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騎士団長と<Langue de chat>

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

今まで出て来ていなかった、騎士団長登場です。


136騎士団長と<Langueラング de chatシャ


 万年筆にインク壺からインクを吸い上げていたマインラートは、残り少ないインクに手を止めた。万年筆とインク壺に蓋をして、立ち上がる。

 キイ……。

「お、お早うございます!」

 団長室から出るなり、ハンネスが三本足の丸椅子から勢い良く立ち上がった。詰所に居た他の騎士達も次々にマインラートに挨拶してくる。先日こってり絞ったからか、少しマシになった様だ。

「お早う」

 マインラートも挨拶を返し、詰所を出て備品管理室に向かう。副団長ベンノと違い、マインラートは側仕えを置いていない。その為、雑務も自分で行う。

「オスカー」

「お早うございます、団長」

 カウンターから見える作業机で、シャツを仕立てていたオスカーが立ち上がる。

 騎士団員の寸法に合った支給品のシャツは各自最低二枚、ここで保管されている。丈夫な布で作られた上着とズボンに比べ痛みが早いからだ。きっと、誰かがシャツを駄目にして貰いに来たのだろう。

 上着とズボンについては、一年に一度交換されるので、まとめて仕立屋に発注するのだが、それ以外の制服の仕立てや補修は備品管理担当が行うのだ。

 オスカーは生家が仕立屋と言う、騎士団にとっては垂涎の逸材だったのだが、本人の希望によりリグハーヴス騎士団に配属された。

 仕立てが出来ない騎士ばかりの場合は、仕立屋を雇うことすらあるのだ。

 男が多い騎士団には重要な人材だったが、内勤で地味な仕事の為、閑職と嘯かれる事も多かった。

「闇竜の様子はどうだ?」

「少し卵が大きくなりましたよ」

 オスカーがふわりと笑う。制服の腹部分が、卵を入れているせいで膨らんでいた。

 ベンノの側仕えギードの水竜、外警のアレクシスの木竜も順調だと聞いている。動き回るアレクシスなので大丈夫なのかと思うが、彼は「楽しんでいる感じがします」と言っていた。少しずつ思念が伝わる様になってきたのだろう。

「インクはあるかな?」

 備品管理室には制服以外の備品も置いてある。いつもなら直ぐに棚から取り出すオスカーだが、今日は顔を曇らせた。

「申し訳ありません、今入荷待ちです」

「そんなに使ったのか?」

「いえ、その……先日のあれで」

「私のせいか……」

 あれ、とは先日マインラートが魔力を放出してしまい、詰所周辺を凍らせた事件だ。机の上に出ていたインク壺のインクも凍って駄目にしてしまったのだろう。

「すまん。インク代は私に請求してくれ。では今日の所は買いに行ってくるとするか。インクは何処に売っていたかな?」

「そうですね、紙屋にありますが……<Langueラング de chatシャ>の方が近いですね。あそこにも少し置いてありました」

「<Langue de chat>と言うと、エンデュミオンの居るルリユールか」

 行った事はなかったが、マインラートは知っていた。

「はい。団長、少しお疲れの様ですし、あそこで休んで来られると良いですよ」

「そうしよう。では少し出掛けてくる」

「行ってらっしゃいませ」

 マインラートはその足で騎士団を出た。

(眩しいな……)

 建物を出た所で太陽の眩しさに目をすがめる。今年は残暑が厳しいリグハーヴスだ。それもあと少しで涼しくなると名残惜しいものだが。なにしろ、あっという間に冬になるのが、北のリグハーヴスなのだ。

 目に掛かる白髪を掻き上げ、市場マルクト広場に出る。

 マインラートの髪は白いが王家の銀髪とは違う。色の抜け落ちた白だ。これは魔力過多の者に現れる外見的所見で、精霊ジンニーと異常に友好度が高いのが特徴だ。瞳の色は親からの遺伝を無視し、最も友好度が高い精霊の色になる。早い話、魔力過多の者は産まれながらにして精霊憑きなのだ。

