蓬餡パンと相談者
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ギルベルトに育てられたエンデュミオンとラルス。好みが似ています。
125蓬餡パンと相談者
ちりりん、りん。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、フラウ・アーデルハイド」
見事な赤毛の人狼に、イシュカは笑顔を向ける。〈紅蓮の蝶〉のアーデルハイドは<Langue de chat>の常連で、テオの友人だ。
「エンデュミオンとテオとルッツ、ヨナタンは居るかな」
「はい、居りますよ。ヴァル、居間にご案内してくれる?」
「うん。アーデルハイド、来て」
「すまないな」
ヴァルブルガに付いて、アーデルハイドは二階の居間に通された。「アーデルハイド来たの」と教えてから、三毛のケットシーは一階に戻っていく。
「アーデルハイド!」
ルッツが飛び付いてきたのを抱き止め、右前肢を上げて挨拶してきたヨナタンの耳の間を撫でてやる。裏表のないアーデルハイドは<Langue de chat>のケットシーとコボルトに好かれているのだ。
「いらっしゃい、アーデルハイド。今日はどうしたの?」
読んでいたらしき若草色の本を閉じ、テオが立ち上がってソファーを薦める。薦められるままにソファーに腰を下ろしたアーデルハイドの両側に、ルッツとヨナタンがよじ登って来た。
「良い匂いだな」
部屋中に焼き立てのパンの香りがしていた。
「いらっしゃいませ、フラウ・アーデルハイド。昨日リュディガーとギルベルトに野草摘んで貰って、蓬餡パン作ったんです。さっきまで、エッダとカミルも居たんですよ」
孝宏がお茶と籠に入った丸い緑色のパンを運んで来た。籠まで手が届かないルッツとヨナタンに、一つずつ渡してやっている。台所ではエンデュミオンとギルベルト、ラルスがいて、尻尾をピンと立ててふるふると震わせながら蓬餡パンを食べている。柄は違うのにそっくりだ。
「そういえば、今日は土の日か。ふふ、良い時に来たな」
毎週土の日はエッダとカミルにパン作りやお菓子作りを教えている孝宏である。
「今日の恵みに」
食前の祈りを唱え、緑色のパンを千切ってみる。まだ温かいもっちりとしたパンの中には、紫色の餡が入っていた。口に入れると蓬の風味と、餡の優しい甘さが嬉しい。
「蓬のパンケーキは人狼の集落でもあったから、懐かしいな」
「美味しいねー」
「……」
フス!とヨナタンがルッツに応える。
絶妙な濃さで入れられた紅茶を飲み、アーデルハイドはカップをテーブルに戻した。
「実はハイエルンの魔法使いヨルンから精霊便が来てな。コボルトの集落を回る事になったのだ。それで気を付けた方が良い事などあれば教えて貰おうと思ってな」
「魔法使いコボルトの杖と魔法書の返還ですね。エンディ」
孝宏に呼ばれ、蓬餡パンの欠片を口に入れたエンデュミオンが居間にやって来た。
「ハイエルンの件か?エンデュミオンがアーデルハイドに頼めと言ったのだ。信頼出来る人狼でないと行かせられないからな」
「ヨルンの精霊便にも書いてあったよ。引き受けはしたが、あらかじめ確認した方が良さそうだからな」
「ふうん?」
エンデュミオンはラグマットの上にぺたりと座った。アーデルハイドが問う。
「杖と魔法書なのだが、コボルトは自分の物しか使わないと聞いているのだが本当だろうか。ヨナタンなら知っているかと」
しゅっとヨナタンが前肢を挙げた。
「つかうの、じぶんのものだけ」
「それで、もし無くなった場合はどうなる?」
「かなしい。つくりなおさないといけない」
へにょ、とヨナタンの耳と尻尾が垂れた。
「そういやクヌートって魔法書持ってなかったな……」
恐らく誘拐された時に無くしていたのだろう。
「まほうしょは、かける。つえはなくすとこまる」
「あ、魔石か!」
大なり小なり魔石が付いているのが、魔法使いの杖だ。人族と魔法使いコボルトは杖を使って、魔法を安定させるのだ。
魔石は自然の中でも見付かる事もあるが、大抵は魔物から獲る。そして魔石にも相性があるので、使える物は限られる。
〈黒き森〉の奥に棲むコボルトの場合は、既に亡くなった親族の杖を使い回す事が多い。勿論杖を作る職人コボルトもいるが、肝心の魔石が無いと作れない。
「盗まれた杖の中には魔石だけ盗られて遺棄された物もある筈だ。返せない場合、どうするかなのだ」
