〈黒き森〉の栗拾い
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
約束していた栗拾い行きます。
141〈黒き森〉の栗拾い
「にゃにゃん、にゃにゃん」
「ぎー、ごきげん?」
ギルベルトが肩掛け鞄に堅焼きパンと水筒、スープの元や乾燥野菜を詰めていると、隣に座っていたヘルブラウがこてんと、首を傾げた。明るい茶色の体毛はオレンジ色にも見える仔ケットシーだ。
「〈黒き森〉で栗を拾ってくるよ。茸もあるかな」
「くり?」
「甘い木の実」
「にゃん!たべられりゅ?」
「ヘルブラウも食べられるよ」
大きな肉球でヘルブラウの頭を撫でてやる。ヘルブラウは明るい性格で良く話す。おっとりしているところは、ヴァルブルガに似ているかもしれない。
先日主を見付けたグラッフェンは、結構動き回ったり、玩具で遊ぶのが好きな個体だ。家具大工の娘に憑いたので、父親のクルトがヘルブラウとシュヴァルツにも箱に木片を入れる玩具をくれた。ヘルブラウが気に入って、毎日遊んでいる。
「材料と、お鍋も入れたし……良いかな」
持っていく物を確認したリュディガーに、ギルベルトは頷いた。
「うん」
肩掛け鞄を〈時空鞄〉にしまう。一晩泊まるので、食事用の鍋も入れるのだ。
ヘルブラウは連れていけないのでお留守番だ。マリアンとアデリナに預けていく。
「ぎー、いってらっちゃい」
「気を付けてね」
見送られて、リュディガーとギルベルトは<Langue de chat>に向かった。
ちりりりん。
「お早うございます。テオ、ルッツ、お迎え来たよ」
「はーい」
一階の居間で待っていたらしく、旅装のテオとルッツが直ぐに店に出てきた。
秋になったら栗拾いに行こうと、前から約束していたのだ。二日前にテオが配達仕事から戻ってきたので、そろそろ行こうと言う話になったのだ。
通常、〈黒き森〉の奥まで栗拾いに行く、酔狂な冒険者はいない。テオもリュディガーも〈黒き森〉に迷わないし、ケットシーも憑いているので、遭難する恐れはないから行けるのだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「気を付けて」
「にゃにゃん」
ふふ、とギルベルトが笑い四人の足元に魔法陣が広がる。あっという間に〈黒き森〉の入口まで〈転移〉していた。
ケットシー等の希少妖精がいる為、〈黒き森〉の中では〈転移〉出来ない。ぎりぎり行けて地下迷宮の入口までだ。
「まずは名前を書かないとな」
〈黒き森〉には二段構えで小屋がある。森の入口にある管理小屋と、地下迷宮入口にある管理小屋だ。いつ誰が森や地下迷宮に入ったかの確認の為だ。
森に入るだけなら森の入口の管理小屋に知らせるだけで良い。
テオは小屋のドアを開けて中に声を掛けた。
「お早う、ヘルマン居る?」
「テオか?」
ドアを開けて直ぐの事務所に、奥の部屋から採掘族の青年が現れた。この管理小屋は代々ヘルマンの家が森番をしており、〈黒き森〉に一番近い村にも家がある。引退した父親や他の家族はそちらに住んでいるのだ。
「ヘルマンー」
「元気か?ルッツ」
とてとてとルッツがテオの足元を抜けてヘルマンに駆け寄り、分厚い掌で頭を撫でて貰う。
「栗拾いに行こうと思ってさ。はい、これ茶葉と砂糖とお釣り。それと孝宏のクッキー」
以前来た時にお茶と砂糖を買ってきてくれと頼まれていたのだ。クッキーはおまけである。
「有難う。そろそろ切れる所だったんだ。面倒だろうけど、探索申請書書いてってくれな」
「うん。リュディガー、ギルベルトも」
ドアを半分開けて話していたテオは、リュディガーとギルベルトを招いた。