 マインラートの場合は、アイスの特級精霊に憑かれているので、瞳の色は薄い青灰色だ。

 子供の頃から溢れる魔力を体内に押し留める様に厳しく躾られて来たが、感情が高ぶるとどうしても魔力を解放してしまう。

 元は王領騎士団に居たマインラートがリグハーヴスに配属換えをされたのは、魔力があっても扱いが難しく、王宮で魔力解放などされたら堪らない、と言う理由での左遷である。

 元リグハーヴス騎士団団長との交換人事だったのだが、あちらは王領に戻ってすぐに上位位階の娘と結婚したとか。

 精霊憑きや魔力過多の者は外見的老化が遅いし、寿命も一般の平原族より長くなる傾向にある。一人置いていかれる気分になるのは仕方のない事だと諦めている。

「寒いな……」

 少し身体がゾクゾクする。そういえばさっきも、眩しいとは思っても暑いと思わなかった。少し頭が痛い気もするので、夏風邪でも引いたのだろうか。

 市場広場を右区レヒツに入り、〈本を読むケットシー〉の青銅の吊り看板のある店のドアを開ける。

 ちりりん、りん。

「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいー」

 カウンターに居たのは蜜蝋色の髪の青年と、青みのある黒毛に橙色の錆のある小柄なケットシーだった。

 冒険者で配達屋のテオとルッツだなと思いつつ、目的を口にする。

「インクがあれば欲しいのだが」

「はい、ございますよ。黒と青褐色、セピア、他にも何色かございます」

「青褐色を」

「銀貨一枚です」

 値段から退色しにくいインクだと気付いた。安いものだと、年数が経つと薄くなる物もあるのだ。<Langue de chat>では、きちんとしたインクを取り扱っているらしい。

「お包みしますから、あちらで休憩なさって下さい」

「有難う」

 本棚の奥に机と椅子が幾つか置いてある。全てが意匠の違う物なのに、落ち着くのが不思議だ。

 まだ午前の早い時間だからか、客は居なかった。マインラートは手近の緑色のソファーに腰を下ろした。

 何だか身体が酷く怠くなってきた。こんなに寒いのはおかしい。冬でもないと言うのに。

(眠い……)

 少し眠って行っても構わないだろうか。革と甘い菓子の香りが落ち着く。

 深く息を吐き、マインラートは目を瞑った。


「あい、インク」

 テオが包んだインクを持って、ルッツはマインラートが座るソファーの横に立った。

「?」

 返事がない。

「テオー、おきゃくさま、ねちゃったー」

「え?じゃあ膝掛けを……」

 外が暑いので、店の中は冷鉱石で少し気温を下げてある。孝宏が編んだ膝掛けを手に、テオはルッツの元に行く。

(寒い?)

