クヌートと領主館
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
領主館の騎士隊員は可愛いものが大好きです。
117クヌートと領主館
ディルクとリーンハルトは、クヌートに魔女グレーテルの診察を受けさせてから街を出た。
グレーテルも「杖があるなら大丈夫」とお墨付きをくれたので、リーンハルトに抱かれたクヌートはご機嫌だ。
マリアンとアデリナが用意してくれた物の中には、杖用の肩掛けベルトもあったので、クヌートは杖を斜めに背負っていた。
身に付けていれば杖の恩恵は受けられるらしい。
「街を北に抜けて丘を上るんだ。丘の上にあるのが領主館だよ」
一応徒歩での行き方を教えながら、領主館まで戻る。
「宿舎があるのは裏手だから、囲壁の横の入口から入るんだよ」
クヌートの着替えを包んだ布を片手に抱えつつ、ディルクが説明する。
四方にある入口には門がそれぞれ付いており、騎士が交代で門衛に立つ。
「ただいま」
「おう、お帰り。……何か増えてるぞ?」
門に居た同僚がクヌートを凝視する。クヌートは右前肢を上げた。
「こんにちは」
「お、こんにちは」
挨拶したクヌートに騎士も挨拶を返す。
「ヘア・クラウスには話してあるよ。この子は南方コボルトのクヌート」
「あー、もしかして憑いたってやつ?」
「うん」
「解った。詰所には伝えておく」
「食堂でもばれると思うけど」
宿舎の食事は基本的に食堂に行くのだ。
「ははは、そうだな。皆可愛がると思うけど」
「宜しく頼むよ」
笑って門衛の騎士達に手を降り、宿舎に入る。部屋の近く迄来た時、ゲルトが自分の部屋のドアを開けて出て来た。ゲルトは青みのある黒毛の人狼だ。
ゲルトはクヌートに気が付くと、右手を上げた。
「ゲルト」
クヌートも、しゅっと右前肢を上げた。
「クヌート!」
リーンハルトに抱かれたまま尻尾を振るクヌートの頭を、ゲルトが撫でる。
「魔法使いコボルトか。二人に憑いたのか?」
「そうみたいだ」
ディルクの返事にゲルトが頷く。
「ディルクとリーンハルトが主なら安心だな。最近はハイエルンでコボルトの扱いが酷いから」
「ああ……」
「冗談ではなく、ハイエルンからコボルトが移動するかもしれないぞ」
「そりゃ大変だ」
ハイエルンがコボルトの扱いを改善しようと躍起になる訳だ。魔法使いとコボルト織の織り子の両方が自領から他領へ移動されたら、四領の勢力均衡が崩れかねない。ハイエルンには鉱山もあるので、直ぐにはそれほどの影響はないかもしれないが、後々響いて来そうだ。コボルトが移動したなら、他の妖精達も早晩移動するだろう。
そして、移動先として有力なのは、〈黒き森〉がハイエルンと続いているリグハーヴスである。
リグハーヴスにはケットシーの集落があるが、彼らがコボルトを受け入れれば集落を移動するだろう。何しろ〈黒き森〉は広い。コボルトがリグハーヴスに来たところで、然程影響はない。
そもそもリグハーヴス公爵は代々妖精庇護者なのだから。
クヌートの耳の後ろを掻いてから、ゲルトは本館の方へと向かって行った。イグナーツがまだ仕事場に居るのだろう。
「ここが俺達の部屋だよ」
「わー」
床に下ろして貰い、決して広くはない部屋をクヌートが見て回る。
クヌートはリーンハルトに任せ、ディルクは自分の空いている箪笥の引き出しに、コボルトの服をしまった。クヌートでも取れるように一番下の引き出しに入れておく。
「椅子もう一つ要るなー」
二人のベッドの間にある丸テーブルには、椅子が二つしかない。<Langue de chat>にあるような、子供用の椅子が要る。
