クーデルカと<Langue de chat>
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
大魔法使いフィリーネは可愛い師匠エンデュミオンが大好きです。
128クーデルカと<Langue de chat>
市場広場から右区に一本路地を入った通りにある、〈本を読むケットシー〉の青銅の釣り看板がある店が、ルリユール<Langue de chat>だ。
「……貸切り?」
<Langue de chat>のドアには〈貸切〉の札が下がっていた。
「来たか」
声を掛けられた方を向けば、開いた窓から鯖虎のエンデュミオンが顔を出していた。
「クロエから精霊便が来たから、貸切りにしたんだ。ドアは開いているぞ」
エンデュミオンはひょいと店の中に戻っていく。ヨルンはドアを開けた。
ちりりりん。
ドア上部に取り付けられた、軽やかな鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ。お待ちですよ」
「どなたが……?」
カウンターに居たイシュカが閲覧場所を示す。クーデルカを抱いたままヨルンが仕切りになっている本棚を回ると、そこには白い騎士服の青年が二人居た。胸章が付いているので領主の騎士隊隊員で、以前会ったディルクとリーンハルトだった。そして、ディルクの膝にクヌートが座っていた。
「クヌート、行っておいで」
ディルクがクヌートを床に下ろす。ヨルンもクーデルカを床に立たせた。
カチカチと爪を鳴らして二人のコボルトが近付く。しゅっとクヌートが右前肢を挙げた。
「クヌート!」
しゅっとクーデルカも右前肢を挙げる。
「クーデルカ!」
じっと見詰めあった後、ぎゅうと抱き付き合う。尻尾が千切れそうに振られているので、兄弟で間違いなかったのだろう。
クヌートとクーデルカは身体を離した後、「あおーん」「あおーん」と遠吠えし始めたが、気が済むまで誰も止めなかった。
クヌートとクーデルカが落ち着いた所で、カチヤがお茶とクッキーを運んできた。一緒にヨナタンもやって来て、南方コボルト達に挨拶する。
「魔法使いヨルンにもコボルトが憑いて、それがクヌートの兄弟だとはね」
「全くです」
遠吠えして喉が渇いたのか、クヌートとクーデルカはせっせとミルクティーを舐めている。やはり、クーデルカの耳の先が白い以外はそっくりだ。
向い合わせでミルクティーを舐める二人を、離れた席に座ったアーデルハイド達も穏やかな表情で眺めていた。
ちりりりん、りん。
「こんにちは。もうお揃いでしたのね」
軽く息を弾ませて店に入ってきたのは、大魔法使いフィリーネだった。
「フィリーネ、我儘を言って済まない」
「いいえ、コボルトを守る為には必要な事ですから」
椅子の上に乗ってフィリーネの腕に肉球を置いたエンデュミオンに、少女の姿の大魔法使いが微笑む。
フィリーネは店内に居る者達に会釈をして、ヨルン達が居るテーブルの隣の椅子に腰を下ろした。
「どうぞ」
「有難う、ヘア・ヒロ」
孝宏がテーブルに置いた梅シロップの水割りを一口飲み、ホッと息を吐いてから、フィリーネはローブの内側から巻いてリボンで結んだ紙を取り出した。
それを、ヨルンに差し出す。
「異動の辞令書です。ハイエルン公爵とハイエルンの魔法使いギルド長から許可をもぎ取りました」
「やっぱりごねたのか?」
フィリーネの向かいの椅子に座ったエンデュミオンが、黄緑色の瞳を半眼にした。
「コボルトの流出には違いないですからね。ですが、魔法使いヨルンがクーデルカを連れてハイエルンの魔法使いギルドに勤めるとなると、二人とも狙われますから」
ハイエルンには今までコボルトを隷属させてきた歴史がある。いくらハイエルン公爵が禁じても、水面下で手に入れようとする者は居る筈だ。
主持ちのコボルトなら、主を捕らえられてしまえば動きが取れなくなってしまう。
「ハイエルン公爵の騎士隊に入れると言う話も出たのですが、自由に動けるかと言うと疑問ですので」
守られるかもしれないが、必ず護衛が付く生活になってしまう。
「最終的にコボルトと主の安全を一番に考慮すると言う面で折れて貰いました。コボルトにこれ以上何かあれば、本当に移住されると脅しましたけれど。それと、リグハーヴスに居るコボルトが全員男の子でしたので」
リグハーヴスで繁殖はしない、と言う点もハイエルン公爵を頷かせる決め手だったらしい。
「魔法使いヨルンは用意が出来次第リグハーヴスに異動して下さい。所属はリグハーヴスの魔法使いギルドですが、住まいはリグハーヴス領主の使用人宿舎が空いているそうです」
「解りました」
「クヌートとクーデルカは近くにいた方が良いでしょう?」
フィリーネが微笑むと、クヌートとクーデルカは顔を合わせてフス!と鼻を鳴らした。
