の間から、レンズを内側に差し込む。ケットシーの腹毛で保護もされ、一石二鳥だ。
「にゃ」
レンズを取り出し、シュバルツシルトが店の中をあちこち見ている。
「これで絵本も読めるな」
「あい」
<Langue de chat>で本を借りてやれる。
代金は金貨一枚だった。良い値段だが、全く惜しくない。〈時空鞄〉に入れていた方の財布から金貨を出して払う。
「見え難くなったら、半額で交換しますのでいらしてくださいね」
「助かります」
レンズは再利用されるのだろう。その為の〈破損防止〉でもあるのかもしれない。
「それからこちらはサービスです」
手渡されたのは、木製の指環だった。
「これ、もしかして〈生命の指環〉ですか?」
「はい。初めてのお買い物をされた方にお渡ししています」
王都ではレンズより遥かに高額で売られている。なにしろ、死を一度回避してくれるのだ。
(でもこれ、僕が使う訳にはいかないんだけどな)
しかし、ベネディクトを守る為に使えるので、有難く受け取る。
「どうも有難う」
「有難うございましたー」
一度会ったら忘れられないゼーフェリンクとクレスツェンツの店を出て、今度こそ教会に戻る。
「ただいま」
「たらいまー」
司祭室をノックしてからドアを開ける。ベネディクトは机で手紙を書いていた。
「お帰り」
「シュヴァルツ、ベネディクトだよ」
「しゅゔぁりゅちゅしると!」
イージドールの腕の中で、シュヴァルツシルトが右前肢を挙げる。
「はい。良く顔を見てね」
ベネディクトの膝の上にシュヴァルツシルトを座らせてやる。おっかな吃驚小さな背中を支えるベネディクトを、シュヴァルツシルトはシャツの中からレンズを取り出して観察する。
「べねでぃくちょ」
「そうですよ。ふわふわしていますね、シュヴァルツは」
「あい!」
「子供達にも後で紹介してくるよ。ベネディクトは司教様へ手紙かい?」
「うん。丁度シュヴァルツの容姿の説明を書こうと思っていたところ」
書きかけの手紙をイージドールに滑らせ、ベネディクトはシュヴァルツシルトを撫でる。くるるとシュヴァルツシルトの喉が鳴った。
「シュヴァルツは鉤尻尾なんですね」
「らりゅしゅ、いっちょ」
「ラルスとお揃いですね」
ベネディクトの膝で、シュヴァルツシルトがぴょこぴょこ跳ねる。
「ヘア・ヒロの書いたお話の中に、黒いケットシーや鉤尻尾は縁起が良いと書いてあったよ、イージドール」
「両方揃っているシュヴァルツシルトは凄いな」
恐らく孝宏の居た国の猫が、そう言われていたのだろう。
「荷物を部屋に置いてから、孤児院の方を見てくるよ」
「午後からフラウ・アデリナがセーターの採寸に来てくれるそうだよ。さっき精霊便が来た」
〈針と紡糸〉は、毎冬セーターと靴下を編んで寄付してくれる。
「シュヴァルツも採寸して貰うと良いですよ」
「にゃん」
「それは嬉しいなあ」
「イージドールも南に居たならセーターは無いんじゃないのかい?全員のを作って下さるよ」
北のリグハーヴスに住むなら、セーターは必需品だ。
眠り羊の毛でセーターを依頼する冒険者達も、最近では冬場を避けて注文してくるらしく、孤児院の子供達へのセーターをゆっくり編めるのだと、先日のミサでマリアンが笑っていた。
どうやらマリアンの教育的指導を受けた先輩冒険者が、新人にきちんと教えているらしい。
ちなみにこのセーターと靴下は、マリアンとアデリナとヴァルブルガで編んでいる。冬になると<Langue de chat>のいつもの席で、ヴァルブルガが毛糸の靴下を編んでいるのは、良く見る風景だった。
「さ、部屋に行こうか。家具の配置決めような」
「あい」
抱き上げられたシュヴァルツシルトが、イージドールに抱き着く。
「じゃあ、また後で」
二人が部屋を出て、ぱたんとドアが閉まる。静かになった部屋で、ベネディクトは太股を擦った。
「ケットシーは温かいんだな……」
シュヴァルツシルトが乗っていた太股が仄かに温かかった。
リグハーヴスの女神教会主席司祭ベネディクトからの手紙は、司教マヌエル以外の司祭達を震え上がらせた。
マヌエルは王家に宛てて、ベネディクトの手紙の写しを同封して事の次第を知らせ、決して〈暁の旅団〉を刺激しない様にと追記した。
エンデュミオンと旧知のマヌエルは、ケットシーの主を傷付けなければ平穏に過ごせると理解していた。
〈暁の旅団〉もまた月の女神シルヴァーナを信仰し、敵対する理由も無かった。
イージドールとシュヴァルツシルト連名の手紙を受け取った〈暁の旅団〉の族長が、暁の砂漠を発つのは、間も無くの事である。
シュヴァルツシルトはイージドールが大好き。「イーズ(いーじゅ)」と略称で呼んでいます。
その内、小さな修道服を着てミサに登場したりします。