「うお、でかっ」
ヘルマンはギルベルトを初めて見たらしい。見慣れるまで、ギルベルトは毎回驚かれるのだ。
「ギルベルトは元王様ケットシーだよ。リュディガーに憑いているんだ」
「ここに人、居たんだな」
小屋の中をギルベルトがきょろきょろと見回す。実は森を出る時、素通りしたギルベルトである。
探索申請書に全員の名前と種族を書き、日付も書き込む。戻って来た日にも顔を出し、帰還確認するのだ。
「一泊で戻る予定だよ」
「迷った訳でもなく〈黒き森〉に泊まるのなんか、お前達位だよ」
苦笑しながらヘルマンが申請書を確認し、送り出してくれた。
四人は地下迷宮へつづく道を無視して森の中に入って行った。感覚で目的地の方向が解るのだ。
「くーり、くーり」
足元の草が膝までと深いので、テオに肩車されたルッツが歌う。
〈黒き森〉は時折別の地点へと飛ばされる事もあるのだが、テオとリュディガーはそれを承知で歩いている。
「えーと、二回飛ばされたから、次左だよな」
「ああ。もうすぐで拓ける筈」
久し振りの遠足に軽くリュディガーの息が上がった頃、ぽかりと森が拓けた。
「着いたー」
この広場の奥が栗林になっているのだ。ケットシーは森の管理もしているが、棘のある栗は拾うのが難しいのである。その為、他の動物達の食糧になったり、テオ達の様な迷わない冒険者が拾うに任せてあった。
お弁当のサンドウィッチと水筒のお茶で一休みしてから、テオとリュディガーは栗を拾い麻の袋に入れていく。ギルベルトは目の荒い手籠を〈時空鞄〉から取り出した。
「ギルベルトとルッツは棘を踏むと危ないから、茸取りをする」
「うん。余り遠くに行くなよ」
ケットシーの靴は肢の動きを阻害しない様に、柔らかい革で出来ているのだ。オイゲンの靴なので、棘が貫通まではしないだろうが、無茶はしない方がいい。
「うあー、凄い取れた」
「雨も降ってなかったから、傷みも少ないな」
他に採る人が居ないので、麻袋に五つばかり栗を拾ったテオとリュディガーは、腰を叩いた。
「ギルー!ルッツー!」
森に向かって声を張ると、離れた場所から「あーい!」とルッツの返事が聞こえた。
ガサガサと草を踏む音を立てて戻ってくれば、ケットシーの数が増えていた。十人位居る。皆、蔦で編んだ籠に茸や木の実、川魚を入れていた。
「近くに居たから一緒に取ってた」
里のケットシーも収穫に来ていたらしい。
「テオ、そろそろケットシーの里に行くか?」
「そうだな。夕ご飯作らないと」
元々里にも寄る予定だった。「にゃにゃん、にゃにゃん」と歌うケットシーに先導されて、ケットシーの里に行く。
〈黒き森〉では、ケットシーの里のある場所だけ、春の陽気で温かい。何故なのかは不明なのだが、ケットシーは月の女神シルヴァーナのお気に入りだと伝えられているので、ケットシーの生育環境に合わせてあるのだろう。
ギルベルトと良く似た柄の王様ケットシーに挨拶をしてから、竈のある場所に行く。竈といっても石を組んで、熱鉱石を入れただけの素朴な物だ。
一度主を持ち料理を覚えたケットシー達が、竈を作ったのが始まりらしい。前肢が前肢なので、簡単な料理しか作らないが、芋を煮たり魚を煮てスープにしたりするし、果物や魚を干したりもするのだ。
竈には磨かれた大鍋が置いてあった。
「スープ作るか」
テオはケットシー達が獲ってきた魚を捌き、骨で出汁を取る。骨を取り出してからお湯で戻した乾燥野菜や魚の切身、水で洗った茸、干し肉を投入しスープの素で味を整えた。
ケットシーは各自自分の椀とスプーンを持っているので、最初に王様の椀に注いでから、他のケットシー達にも注いでやる。
「……」
