春の菜摘み
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ギルベルトもやっぱり食いしん坊です。
124春の菜摘み
「にゃにゃん、にゃにゃん」
ぷちぷちと蓬の新芽を摘みながら、ギルベルトは呟く様に歌う。御機嫌なのだ。
雪がすっかり溶けて暖かくなり、漸くリュディガーの外出許可が出た。今まではリグハーヴスの街の中は散歩していたが、近場だけとはいえ街の外に出ても良いと、魔女グレーテルからお許しが下りたのだ。
早速リュディガーはギルベルトを連れて、街の近くの草原で春の菜摘をしに来たのだが、蓬は孝宏からの頼まれ物でもある。
薬にもなる蓬だが、孝宏はパンに練り込んだりするのだそうだ。
「蓬パンで餡パン作ってあげるね」と言う約束に、その場に居たエンデュミオンとラルスと共に尻尾がピンと立ってしまった。ギルベルトが育てたエンデュミオンもラルスも、食べ物の好みが似ているのだ。
ちなみに孝宏が自分で摘みに行かないのは、草木にかぶれ易いからだった。要するに、行きたくても行けないのだ。
「結構摘めた」
摘んだ蓬を入れた布袋を確かめ、ギルベルトは満足げにふくりと口許を膨らます。
「ギル、休憩しようか」
「うん、リュディガー」
布袋を〈時空鞄〉にしまい、ギルベルトは少し離れた場所に居たリュディガーの元へと戻った。
背の低い草しか生えていない場所に毛布を広げ、ギルベルトが〈時空鞄〉にしまっていたバスケットを取り出す。元王様ケットシーのギルベルトは苦もなく闇の精霊魔法を使えた。
これは闇の精霊もしくは闇の妖精と友好度が高ければ使える〈時空鞄〉と言う魔法で、物をしまっておける。レベルが上がれば魔法使いは大抵使える様になるが、容量は人各々だ。
バスケットの中身はマリアンとアデリナが今朝作ってくれたサンドウィッチが入っている。それとヴァイツェア産の苺だ。
水筒には冷やした紅茶が入っていて、香りの良いアールグレイだった。
「白パンには玉葱とツナ、黒パンには鶏とチーズって言ってたよね」
ツナは孝宏に教わったと言うマヨネーズで和えてある。鶏の方はこちらも孝宏に教わった照り焼きと言う物らしい。どちらも葉野菜がたっぷり挟んである。
「今日の恵みに。女神シルヴァーナに感謝を」
水の精霊魔法で前肢を洗い、食前の祈りを唱えてからサンドウィッチを取り、包んである蝋紙を半分剥いてギルベルトは、はむりと齧り付く。
「ふふ」
マリアンとアデリナの料理はいつだって美味しい。プリプリした鶏肉に絡む甘辛いソースとシャキシャキの野菜が美味しい。
白い雲が遠くにある青い空から降り注ぐ太陽の光は少し暑い位の陽気で、小鳥が何処かでピヨピヨ鳴いている。長閑だ。
「ギル、頭暑くないか?」
「少し暑い」
「ギルは黒毛だからなあ。ふかふかだ」
リュディガーがギルベルトの頭に触れて毛の熱さを確かめる。ギルベルトは基本的に黒いケットシーなので、太陽光を集めるのだ。きっとラルスも同じだろう。
「水分取ってね。あとケープのフード被ろうか」
黒毛のギルベルトの為に、マリアンが〈暁の旅団〉の民が織っている涼しい布でフード付のケープを作ってくれたのだ。生成り生地だが、コボルトのヨナタンが織ったコボルト織の生地が縁飾りに縫い付けてある。ずらりと緑の目の黒いケットシーが並んでいて可愛い。時々団栗や林檎と言った柄になっていて、遊び心がある。
フードはギルベルトに合わせてあるので、被ると三角耳もきちんと収まる。耳が中で折れる事がないので、ギルベルトもお気に入りだ。
毛布の上で靴を脱いだ肢を握ったり開いたりする。やはり裸足でいる方が好きなのだ。でも、街では硬い物が落ちているかもしれないので、外に出る時は靴を履いている。
苺はヘタの下で切れ込みが入れてあるので食べやすい。これがなければ、ヘタごと食べるギルベルトである。
「ふふっ」
「どうかした?」
思い出し笑いをしたギルベルトに、紅茶を飲んでいたリュディガーが薄く削られた木のコップから顔を上げた。
「エンデュミオンは子供の頃から、苺のヘタをちゃんと取って食べていたなと思って」
「エンデュミオンとラルスはギルが育てたんだっけ?」
「うん。まだヘルブラウ達と同じ位の時だった」
「エンデュミオンの小さい時って……」
想像出来ない。姿だけはグラウを思い浮かべるが。
「エンデュミオンは喋らないし動かない子供だった。初めから名前のあるケットシーは、そういう子が多い。そういう子は、ちょっぴり育て難いから王様の所に預けられる」
