ベネディクトと教会責任者会議
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リグハーヴスで一番大きな街の司祭がベネディクトです。
119ベネディクトと教会責任者会議
五の月の春光祭が終わると、教会責任者は六の月に王都へ集まる。一年の報告会と言う名の腹の探り合いだとベネディクトは思っているのだが、出世に興味の無い彼には少々気鬱である。
(今年は気が重いなあ……)
この会議では、自分の教区内にいる妖精憑きの数を知らせなければならないのだ。当然、王都や他の領の方が、召喚師の人数が居る分契約妖精は多い。しかし、妖精憑きとなると話は別だ。
(1つの教区に、ケットシー憑きが五人にコボルト憑きが三人に、木の妖精憑きが一人となると……)
集中し過ぎである。しかも<Langue de chat>に固まり過ぎている上、元大魔法使いのエンデュミオンが居て、〈針と紡糸〉には元王様ケットシー・ギルベルト、〈薬草と飴玉〉のラルスはエンデュミオンの幼馴染だと言う。おまけに現在は子守り中で、リグハーヴスの街にケットシーが八人居るのだ。
本来ハイエルンに居る筈のコボルトも、織り子と魔法使い各々一人ずつ居付いている。
杖職人に憑いているのは、栗鼠の姿の木の妖精ゼーフェリンクだ。ゼーフェリンクの存在は、ベネディクトも最近知った。
「やれやれ」
着替えをトランクに詰め、ベネディクトは溜め息を吐いた。僧服の双肩に掛かるストラがさらりと揺れる。黒絹で織られたコボルト織りのストラは、銀糸の月と星の織り込みが浮かび上がり美しい。一見質素だが、物としては最高級品である。
聖職者のストラは月の女神シルヴァーナを表す〈星を抱く三日月〉の紋があれば、自由に作れる。大抵は信者からの寄進である。大きな教会であれば、街の有力者から贈られる事が多い。
しかし、ベネディクトの務めるリグハーヴスの教会は代々清貧だった。ベネディクトとしても、ストラより孤児院の為の寄付をして貰った方が何倍も有難い。
そんな訳で、コボルトのヨナタンが自らの意思でストラを贈ってくれたのは、本当に偶然だった。今まで使っていたストラが傷んで来ていた事もあり、ベネディクトは有難く使わせて貰っていた。
「忘れ物は無いかな。では行って参ります」
ベネディクトは床に膝を付き、自室の壁に掛けてある〈星を抱く三日月〉の飾りに、旅の無事と留守の間のリグハーヴスの平安を祈った。
キラキラとベネディクトの上に光の粒が降り注ぐ。
しかし、目を閉じているベネディクトがそれに気が付く事は無かった。
教会司祭は魔法使いギルドの転移陣を使う事が許されている。勿論私的に使う事は出来ないが。
「王都で会議ですか。では王都の魔法使いギルド宛で宜しいですか?」
魔法使いギルドのカウンターで、魔法使いクロエに使用申請書を提出すると確認された。
「はい。そちらが一番近いので」
王都の主教会にある転移陣は、主教会に務める聖職者しか使えないのだ。もしくは緊急時のみだ。
転移陣が床に描かれている部屋にクロエと一緒に行く。転移陣は大魔法使いエンデュミオンが魔力消費量を抑えた魔法陣を開発してから、大抵の魔法使いなら使える様になっていた。但し杖無しで使えるのは大魔法使いだけで、魔法陣も使わず〈転移〉出来たのは大魔法使いエンデュミオンだけだと言う。
「どうぞ、魔法陣に乗って下さい」
「はい」
ベネディクトがきちんと中心に乗ったのを確認し、クロエは青い石が嵌め込まれた白い杖の先を魔法陣の端に置いた。杖を通して魔力を流して行くにつれ、魔法陣が銀色に輝き始める。
「では、行ってらっしゃいませ」
銀色の光の幕の向こうに居たクロエが消え、瞬き後には王都の魔法使いギルドの魔法使いが立っていた。こちらは使用者が多いのか、魔法使いが常駐しているらしい。
「お疲れさまでした。こちらの階段を上がって頂きますと、一階に出られます」
「有難うございます」
何度か来ているので見覚えのある転移部屋から続く石組みの階段を上がると転移陣専用の受付の前に出る。受付に居た職員に会釈をして、魔法使いギルドのロビーを抜けギルドの外に出る。
王都の各種ギルドは市場広場に面して配してある。扉を開ければ、そこは大きな市場広場になっていた。
