騎士団長の小姓
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
騎士団長、小姓を求む。
137騎士団長の小姓
リグハーヴスの騎士団長マインラートは、<Langue de chat>での数日の療養の後、騎士団に復帰した。
喫緊の課題としては、マインラートの過剰魔力をどう消費するかだった。毎回冒険者ギルドに無料奉仕するという訳にもいかない。多分、空魔石の方が足りなくなるからだ。
「暫くは保つ筈だから考えておく」と言うエンデュミオンに見送られ騎士団に戻ったマインラートだったが、直後に待ち構えていたベンノによって副騎士団長室に連れてこられた。
「言質は取っていますからね、側仕えか小姓を決めて貰いますよ」
「しかし側仕えはなあ、余分な騎士は居ないだろう」
リグハーヴスに配属される騎士は毎年少ない。現役冒険者も領内に居るだろうと、学院からあしらわれているのだ。
「なので、騎士以外から小姓を採用して貰います。教会の孤児院の子を引き取りましょう。子供には働き口が出来ますし、教会の負担が減ります」
冒険者の子供が毎年数人孤児院に入るのだ。後日親族に引き取られる子もいるし、徒弟になって出ていく者もいるが、食費や生活費は教会の資金と寄付で賄われている。
「そうだな……では司祭と話してこよう。孤児院の様子も見たいしな」
マインラートは<Langue de chat>で持たされたクッキーの紙袋を片手に孤児院に向かった。騎士達の分は後で買ってくれば良い。
「これはマインラート団長。お加減はもう宜しいのですか?」
司祭室を訪ねたマインラートに、司祭ベネディクトが椅子から立ち上がった。ベネディクトが知っていると言う事は、誰か快癒の祈りでも頼んだのだろうか。
「はい。今日は司祭に頼みがありまして」
「私に出来る事でしたらなんなりと」
「実は私の小姓をこちらの孤児院の子から選ぼうと思っています。本人が望めばゆくゆくは準騎士にもなれるでしょう」
「つまり、ヘア・マインラートに生涯お仕えする者をお探しなのですね?」
「準騎士になった後、別の主を見付ける事も可能ですし、紹介状を書く事も吝かではありません。私はご覧の通り──普通の平原族より長寿ですので」
ベネディクトは頷いた。
「孤児院にご案内致します」
「そうだ、これは子供達にどうぞ」
「有難うございます。あの子達も喜びます」
クッキーの袋を受けとり、ベネディクトが顔を綻ばせる。
孤児院は教会からも渡り廊下で繋がっていた。近付くに連れて子供達の声が聞こえてくる。
「今年の春に聖都から修道女が配属され、随分助かっております」
今までは、ベネディクトと助祭だけでは足りず、街の女性の手も借りていたらしい。
食堂では修道女が子供達に文字の読み書きを教えていたが、ベネディクトとマインラートに気付いて頭を下げる。今は十人程の子供が居る様だ。中でも目立つのは、白灰色の人狼の少年だった。
「姉妹フローラ、こちらは騎士団長ヘア・マインラートです。お菓子を頂いたので、おやつにして下さい」
わあ!と子供達の歓声が上がる。
「お初にお目に掛かります、ヘア・マインラート。フローラと申します」
「初めまして」
簡単な挨拶を済ませてから、フローラは子供達にクッキーを配る為に行ってしまう。ベネディクトもミルクを持って来るからと、台所へ入って行った。
マインラートはクッキーを頬張る子供達を、食堂の端の椅子に腰掛けて眺めた。子供達が美味しそうに物を食べる姿は良い。
するとクッキーを持って、白灰色の人狼の少年が近付いて来た。綺麗な青緑色の瞳をしていて、細身だが十歳位には見える。
「はい」
マインラートにクッキーを差し出すので、礼を行って受け取る。
「有難う。私はマインラート。君は?」
「エリアス」
「エリアス、半分こしよう」
クッキーを半分に割り、マインラートは片方をエリアスに渡した。
「お座り」
エリアスを片足の太股の上に載せてやる。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