「荷物はどの位あるんだ?」
「魔法使いギルドの寮に居たので、それほどはありません」
クヌートとクーデルカ、ヨナタンが店内をちょこちょこ歩き回って居るのを目で追いながら、ヨルンは答えた。
「そうか、ではエンデュミオンが一緒に行こう」
「師匠、私も行きます」
即座に追従したフィリーネに、エンデュミオンはぽしぽしと頭を掻いた。
「む。別に殴り込みに行く訳ではないのだぞ?」
「怪しいので」
「むう」
あっさり言われて鼻白むが、フィリーネに無理をお願いしたのはエンデュミオンなので、言い返さない。
「クーデルカ、少しヨルンを借りるぞ。荷物を取って来るだけだから、クヌートとヨナタンと遊んでいると良い」
「直ぐ帰ってくる?」
「一時間は掛からないと思うぞ。本を読みたければ、イシュカに手続きして貰うと良い」
「うん。いってらっしゃい、ヨルン」
「いってらっしゃい」
コボルト達に見送られ、エンデュミオンはヨルンとフィリーネを連れてハイエルンの魔法使いギルドに〈転移〉した。
突然現れたエンデュミオン達にギルド内がざわめく。ちら、とカウンターを見ただけで、エンデュミオンはヨルンのローブの裾を引いた。
「寮はどっちだ?」
「この奥です」
「フィリーネ」
エンデュミオンはフィリーネに前肢を伸ばした。明らかに歩く速さが違うので、置いていかれてしまう。
フィリーネは一瞬固まったが、直ぐにエンデュミオンを抱き上げた。軽くて布の上からでも解る柔らかい身体に笑みが溢れる。
「ふふ。師匠、やっぱり柔らかいですわね」
「むう。孝宏が手入れしてくれているからな」
大量の水が苦手なエンデュミオンだが、孝宏は上手に風呂に入れてくれる。
ギルドの奥にある階段を上がり別棟に移り、ヨルンは廊下の隅にあったドアを開いた。そこには又階段があった。
「屋根裏部屋?」
「はい。私は一番下っ端ですから」
ちら、とエンデュミオンはフィリーネを見上げた。本来屋根裏と言うと使用人部屋だ。今はどこの魔法使いギルドも掃除や寮の食事を作る使用人は通いになっていて、屋根裏は物置小屋の筈だ。
フィリーネも難しい顔になっている。
ヨルンは慣れた足取りで狭い階段を上がり、突き当たりのドアを開け、頭を屈めて部屋に入る。
「天井が低いな……」
エンデュミオンは唸った。
エンデュミオンや小柄なフィリーネなら兎も角、ヨルンには天井が低く、きちんと立てない。
膝立ちでヨルンは衣装櫃の中に自分の私物の小物やリネン類を畳んでしまった。元々部屋に出ている物が少なく、あっという間に衣装櫃の中に収まった。その衣装櫃も〈時空鞄〉にしまってしまう。部屋の中には剥き出しのマットレスが載ったベッドだけになった。つまり、これ以外はヨルンの私物だったのだ。
「フィリーネ、ギルドの屋根裏を物置小屋として使用する決まりになったのはいつだった?」
「師匠が現役大魔法使いだった頃の本部長が決めた気がします」
チッとエンデュミオンが舌打ちする。
「もう一度他のギルドの寮も確認してくれ」
「承知しました」
「あの、どうかしましたか?」
二人が気難しげな顔で話しているのに気付いたヨルンが、屈みながら部屋から出てくる。
「いや。リグハーヴスの宿舎はここより環境が良い筈だからな」
「あー、もう少し天井が高いと良いですね。何度か頭をぶつけちゃって」
「……」
明るく笑いながら頭を擦るヨルンに、目頭が思わず熱くなるエンデュミオンとフィリーネだった。
ヨルンがハイエルンの魔法使いギルド長に挨拶していくと言うので、エンデュミオンとフィリーネも付いて行く。
「ギルド長はいらっしゃいますか?」
「いや、領主様の所に行っているよ」
カウンターの内側に居た職員にヨルンが声を掛けたが、生憎ギルド長は留守だった。コボルト保護について、会議でもしているのだろう。
「私は今日付けてリグハーヴスに異動になりました。コボルトへの盗難品返還の報告書は、リグハーヴスから送ると伝えて頂けますか?」
「解った。送る荷物はあるのか?」
「いいえ、〈時空鞄〉に入れましたので。お気遣い有難うございます」
〈時空鞄〉を使えると言ったヨルンに、相手の魔法使いはぎょっとなった。ヨルンの扱える属性を知らなかったらしい。
「お前、どの属性に適正があるんだ?」
「全部ありますよ」
「……成程、やらかしたのはこっちか」
全属性に適正がある者は希少である。つまり、ヨルンが引き抜きにあったと思ったのだろう。強ち間違ってもいないのだが。
「ヨルン、戻るぞ。クーデルカが待っている」
「はい、大魔法使いエンデュミオン、大魔法使いフィリーネ」
「!?」
ガタガタと音を立ててカウンター内に居た魔法使い達が立ち上がる。
客が来ていても視認していない、と言う事だろう。エンデュミオンは兎も角、フィリーネの姿は魔法使いなら知っている筈なのだから。
