エンデュミオンと竜の卵
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
エンデュミオンが竜の卵を拾います。
130エンデュミオンと竜の卵
「はい、白パンと黒パンを半分ずつと、胡桃のパンね」
「有難うございます」
〈麦と剣〉でパンを買う孝宏に付いてきたエンデュミオンは、ベティーナから貰った試食の胡桃パンを食べながら足元に立っていた。
柔らかいパン生地に香ばしい胡桃が混ぜ込まれたパンはエンデュミオンのお気に入りで、孝宏も良く焼いてくれるが、火蜥蜴ルビンの窯で焼いた物は家のオーブンで焼いた物とはまた違って美味しい。
「ん?」
買ったパンを籠に入れて貰っている孝宏を見上げていたエンデュミオンの爪先に、何かがコツンと当たった。胡桃パンの残りを口に入れ、エンデュミオンは自分の足を見下ろした。
「……」
そこに転がっていたのは白地に紅いマーブル模様がある卵だった。鶏の卵位の大きさだが、色が鶏卵ではない。ごくりとパンを飲み込み、エンデュミオンは卵を拾い上げた。
『お待たせエンディ』
買い物が終わり屈んできた孝宏に、エンデュミオンは卵を渡した。
『孝宏、これを籠に入れてくれ』
『綺麗だね。卵型の石?』
『そう見えるな』
孝宏は籠に卵を入れ、エンデュミオンを抱き上げて<Langue de chat>に戻った。
「ただいま」
「お帰り」
カウンターのイシュカに声を掛け、二階に上がる。テオとルッツは配達に出ているので、奥のカチヤの部屋からヨナタンが機を織る、トントンカラリと言う音だけが聞こえていた。グラウは同じ部屋でヴァルブルガが見てくれている。
手を洗ってから台所でパンを棚に置き、孝宏は籠から卵を出してテーブルに載せた。
『これなのだがな、孝宏』
『うん』
『火竜の卵だ』
『え!?竜居るの?うわっ』
ヤカンに水を入れている最中に振り返ったせいで飛沫が跳ね、孝宏は慌てて飛び散った水を布巾で拭いた。ヤカンの底も拭いてコンロに載せる。それから子供用の椅子に座ったエンデュミオンの前の椅子に腰を下ろした。
エンデュミオンは肉球のある前肢で卵を撫でる。
『エンデュミオンは昔、木竜の卵を孵した事がある。あれは白地に緑のマーブル模様があった』
『その木竜はどうしたの?』
『昔は王領の森に棲まわせていたが、今は……どこに居るんだろう』
そもそもエンデュミオンが王家に仕える様になった理由がその木竜だった。
数百年の昔は今より王家の権力は低く、四領も王家の血を引く事から王位を廻る争いが頻発していた。その頃のエンデュミオンはヴァイツェアのただの魔法使いに過ぎなかったが、木竜の卵を拾い孵した事で運命が変わったのだ。
竜は卵を孵した者を最重要人物と認識する。つまり、卵を孵した者が竜使いになる。魔法使いでありながら竜使いとなったエンデュミオンは、王家にとって脅威でしかなかったのだ。
エンデュミオンは木竜を人質に取られ、木竜に鎖を着けない代わりに、自らが王家を守護する為に魔法使いの塔へと入ったのだ。決して王家に忠誠を誓った訳ではない。
木竜はそこにいるだけで植物を活性化させる為、王領の森へ棲まわせる事になった。勿論、広い森とはいえ木竜が外へ出る事は許されなかった。
エンデュミオンが死ぬまでは時々会いに行っていたが、あれからどうなったのか解らない。竜は主替えをしないので、王家も手出しは出来ない筈だが。
「……呼んでみるか」
エンデュミオンは椅子を下り、居間に行って開いていた窓から顔を外に出した。すう、と息を吸って木竜の名前を呼ぶ。
「グリューネヴァルト!」
竜は竜使いの声はどこに居ても聞こえるのだ。竜は長寿の生き物だ。まだ王領に居るとすれば、一日もあれば来る筈だ。
ふう、と溜め息を吐いて孝宏の居る台所に行こうとしたエンデュミオンは、突然後頭部に衝撃を受けてラグマットの上にべしゃりと転んだ。
「にゃう!」
「エンディ!?」
エンデュミオンの悲鳴に台所から駆け付けた孝宏が見たものは、後頭部に翡翠色の竜を張り付かせて倒れている鯖虎のケットシーの姿だった。