「今日の恵みに。……美味しい」
「そうだね」
クッキーを食べながら、ぱっさぱっさとエリアスの尻尾が揺れる。
「マインラート、良い匂いがする」
「そうかい?」
<Langue de chat>で洗濯して貰ったのをそのまま着てきたので、そのせいだろうか。
「マインラート、何で来たの?」
「私の小姓を探しに来たんだ。小姓と言うのは……身の回りの世話をする者の事だな」
「自分の世話を自分で出来ないのか?」
マインラートは苦笑した。
「どうにも私は自分の身体の不調が解らないらしいのだ。それを見付けて貰うんだ」
「ふうん。……俺がなる」
「小姓になると言う事は、私と四六時中共に居るんだよ?読み書きも騎士の仕事も覚えないといけないよ?」
「うん、良いよ。マインラート、良い匂いするし」
先程から良い匂いがすると言うエリアスに、マインラートは首を傾げた。どういう意味なのだろう。
「お待たせしました、ヘア・マインラート。ほらエリアス、ミルクを飲んでおいで」
「はい、司祭様」
ぴょん、とマインラートの膝から下り、エリアスがテーブルに駆けていく。
「司祭ベネディクト。私はエリアスを引き取ろうと思います」
「そうですか。賢い子ですし、人狼ですから騎士団には向いているかもしれません」
マインラートは、フローラからミルクのコップを受け取り飲んでいるエリアスを目の端に置いたまま、ベネディクトに訊ねる。
「先程からエリアスが私の匂いが〈良い匂い〉だと言うのですが、私は何か匂いがしているのでしょうか」
「エリアスがそう言ったんですか?」
ベネディクトは驚いた声を上げた。
「そうですが……」
「ヘア・マインラート、そうなるとエリアスの番はあなたの様ですね。人狼は番の匂いが解るそうなのですよ」
「エリアスはまだ子供でしょう」
「後五、六年もすれば成人ですよ。あなたは騎士団長ですから群れの長ですし、エリアスより格上になります」
「……は?」
人狼の方が身体能力は上の筈だ。怪訝そうなマインラートに、ベネディクトは「人狼は〈群れ〉単位で判断するのだ」と説明した。
「人狼が自分の方が格下だと思えば格下なんですよ」
「成程」
「自分以外の相手に現を抜かされると嫉妬しますので、お気をつけ下さい。危険ですから」
「いや、浮気する予定はないので……」
マインラートの実年齢を幾つだと思っているのだ。エリアスが成人する頃には四十半ばだ。老化が遅いので、肉体的には二十代ではあるのだが。
「エリアスの着替えを姉妹フローラに用意させますので、少しお待ちを」
「最低限で構いません。騎士団でも誂えられますから」
服はお下がりでも着られるのだから、孤児院に残しておいた方が良いだろう。孤児はこれからも教会に連れてこられるだろうから。
「ご厚意に感謝致します」
ベネディクトは深く頭を下げた。
エリアスは至極あっさりと孤児院を後にした。遊びに来ようと思えばすぐに来れるよ、と言ったからなのか、マインラートを番認定したからなのかは解らない。
剣を持たない左手でエリアスと手を繋ぎ、マインラートは<Langue de chat>に足を向けた。ついでにクッキーを買うつもりだ。
ちりりん。
「ん?マインラート、今朝ぶりだな。エリアスも一緒なのか」
「エンディ!」
カウンターの前で本を棚に戻していたエンデュミオンが、エリアスに捕まり抱き締められる。顔見知りだったらしい。
「あー、すまん」
子供は畏れを知らない。だが、エンデュミオンはけろりとして、エリアスに抱き締められたままマインラートを見上げた。
「構わん、子供は可愛いものだ。忘れ物でもあったのか?」
「いや、孤児院にクッキーを持っていったから、うちの団員の分を買いに来た」
「ほう?」
「エリアスを小姓に決めたんだ」
「ふうん?」
エンデュミオンがニヤリと笑った。これはもうバレている。
エリアスに床に下ろして貰ったエンデュミオンは一度奥に行き、大きな紙袋に入ったクッキーを持った孝宏と戻って来た。
「はい、お祝いだ」
「……有難う」
