エンデュミオンと王の側近
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数百年の間に、隠された真実もありますが、当人が生きている場合伝説も発掘されます。
131エンデュミオンと王の側近
(おかしい)
王領直轄の森番は、前日から全く代わり映えのしない餌台に疑問を覚えていた。
この森には王領の森の守護竜と言われている木竜が棲んでいる。幼体化している事が多いその木竜は、毎日餌台に食事をしに来るのが日課で、森番は無事を確認していた。
代々の森番の日誌から二、三日姿を現さない時もあると知ってはいたが、もう一週間以上姿を見ていなかった。
(守護竜に何かあったのかもしれない)
森番は手紙を書き、精霊に託した。
「陛下、こちらを」
今しがた届けられた手紙を持って、執事が黒森之國の王マクシミリアンの元へやって来た。
「王領の森番からでございます」
「森番?」
決裁する書類に目を通していたマクシミリアンは、顔を上げ銀色の盆に載った手紙を取り上げた。王直通を表す紅い印が押されている封筒をペーパーナイフで裂き、中の紙を取り出し読む。
「……ツヴァイク以外は下がれ」
「御意」
執事と物陰にいた女官が、執務室の隣にある控えの間に下がる。唯一ツヴァイクと呼ばれた、淡い茶色の髪をした黒い騎士服の男だけが残り、棚から魔石の填まった魔道具を取り出し、マクシミリアンの執務机に置いて魔力を通した。これは周辺の音を漏らさない魔道具だ。
「で、何が書いてあった?」
ツヴァイクとは役職名であり、彼の本名はヘンリックと言うのだが、ツヴァイクになった時点で本名はほぼ使われなくなる。
ツヴァイクとは王の側近であり、王を裏切らないと月の女神シルヴァーナに聖約した者だ。そして彼は光竜の竜騎士でもある。臣下でありながら唯一王と対等な口がきけ、王が間違いを犯しそうになれば、命を懸けてそれを質す。
「王領の森から守護竜が居なくなったと」
「お前が庶子を作ったから呆れたんじゃないのか?」
「お前が風邪を引いて寝込んでいて同行出来なかったのだろうが」
「そこは我慢しろよ。嫌な予感するから延期しろって言ったのに、聞かなかったのは誰だよ」
行幸に王妃が同行しない場合、王を慰めるのもツヴァイクの役目だ。余計な庶子を生まない為で、普段ならマクシミリアンもそうしていた。
「あの時は薬も盛られたからな……」
公表されてはいないが、あの父娘以外にも処罰されたものはいるのだ。かなり計画的に仕組まれていた。関係者は全て捕らえ、産まれた庶子はリグハーヴス公爵の実子として育てられている。
「あの子の事だとしたら、遅すぎる位だろう。竜としては若い個体だった筈だし、居なくなる直前まで元気にしていたらしい」
「となると、やはり何処かに移動した?」
「かもしれぬ」
「うーん」
ツヴァイクが指先で顎を擦る。
「竜騎士の立場から言わせて貰えば、守護竜に主は居ないのか?野生の竜が何百年も大人しくしている方が、俺は不思議だぞ」
「考えた事は無かったな。守護竜が森に来たのはいつなのか、調べる必要があるな。歴史書ではなく、禁書庫の右筆書の方だ」
歴史書は公に出来ない事は取り繕って記される。右筆書は王に近い文官の中から選ばれ、彼が見聞きした事を偽らずに書き記す物である。
マクシミリアンはツヴァイクと二人で王立図書館の地下にある禁書庫に向かった。護衛騎士を入口に立たせ中に入る。
「いらっしゃいませ、陛下、ツヴァイク」
入り口横の小部屋から、森林族の司書フーベルトゥスが顔を出した。
禁書庫の中にも司書が居るが、代々森林族と決まっている。時間がたっぷりある彼らは、禁書庫の全ての本に目を通しているのだ。
「フーベルトゥス、記憶にあれば教えて欲しいのだが、王領の森に守護竜が棲み着いたのはいつだろうか」
一瞬記憶を探り、フーベルトゥスは口を開いた。
「……六百五十年程前です。それと、あの木竜は守護竜と言う訳ではないですよ。主が居ますから」