(大工のクルトに作って貰ったのかな)
イシュカ達と付き合いがある大工はクルトの筈だ。他にもクヌートのカップ等が必要だろう。
クヌートの歯ブラシを、棚の洗顔セットの中のコップに立てる。<Langue de chat>で持たせてもらった物で、子供用だ。
「お風呂?」
「お風呂は部屋の外だ」
リーンハルトに連れられてバスルームを見せて貰って、クヌートが戻って来た。
「お風呂あったー」
「あ、トイレに踏み台もいるか」
「もう用意されてたぞ。ヘア・クラウスは仕事が早いな」
コボルトが来るのは確定なので、既に手配済みだったらしい。今朝までは無かったのに。
「クヌートのベッドどうしようか」
「ディルクかリーンハルトと寝るから要らない?」
こて、とクヌートが首を傾げる。
「それで良いなら直ぐには用意しないけど」
「それで良い」
可愛い事を言ってくれる。
リーンハルトが懐中時計をポーチから取り出した。
「少し早目だが食堂に行くか?」
「んー、混んだ中に行くより良いか。クヌート、夕御飯食べに行くぞ」
「ご飯!」
杖を背負ったままのクヌートを抱き上げる。置いていかせようかとも考えたが、ディルク達も有事に備えて剣帯している。そのまま食堂へと連れていった。
まだ閑散としている食堂に入り、ディルクは片腕でクヌートを抱き、片手で部屋の隅にあった子供用の椅子を手に取った。家族連れの騎士も居るので、一応子供用の椅子が置いてあるのだ。
「向かい良いかな」
「構わないぞ」
ゲルトとイグナーツが居るテーブルに子供用の椅子を置き、クヌートを座らせる。ゲルトはイグナーツを迎えに行って、そのまま食堂に来たのだろう。
ゲルトとイグナーツに尻尾を振るクヌートを残し、待っていたリーンハルトと夕食のトレイを取りに行く。
「一寸あんた達、あの子はコボルトじゃないの?」
宿舎の料理人は街食堂の美人女将、と言った風貌の妙齢の女性モニカだ。リーンハルトの姉程度の年齢だろうか。
宿舎の食事は本館の食事とは違い、家庭的な料理が出る。家庭料理ばかり作らされると言って料理人は今まで何人か変わったが、モニカが着任してから食堂はいつも清潔で厨房も磨き上げられている。
元々はヴァイツェアで修行をしていたらしく、意外な事を知っていたりする。
「そうだよ、フラウ・モニカ。好き嫌いは無いみたい」
「おやつ、要るでしょう」
「うん。<Langue de chat>でクッキー買って来た」
「簡単なもので良いなら作るわよ。イェレミアスの菓子まだ届いてないから」
本館に居る菓子職人イェレミアスの試作菓子は、今のところあったり無かったりするのだ。安定的に満足出来るものが作れる様になったら、デザートとして出るらしい。
「じゃあお願い」
夕食の茶色いソースで煮込まれた凶暴牛のシチューとマッシュポテト、野菜サラダをトレイに乗せて貰う。パンはテーブルの籠に盛られているのだ。途中コップに水を注いで、テーブルに運ぶ。
「はい、クヌート」
目の前にトレイを置き、モニカが載せてくれていた子供用のカトラリーを渡す。
「有難う」
ディルクとリーンハルトが椅子に座り、食前の祈りを唱える。
「今日の恵みに、月の女神シルヴァーナに感謝を」
フォークを握ってクヌートが、サラダの斜め切りキュウリを突き刺す。オリーブ油と塩、刻んだハーブとレモン汁と言ったシンプルなドレッシングが和えてあるのだが美味しい。
パリパリ音を立ててキュウリを噛むクヌートの尾が揺れる。次いでスプーンに持ち替え、シチューの肉を掬い息を吹き掛けて、はくりと口に入れる。
「美味しいー」