ベネディクトは魔法使いギルドから市場広場に出て、放射状に伸びる路地の中から、一際広い路地の先に礼拝堂の白いドームが突き出ている大聖堂を目指す。因みに大聖堂の正面を反対側にずっと進むと王宮がある。
王都の大聖堂は祈りの場でもあるが観光地でもある。黒森之國の各地から大聖堂をお参りしに来るのだ。聖都に次ぐ聖地だ。
ベネディクトは人波を避けながら大聖堂へと歩いた。大聖堂の隣には王都の教会をまとめる司教や、大聖堂に務める聖職者達の宿舎でもある月零館が立っている。会議の場所もこちらになる。
「お久し振りです」
「司祭ベネディクト、お久し振りです」
月零館の入口には聖騎士が門衛に立っている。聖騎士が駐在しているのは大聖堂と聖都だけである。
今日の門衛は顔見知りの聖騎士だったので、すんなりと通された。これが初対面の聖騎士だったりすると、腰から下げる鎖の先にある真鍮鋼の〈星を抱く三日月〉のメダルと司祭の指輪を確認される。メダルと指輪は魔道具の読み取り機で、個人が特定出来る仕組みになっているのだ。
月零館は彫刻と絵画で彩られた美しい建物だ。質素な司祭館で普段過ごしているベネディクトの目には鮮やか過ぎるきらいがある。
会議のある部屋は一階にある。これは毎回変わらないので、ベネディクトは迷わず進む。話し声が聞こえる会議室のドアを開けようと、手を伸ばすベネディクトより先にドアが開く。
「やあ、兄弟ベネディクト」
「兄弟イージドール」
聖都の神学校で同期の司祭イージドールだった。蜜蝋色の髪をした陽気な彼はヴァイツェア出身で、神学校卒業後は彼の地に戻り司祭をしている。ベネディクトより体格の良いイージドールは、ドアを開けて会議室の中に招き入れる。
「リグハーヴスは君だけかい?」
「リグハーヴス公爵領にある街は一つだからね。相変わらず他は村なんだ」
村の教会は小さく、司祭一人しか居ない事が多い。教会を完全に留守にする事は出来ないので、村の報告書をベネディクトが預かって来ていた。ベネディクトの場合は助祭がいるので、ミサの無い平日ならこうして外出出来るのだ。
会議室には円卓があり、既に数名の司祭が到着していた。ドアから一番離れた席には老境の司教マヌエルが居る。回りに居るのは王都の司祭達だろう。
ベネディクトはドアに近い席にイージドールと座った。
「去年は僕は来なかったからね。リグハーヴスに〈異界渡り〉が来たんだって?それにケットシーも」
「ああ。〈異界渡り〉は少年だよ。ケットシーのエンデュミオンが憑いている。元大魔法使いのね」
「はー、本当なんだ」
「〈異界渡り〉はそのまま発見者の元に居るから、普通に会えるよ」
「安全面は大丈夫なのかい?」
ベネディクトは肩を竦めた。
「ケットシーが三人同居しているんだよ。いや、今は四人か。それにコボルトも一人居るのに呪われずに〈異界渡り〉を拐える訳がないね。近所にも四人ケットシーが居るし」
「は……?」
「ん?」
気が付くとイージドールだけではなく、部屋にいた全ての人間がベネディクトを見ていた。いつの間にか全員揃っている。
「詳しく話して頂けますか?」
目が笑っていないマヌエルに促され、まだ会議が始まる時間ではないのに報告をする羽目になったベネディクトだった。
「エンデュミオンの他に元王様ケットシーが居るとは……。赤ん坊のケットシーはまだ誰にも憑いていないのですか?」
「はい。まだ誰かに憑ける状態では無いようで、人前にも出ませんので。リグハーヴス公爵がギルベルト──元王様ケットシーに釘を刺されたそうです」
「コボルトが流出した件は私は聞いておりませんぞ」
ベネディクトの二つ隣の席の、ハイエルンの司祭が身を乗り出す。
「リグハーヴスに居るのは織り子と魔法使いの二人です。織り子はルリユールの徒弟に、魔法使いは騎士の二人に憑いています。双方ともリグハーヴスから主が移動を拒否していますので、そのまま居住しています。織り子は主の意向で趣味で機織りをしています」
「趣味でですと!?何と欲の無い」
コボルト織を売ればあっという間に一財産稼げる。呆気に取られる気も解らないでもない。
「これ、もしかしてコボルト織かい?」
イージドールがベネディクトのストラに目を留める。
「ああ、織り子の主が体調を崩した時に、祈祷をしたお礼に寄進してくれて」