 騎士服の青年の回りがやけに冷えている。おまけに青年の薄く開いた口から、チラチラと雪の結晶が零れているのが見えた。直感的に「これはまずい」と判断する。

「エンデュミオン!」

 青年に膝掛けを巻き付けながら、エンデュミオンを呼ぶ。

「なんだ?やけに冷えているな」

 すぐに一階の居間に居たエンデュミオンが店に出てきた。

「エンデュミオン、この人診てくれ。何かおかしい」

「む?珍しいな、魔力過多か。って、何だこれは!?」

 青年を見るなり、エンデュミオンが目を剥く。

「テオ!ルッツ!冒険者ギルドに行って、ありったけのから魔石を貰ってきてくれ。人命に関わるからと」

「解った!ルッツ〈転移〉して」

「あい!」

 テオの胸にルッツが飛び込み、姿を消す。

「エンデュミオン、何かあったの?」

孝宏たかひろ、急患だ。客間に移して温める。着替えと湯たんぽを頼む」

「解った」

 奥から出てきた孝宏に頼んで、エンデュミオンは〈転移〉で青年を客間のベッドに運んだ。異変に気付いてやって来たイシュカにも手伝って貰い、騎士服を脱がせ毛布で包む。

「マインラート……騎士団の団長か。イシュカ、副団長のベンノに連絡を頼む」

 青年の首から下がっていた魔銀製の身分証を見て、エンデュミオンは唸った。

 騎士団の団長には初めて会ったのだ。竜騎士選定の時ですら、言付けをベンノに頼み表には出てこなかった。

「精霊便を出すよ」

 イシュカが客間から出ていく。ヴァルブルガには魔女ウィッチグレーテルを呼びに行って貰う。

「エンデュミオン、湯たんぽ」

 カチヤが厚い布に包まれた湯たんぽをヨナタンと運んで来た。

「有難う。足元と脇腹に置いてくれ」

「うん。うわあ、凄く冷えてる」

 カチヤが脚に直接当たらない様に湯たんぽをベッドに入れる。脇腹の湯たんぽの方も厚めに布を巻いている。

 ぱちん!と音を立てて、テオとルッツが大きな布袋一杯の空魔石を持って帰って来た。

「魔石貰ってきた。トルデリーゼとハーゲンに無理言ったよ」

「見返りは氷の魔石だ。悪くないと思うぞ」

 エンデュミオンは紙の上に魔法陣マギラッドを描き、布団の上からマインラートの腹の上に載せた。じわりと魔法陣が銀色に染まる。その魔法陣にエンデュミオンは空魔石を置いていく。

「これは〈吸収〉の魔法陣だ。魔力過多の治療にも使われるんだが、全くどれだけ魔力を溜め込んでいたのやら」

 魔法陣に空魔石を置くなり、あっという間に透明の魔石が白っぽく色を換える。色が変わった魔石は、次々と空魔石に交換されていく。

「雪の結晶?」

 魔力を充填された魔石の中で、白い雪の結晶が舞っていた。

「マインラートは氷の特級精霊憑きだからな。魔力過多は身体の中に魔力が収まりきらなくなる場合がある。適度に放出すれば良い筈なんだが……」

「ヴァルブルガに聞いたけど、魔力過多だって?」

 エンデュミオンのぼやきに応える様に、ヴァルブルガが呼んで来た魔女グレーテルが到着し、部屋に入ってきた。

「重度の魔力過多だ。殆ど放出させていなかったらしい。見ろ、この魔石。良く今まで身体が保てたものだ」

「倒れたのが<Langue de chat>で良かったねえ。無茶をして凍死するところじゃないか」

 呆れた顔で、グレーテルも魔石の交換を手伝う。袋の中の空魔石がすっかり無くなる頃、漸くマインラートの身体が体温を取り戻した。

「冷えで内臓が弱っているね。このままここに二、三日入院させてくれるかい」

「構いませんよ」

 イシュカが請け負う。

 ルッツとヴァルブルガ、ヨナタンはもそもそとマインラートの布団に潜り込んだ。温める気らしい。

 マインラートは、そのまま夕刻まで眠り続けたのだった。


「団長、マインラート団長」

 ふわふわしていた意識が浮かび上がり、マインラートは目を開けた。心配そうなベンノが顔を覗き込んでいる。

「ベンノ……?っごほっごほっ」

 掠れた声が出て咳き込む。身体を丸めて咳き込む背中を柔らかい物で擦られた。

「マインラート、ゆっくりゆっくり」

「え……」

 子供の声に振り返ると、三毛のケットシーのヴァルブルガが肉球で背中を擦ってくれていた。ベッドの上には錆柄のルッツと、明るい茶色のコボルトのヨナタンも居る。

「ここは<Langue de chat>ですよ。店で倒れたと連絡があって驚きました」

「グリューネヴァルト、エンデュミオンよんでー」

「きゅっ」

 ルッツに頼まれ、椅子の背に掴まっていた翡翠色の木竜が、パタパタと開いたドアから飛んで行った。間もなくとことこと軽い足跡と共に鯖虎のケットシーが現れる。頭には木竜がしがみついていた。重くないのだろうか。