「ハイエルンが賠償するしかないだろうな。しかし魔石を豊富に持つ杖職人か……。クヌートの杖を作ったクレスツェンツ位ではないのか?コボルトの杖を作るのは」
「クレスツェンツがリグハーヴスに居るのか?」
アーデルハイドの知り合いの名前だったらしい。
「大工通りに開業しているぞ。まあ、杖を無くしたコボルトを連れてきて、作って貰うしかないな」
「でも、未契約のコボルトは連れてきちゃいけないだろ?エンディ」
知らずにヨナタンを連れてきた経験のあるテオである。
「むう……」
ぽしぽしとエンデュミオンが頭を掻く。エンデュミオンであれば〈転移〉でパパッと送迎すれば良いと思うのだが、それでもバレると後々煩いだろう。特に大魔法使いフィリーネに怒られる。
「そうだな、もし杖の無いコボルトが出たら、まず大魔法使いフィリーネに連絡する事だ」
「何故、大魔法使いフィリーネ?」
「ハイエルン公爵に連絡を取って、未契約のコボルトが領外に出る許可を取って貰う。魔法使いコボルトの事だから、フィリーネで良い。これでもしヨルンに憑いたのなら、そのままリグハーヴスに連れて来られるんだが」
「しかし、そうなるとヨルンはハイエルンに居られなくなるのではないか?」
アーデルハイドが難しい顔になる。
「ハイエルンではコボルト憑きは街で見掛けないのだ。人狼に憑いているものはあっても、人族にはまず憑かない。カチヤ達に憑いたのはリグハーヴスだからとも言える」
「そうなの!?確かにコボルト憑きって、俺も見た事が無かったけど」
テオが驚きの声を上げた。
「それって、ハイエルンの人達がコボルトに信頼されていないって意味?」
「はっきり言うな、孝宏」
切れ味の良い孝宏の言葉に、エンデュミオンが苦笑する。
「まあ、もしヨルンに憑いたのなら、リグハーヴスで貰うとしよう」
鼻歌を歌いながらテーブルの引き出しを開けて紙と筆記用具を取り出し、エンデュミオンはさらさらと手紙を書いた。サインの上に舐めた肉球を押し付けて、最近孝宏に教えて貰った飛行機の形に折り、窓辺へ行って開いていた窓から手紙を風の精霊に託す。
「ヴァイツェアの大魔法使いフィリーネへ頼む」
怒られる前に先に知らせておく。悪い事をする訳ではないのだ。一寸人事異動をして貰うかもしれないとお願いするだけだ。もし本当にヨルンを異動する暁には、孝宏にフィリーネの好きなマカロンを作って貰おうと決めるのだった。
「あら?」
すいーっと開いていた窓から変わった形の物が部屋の中に入ってきて、フィリーネの机の上に載った。
「鳥……かしら?」
持ち上げて見ると、羽に肉球の跡が見えた。折られた紙を丁寧に広げ、それがエンデュミオンからの手紙だと解る。
「へえ、ハイエルンが漸く動き出すのね。……ハイエルンの魔法使いがコボルト憑きになったら協力を頼む、ってヨルンの事かしら?」
コボルト憑きになりそうな気質のハイエルンの魔法使いと言うと、彼位だろう。
「この間クヌートに〈祝福〉貰ってたわね……」
ハイエルンの人間でコボルトに気に入られるのは珍しい。そう言えばヨルンは、ケットシーになったエンデュミオンにも平気だった。恐らくエンデュミオンに気に入られている。
「ハイエルン公爵とハイエルンの魔法使いギルド長へ根回ししろって事なのね」
コボルトがまたリグハーヴスに流出すれば、騒ぎ出す者が居るだろう。しかし、貴重な妖精が安全な場所で暮らせない環境にしたのは彼らなのだ。ハイエルンの者が、ハイエルンに暮らすコボルトを拐うのが一番多いのだから。
「もう、今度お茶飲みに行った時にお小言ですよ、師匠」
ぷくりと頬を膨らませたフィリーネだったが、直ぐにそれは笑みに変わる。
誰にも頼らなかったエンデュミオンが、今や我儘も言うし後始末を頼んできたりする。それが嬉しい。
フィリーネは執務室のソファーに置かれているケットシーの編みぐるみに目を向けた。
「あんまり無茶を言うと抱っこさせて貰いますからね」
一度位エンデュミオンを抱っこして、柔らかさを堪能したい。編みぐるみを抱き締め、フィリーネは頬擦りした。
「へくしっ」
『お大事に。エンディ、はい』
「むう」
孝宏に渡されたハンカチで鼻を拭う。一寸鼻水が出た。
『誰か噂してるのかもよ』
『……フィリーネか?』
ヴァイツェアから遠く離れたリグハーヴスで、くしゃみをしたエンデュミオンだった。
直接の弟子はフィリーネしか居ないので、彼女に頼むエンデュミオンです。
その内孫弟子のジークヴァルドにも、頼み事をしたりします。