王様以外にも子供を預かるケットシーは居るのだ。しかし名前を持つケットシーは、主を見付けて集落から出られる確率が低い。その為、譲位するまで〈黒き森〉を出ない王様ケットシーに預けられる。
「ラルスは良く動くし良く喋る子だったから、正反対だったんだ。ラルスにつられてエンデュミオンが食事をしたり昼寝をしてくれたから助かった。中々寝付かない子だったけど、抱っこしたらしがみついてきて可愛かった。お風呂も苦手で抱っこして一緒に入った」
「そうなんだ」
かなり育児に手が掛かったエンデュミオンの様だが、その分彼はとてもギルベルトを大切にしている気がする。
元々が森林族の大魔法使いで、呆れる程長く生きてきたのだ。ケットシーに産まれ変わった時の驚きは察する事さえ難しい。名前持ちのケットシーは、正確な名前を当てられないと〈黒き森〉から出られないと聞く。だから──多分エンデュミオンは当初絶望したのだろう。ケットシーも長く生きる妖精だから。
それでもギルベルトやラルスが一緒に居た事で、ケットシーとして生きる筋を見出だしたに違いない。
「ふふ。孝宏が落ちてきて、エンデュミオンの名前を言い当てた時は、喜びで皆の毛が逆立ってしまったもの」
誰も知らない〈本当の名前〉を言い当てられるなんて、滅多にないのだ。だからこれは女神様の思し召しだと、ギルベルトは孝宏と一緒にエンデュミオンを行かせたのだ。
「あの時は寂しくなったけど、今はエンデュミオンにもラルスにも会えるし、リュディガーが居る。ギルベルトは幸せ」
太くてふさふさした尻尾が立ち上がりふるふると揺れる。リュディガーはギルベルトの頭を抱き寄せた。
「俺もギルに会えて良かったよ」
「ふふ。ギルベルトは嬉しい」
大きな緑色の瞳を細めるギルベルトは、当然リュディガーよりも歳上だ。だが、王様と言う軛から外れ、今ではすっかり無邪気さを取り戻している。
ヘルブラウと一緒に昼寝をしているギルベルトに、「癒されるわー」とマリアンとアデリナが良く悶えているし、店の客も大分慣れた。
無茶を言う冒険者も、ギルベルトに無言でじーっと見詰められると大人しくなるのだ。ひたすら無言で大きなケットシーに見詰められたら、呪われそうだと思われるのかもしれないが、現在のところギルベルトは誰も呪っていない。用意されていた爪研ぎ板で立派な爪をぱりぱり研いで見せただけだ。そしてその後に「ふふっ」と笑っただけなのだ。
「さてと、食べ終わったら少し休んで、独活とタラの芽取ろうか」
「トゲトゲ?」
「うん、タラの木ね。ヒロが揚げ物にするって言ってたけど。やっぱり南より芽吹くのは遅いね」
リュディガーは手帳を取り出して、採取した場所と野草の名前を書いていく。
「美味しい?」
「ヒロが作るものだから、美味しいと思うよ」
「ギルベルト、頑張る」
美味しい物が好きなのは、どのケットシーも同じだった。
ちりりん、りん。
「リュディガー、ギルベルト、お帰りなさい」
<Langue de chat>のドアを開けた二人に、カウンターに居たイシュカが微笑んだ。イシュカはリュディガーより歳上だが、甥になるので丁寧な言葉使いで話し掛ける。
「ただいま。ヒロに頼まれたのを持ってきたよ」
「有難う。孝宏は二階に居るからどうぞ」
今はカチヤが一階の台所にいるのだろう。そろそろ夕飯の準備をし始める時間だ。
カウンター奥の廊下に入り、階段を上がる。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
二階の居間を覗くと、ラグマットの上にエンデュミオンが座っていた。隣にはグラウの揺り籠がある。
「ぎー」
「ふふ、少し大きくなったなグラウ」
「重くなってきたぞ。む?」
手を伸ばしてきたグラウを撫で、ギルベルトはエンデュミオンの頭も撫でる。ギルベルトにとってはどちらも可愛い。
視線をさ迷わせ、エンデュミオンは縞のある尻尾でぱしぱし床を叩いたが、明らかに照れている時の叩き方だった。育ての親であるギルベルトには撫でられて文句は言わない。
「ギル、ヒロに頼まれていたやつ出してくれる?」
「うん」
台所に行き、蓬の布袋を取り出す。それと、野草の入った袋も。
「蓬の方は明日にして、こっちは天麩羅にしますね。おかずに持っていって下さいね」
クッキーとお茶を居間のテーブルに用意され、リュディガーとギルベルトはグラウをあやしつつ休憩する。
「ルッツとヴァルブルガは?」