「何だと?主は誰だ」
初耳に気色ばむマクシミリアンに、フーベルトゥスはあっさり答えた。
「大魔法使いエンデュミオンです。当時の王が木竜を人質に、エンデュミオンに契約を迫ったのです。あの木竜はエンデュミオンが孵したからこそ、魔法使いの塔に近い王領の森に棲んでいただけですよ」
お待ちくださいね、とフーベルトゥスは林立する棚の中からきちんと製本された茶色い革表紙の本を運んできた。背表紙と表紙に箔押しされたのは六百五十年前の王の名と在年だ。
フーベルトゥスは迷いなく頁を繰り、該当箇所を指差す。保護魔法が掛けてあるので、古代の物とは思えない保存状態だ。
「うわ、酷い。子供のエンデュミオンから木竜取り上げて契約させてるよ。それで死ぬまで塔に縛り付けるって、何様?あ、王様か」
「……」
「良くエンデュミオンに滅ぼされなかったよな」
「……」
ツヴァイクの言葉が耳から左右に抜けていく。ただひたすらエンデュミオンが耐えてきただけと言う事実に、マクシミリアンの脚に震えが走った。
本当にいつ滅亡させられてもおかしくない事を王家はしてきたのだ。
フーベルトゥスに礼を言い、マクシミリアンとツヴァイクは執務室に戻った。執事にお茶を用意させ、再び下がらせる。
「エンデュミオンの方が幾つか歳上だとしても、木竜は約六百五十歳か。竜としては若いよな。……恐らくエンデュミオンが生まれ変わったのに気が付いたんだと思うぞ。名前を呼ばれれば、どこに居ても聞こえるらしいから」
ミルクをたっぷり淹れて、ツヴァイクが紅茶を飲む。
「ああ、そうだったな。リグハーヴスに移動した可能性が高いだろう」
机に肘をつき、重ねた手の甲に顎を乗せマクシミリアンは嘆息した。疲れた表情で紅茶に砂糖を追加する。
「俺とゼクレスでリグハーヴスに行ってこようか?木竜があちらに居るのかだけでも確めた方が良いだろう」
「そうだな。元々エンデュミオンの木竜なのだから、移動に関してはこちらがとやかく言う筋合いはない。あちらに無事に着いたかどうか確認してくれ」
「御心のままに。我が君」
一時間後、ツヴァイクは私服に着替えて銀髪の少年と共にリグハーヴスの魔法使いギルドから現れた。
「主、ここは建物が少ないな」
「リグハーヴスは大きくなり始めている街だからね」
少年はツヴァイクの光竜ゼクレスが人化している姿だ。
市場広場を一本右区に入った通りで、〈本を読むケットシー〉の青銅の吊り看板を探す。
「ここか……」
ちりりん、りん。
ドアを押すと、軽やかなドアベルが鳴った。
「いらっしゃい」
「きゅいっ」
カウンターには天板に前肢を掛けた鯖虎のケットシーと、その頭の上に乗った翡翠色の木竜が居た。
呆気に取られたツヴァイクを見て、エンデュミオンはニヤリと笑った。
「マクシミリアンのツヴァイクか?それと光竜か」
「何故──」
「匂いがするからな」
誰の、とは言わずにエンデュミオンはカウンターの後ろの三本脚の椅子から降りた。
「今、客は居ないが込み入った話だろう?奥に来てくれ」
頭に乗っていた木竜が、パタパタと翼をはばたかせ、先に飛んで行く。
一階の奥に居間があり、台所には黒髪と茶髪の少年が居た。
「カチヤ、少しカウンターを頼む」
「はい、エンデュミオン。ヨナタンおいで」
茶髪の少年と共に、明るい茶色のコボルトが足下を付いていく。ツヴァイクは思わず二度見してしまった。コボルトは王都でもそうそう見られないのだ。
「でぃー!」
ソファーの横に置いてある揺り籠からは、赤ん坊のケットシーが縁に掴まり立ち上がって、ツヴァイクとゼクレスをキラキラした眼差しで見ていた。
「お客様だぞ、グラウ。グリューネヴァルト、グラウと遊んでいてくれ」
「きゅ!」
木竜が揺り籠に飛んで行き、鈴が中に入った魚の形の玩具を持って振り、小さなケットシーをあやす。
「いらっしゃいませ」
その間に台所から黒髪の少年が盆を持って居間に来て、テーブルにお茶と焼き菓子の載った皿を置いた。
「孝宏も居てくれ」
