ハイエルンからの訪問者再び
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
魔法使いヨルンが再びやって来ます。
123ハイエルンからの訪問者再び
ハイエルンの魔法使いギルドに勤めるヨルンは朝から調べ物をしようとしていた。魔法使いギルドに持ち込まれるのだから、魔法使い関連なのだが、少々手間取るのには訳がある。
ハイエルンには平原族と採掘族が多く住み、人狼とコボルトの集落が〈黒き森〉の中にある。
コボルトは二足で立つ犬の姿の妖精で、生産系のものと魔法使い系のものがいる。基本的には温厚で、身体も小さい。故に昔から人狼以外の人族に搾取され続けてきた歴史がある。
じわじわと数を減らしてきたコボルトに、現ハイエルン公爵はコボルトの保護を大きく打ち出した。そして今までコボルトの集落から持ち出されたものが見付かれば、返還すると決めたのだ。
しかし困った事にコボルトの集落は幾つもある。そして主を持たないコボルトには名前がない。仲間内では解る呼称が付いている様なのだが、登録などはされていない。
ヨルンの仕事は、魔法使いギルドに集められた返還すべき物品の特徴を拾い上げる事だった。
杖は杖、魔法書は魔法書とまとめて入れられた木箱の中から、薄い木の板の表紙が付いた魔法書を一冊取り出す。
コボルトの魔法書は製本されておらず、魔法で保護を掛けた紙を木の板で挟んで革紐で結んである物なのだ。木の板の表紙には一冊一冊違う模様が彫り込まれている。これで持ち主や集落が特定出来る筈だ。
ヨルンが何故この仕事の担当になったかと言うと、一番絵が上手かったからである。元々写本の経験もあったので、模様を書き写す必要のあった仕事にはうってつけと言う訳だ。
「これは白樺の木とコボルトかな?」
手に取った魔法書には、二本の白樺らしき木の間に、黒いコボルトが立つ影絵が焼き付けてあった。彫った上に焼き鏝で黒く焼いたのだろう。コボルトが黒いので、恐らく南方コボルトの物だと思われる。
引き出しから記録用の紙を取り出し、先の細い硝子ペンをインク壷に入れるべく持ち上げたところで、部屋のドアが開いた。
「魔法使いヨルン、行くわよ」
「へ!?大魔法使いフィリーネ!?」
ドアを開けたのは森林族の少女だった。実際は平原族のヨルンより歳上だが。森林族は寿命が長いのだ。
それよりなぜフィリーネが、下っ端魔法使いヨルンを呼びに来たのかが解らない。訳が解らないまま転移陣のある部屋まで連れていかれ、さくさくとフィリーネが転移陣に魔力を込めて〈転移〉する。
「ここは……リグハーヴス?」
見覚えのある転移部屋に瞬きするヨルンに、フィリーネは手招きした。
「そうよ。馬車が待っている筈だから。これから領主館に行くわよ」
「申し訳ありません、理由はなんでしょうか」
何故ここまで連れてこられたか解らない。
「あら、ハイエルンのギルド長からまだ聞いてなかった?リグハーヴス領主の騎士二人にコボルトが憑いたのよ。魔法使いコボルトだから、私と前回も来た貴方に来て欲しいと連絡があったの」
「聞いていませんでした……」
恐らくフィリーネからの精霊便に大慌てしている内に、当人が来たのだろう。
リグハーヴスの魔法使いギルド長クロエと簡単な挨拶をしてから、ギルドの前に待機していた領主館の馬車に乗り込む。そこで初めてヨルンは魔法書を持ってきていた事に気付いた。フィリーネの登場に驚いて、手に持っていた魔法書を置いてくるのを忘れたらしい。コボルトの大切な魔法書であり、途中で無くさなくて良かった。仕方がないのでしっかりと抱える。
ガラガラと車輪の音を響かせて街中を出て、領主邸への丘へ続く並木道に入る。
「ん?」
何気無く眺めていたドアの硝子窓越しに、砂色の髪の青年が見えた。その青年が肩車していたのは黒褐色のコボルトだった。
「大魔法使いフィリーネ、コボルトです!」
「あら、お散歩していたのかしらね。大丈夫よ、ここはリグハーヴスですもの。コボルトを拐おうとしたら、襲撃されるわよ」
リグハーヴス公爵は妖精庇護者だ。定住している住人も冒険者達も、エンデュミオン達の姿を日常的に見ているので、妖精には慣れている。
ヨルン達が応接室に案内され、アルフォンス・リグハーヴス公爵とお茶を楽しんでいると、若い騎士二人と黒褐色のコボルトが執事に案内されてやって来た。やはり、先程馬車の中から見たコボルトと青年だった。
デイルクとリーンハルトと名乗った騎士二人は、ヨルンとフィリーネの向かい側のソファーに腰を下ろした。クヌートと言う名前を貰った南方コボルトは二人の間に座る。背中に立派な水晶狼の杖を斜めに背負っている。