「ルッツは近くの村へテオと配達。ヴァルブルガはカチヤとヨナタンと一階の居間」
基本的に主とケットシーは一緒に行動するので、どちらかの姿が見えなければ二人とも出掛けているのだ。
じゅわー、という音が台所から聞こえ、油とフリッターの様な香りが居間にも漂ってきた。
「……」
気になったので、ギルベルトは台所へ向かった。
「こんなもんかなー」
孝宏が油の入ったフライパンから、狐色になった衣のついた物を取り出し、金網の乗った琺瑯のバットに載せる。
「それ、何?」
「あ、ギル。余り近付かないでね、跳ねると危ないから。これは天麩羅だよ。甘くないフリッターみたいな物かな」
ギルベルト達が取ってきたタラの芽や独活にボウルの衣を付け、孝宏は箸で器用に油の中へと落としていく。ケットシーの前肢で箸は持てないので、孝宏は凄いとギルベルトは思う。倭之國では、あれで食事をするらしい。
「味見する?」
孝宏は大きかったので半分に切って揚げたタラの芽に、塩をパラリと振り、ギルベルトが「あーん」と開けた口の中に入れてやった。
「あひゅい」
「ごめん、まだ熱かったね」
はふはふと天麩羅を食べたギルベルトの緑色の瞳が輝く。
「美味しい。少し苦いけど、余り気にならない」
「独活もね、癖があるけど天麩羅にすると食べられるよ」
「楽しみ」
「じゃあ、もう少し待っててね」
天麩羅を揚げる続きをする孝宏の邪魔になるので、ギルベルトは居間に戻る。
「リュディガー、美味しかった」
「味見させて貰ったの?」
「うん。少し苦くて、でも美味しい」
「ふふん。春の味がしただろう?」
以前にも食べた事があるらしいエンデュミオンが、ぱたぱたとしっぽの先で床を叩く。その尻尾にリュディガーの膝に載っているグラウが釘付けになっている。玩具と勘違いしていそうだ。
「春の味か。ふふ」
ギルベルトも尻尾で床をぱふぱふ叩く。
「にゃー!」
ついに堪えきれなくなったグラウがギルベルトの尻尾に飛びついた。
「こらグラウ、止めろ」
慌ててエンデュミオンが捕まえようとするが、太い尻尾に夢中で、グラウは耳を貸さない。
「なーっ」
「おやおや」
水色のおむつのグラウが自分の尻尾に闘いを挑んでも、ギルベルトには痛くも痒くもない。はらはらと見守るエンデュミオンの珍しい姿に、顔を見合わせて笑ったギルベルトとリュディガーだった。
孝宏はタラの芽と独活の他、甘薯を細く切ってかき揚げにした物を作った後でザンギも揚げた。その頃には匂いを嗅ぎ付けたルッツとヨナタンが、口元の毛を濡らして台所に現れていた。いつの間にか帰って来ていたらしい。
ザンギの小さな切れ端を口に入れて貰い、ルッツとヨナタンは台所から撤収してくる。ちょっぴり味見させて貰えれば、あとは夕飯のお楽しみで構わないのだ。
「はい、出来たよー。ギルベルト、〈時空鞄〉に入る?」
「うん」
孝宏が持ってきた新聞と蝋紙を敷いた籠の中に、天麩羅が沢山入っていた。それをそのまま時空鞄にしまう。
「ぎー」
「グラウ、また遊びに来る」
「あいー」
最近返事が出来る様になったグラウである。
「おいで」
ギルベルトの尻尾から、エンデュミオンがグラウを抱き上げる。
「でぃー」
ご機嫌でグラウが抱き付くが、エンデュミオンは疲れたのか、耳が少し伏せていた。今日は殆ど一人で子守りをしていたのだろう。
そんなエンデュミオンの頭を孝宏は誉める様に撫でた。
「蓬パンは明日焼くね。カミルとエッダが来る日なんだ」
「うん。じゃあね」
「またね」
ギルベルトは転移陣を出し、〈針と紡糸〉へと〈転移〉した。
ぱちん!
「あら、お帰りなさい」
突然リュディガーとギルベルトが〈転移〉してきても、マリアンは驚かなくなった。
「マリアン、ただいま」
大好きなマリアンにぎゅっと抱き付いてから、ギルベルトは〈時空鞄〉から天麩羅の籠を取り出した。
「おかず貰った」
籠を受け取ったマリアンが目を丸くする。
「まあ、フリッター?」
「天麩羅だって。取って来た野草で孝宏が揚げてくれた」
「美味しそうね。スープ作ってあるから、パンを切れば夕飯に出来るわ」
「アデリナ呼んでくる」
ギルベルトはとことこと居間から一階の店へと向かった。
お帰りのキス位二人でゆっくりさせてあげるのも、ケットシーの役目なのだ。
それでも食卓に上る春の味が楽しみで、心持ち急いでアデリナを呼ぶギルベルトだった。
漸く薬草摘みの仕事に復帰したリュディガーです。今度からはギルベルトも一緒。
次回は蓬餡パンです。