「ヘア・マインラート、氷柱とか建てたら駄目なんでしょうか」
「氷柱?」
唐突な孝宏の言葉に、マインラートは問い返してしまった。
「ええと、過剰魔力?を放出するのに、魔力を使えば良いのなら、氷の塊を出して消費すれば良いのかなと。俺が住んでいた所では、氷の彫刻を作って並べて、冬にお祭をしてたんですよ。夏に出しても涼めますし」
怪しい単語はエンデュミオンが補足しつつ、孝宏が解説した。
「まずは氷柱を出して負担が減るか試してみると良い」
「ああ、そうするよ。冬の祭か……。ベンノと商業ギルドに話してみよう」
氷柱や氷像は、氷の魔法の練習で子供の頃から作り慣れている。あれが誰かを楽しませる物だとは、今までで考えもしなかった。
「どちらにせよ、無理はするなよ。……で、本は借りていかないのか?」
営業するエンデュミオンに、マインラートはエリアスの頭を撫でた。
「エリアスは文字が読めるのか?」
「簡単なのなら」
「なら、蜂蜜色の本から始めると良い」
エンデュミオンが低い棚に入った、蜂蜜色の本の背表紙をぽむぽむ肉球で叩く。
マインラートはエリアスの会員証を作って貰い、蜂蜜色の本を一冊、自分の分の宵闇の書と一緒に借りた。
<Langue de chat>を出て騎士団に向かって歩き出して直ぐ、マインラートはエリアスに袖を引っ張られた。強い眼差しで睨んでくる。
「無理、したのか?」
「この間、魔力を溜めすぎて凍死しかけた。あ、もう良くなったぞ。大丈夫だからな」
ぎゅっと手を握る力が強くなったので、慌てて治ったと強調する。
「今は再発しない方法を考えているんだ。氷柱を作るのも、その一環だな」
「うん……」
マインラートは騎士団に戻り、まずは詰所に入った。待機中の騎士達と、巡回から一度戻っていたアレクシスが、報告書を書いていた。
「お帰りなさい団長。その子は?」
「私の小姓のエリアスだ」
「はー、遂に決めたんですね。俺はアレクシスだよ。宜しく頼むね、エリアス」
「うん。アレクシス、匂いが二つするのなんで?」
「この子の事かな?」
上着の前を開け、アレクシスは木竜の卵が入った袋を取り出した。
「木竜のカペルだよ。まだ孵らないんだけどね」
「竜」
エリアスの尻尾がぶんぶん揺れる。
「備品管理室のオスカーと、副団長側仕えのギードも竜の卵を託されているから後で会わせて貰っておいで」
「うん!」
マインラートは机の上にクッキーの袋を置いた。
「私はエリアスに宿舎を見せてくるから、食堂に届けてくれないか?昼食でおやつに出して貰え」
「やった!有難うございます!」
<Langue de chat>のクッキーは、騎士達に人気なのだ。今日もジャンケン大会になるかと思うと、あれをエリアスに見せて良いものか悩ましい。マインラートはどれでも良いので、残った物をいつも貰っている。
エリアスを連れてマインラートは、騎士団と続いているが別館の宿舎に行く。
マインラートの部屋は団長と言う事で広い部屋だ。彼がその部屋を選んだ訳ではなく、前団長が使っていた部屋をそのまま引き継いだからだ。
簡易台所付きの居間と、主寝室とバスルームの他、小姓用の寝室がある。今まで小姓が居なかったマインラートは空き部屋のままにしていた。
「マットレスはあるから、シーツと掛布団と枕が要るな。それと鍵はこれだ」
書き物机の引き出しから、合鍵を出してエリアスの魔力を登録させる。無くさないように魔銀の細い鎖を付けて、エリアスの首に掛けてやった。
エリアスが教会から持ってきた下着入りの肩掛け鞄と借りてきた本を部屋に置き、備品管理室に行く。
「オスカー」
「団長、退院してきたんですね」
退院、と言う言葉にピピッとエリアスの狼耳が動く。
「流石にベンノに怒られて、小姓を見付けて来た。エリアスだよ」
「初めまして。俺はオスカーだよ。この子はエクヴィルツ」
オスカーは闇竜の卵をエリアスに見せた。
「竜、可愛い」
白灰色の尻尾が揺れる。エリアスは竜が好きらしい。
「エリアス用の寝具が欲しいんだ。それとこの子に合うシャツはあるかな」
「こっちに入って来て貰って良いですか?」