(良かった、可愛がられているみたいだな)
まだ痩せてはいるが毛艶は良いし、藍色の瞳もきらきらしている。鼻も乾いていない。舌も健康的なピンク色だ。
ヨルンはクヌートがどの地域の産まれか、何処で拐われたのかを質問し、解る範囲で答えて貰う。子供のコボルトは、出身地が不明な事が多い。集落から碌に出ない内に拐われるので、自分の集落の位置を把握していないのだ。
クヌートもやはり自分の集落の位置を覚えていなかった。元々持っていた杖も地下迷宮で壊れて無くしてしまったらしい。手掛かり無しだ。
「では、何か思い出したらハイエルンの魔法使いギルドのヨルン宛にお知らせください」
ヨルンは手帳をローブの上から羽織っていたフード付ケープのポケットにしまう。
と、突然クヌートがソファーに立ち上がって、ヨルンを指差した。
「クヌートの!あれ、クヌートの!」
「クヌート、ソファーに立つと危ないから」
慌ててディルクがクヌートを抱いて膝に載せた。
クヌートが自分の物だと主張する物は、一つしかない。ヨルンは手帳の下にしていた、膝上の魔法書の表紙をクヌートに見せる。
「これで間違い無いですか?」
「裏表紙の内側に前肢の跡あるの」
言われるままに開くと、肉球と爪のコボルトの足跡が焼き鏝で付けられていた。クヌートの前肢を重ね合わせると、ぽわりと銀色に光った。
「もしかしてこれで誰の物か解るのですか?」
「うん。自分のは光るの。杖もそう。自分のは解る。自分の以外は使わない」
戻ってきた魔法書に、クヌートは頬擦りしている。拐われた時に取り上げられたのだと言う。
「今コボルト達に杖や魔法書の返還作業を始めているのですが、有難い情報です」
手帳に忘れない様に書き付ける。
「そう言えば、うちの副隊長が確認して欲しいと言っていたのですが、ハイエルンではコボルトに魔法を教わったりしないのですか?」
リーンハルトがクヌートの頭を撫でながら言った。
「コボルトに、ですか?」
「はい。副隊長は魔法剣士なので魔法使いに次ぐ使い手なのですが、彼によるとクヌートは高位魔法が使えるそうです。あと、魔石に付与出来るんですよ」
「え!?」
「あら、出来ないの?」
フィリーネは不思議そうな顔をしているが、エンデュミオンの弟子は多分規格外である。
「教えて貰えるものなんですか!?」
「副隊長は嬉々としてクヌートに高位魔法を教わっていますよ。クヌートが言うには、コボルトの魔法使いなら皆使えるそうです」
ディルクの膝の上でぴょこぴょこ跳ねながら、クヌートも追い討ちを掛ける。
「人狼にも教える。人狼はコボルトを守るから。ハイエルンの人族も昔使えた。今は使えない。悪い人にコボルトは教えない」
「昔はコボルトに人族も習ってたんですか?」
「集落に来た冒険者に教えてた。でも今は教えない。コボルトを拐うから」
「成程ね」
フィリーネが小さく息を吐いた。
「ハイエルンの魔法使いが大成しないのは、コボルトから学んでいた高位魔法が途切れたからなのね」
コボルトから学んだ高位魔法は、人から人へは継承されないのだろう。恐らくそういった制約があるに違いない。
そして魔法使いは学院卒業以降については、師匠につき高位魔法を学んでいく。所謂流派だ。最高峰は勿論エンデュミオン派になるのだが、これは恐ろしく弟子が少ない。
ハイエルンの魔法使いの系統は、本来コボルトにも教えを乞うていたのだろう。それがいつの間にか絶えてしまった。
「このまま行くとハイエルンの魔法使いは衰退するわねえ」
「……」
「その点リグハーヴスは、師匠が見所のある者なら片っ端から弟子にするでしょうし」
「あー、解ります、それ」
自身もエンデュミオンの弟子認定されているディルクが頷く。もしエンデュミオンの前で魔法を使って見せたら、確実に指導されるだろう。鉛筆の持ち方から教える様なエンデュミオンなのだ。
ケットシーのエンデュミオンは、最早縛るものがない。誰でも弟子に出来るのだ。
「ゲルトはその内ハイエルンからコボルトが、リグハーヴス側に移動してくるのではないかと言っていたし」
「平行移動してくれば気候変わらないからなあ」
ディルクとリーンハルトの会話に、アルフォンスとヨルンの顔色が悪くなる。
四領の均衡が崩れる。それは余り喜ばしい事ではない。
「ハイエルン公に、早急にコボルトの集落に安寧を与えるように伝えて頂きたい」
「は、はい」
おかしい。ヨルンは下っ端魔法使いなのに。何故ハイエルンの危機を救う使者になっているのだろう。
「ヨルン」
