騎士隊長と妖精犬
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
領主館を警備する騎士は騎士隊、街を警備する騎士は騎士団に所属しています。
118騎士隊長と妖精犬
パトリックは先代リグハーヴス領主の時代から領主館に勤める騎士である。前騎士隊長から隊長の任を任されたのは、現リグハーヴス公爵アルフォンスが公爵を継いだのと時を同じくする。
新人騎士時代から色々な事があったものだが、部下の騎士にコボルトが憑いたのは初めてだった。
「おはようございます、隊長」
朝番は朝四時から正午まで、昼番は正午から夜八時まで、夜番は夜八時から朝四時までとなっている。
申し送りがある為早目に来た騎士達が一度詰所に顔を出すのも恒例の事だが、今朝は少々いつもと異なっていた。
まだ薄暗い中、ディルクとリーンハルトがコボルトを連れて来たのだ。しかも、リーンハルトの腕の中のコボルトは、うつらうつらしている。
「まだ眠いんじゃないのか?」
「そうみたいです。クヌート、部屋で寝ていても良いんだぞ?」
「……」
半分寝ている癖にクヌートは、首を横に振った。厭らしい。
「いくらコボルト憑きでも、その状態の子を連れて警備はさせられないぞ」
「そうですよねー」
それはディルクとリーンハルトも解っている。恐らく、部屋で寝る様に何度も言い聞かせてみたのだろう。
しかしパトリックも子供を持つ身だ。明らかに子供のコボルトを早朝から連れ回させる気はない。
「救護室のベッドに寝かせてやれ。私が居るから、時々様子を見ておく」
隊長・副隊長は詰所に待機するのだ。詰所にある救護室は仕事中に騎士が怪我でもしない限り使わないが、いつでも掃除して整えてある。
「お願いして良いですか?出来ればこれも」
リーンハルトがクヌートを救護室のベッドに寝かせに行っている間に、ディルクが持ち手付の籠をテーブルに載せた。籠の中には、若草色の本と布包みが入れてある。
ディルクが砂色の髪を掻きながら、申し訳なさそうにパトリックに頼む。
「クヌートが目を覚ましたら、食べさせて貰えますか?フラウ・モニカにサンドウィッチ作って貰ったんです。あの子、眠くて朝食食べてないんですよ」
「……解った」
上司に頼む事かと言う突っ込みは敢えて言わないでおく。パトリックは机の上にあった反古紙の裏に「クヌートに朝食を取らせる事」と書き付ける。
「飲み物は熱くない方が良いのか?」
「はい、温めの方が良いです」
「解った」
「睡魔には勝てなかったみたいだ、眠ったよ」
「飲み物は温め」と書いている内に、リーンハルトが救護室から出て来た。
「面倒は見ておくから、行って来い。何かあったらすぐに知らせるから」
「お願いします」
「行って来ます」
ディルクとリーンハルトが出て行った後、パトリックは裏の白い反古紙に〈コボルト睡眠中〉と書いて救護室のドアに画鋲で留め付けた。
この効果は覿面で、喋りながら入って来た騎士達は一気に大人しくなるのだった。
自然に目を覚ましたクヌートは、むくりと起き上がった。
見覚えの無い部屋に寝かされて居たが、杖はちゃんと隣に並べられていた。
清潔な部屋と寝具、反対側の壁際には医療用品のラベルが付けられた引き出し付の棚が置いてある。
細く開けてあるドアの隙間から、ひそひそと話し声が聞こえて来ていた。
クヌートは腹這いになってベッドを降り、杖に付いたベルトを引っ張って下ろして背負った。ドアを押して、向こう側を覗く。
「起きたか?」
近くの椅子に白髪混じりの黒髪をした男が居た。中年の男だが、騎士服の上からでも鍛えてあるのが解る。灰色の瞳は温かくクヌートを見下ろしていた。もう一人居たのは白金髪で緑色の目をした騎士だった。こちらは黒髪の騎士より若い。
「……」
すすす、と部屋に戻り掛けると黒髪の騎士が慌ててクヌートを呼び止めた。