「きゅーきゅっきゅっ」
台所のテーブルに座った木竜グリューネヴァルトは、孝宏におやつにと出して貰った胡桃やアーモンドを喜んで齧っていた。
『竜ってもっと大きいかと思った』
エンデュミオンの半分位の大きさしかない。孝宏の感覚から言えば西洋風の竜で、翼もある。
『いや本当は大きいぞ。これは幼体化させているだけだ。身体が小さい方が色々食べられるから、グリューネヴァルトはお気に入りなのだ。それにしても随分近くに居たのだな』
グリューネヴァルトから思念で「五十年位前にエンデュミオンの気配が現れたから時々捜し回っていた」と伝わってきた。
「むう、すまん。エンデュミオンも〈黒き森〉から出られなかったのだ」
ポリポリと両前肢で握ったアーモンドを齧りながら、チラチラとグリューネヴァルトが火竜の卵を見ている。
今は布を敷いたカフェオレボウルの中に、卵は入れてあった。
「エンデュミオンは火竜の主にはならないぞ、グリューネヴァルト。誰かに託すつもりだ」
「きゅっ」
満足そうにグリューネヴァルトが鳴くが、流石に竜二匹の主になったら、王家もエンデュミオンを放っておいてはくれないだろう。それに今はグラウも居るのだ。正直面倒を見切れない。
『竜って卵を自分で温めないの?』
『二つ以上産まれた場合は、他の種族に託してしまう事があるのだ。温めなければいつまでも卵のまま保てるからな。昔は竜使いの配達屋もあったし、竜騎士も居た。竜は卵から孵りさえすれば、番を見付けて繁殖出来るしな』
発情期中の竜は邪魔するものを襲うので、見守るしかないのだ。そう言う面を考えると、誰が孵しても繁殖出来るので良し、という竜の感覚なのかもしれない。
エンデュミオンが若かった頃は、竜の巣から複数ある卵の内一つを盗って来ると言う行為は普通に行われていた。それが竜騎士の試験でもあったのだが、今は黒森之國は安定しているので、竜騎士はそれほど数は居ない筈だ。竜自体も昔から比べると見なくなった。
『誰に預けたら良いだろうなあ』
面倒な事になるので王家に渡す気はない。それなりの地位があって、妖精が憑いておらず、竜に構える余裕がある人物となると、かなり絞られる。
『……あれなら大丈夫だろう』
一つ頷き、エンデュミオンは火竜の卵と、孝宏に包んで貰ったパウンドケーキを布製の鞄に入れて背負った。
「きゅっ」
グリューネヴァルトが鞄にしがみついてくる。
「グリューネヴァルトも来るのか?」
「きゅっきゅー」
久し振りに会ったので、くっついていたい気分らしい。
『孝宏、ジークヴァルトの所に行ってくる』
『気を付けてね』
ぱちんと〈転移〉をして、王宮の魔法使いの塔へと移動した。今回は荷物が無いので、直接ジークヴァルトの居間に〈転移〉する。
「……」
ジークヴァルトは突然現れたエンデュミオンに、本を数冊腕に抱えたまま固まっていた。部屋の中は散らかっているが、洗濯物は一ヶ所に集めてあり、片付けている最中だった様だ。
「あの、大師匠、今片付けていました」
「見れば解る」
以前部屋を片付けていないと叱った事があるので、また叱られると思ったらしい。
エンデュミオンは床にまとめてあった洗濯物を洗って乾かし、ソファーの上に載せた。ケットシーの前肢だと畳むのは不得手なのだ。
本棚に本を挿し終えたジークヴァルトが洗濯物を畳み、寝室へと運んでいき、戻ってきた脚で床を箒で掃いていく。
エンデュミオンはここだけは片付いていて綺麗な台所へ行き、ヤカンでお湯を沸かした。少な目に水を入れればケットシーでも持てる。
お湯が湧く頃にジークヴァルトが戻ってきたので、お茶を淹れて貰う。ついでに一度鞄を下ろし、パウンドケーキも出して切らせる。その間グリューネヴァルトは部屋の中を、翼をパタパタさせて飛び回っていた。
「ジークヴァルト、もう少し肉があっても良いのではないのか?」
「それなりに食べてはいるんですけど……」
ジークヴァルトは痩せているので、ちゃんと食べているのか心配になるエンデュミオンである。大魔法使いフィリーネの弟子なので、エンデュミオンにとっては孫弟子でもある。人狼の割にはジークヴァルトは少食なのだ。