カウンターの横のドアから、マインラートとエリアスは部屋に入った。
「エリアス、採寸させてね」
オスカーは巻き尺を取り出してエリアスの寸法を細かく測って紙に書き込む。それから騎士団員の寸法が書かれた帳面を繰って、制服が納めてある棚に向かう。
「丁度小姓の制服も合いそうなのがありますよ。制靴はヘア・オイゲンに注文ですね」
小姓の制服は灰色の騎士服だ。以前の小姓達の、成長して大きさが合わなくなった制服の予備が残っていたらしい。
「災害時の避難者用にも使えるんで、ズボンと下着は人狼用のもありますよ」
シャツと上着、ズボンと新しい下着類が一揃いカウンターに載せられる。
「それと、シーツと枕と毛布と冬掛けですね。嵩張るので布で包みます」
「助かるよ。ついでに私のシャツも一枚入れてくれ」
「はい」
服の包みをエリアスが持ち、布団の包みをマインラートが持つ。部屋に戻ってエリアスのベッドを作り、隊服に着替えさせた。
「丁度良さそうだな」
「うん」
「これはパジャマにすると良い。私服は〈針と紡糸〉に行って仕立てて貰わないとな」
マインラートは新しい自分のシャツをエリアスに渡した。途端にエリアスが嬉しそうに笑った。今までで一番尻尾の振りが激しい。大事そうに畳んでベッドの上に置いている。
「あとは、副団長のベンノだな」
「ベンノ?」
「この騎士団で二番目の長だ。もし私が留守にしている時は、ベンノの指示を聞くんだぞ」
「俺、マインラートと一緒に居る」
「もし、の話だよ」
エリアスの頭に掌を載せ、ドアへと促す。二人は騎士団の執務棟に戻り、副団長室のドアを叩いた。ギードがドアを開け、顔を出す。
「お帰りなさい、団長。わあ、もう連れてこられたんですか?」
「下見だけかと思ったんですけどね。一寸、団長こちらに」
ベンノが手招きしてマインラートを呼ぶ。その間エリアスはギードに、フレンツェルと言う名前の水竜の卵を見せて貰っている。
「……人狼の子と言うと、もしかしてもしかします?」
「私が番らしい」
「やっぱりですか。あなたがこの群れの長ですから、あの子が嫁になりますね」
「まだ早い。子供だぞ?」
「何言っているんですか、番を自覚した人狼はきちんと相手をしないと、誰かにあなたを取られるのではないかと不穏になりますよ。成人までは適切な関係で、暴走しない様にお願いします。多分、あなたが襲われるだけですが」
マインラート限定だった。三十も歳上の方が貞操の危機とはどういう事だろうか。「何かあっても番なので問題はありませんけどね」と付け足すのもやめて欲しい。
「エリアス」
「マインラート」
名前を呼べば、エリアスがマインラートに抱き付いて来た。まだマインラートの鳩尾の高さに、エリアスの頭がある。
「そうだ、ベンノ」
氷で掌に、耳がピンと立って座り立ちする小さな兎を作り出し、ベンノの机の上に置く。
「過剰魔力を消費する為に、こういう氷の彫刻の大きい物を作って、並べて見せる祭があったら見たいか?」
「大きい氷像ですか。召喚師に土台を魔法陣で固めて温度を保って貰えれば、夏でも出来るんじゃないですか?商業ギルドが屋台を出したりしそうですよ」
「計画書を出してみるか……」
「ええ、お願いします。ですが、倒れる位過剰魔力を溜めるのでしたら、野外訓練場に氷像乱立させておいて良いですよ。その内溶けるんですから。何なら火の精霊魔法の練習台に氷柱立てて下さい」
「そうするよ」
この年から騎士団長マインラートが商業ギルドに出した計画書により、リグハーヴスでは冬季氷像祭が開催される運びとなる。
但し、騎士団の野外訓練場においては、四季に関係無く氷像が出現し、地域住民達が見付けては鑑賞に集まるのだった。
マインラートに小姓が出来ました。
エリアスは人狼なので、ゲルトと似た所があります。つまり、番ラブ。
現在のところ、リグハーヴスに定住している人狼は、アーデルハイド・ゲルト・エリアスといった所です(人狼の村があるのはハイエルンなのです)。
追記。クレスツェンツとトルデリーゼも定住してますね。