領主館を去る時、ヨルンのローブをカチカチ爪を鳴らして近付いて来たクヌートが引いた。ヨルンはクヌートの前にしゃがむ。
「何ですか?」
「コボルトの集落にはヨルンが行ってね。他の人は駄目」
「私、ですか?」
「ヨルンが良い。案内は人狼が良い」
「解りました。ハイエルン公爵にお願いしてみます」
「うん。……ヨルンに加護を」
クヌートは水晶狼の杖を握り、〈祝福〉の光をヨルンに降らせた。
「有難う」
理由は解らないが、ヨルンはクヌートに気に入られたのだ。
ガラガラと馬車で魔法使いギルドの前に送られる。領主館に戻っていく馬車を見送り、ヨルンは大きく溜め息を吐いた。胃が痛い。
「ヨルン、少し休憩していきましょう」
「はい、大魔法使いフィリーネ」
フィリーネの後について市場広場を右区に一本入った路地を歩く。〈本を読むケットシー〉の青銅の吊り看板がある店のドアを、フィリーネは迷わず開けた。
ちりりりん。
「いらっしゃいませ。大魔法使いフィリーネ、魔法使いヨルン」
カウンターには赤茶色の髪をした背の高い青年が立っていた。<Langue de chat>の店主であり、ヴァイツェア公爵領の継承者の一人、イシュカだ。
「親方イシュカ、お久し振り」
「大魔法使いフィリーネと魔法使いヨルンがご一緒と言うと、クヌートの面会ですか?」
「そうなの。今帰りよ」
「どうぞ、休んでいって下さい」
閲覧スペースにはいつもの席にヴァルブルガが居て、レース編みで花を作っていた。
「こんにちは 」とフィリーネとヨルンを見て目を細めて笑った。ヨルンは知らない内にケットシーの善人判定をクリアしていたのだが、それに気付いたのはイシュカだけだった。
ヴァルブルガが自分から挨拶する時点で合格だ。
孝宏がお茶とクッキーを運んで来たが、同時にエンデュミオンもやって来た。孝宏が奥に戻っても、フィリーネの隣の椅子によじ登ってきた。
「フィリーネ、ヨルン」
「お久し振りです。師匠」
「お久し振りです。大魔法使いエンデュミオン」
フィリーネとヨルンはエンデュミオンに軽く頭を下げた。
「クヌートか?」
「はい。話を聞きに行って来ました。可愛がられている様ですね」
「ふふん。ディルクもリーンハルトも、あそこの騎士達も皆大切にしてくれているからな。随分な恩恵があったと副隊長のラファエルが言っていたぞ」
「コボルトを大切にすると、恩恵があるのですか?」
「当然だろう」
ヨルンの質問にエンデュミオンは、呆れた眼差しを向けてきた。
「魔法使いコボルトなら、自分を大切にしてくれる者を守るし、知恵を授けるぞ。ハイエルンの魔法使いならば、コボルトから高位魔法を習うだろう?」
「ご存じだったんですか!?師匠」
「常識だろう」
真顔で言うエンデュミオンに、フィリーネは額を押さえた。
「師匠、それ物凄く古い常識です。今のハイエルンの魔法使いはコボルトの高位魔法を使えません」
「何!?」
エンデュミオンが黄緑色の瞳を大きく瞠った。
「その、何処かでコボルトに高位魔法を習うと言う慣習が途絶えたらしく……」
ヨルンが恥ずかしさに顔を赤くする。
「ハイエルンの魔法使いギルドと、ハイエルンの領主館に殴り込みに行っても良いか?」
「お願いですから止めて下さい、師匠」
リグハーヴス公爵の胃に穴が開いてしまう。
「クヌートからはコボルトの所持品の返還は私がしてくれと頼まれました。同伴してくれる人狼を捜さないとなりませんが」
「ああ、それなら〈紅蓮の蝶〉のアーデルハイドに頼め。今は地下迷宮に入ってないし、人狼のアーデルハイドはコボルトと友好度が高い上ハイエルン出身だから。里帰りついでに召喚師のスヴェンと一緒に行ってくれるだろう」
「それは助かります。精霊便を出してみます」
「そうしてみると良い」
温かい肉球で、エンデュミオンはヨルンの手の甲をポンポンと叩いた。
ハイエルンに戻った魔法使いヨルンの報告を受けた魔法使いギルド長は「エンデュミオンが殴り込みに来るかもしれなかった」と聞いて震え上がった。
ヨルンがクヌートから依頼を受けた為、コボルトへの所持品返還は彼に一任される次第となった。
ハイエルンの下っ端魔法使いヨルンが、ハイエルン公爵領の進退を背負わされる事になったのである。何かあっても切り捨てられる、と言う考えが上役にあったのは否めないだろう。
ヨルンがアーデルハイド達とコボルトの集落に向かうのは、もう暫く後の話である。
エンデュミオンのジェネレーションギャップ。
50年<黒き森>から出ていなかったので、ハイエルンの魔法使いがそんな事になっているとは知らなかったのでした。