「待て待てクヌート。ディルクとリーンハルトからお前に朝食を取らせる様に頼まれて居るんだ」
ぐうー、とクヌートのお腹が鳴った。
黒髪の騎士が自分と白金髪の騎士を交互に指差す。
「私は騎士隊長のパトリック。こっちは副隊長のラファエルだ」
「宜しく、クヌート」
綺麗な顔をしたラファエルが微笑む。騎士より別の仕事もあったのではないかと言う程の容姿だ。
「……」
そう言えば、寝る前にパトリックには会っていた気がする。クヌートは救護室から出てパトリックの近く迄寄ってみる。
「良し、座ろうな」
何故かあった子供用の椅子に、パトリックがクヌートの両腕の下を掬って持ち上げ座らせてくれる。パトリックの隣だ。
「腹が減っただろう?今は朝の八時になっているからな。ラファエル、ミルクたっぷりでお茶を温めに淹れてやってくれ」
「はい。蜂蜜は入れる?クヌート」
「うん」
詰所には台所が付いている。ラファエルがお茶を淹れる間に、パトリックはディルクから預かった籠から布包みを取り出した。クヌートの前で開くと、白い布の中には蝋紙で包んだサンドウィッチが二つあった。片側の蝋紙に〈ジャム〉と書いてあるので、ジャムサンドらしい。
「まず、手を拭こうか」
ラファエルはお茶と濡らした布を持って来て、クヌートの手を拭いた。
「はい、どうぞ」
「有難う。……今日の恵みに」
食前の祈りを唱え、カップのミルクティーを舐める。甘くて美味しい。それから何も書いて居ない方のサンドウィッチの包みを開ける。黒パンに葉野菜とトマトに、鶏を茹でてから割いてハニーマスタードを混ぜたソースで和えた物を挟んである。甘めのソースを作ってくれたらしい。
(美味しい)
巻き尻尾がゆらゆら揺れてしまう。
ジャムサンドの方は、苺のジャムを塗った白パンに林檎と苺をクリームで挟んであった。
「美味しいー」
「良かったな」
クヌートのお茶を淹れた時の余りをラファエルに貰って飲みながら、見ていたパトリックが笑う。
カップのお茶も綺麗に舐め、クヌートはサンドウィッチを包んでいた蝋紙を畳む。
ラファエルがもう一度手を拭いてくれ、蝋紙とカップを片付けてくれた。寝癖が付いていたのか、後頭部を撫でて行く。
「ディルクとリーンハルトから本も預かっているぞ。読むか?」
「うん」
<Langue de chat>から領主館へ来る時、ディルクが借りてくれたのだ。パトリックが籠から若草色の本を取り出して、クヌートの前に置いてくれる。フリッツとヴィムのシリーズの一冊目〈少年と癒しの草〉だ。
フス、と鼻を鳴らしてクヌートは表紙を開いた。物語の本は初めてで、楽しみにしていた。
魔法使いコボルトは集落にある魔法書を読んで学ぶので、文字が読める。学院の魔法使いより、余程知識があったりする。
本は読みやすい活字で、時々繊細な版画で挿し絵がある。そして読んだ事の無い物語だった。
「ディルクとリーンハルト戻りました──人口密度高いな」
ドアが開く音とディルクの声に、クヌートは本から顔を上げた。集中しているとチロリと先っぽが出てしまう桃色の舌を引っ込める。
いつの間にか詰所の中にはパトリックとラファエルの他にも複数の騎士達が居た。
ディルクとリーンハルトは一度ずつ詰所に戻って来ていたが、その時は他の騎士は残っていなかった筈なのに。どうやら、ディルク達朝番の騎士と交代した夜番の騎士達が、詰所にクヌートが居るのを知って他の騎士にも教えたらしい。
「何で今日の夜番までもう詰所に居るんだよ」
「本当に……」
ディルクとリーンハルトは呆れてしまった。
食堂でクヌートに会っていない騎士が、顔を見に訪れていたのだろう。
「隊長、ご迷惑掛けませんでしたか?」
迎えに来てくれたと、読んでいた頁に栞を挟み、クヌートは本を閉じた。その頭をパトリックの大きな掌で撫でられる。
「良い子にしてたぞ。ちゃんと食事を取らせたからな」
「有難うございます。ところでいつこの椅子持って来たんですか」
