妖精犬のお昼寝
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
クーデルカは料理上手です。
129妖精犬のお昼寝
クーデルカの起床時間はいつも同じだ。今は起きる時間にはもう明るくなっているから、余計に目が覚めやすい。
むくりとベッドに起き上がり、くあ、と欠伸をする。隣で眠っているヨルンを起こさない様にして、ベッドから降りてバスルームに行く。
洗面台の下の踏み台に乗り、濡らして絞った手拭いで顔を拭き、水を口に含んで吐き出す。後頭部の毛が跳ねているが、これは後でヨルンに直して貰えば良い。
顔を洗ったら居間に行き、クーデルカは洗い場の横の戸棚から片手鍋を取り出した。お茶をのむ最低限の道具類は、クーデルカの手の届く場所に置いてくれている。
クーデルカが使いやすい様に、作業用の低いテーブルも用意してくれたので、そこに青いタイルの鍋敷きを置き、片手鍋を載せる。鍋に水の精霊魔法で水を入れ、火の精霊魔法で沸かす。
鍋の回りをくるくると火の精霊が踊っているのを目の端で眺めつつ、茶葉とティーポット、カップを用意する。
お湯が沸いたら、少量のお湯でティーポットとカップを温める。ティーポットに茶葉を入れ、鍋のお湯を注ぎ込んで蓋をする。緑色の布で出来たティーコージーを被せ、砂時計を引っくり返す。
その間に保冷庫から、クーデルカ用に小さなピッチャーに小分けされた牛乳を取り出す。それと、蜂蜜と生姜で作ったジャムだ。
温めたカップに生姜のジャムを一匙と牛乳を入れる。ヨルンのカップには牛乳を少し。クーデルカのにはたっぷりと。
その頃には砂時計の砂が落ちているので、軽くポットを回してから、カップに紅色のお茶を注ぐ。ヨルンもクーデルカも牛乳に合う水色が濃くて香りの良い茶葉が好きだ。
ぐるぐるとスプーンでかき混ぜジャムをお茶に馴染ませてから、クーデルカは寝室に爪を鳴らしながら走って行った。ベッドによじ登り、ヨルンを揺すって起こす。
「ヨルン、起きる時間」
「……んー?」
肩を小さな手で揺すられ、ヨルンが目を覚ます。
「……お早う、クーデルカ」
「お早う。お茶淹れた」
「有難う」
ヨルンはクーデルカを抱き上げ居間に行き、二人で朝のお茶を飲む。
これが、ヨルンとクーデルカの朝の風景だった。
「何、その新婚さんみたいな生活は」
「そう言われましても」
〈麦と剣〉で買ってきた昼食の刻み玉葱のツナサンドウィッチを持った魔法使いクロエに、呆れと羨望の混じった眼差しで見られても困る。
ヨルンとクーデルカが領主館の宿舎で与えられたのは、自炊も出来る台所付きの居間と寝室のある部屋だった。食堂があるのでそちらでも食事は出来るのだが、クーデルカはその小さな台所がお気に召したらしい。実際クーデルカは料理が出来、それならばと大工のクルトに踏み台や低いテーブルを作って貰った。
お湯を沸かす程度なら精霊魔法でやってしまうのには驚いたが、踏み台に上らなくてもお湯が沸かせるのなら危なくなくて良い。
「今のところ買い物に行っていないので、お茶を淹れる位ですけど」
「右区なら肉はアロイスの所が美味しいわよ。パンは〈麦と剣〉ね」
「カールのパン美味しい」
今日はヨルン達も〈麦と剣〉のサンドウィッチだ。パンも美味しいが中に挟んであるハム等の具材も美味しい。近いし多分このハムはアロイスの店のものだろう。
「クーデルカは午後から遊びに行って良いですよ」
リグハーヴスに来てから、ヨルンは魔法使いギルドでクーデルカに高位魔法を習っている。クロエは一緒に居てコボルトの魔法がどんなものなのかを確認しているのだ。彼女は研究者肌の魔法使いだった。
フィリーネの弟子と言うエンデュミオン派の魔法使いなので、クロエも高位魔法を習得している。森林族の使う高位魔法と差異があるのかを調べているのだそうだ。
「今日は何するんですか?」
「クヌートと散歩する」
「領主館の囲壁の内側でね」
「うん」
昼食を食べ終えたクーデルカは、パチンと〈転移〉してクヌートのいる警備隊の詰所の前に現れた。
詰所の戸が閉まっていたので、杖でノックする。ドアノブには前肢が届かないのだ。
コンコンコン。
「はい」
ドアを開けたのは綺麗な顔をした騎士だった。シュッとクーデルカは右前肢を挙げた。
「クーデルカ!」
騎士も右手を挙げた。
「ラファエル。クヌートの兄弟かな?話には聞いていたんだけど。中にどうぞ」
「有難う」
詰所の中には子供用の椅子に座ったクヌートと、その隣で書類を処理していたラファエルより歳上の騎士がいた。クーデルカの爪音に顔を上げ、頬を緩ませる。
「クーデルカか?私は騎士隊長パトリックだ。遊びにきたのか?」
「クヌートと散歩する」
いそいそと読んでいた本を籠に入れ、クヌートが子供用の椅子から下りる。
「気を付けて行くんだぞ」
了解の印に右前肢を挙げ、クーデルカとクヌートは手を繋いで詰所を出た。
二人で居る時はそれ程会話しなくても意思疏通が出来る。鼻歌を歌いながら、てくてくと館沿いに歩いていく。