「マインラート、具合はどうだ?危うく凍死するところだったんだぞ」

 枕元の椅子によじ登り、マインラートと視線を合わせる。

「凍死?」

「魔力の溜めすぎだ。幾ら魔力過多でも、適量と言うものがある。時々放出する様に学院で習わなかったのか?」

「いや、子供の頃から押さえ込む様にと」

「おかしいな、いつからそんな風潮になったんだ?フィリーネに確認しておかねばならんな」

 鼻の頭に皺を寄せたエンデュミオンだったが、何かを思い出し、ぽんと肉球を打ち合わせた。

「マインラートの治療に冒険者ギルドから大量の空魔石を借りたんだが、氷の魔石になったやつをギルドで売っても良いだろうか。あれを全部買い取るとなると結構な金額になるから」

「構わないが……」

「残暑で氷の魔石が切れていたそうだから、トルデリーゼが喜ぶ」

 聞けば過剰な魔力を空魔石で吸い取ったのだと言う。そんな方法があるなど、マインラートは知らなかった。もしかすると、今は絶えた魔法処置なのではなかろうか。

「ヘア・マインラート、スープはいかがですか?」

 孝宏が湯気の立つ馬鈴薯のポタージュを運んで来た。

「冷えで内臓が弱っているのと、風邪だそうだ。二日三日寝ていけ」

「いや、それは──」

「と、魔女グレーテルが診断した」

「……」

 ぐっとマインラートが言葉に詰まる。ちらりとベンノを見るが、良い笑顔を返された。既に聞いていたらしい。年齢はマインラートの方が十以上は上なのに、外見年齢は殆ど変わらなかったりする。

「団長、今度と言う今度こそ、側仕えを決めて貰いますからね。今回だって側仕えが居れば、もっと早く気付けた筈ですよ」

「う……」

「この際、騎士でなくても構いません。小姓でも良いです。成長した後に希望があれば準騎士に出来ますから」

 準騎士は学院を出てはいないが、実地訓練を受け実力が認められた者がなれる、正規の騎士の補佐官である。所謂叩き上げの騎士だ。リグハーヴス騎士団でも数名いて、主従関係のある騎士に専属で付く。

「解った。善処する……」

「ではまずはしっかりお身体を治して下さいね」

 自分が居ても落ち着かないだろうからと、ベンノはまた明日見舞いに来ると言って帰っていった。

「どうぞ、召し上がって下さい」

 まだ盛んに湯気の立っているスープの盆が膝に載せられる。

「おいしーよ」

 マインラートの足元に座ったルッツとヨナタンがにこにこしている。種族は違うが仲良しらしい。

「……」

 隣に座っているヴァルブルガもこくりと頷いた。

「でぃー!」

「む」

 奥から聞こえて来た声に、エンデュミオンが椅子から下りて駆けていく。

「あれはグラウ」

 ヴァルブルガが簡潔に説明してくれた。

(エンデュミオンの弟か)

 初めて会う者ばかりなのにマインラートが、彼らの名前を知っているのは訳がある。精霊達が教えてくれるのだ。噂話や見聞きした事を次々とマインラートに教えに来るので、団員達から〈地獄耳〉と噂されているのも知っている。

「……」

 象牙色のスープにマインラートは木のスプーンを沈め、とろりとした液体を口に含んだ。

(美味しい)

 茹でて濾した馬鈴薯と牛乳ミルヒの優しい味がする。

 この街の住人達が、一度訪れた<Langue de chat>に愛着を持って通い続ける理由が解った気がした。

 元気になったら、ゆっくりと店にお茶を飲みに来ようと思う、マインラートだった。


騎士団長マインラート登場。

氷の精霊付きで、怒ると辺りを凍らすという困ったさん。

次回は解決策を模索します。

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