「うん」
盆を持ったままラグマットに正座した孝宏に、エンデュミオンは客を紹介する。
「あちらはマクシミリアン王のツヴァイクとその光竜だ。ツヴァイクは側近だな。今代のツヴァイクは竜騎士でもあるのか。で、こちらはエンデュミオンの主の孝宏。〈異界渡り〉だ」
「〈異界渡り〉……」
「あー、王族とはレオンハルトとしか会ってなかったか、孝宏は」
呆然と孝宏を凝視するツヴァイクに、エンデュミオンは頭をぽしぽしと掻いた。
「今回はどうせグリューネヴァルトの事で来たんだろう?」
「あ、ああ、そうだが。無事にリグハーヴスに着いているのかを確認しに来ただけだ。王領に戻すと言う話ではない」
ばればれだったらしい。慌ててツヴァイクは今回の目的を伝えた。
「ふうん?なら折角だし冷める前にお茶でも飲んでいけ」
「頂きまーす」
直ぐにゼクレスが焼き菓子に手を伸ばし齧る。先程から良い匂いがしていて、食べたいのを我慢していたのだろう。
「主、これ美味しい!」
ぱあっとゼクレスが笑顔になり、あっという間に持っていた焼き菓子を食べきる。
「気に入ったのならおやつに少しあげようか?」
「うんっ」
孝宏の言葉に、ゼクレスが大きく頷く。信じられない思いでツヴァイクは、菓子皿を見た。
「ゼクレスがこんなに食い付きが良いのは初めてなんだが……」
「いや、まあ、大抵の妖精は孝宏に餌付けされるから……グリューネヴァルトもだしな」
一寸弁解するエンデュミオンだった。いつも木の実や果物ばかり食べているのなら、違う味に驚いても不思議はない。しかも美味しいとなれば尚更だ。
ツヴァイクも焼き菓子を食べ、軽く瞠目している。王の口にも入るのだろうな、と思いつつエンデュミオンは土産に持たせる事にする。
「竜騎士のツヴァイクが来たのなら聞きたいのだが、最近竜の卵は王家に献上されていると聞いている。その卵はどうしているんだ?」
「宝物庫に入っているが……」
エンデュミオンは呆れた顔になった。ケットシーの顔なのに、物凄く落胆したのが解った。
「王家は馬鹿なのか?竜を絶滅させる気か?それに竜騎士もお飾り程度にしか居ないと言うではないか。あれは災害時の救助にも使える物なのだから、減らすなど言語道断だ」
「しかし、良からぬ者の手に入れば、空から攻撃されるだろう」
「竜騎士は大聖堂や教会で月の女神シルヴァーナに聖約するだろうに」
「え……?」
「していないのか?」
ツヴァイクの反応に、ギラリとエンデュミオンの黄緑色の目が光った。
「そもそも卵を預ける騎士をまずは選び出さねばならないのだぞ。誰でも良い訳ではない。本来功績があったからと言う理由で与える物ではない。竜を大切にする者でなくてはならない。どこからそんな風になったのか、全く……」
ラグマットをたしたし尻尾で叩きつつ、ぶつぶつと口の中で愚痴り、エンデュミオンははあっと溜め息を吐く。
「仕方がない。今回はエンデュミオンが手伝おう。宝物庫の竜の卵、全部放出させて貰うぞ」
「それ、流石に議会に掛けないと……っ」
「勅命でやれ。それぞれの竜の出生領に卵を戻すからな。良し、これからマクシミリアンの所に行って説明してやる。今手を打たないと、竜を絶滅させる切っ掛けを作った王と言う汚名を右筆書に書かれるかもしれんぞ」
「……解った」
マクシミリアンの汚名と天秤にかけられると、ツヴァイクも反論出来ない。
クッキーの袋の入った鞄を背負い、頭にグリューネヴァルトを乗せたエンデュミオンは、ツヴァイクとゼクレスを連れて王の執務室へと〈転移〉したのだった。
王様のツヴァイク(側近)登場です。
エンデュミオンの件は代々の王によって、詳しい事は子孫に伏せられてきました。
それが今、マクシミリアン王の時代に押し寄せている感じ。
エンデュミオンはマクシミリアン王本人を好きでも嫌いでもないので、孝宏との平和な生活を脅かさなければ良いと思っています。
なので、黒森之國が衰退して貰っては困る!と、竜騎士復活に踏み切ったのでした。