熱いので、誰も直ぐに飲まない。と言うか、飲めない。
その間に堅焼きパンをナイフで薄く切って、チーズを挟んで配ってやる。黒糖味の堅焼きパンなのだが、近距離旅行用なので柔らかくナイフで切れるのだ。蜂蜜味もあり、ちょっとしたおやつにもなる。
遠距離旅行用の堅焼きパンは、更に水分を飛ばしてあるので、お茶やスープに浸して食べたりする。
「今日の恵みに」
「今日の恵みに!」
少しスープが冷めたところで、王様ケットシーが食前の祈りを唱え、ケットシー達も唱和する。
自分達でも料理はするが、塩や胡椒、ハーブと言った最低限の調味料での味付けなので、たまに来る冒険者が作ってくれる料理はご馳走なのだ。
ちなみにケットシーの里に入れた場合には、ここに居る全てのケットシーの審査を通った事になる。
「ここにも小さい子が居るね。おいで」
「本当だ」
食べ終えたテオとリュディガーは、ちょろちょろしていたグラッフェンやヘルブラウと大きさが変わらない仔ケットシーを抱き上げた。白黒斑と白いケットシーだ。
「ほら、スープ飲むか?」
テオが斑ケットシーの口元にスプーンを持っていくと、てちてちと舐め肉球を叩いた。
「んまー!」
もっとと袖を引かれる。食い付きが良い。大人のケットシー達も、スプーンで冷ましながら夢中で食べている。
「ギル、スープの素置いていって良いの?」
大量にはないが、ケットシー達がたまに楽しむ位ならある。
「うん。喜ぶ」
ギルベルトも灰色の仔ケットシーにスープを飲ませていた。ルッツはと言うとクッキーの袋を開けて、スープを食べ終えたケットシー達のおやつに渡していた。
綺麗に食べ尽くした鍋や椀を洗ってから、テオとリュディガーはギルベルトとルッツに温泉へ連れてこられた。岩で囲まれた中に丁度良い湯加減のお湯が溜まっている。足元には平たい石が敷かれて洗い場になっており、歴代のケットシー憑きが色々と手を加えていったのが解る。
「こちらが浅い。向こうが深い」
「成程」
露天風呂の回りには杭が打ってあり、光鉱石のランプがぶら下げてある。
服を脱ぎ、いかにも台代わりに少し離れて置いてある岩に畳んで置く。誰が持ってきたのか桶があったので、掛け湯をして〈泡の実〉とケットシーが呼ぶ植物で身体を洗ってから湯船に浸かる。
ルッツは浅い方に入れ、ギルベルト達は深い方だ。
「ふふ、思い出すな。エンデュミオンは、いつもギルベルトが風呂に入れていたのだ。一人では入れないからな」
「え?なんで?」
エンデュミオンがいつも孝宏に風呂に入れられているとは、リュディガーは知らなかった。テオが言う。
「泳げないんだよ」
「ここ、川あるよね?」
「エンデュミオンは溺れるから近付かない」
きっぱりとギルベルトが断言した。徹底的にカナヅチらしい。
「風呂に行く時はいつも遠い目をしているよ、エンディ。でも、綺麗好きなんだよ」
風呂上がりのふわふわの身体は嫌いではないのだ。ご機嫌で爪を研いでいたりするのを見るので。
ルッツは水が平気らしく、浅い方のお風呂で泳いでいる。広いお風呂が久し振りで楽しいらしい。
「きっと元々泳げないんだよ、エンディって」
大魔法使いの頃、泳ぎを覚える機会がなかったのだろう。川なら魔法で飛び越せば良いのだ。多分、そう解決しそうだ。
「栗を沢山拾えたけど、そのままじゃケットシー食べ難いよなあ」
焼くにしても煮るにしても、硬い皮がある。
「孝宏に聞いてみるか。お菓子にして貰えるかもしれない」
「お菓子ー!にゃっ」
泳いだまま近付いてきたルッツが立ち上がろうとしてドボッと沈み、慌てて掬い上げたテオだった。
ケットシー個人が持つ木の虚はそれなりに広い。ケットシーが寝床にする位だからだ。