「縞柄以外のコボルト織……」
その価値にざわりと会議室の空気が揺れる。
「ルリユールであれば教会か王家に主と仕えさせても良いのではないでしょうか?話をしてみたのですか?」
マヌエルの言葉にベネディクトは首を横に振る。
「まだ徒弟になったばかりですし、徒弟紋も授けられていてリグハーヴスから出る気はない様です。その親方は〈異界渡り〉の保護者ですし、親方自身にもケットシーが憑いています。おまけに親方はヴァイツェア公爵の継承者です。元王様ケットシーの主もヴァイツェア公爵の継承者です」
「つまり、ヴァイツェア公爵に喧嘩を売る事になる訳ですか」
「その前にケットシー達が黙っていません。主を守る為なら手段を選びません。大魔法使いエンデュミオンは現在自由に動けますから」
今の身体がケットシーだからなのか、精霊や他の妖精ともやたら仲が良いのだ。本当に災厄レベルの事だって起こせるだろう。
「ケットシーは自由です」
ベネディクトがそう口にした時、ポンッと空気が弾ける音がした。円卓の真ん中にエンデュミオンが現れる。
仕事着の白いシャツに黒地に白いピンストライプのベスト、そして黒いズボン。柔らかい刺繍入りのフェルトの部屋履きで肢先を覆っている。前肢には<Langue de chat>の紙袋を抱えていた。
鯖虎柄のケットシーは部屋を見回し「あれ?」と首を傾げた。
「エンデュミオン……?」
「あ、居たかベネディクト。お前を目掛けて〈転移〉したのに、変な所に出た」
思わず名前を呼んだベネディクトの前に、とことこと磨き上げられた円卓を歩いて来る。
「ここは王都の月零館ですよ。大聖堂の隣の」
「ふうん?王都に来ていたのか。孝宏に頼まれて、孤児院のおやつを届けに来たんだが……ここは辛気臭いな」
「ええ、まあ……」
あなたの話をしていたんだとも言えず、ベネディクトが口籠る。
ぽしぽしと頭を掻き、エンデュミオンはベネディクトに紙袋を突き出した。
「これをやるから皆でお茶にすると良い。孤児院には別に持って行くから」
「あ、有難うございます」
「それから孝宏が予約本の順番が来たと言っていたぞ」
「それは楽しみです」
「では邪魔をしたな。円卓に乗って失礼した。エンデュミオンは帰る」
「お気を付けて」
丸い前肢を振り、エンデュミオンは再びポンと音を立てて消えた。消える寸前、マヌエルを見てニヤリと笑った気がした。
「……」
「……えーと」
沈黙が痛い。目の前にクッキーが入っているらしき紙袋があるので、今のは夢ではない。
「はあああ、初めて見たケットシー。可愛いのに凄い迫力」
隣のイージドールが突っ伏してべしべし机を叩く。
「迫力があるのはエンデュミオンだからだと思うが……」
他のケットシーは普通に可愛い。
「折角なので召し上がりますか?〈異界渡り〉の少年が作るクッキーで美味しいのですが」
「……休憩しましょうか」
マヌエルの言葉に、見習いの少年がお茶を淹れに行く。暫くしてお茶のカップが行き渡った所で、ベネディクトはクッキーの紙袋を回した。
「色んな種類が入っている筈ですから、お好きなのをどうぞ」
とは言ってもベネディクト以外は初めてなので、適当に取っている。ベネディクトが掴んだのは、初めて見る苺のドライフルーツが入ったクッキーだった。イージドールはシナモンアップルの様だ。食前の祈りのあと一口齧り、目を丸くする。
「あ、旨い。何これ」
「〈異界渡り〉の少年がいるルリユールで客に出しているんだ。貸本をしていて、店で読む客用に」
「説話集でも貸してるのか?」
「違う。彼が書いた物語だ。製本して貸し出しているんだよ」
「それ、王宮図書館には?」
「献上していないね。一般の人向けだから。物語を紡ぐのが、今回の〈異界渡り〉の〈贈り物〉の一つらしい。もう一つが料理の腕だろうか」
「成程。僕も借りられるの?」
ベネディクトはミルクティーを一口飲んだ。
「お客としてハルドモンド銅貨三枚で二週間借りられる。エンデュミオンに嫌われると閉め出されるから注意が必要かな。気に入られると出張で届けてくれたりもするらしい」
「へえー」
「親方はルリユールとしての腕が確かで、手帳も売っていて重宝している。傷がある革を使った物は半銀貨一枚だ」
「安っ。ところで、兄弟ベネディクト気付いているのかい?」