ディルクはクヌートが座っている子供用の椅子を指差した。
「ラファエルに食堂から借りてきて貰ったんだ。予備のがあるんだよ」
「副隊長に頼まないで下さいよ」
「詰所にもこの椅子は要るな。必要経費だから、ヘア・クラウスに頼んでおくとするか。これからも詰所に預けるんだろう?」
「そのつもりですが、領主館の囲壁の中と、<Langue de chat>は遊びに出ても良いと思っています」
囲壁の中には騎士達が巡回しているし、〈転移〉で行く分には<Langue de chat>も安全だ。
「そうだな。詰所に籠りっきりにさせる訳にも行くまい」
パトリックはリーンハルトに首肯する。
「もう上がりだし、昼飯食べに行くんだろう?」
「はい。おいでクヌート」
「ディルク」
ディルクに抱き付いたクヌートを、ラファエルが撫でる。
「明日は昼番だね。又おいでね」
「うん」
パトリックとラファエルに、クヌートは尻尾を振った。
「またな、クヌート」
「明日なー」
帰って行くクヌートに、詰所に居た騎士達が声を掛けて行く。
クヌートはしゅっと右前肢を上げてそれに答えた。
詰所を出て宿舎に歩きながら、リーンハルトが寝癖の残る後頭部を撫でた。撫で付けても、ぴょんと一房跳ねる。
「退屈しなかったか?」
「ううん。ラファエル、お茶くれた。蜂蜜入れてくれた」
「そっか」
「明日はおやつ持って行こうな」
「うん!」
パトリックとラファエルには慣れたらしい。パトリックは子持ちなので、子供の扱いには慣れていると思ったが正解だった。クヌートも騒いだりしないので、仕事の邪魔にはならない。むしろ、歓迎されていた気がする。
翌日の昼前にクヌートは籠に入った本と共に、再び詰所に預けられた。
「あー、今日は暑そうだよ」
北にあるリグハーヴスの五月でも、稀に夏日になる。朝から陽射しがきつい。外に立つ騎士には夏も冬も厳しい。
「……魔石ある?」
こてりとクヌートが首を傾げた。
「魔石?屑魔石ならあるよ。冬に火の属性持たせて懐炉にするやつ」
熱鉱石より温度を低く設定出来るので、付与魔法を使える魔法使いが作るのだ。
ラファエルが棚の引き出しから皮の小袋を取り出した。透明な色の小さな魔石の中からクヌートは1つ取り出した。大きさとしてはビー玉程度だ。宝石としての純度が低く、見た目の悪い魔石が屑魔石と呼ばれる。
机の上に置き、杖を握って「〈微風〉」と詠唱した。机の上に銀色の魔法陣が一瞬光り、魔石がうっすらと青みを帯びる。
「はい」
魔石をクヌートはディルクに渡した。受け取ったディルクが目を丸くする。持っているだけで、身体の回りの気温が下がった気がした。
「涼しい!これ、風と水の属性を帯びてるのか?」
「うん」
「え、どうやったの!?」
ラファエルが食い付く。彼は魔法剣士なのだ。生活魔法程度が使える一般の騎士よりも、高度な魔法が使える。知らない魔法を知りたがるのは、普通の魔法使いと同じだった。
「ラファエル、知らない?紙頂戴。書く物も」
「はいっ」
ラファエルは反古紙ではない綺麗な紙を箱から取り出し、鉛筆と一緒にクヌートに渡した。クヌートはさらさらと紙に魔法陣を描く。
「属性付与の魔法陣で、ここに水と風で〈微風〉か……。単一属性の火のは知られてますけど、二属性以上だと師匠から伝授されないと、自分で研究するしか無いんですよ」
ラファエルがパトリックに説明する。
片手に鉛筆を持ったまま、クヌートはラファエルの袖を引いた。
「〈雷撃〉とか、要る?」
「ら、〈雷撃〉?」
「光と風を付与するの。付与した魔石に魔力込めて投げると、ぶつけられた人ビリビリする」
「……もしかしてクヌートは全属性使えるの?」
「うん」
ばっとパトリックとラファエルがディルクとリーンハルトを見た。二人は気まずげに笑った。
「全属性使えるのは知ってましたけど」
「魔石に付与出来るのは今知りました」