フィリーネは溜め息を吐いて、エンデュミオンをヨルンの腕に渡した。
「師匠、私はやる事が出来ましたので、先にお帰り下さい」
「ふうん?帰りに<Langue de chat>に寄ると良い。孝宏にマカロンを作って貰っているから」
「はい、師匠」
「ではな」
パチンと音を立てて、エンデュミオンとヨルンの姿が消える。
「さて」
くるりと振り返り、フィリーネは〈時空鞄〉から取り出した杖の石突きを床にゴツンと打ち付けた。にっこりと微笑んだ少女の目は全く笑っていなかった。
「鍛え直しがいがありそうですわね、あなた達」
途中戻ってきたギルド長も巻き込み、「私から師匠を抱っこする時間を削ったのですから覚悟なさい!」と憤るフィリーネからきつく説教を受けた、ハイエルンの魔法使いギルドだった。
パチン。
「ただいま」
「お帰りなさい。エンディ、ヘア・ヨルン」
「孝宏」
丁度店側に来ていた孝宏の腕へと、エンデュミオンはヨルンの腕から移った。
「ん?どこ行った?」
店側にはカウンターにイシュカとヴァルブルガが居るだけだ。
「アーデルハイド達は冒険者ギルドに報告に行くって。それと魔法使いギルドに馬も預けたままだから、ハイエルンの厩舎に戻しておくって言ってた。皆は奥でヨナタンの布を見てるよ」
「布?」
「クヌートとクーデルカの服の為の布だって。ヘア・ヨルンもどうぞ」
エンデュミオンを抱いた孝宏に付いて、ヨルンも奥の居間に行く。
居間にはラグマットの上に幾つも反物が置いてあり、広げてみてはコボルト達が尻尾を振っている。
「コボルト織、ですか?」
「あ、お帰り、ヨルン」
パッと顔を上げたクーデルカが、駆け寄りヨルンの脚に抱き付く。
「ヨナタンがクヌートとクーデルカの服に、布をくれるって」
「コボルト織って結構しますよね?」
「?」
クーデルカが言っている意味が解らない、と言う表情になったので、孝宏が補足する。
「コボルト同士にはお金って言う概念がないみたいですよ」
本来コボルト織は自家用の物であり、もしくは集落で贈り物とする布だった。だからヨナタンはクヌートとクーデルカに織った布をあげるし、二人は貰うのだ。そこに金銭は存在しない。
「多分、物々交換みたいな感じじゃないんですかね」
染料の素材や食料品、魔石などで満足らしい。
ヨナタンはクヌートが着ていたズボンから再現した縞柄の布と、シャツ用の布をまず抜き、他に二人に好きな布を選ばせた。
「小鳥の」
青い地に何色もの小鳥が織り込まれている生地を二人で指差す。ヨナタンはこくこくと頷き、先の二反と合わせて三反を避けた。
「マリアンにたのむといいよ」
「そうだな、マリアンとアデリナなら喜んで仕立ててくれるな」
仕立賃を貰ってコボルト織を縫えるなんてご褒美よ、とヨナタンの服を頼んだ時も嬉しそうだった。彼女達なら間違いないとエンデュミオンも思う。
クヌートはお礼に〈治癒〉魔法を封入した緑色の光が揺れる魔石を、クーデルカはヨルンに預けた荷物の中から楓の樹蜜の瓶をヨナタンに渡した。
この物々交換が釣り合っているのかどうかは良く解らないのだが、本人達は満足らしい。
ディルクとリーンハルトが腰を上げる。
「それじゃあ、〈針と紡糸〉に寄って帰るよ」
「ヨルンとクーデルカも一緒に行こう。このまま領主館に案内するから」
「はい」
店を出て前肢を繋いで歩くクヌートとクーデルカを、ヨナタンが窓から前肢を振って見送る。ディルクとリーンハルト、ヨルンもコボルト達に合わせてゆっくりとした足取りで付いていった。
『ハイエルンのコボルト騒動もこれで一段落すると良いね』
『そうだな。コボルトはハイエルンの宝だと言うのに』
孝宏に応え、エンデュミオンはなだらかな肩を竦めてみせる。
『孝宏、後でフィリーネが戻って来るからマカロンを頼む』
『用意してあるよ』
『喉が渇いているだろうから、お茶も頼む』
『大魔法使いフィリーネ、何やって遅れているの?』
『うぅむ。一寸な……』
恐らく今頃はハイエルンのギルド職員を躾直しているであろうフィリーネに、エンデュミオンは口籠る。
エンデュミオンを止めに付いてきた癖に、自分が耐えられなかったのだろう。
(フィリーネはやっぱりエンデュミオンの弟子だなあ)
ハイエルンには災難かもしれないが、思わず笑ってしまうエンデュミオンだった。
可愛いもの好きなフィリーネ、エンデュミオンを抱っこしてみたくて堪りませんでした。
多分頼んでもエンデュミオンは断らないと思うのですが……。
エンデュミオン、森林族の時も性格は同じなので、フィリーネにはその頃から「師匠、可愛いわー」と思われていたり。
森林族時代のエンデュミオンが心を許していた数少ない相手の一人なので、実は仲良し師弟です。