「何をだい?」
「祈りを捧げている時、光の粒が降り注いでいるよ?」
ベネディクトはお茶を吹き出しそうになった。
「はい!?」
円卓を見渡すと司教を始め他の司祭達がカップやクッキーを片手に硬直していた。「驚いたねー」と良いながら、イージドールだけがクッキーとお茶を堪能していた。神学校時代から、胆が据わっていた友人である。
結局お茶の後は、即席聴聞会となってしまい、夕方漸く解放されたベネディクトはイージドールに労われつつ、特別に大聖堂の魔法陣からリグハーヴスへと帰還したのだった。
「どうしたものでしょうか……」
四領の司祭達が帰った後、司教マヌエルは自らの執務室で溜め息を吐いた。
祝福の光を受ける事は奇跡の一つであり、慣例ならば王都大聖堂か、聖都の女神教会に転属させるのだが、春の聖女の巡礼の折りに本人の意思無く転属させない様にと通達されている。
王都の司祭達はマヌエルにベネディクトの転属を求めて来たが、当人はリグハーヴスに骨を埋める覚悟なのだ。
マヌエルも伊達に司祭達を取りまとめる司教をしていない。教会の顕示欲の為に祝福の光を受けた司祭を招くなど、見え透いた提案には辟易する。
ポンッ。
マヌエルが座る一人掛けソファーの前に、鯖虎柄のケットシーが現れた。背中に布鞄を背負っている。
「エンデュミオン!」
「五十年ぶりだな、マヌエル。いつの間に司教になったんだ?」
「十年程前ですよ。あなたは見た目が随分変わりましたね」
エンデュミオンが生きていた頃、マヌエルは一介の司祭だった。王に付いて教会に来たエンデュミオンとは、顔見知りの仲だった。
「むう。エンデュミオンも妖精猫になるとは思わなかった」
オットマンによじ登り、エンデュミオンは腰掛けた。
「ベネディクトの事だがな、リグハーヴスに居させて欲しいのだ。あれは良い司祭だからな」
「ええ、本人もそう願っています」
「リグハーヴスの街の教会司祭はベネディクトだけで、助祭が一人居るだけだしなあ。祝福の光を受けた司祭が心配なら、ベネディクトの左隣に居た男を寄越してくれ」
「兄弟イージドールですか?」
「うん。あれは害が無い」
「確かに〈異界渡り〉やケットシーに好意的ですが、現在はヴァイツェアの教会に務めていますから、意向を確認しませんと」
イージドールが居るのはヴァイツェアで一番大きな教会だ。司祭が複数居るので、本人さえ良ければ異動は可能だ。
「兄弟イージドールに確認してみましょう」
「頼む。そうだ、これを使ってみてくれ。気に入ったらご贔屓に」
エンデュミオンは背負っていた布鞄から、手帳を取り出した。布張りの手帳は、生成りの地に緑の目の黒猫が織り込まれている。
「ヨナタンのコボルト織りの端切れで作ったんだ」
「これは可愛らしい」
「その黒猫はギルベルトだ」
元王様ケットシーの顔を織り込んでいるらしい。
「コボルト織りは頻繁には出ないだろうが、表紙の革の色や箔押しする文字を精霊便で送ってくれれば対応する」
「それは有難いですね」
「忙しいだろうから、貸本は気が向いたら借りると良い。これが今出ている本の題名だ。これも精霊便で知らせてくれれば、直接届けに来る」
エンデュミオンは折り畳んだ紙をマヌエルに渡した。
「至れり尽くせりですね」
「エンデュミオンも昔馴染みは精霊や妖精が殆どだからな。マヌエルは精々長生きすると良い」
「ふふふ、有難うございます。次回はお茶を用意しておきましょう」
「ふうん?ではな」
布鞄を背負い直したエンデュミオンは、マヌエルの前から姿を消した。
後日、大聖堂では可愛い手帳を使っていたり、黒い表紙の本を読んで懊悩する司教マヌエルの姿が見られる様になる。
エンデュミオンが本を届けに来る晩は、側仕えを下がらせ鯖虎柄のケットシーとお茶を楽しむマヌエルだった。
そして正式な通達として、ベネディクトのリグハーヴス残留と、イージドールの異動が決定したのだった。
超真面目で、妖精にも地味に好かれている司祭ベネディクト。女神様から祝福を受けました。
エンデュミオン、ベネディクトを他の街の教会に取られる前に、補佐としてイージドールをゲットです。
次回はベネディクトの友人、イージドールがリグハーヴスにやって来ます。
イージドールも少し訳ありです。