がしっとラファエルがクヌートの前肢を握った。
「教えてくれる?」
「コボルトの魔法使いなら皆出来るよ?」
不思議そうなクヌートに、「リグハーヴスにコボルト居ないから!」と思う面々だった。
ディルクとリーンハルトはクヌートに危害を加えないと誓っているので、戦闘に参加させる気はない。それを踏まえた上で、ラファエルに彼の知らない魔法をクヌートが教える事になった。
数を作って貰った〈微風〉の魔石を、昼番の騎士達に配りがてら警備に行ったディルクとリーンハルトを見送り、クヌートは置きっぱなしになっている子供用の椅子に座って、時折実演しつつラファエルに魔法陣や魔法を教えた。
「一休みしましょう」
覚書が目に見えて積み重なったところで、ラファエルがお茶を淹れに立つ。
クヌートは自分の籠の中から<Langue de chat>のクッキーの袋を取り出した。ぱくんぱくんと幾つかに割った欠片を勉強に付き合ってくれた精霊達に渡す。きゃらきゃらと笑いながら受け取った精霊達が開いている窓から飛んで行った。
「クヌート、今のは?」
「精霊の事?」
「クッキーをあげていただろう?」
「精霊は甘いものが好きだから、お菓子をあげると友好的になるってエンデュミオンが言ってた」
「エンデュミオンが?知っていたか、ラファエル」
「いいえ」
一般的に妖精には協力の代償に食べ物を与えるが、精霊には必要ないと言われていた。
秘匿されていた情報なのではと、二人はごくりと喉を鳴らしてしまった。
「おやつ。美味しいよ」
クヌートがクッキーの袋を二人に押し出す。
「ああ、有難う。私の妻が焼いた菓子もあるぞ」
パトリックはドライフルーツのたっぷり入ったケーキの紙包みを取り出した。平たい型に流し込んで焼く家庭菓子だが、大きさを好きに切れる。持って来た物は摘まめるように一口大に切られていた。
クヌートが詰所に日昼預けられていると言う話を昨夜妻にした所、朝に持たされたのだ。
「今日の恵みに」
ひょいと前肢を伸ばして摘まみ取り、クヌートがケーキを頬張る。クルミがサクサクとして、ドライフルーツが甘く、生地はホロホロと口の中で崩れる。クヌートは藍色の瞳を輝かせた。
「美味しー!」
「それは良かった」
「はい、ミルクティーだよ」
「有難う、ラファエルのミルクティー好き」
「それは光栄だね」
ちゃむちゃむとカップのミルクティーを舐めるクヌートを、パトリックとラファエルは柔らかな表情で眺めた。
「ハイエルンって、コボルトから色々学んでるんでしょうかね」
「そう言う噂は聞かないが……」
コボルトから学んでいれば、大魔法使いがハイエルンから出そうなものである。今のところ大魔法使いはヴァイツェアの森林族からしか出ていない。
見た目が可愛らしく好戦的ではないので、他種族に搾取されやすいのだろう。但し本気で怒らせると痛烈な呪いを掛けられるが。
「うちの奴等が可愛いもの好きで良かったよ」
「そうですね。勤務態度も良くなりましたね」
ディルクとリーンハルトと当番が重なる時は、クヌートに会える確率が上がるからだろう。早目に詰所にやってくる。
「可愛がれば、妖精の恩恵は直接的な事でなくても受けられると言う事でしょうかね」
「ああ」
大きくて厚めの耳を巻き込む様にパトリックに撫でられ、クヌートは目を細めた。ふるふると尻尾を振る。それはクヌートがご機嫌である証だった。
クヌートが伝授した魔石への付与魔法陣により、領主館の騎士隊及びリグハーヴス騎士団の夏冬の環境は改善される事となる。
アルフォンス公爵からは宿舎の部屋用と騎士詰所用の子供用椅子が贈られ、屑魔石の在庫確保も決まった。
そしてクヌートが朝番と昼番の詰所に来る時は、妻にお菓子を持たされる様になるパトリックだった。
クヌートは非戦闘員扱いです。
魔法騎士に魔法を教えたり、囲壁の中を散歩したりと、自由に行動しています。