領主館の裏手にある勝手口に、オーラフが居ないかと思ったクヌートだったが、今日居たのはオーラフではない料理人だった。オーラフより若い男が、プラムの小さなヘタを取り、二つに割っていた。
(プラム……)
ヨルンに憑いたので、クーデルカは今年プラムのジャムを煮ていない。いつもなら森で収穫するプラムだが、街の場合はどうしたら手に入るのだろう。
クヌートと手を繋いだまま、料理人に近付く。桶の中のプラムは大振りで真っ赤に熟れていた。これは越冬用のジャムになるのだろう。
「うわ、コボルト!?」
今まで手元を見ていた料理人が、クーデルカ達に気付いて驚く。
「クヌート!」
「クーデルカ!」
「イ、イェレミアス」
コボルトの名乗りに釣られて料理人も名乗る。
「プラム、どこの?」
「ヴァイツェア産だよ。あっちのはもうかなり熟しているから、これはジャム用」
「プラム、どこで手に入る?」
「商店街の八百屋か果物屋でも手に入るし、週末の市場広場でも売っているよ。不揃いだけど、ある程度買うなら市場の方が安いかな」
「うん、解った」
週末にヨルンと市場に行こうとクーデルカは決める。
「味見するか?」
イェレミアスは手に取ったプラムにぐるりとナイフを入れて半分に割り、種を取ってクヌートとクーデルカの口に入れてくれた。
「甘い。けど酸っぱい」
「ジャム作る。桃も蜜煮にしたい」
「料理をするんだ」
目を丸くするイェレミアスにクーデルカは頷く。クヌートよりはクーデルカの方が料理をする。
「ヨルンに美味しいもの食べさせる」
本来主の方がコボルトに美味しいものを食べさせる筈なのだが、クーデルカはヨルンに美味しいものを食べさせたいのだ。
「お菓子は作るか?」
「簡単なのなら作る」
コボルトのお菓子は混ぜて焼くといった簡単な物が多い。美味しければ良いのだ。
「お礼」
クーデルカは〈時空鞄〉から取り出した、乾燥させた木の皮で包んだ物をイェレミアスに渡した。
「これは?」
「生姜のケーキ」
黒糖と黒糖蜜、生姜と肉桂を小麦粉やバター、卵などと混ぜて天板に流して焼いた素朴なケーキだ。
「作り方、今度教えて貰っても良いかな」
「良いよ。今日はお散歩するから」
「またね」
イェレミアスに前肢を振って散歩を続ける。今日はディルクとリーンハルトは裏門の担当では無かったらしく、会わなかった。
「くあ……」
クーデルカが欠伸をする。お腹がいっぱいで天気も良いと眠くなる。ケットシー程ではないが、コボルトも昼寝をする妖精なのだ。
「お昼寝、良い所あるよ」
クヌートはクーデルカの手を引いて〈転移〉した。〈転移〉先は温室だ。森の小道風に手入れされた温室は、森育ちのコボルトには居心地が良い。
「森?」
「お庭」
良く手入れされた芝生を歩き、クヌートは泉が湧いている日溜まりに進む。ここは陽当たりも良いが、木漏れ日になっているので暑くもなくお気に入りなのだ。
「わう」
芝生の上にクーデルカは〈時空鞄〉から引っ張り出した毛布を広げた。コボルト用の毛布なので、二人で転がるには丁度良い。
「んー」
「気持ちいい」
毛布に転がり、杖を抱えて目を閉じる。暑くもなく寒くもなく整えられた気温に、時折ぽこんと音を立てて湧く泉。ここを作った時、魔法使いが精霊に頼んだのだろう。時折微風も吹く。
公爵の館にあるべくして作られた、技術を凝らした温室だったのだが、コボルトにしてみれば格好のお昼寝場所だった。
錬鉄の扉に鍵が挿さりキリリと回り、蝶番を小さく軋ませ扉が開く。
さくさくと芝生を踏み、庭園に入ってきたのは採掘族の老人と、平原族の子供だった。
「……祖父ちゃん、またコボルトが寝てる。しかも増えた」
「ここに住む騎士様と魔法使い様のコボルトじゃな。気持ち良さそうに寝とるから、起こしちゃならんよ」
「うん」
領主館の囲壁の中と<Langue de chat>程度しか、表立って出歩いていないコボルト達だが、実はたまにやって来る領主の庭師にも存在を知られていた。
すぴょすぴょ、と言う気の抜ける寝息を聞きながら、花殻を摘み落葉を集め、水が必要な花に水を与えて、庭師はそっと庭園を出て行く。
クヌートとクーデルカは自分達が知らない人達にも、そっと見守られていた。
クーデルカからレシピを貰ったイェレミアス作の〈コボルトのケーキ〉が、宿舎のデザートに初登場するのは、半月後の事である。
ヨルンとクーデルカ、クヌートの日常です。
ヨルンに美味しいもの食べさせる!と言うのが、クーデルカの野望です。
平日は夕食を食堂で食べていますが、休日は部屋でクーデルカがヨルンと一緒に作っています。
そして、クーデルカは度々自分の集落に行って物々交換をしたりしているので、コボルト産のレアな楓の樹蜜を所有しています。
その樹蜜はヨナタン経由で<Langue de chat>に行ったり、オーラフやイェレミアス経由でアルフォンス・リグハーヴス公爵の口に入ったりするのでした。