完全に脚は伸ばせないが、ふかふかの苔の布団に毛布で一晩過ごし、テオとリュディガーは朝の木漏れ日の中伸びをした。
ギルベルトは王様ケットシーに、エッダに憑いたグラッフェンの事を報告しに行っていて、ルッツはまだ毛布の中だ。
「ルッツ、服着るよ」
「あいー」
半分寝ているルッツに服を着せ、毛布の上に寝かせる。寝起きの悪さはいつもの通りだ。
鍋でお湯を沸かしお茶を淹れ、堅焼きパンにチーズと杏のジャムを挟む。杏のジャムは大瓶で持ってきたので、ケットシー達の堅焼きパンにも塗ってやる。
普段は穀物を食べても粥にしているケットシーなので、堅焼きパンは面白がっていた。冒険者からしか手に入らないのだ。
食事のお礼に、ケットシー達はハーブや茸をくれた。籠一杯のマッシュルームは、マリアンも孝宏も喜ぶだろう。
戻って来たギルベルトと漸く目を覚ましたルッツと朝食を食べ、後片付けをしてケットシーの里を後にする。
「にゃーん」
「又来るよ」
見送りに集まったケットシー達に手を振る。
帰り道は強制的に空間移動され、来た時よりも速く森の入口に出た。
テオはヘルマンの小屋のドアを叩いた。
「ヘルマン、戻ったよ」
「お帰り、早かったな」
「帰りは楽なんだよね。ケットシー達に茸貰ったから、少しどう?あと、栗」
「うわ、立派な茸だな。有難く貰うよ」
袋に入れた茸と栗に、ヘルマンが目を瞠ってから笑顔になる。
「ケットシーは落とし物を届けに、たまに来る位だからな。元気だったか?」
「うん。皆元気そうだったよ」
ケットシーは遭難者のギルドカードや財布を届けに、管理小屋を訪れるのだ。
「又近い内に来るから。じゃあね」
「じゃあねー」
テオとルッツがヘルマンに手を振り、リュディガーが会釈をする。
「にゃん!」
ギルベルトは〈転移〉の魔法陣を展開し、リグハーヴスの街の入口まで一跳びした。
「ただいま」
「ただいまー」
「お帰り、テオ、ルッツ。リュディガーとギルベルトは?」
「先に〈針と紡糸〉に寄って荷物分けて来たんだ。ヒロは?」
「奥に居るよ」
カウンターに居たイシュカが、一階の奥を指差す。
「有難う」
テオとルッツは一階の居間に入った。台所から孝宏が顔を出す。
「お帰りなさい。栗拾えた?」
「いっぱい!」
ラグマットの上で、ルッツがぴょんと跳ねる。
「これ、どうやって食べるかって事なんだけどね」
どさりとテオは〈時空鞄〉から栗が詰まった袋を取り出した。配達屋をやる位なので、テオも〈時空鞄〉は使える。
「茸も栗も凄く大きいなあ。栗は甘露煮にしたり、渋皮煮も良いなあ。鬼皮剥くのは手伝って欲しいけど」
「やるやる。ケットシー達に栗でお菓子を作って持っていってやりたいんだ」
「甘露煮にして刻んでパウンドケーキとか、グラッセかなあ」
ついつい、食べごたえのあるものを考えてしまう孝宏だ。ルッツがぴょんぴょん跳ねる。
「おいしいの!」
「うん、美味しいの作ろうね」
孝宏が二階に行って栗の皮を剥く下準備をしている間、テオは鞄を片付け着替えに行き、ルッツはエンデュミオンにケットシーの里での話をしていた。
「おふろでねー、どぷってなったの。しずんだの。テオだっこしてくれたー」
きゃっきゃと笑うルッツに、全身の毛を逆立て耳を塞ぎラグマットを転げ回ったエンデュミオンだった。
後日、テオとルッツから〈黒き森〉のヘルマンとケットシー達に、栗入りのパウンドケーキと渋皮煮が届けられ、大変に喜ばれるのであった。
レッツ栗拾い。ほぼ毎年拾いに行く、テオとリュディガーです。
孝宏が美味しいおやつにしてくれるので、ケットシー達はこれ以降も秋を心待ちにするのでした。