お茶とパウンドケーキを居間のテーブルに運びソファーに落ち着いた所で、エンデュミオンは鞄を背中から下ろした。グリューネヴァルトもいそいそとケーキの皿に近付いて行く。
「大師匠、その子って王領の森の木竜じゃないんですか?」
「グリューネヴァルトはエンデュミオンが孵した木竜だぞ?王家の竜ではない」
「そうなんですか?知られていないですよ、それ」
「数百年前の王がグリューネヴァルトを人質にエンデュミオンと契約したからな。エンデュミオンは一度死んだから、その契約は破棄された。グリューネヴァルトは王領から離れるだろうな」
エンデュミオンを見付けたし、孝宏に餌付けされている。鼻息荒くパウンドケーキに齧りついている竜を、エンデュミオンは初めて見た。
「……王家滅亡しませんよね?」
「今の王族が馬鹿な事をしでかさない限りは、グリューネヴァルトの加護は残ると思うぞ?」
「木竜が森から消えたと騒ぎ出したら、教える事にします」
「それで良い。今日はジークヴァルトに託したい物があってな」
布鞄を探ってエンデュミオンは火竜の卵を取り出し、ジークヴァルトの膝の上に転がす。
「火竜の卵だ。ジークヴァルトが育ててくれ」
「はあ!?ちょっ、普通國に献上するものじゃないんですか!?竜の卵なんて!」
「そうなのか?」
「王家が所持して功績のあった騎士に下賜したりするんですよ」
「エンデュミオンが王家に献上して機嫌を取ると思うのか?」
じろりと半眼になったエンデュミオンが、ジークヴァルトを睨む。賢明な孫弟子は首を左右に振った。
「思いません」
「なら良い。竜は大事にしてくれる者が育てるのが一番だ。王家が何か言ってきたら、エンデュミオンに聞け、と言うと良い。ジークヴァルトは決して王家と契約はしないように。死ぬまで塔に縛られるからな。竜は幼体化していれば、この塔でジークヴァルトと暮らせるだろう。人化も出来るから補佐もしてくれる筈だ」
「竜って、人化出来るんですか!?」
「出来るぞ?説話集にも書いてあるだろうに。グリューネヴァルトが好んで幼体化しているだけだぞ」
食べやすい大きさに切られたパウンドケーキをフォークで差し、エンデュミオンは口に入れた。ドライフルーツが沢山入っていて美味しい。自分の分を食べてしまったグリューネヴァルトが欲しそうにしていたので、一切れ皿に移してやる。嬉しそうに翡翠色の竜はパウンドケーキを頬張った。
ジークヴァルトは紅茶を飲み、大きな吐息を吐いた。エンデュミオンの無茶振りに、引き受けるしかないと腹を括ったのだろう。
「──解りました。それで孵し方は?」
「人肌で温めればそのうち孵る。卵からコツコツ音がしてきたら同じ様に突き返してやると良い」
「はい、やってみます」
早速ジークヴァルトはシャツのポケットに火竜の卵を入れる。
「バレるまで火竜の卵を持っていると言わないでおけ。卵が見付かれば取り上げられるかもしれんが──エンデュミオンから預かったと言えば大丈夫かな?」
「多分」
何故か今の王族はエンデュミオンの名前に畏怖を覚える風がある。どうやら死に際の言葉が、王族にも伝わったらしい。別に呪った訳でもないのだが。
「火竜と暮らせば、ジークヴァルトも部屋を片付けるだろう?」
「大師匠……」
ニヤリと笑って美味しそうにミルクティーを舐めるエンデュミオンに、二の句が継げないジークヴァルトだった。
<Langue de chat>に翡翠色の竜が居るとの噂がアルフォンス・リグハーヴス公爵の耳に入るのは、王領の森から木竜が消えたと騒ぎになった後の事である。
エンデュミオンがやらかすお話が始まります。
大魔法使いエンデュミオンが若い頃、黒森之國には竜や竜騎士が沢山居ました。
どうして居なくなっちゃったんだろう?と言うエンデュミオンの疑問が、ジークヴァルトによって判明します。
次回は、居なくなったグリューネヴァルトの存在を確かめに、王のツヴァイクが来ます。