尻尾の振りが大きくなった。マッシュポテトを食べても尻尾が揺れる。結局クヌートは尻尾の動きを止める事無く食事をし、最後に皿に残ったシチューのソースを黒パンで拭き取り食べ終えた。
「綺麗に食べたわね。ほら、デザートよ」
食べ終えた頃合いを見て、モニカが皿に乗せた林檎の重ね煮を運んで来た。シナモンとカラメルの焦げた香りが甘い。
同じテーブルに居たディルクとリーンハルト、ゲルトとイグナーツの前にも皿が置かれる。
林檎の重ね煮には軽く泡立てたクリームが添えてあった。
「手が込んだ物じゃなくて悪いけど」
「いえ、わざわざ作って貰って有難う」
「林檎甘い」
スプーンで柔らかく煮えた林檎とクリームを掬い、クヌートが嬉しそうに口に運ぶ。森の中に住むコボルトなので、素材が生きた林檎の重ね煮は食べやすい味の菓子なのだ。
「美味しい」
「そう。果物は好き?」
「好き」
「明日の朝は苺のジャムを用意しておくわね」
「うん!」
普段の朝食にはバターはあってもジャムは無い。特別に作ってくれる様だ。
「良いの?フラウ・モニカ」
「予算内でやるから平気よ。ここのところ暖かくて、苺の出来が良いみたいで。領主様の畑から沢山届いたの」
いざと言う時の備蓄用の食材を作る為に、領主も直轄畑を所有している。
「なら良いけど」
「コボルトには美味しい物を食べさせないとね」
「フラウ・モニカ、俺達にはー?」
カウンターで料理の乗ったトレイを受け取った騎士が、笑いながら聞いて来る。
「良い子にしてたらあげるわよ」
つまり、全員の朝食にジャムを付けてくれるらしい。甘い物を口にする機会が少ない騎士達が歓声を上げる。
「やっぱり甘い物って士気に影響するわよね」と苦笑しながら、
モニカはクヌートの耳の間を撫でて、厨房に戻って行った。コボルトの事を知っている辺り、以前魔法使いにでも仕えていたのかもしれない。
食事の後は、食堂に居た騎士達が次々とクヌートに会いに寄って来たので、クヌートに匂いを覚えて貰った。今、門衛や警備に出ている騎士達にもその内会えるので、会えた時に覚えて貰えば良い。幸いコボルトに嫌悪を抱く騎士はおらず、クヌートは誰にも噛み付かなかった。むしろかなり可愛がられた。
「ヘア・ディルク、ヘア・リーンハルト」
賑やかだった室内が急に静まり、顔を向けると食堂入口に執事のクラウスが立っていた。相変わらず隙の無い執事服を着ている。
「はい」
「御前がお呼びです」
食事の後でクラウスに知らせに行こうと思っていたのだが、先に耳に入ったらしい。
ディルクがクヌートを抱き上げ、リーンハルトとクラウスに付いて行く。領主の住まいである本館の応接室に通される。
応接室にはまだアルフォンスは居なかった。クラウスは改めて領主を呼びに応接室を出て行った。
「何で呼んだのに居ない?」
クヌートの率直な意見には答え難いものがある。
「様式美と言うか……お忙しいんだよ」
「ふーん?」
ディルクとリーンハルトの間でソファーに座り、肢先を揺らす。前肢は人間の様な指に犬の爪だが、肢は犬に近い。肉球は四肢にあるのだが。爪は白いが肉球は黒灰色だ。
ドアをクラウスが開け、アルフォンスが部屋に入って来た。ディルクとリーンハルトはソファーから立ち上がり、クヌートは考えてからソファーの座面に立った。ディルクとリーンハルトの服を支えに握る。
「ご報告が遅くなりました。領主様」
「いや、構わない。まだ完全に体調が戻っていないと聞いている。食事をさせる方が優先だ」
向かいのソファーにアルフォンスが座ってから、ディルク達も腰を下ろす。クヌートも勢い良くソファーに座り、何度か跳ねた後リーンハルトの方に転がった。
「クヌート」
リーンハルトに抱き止められて座り直す。ぽん、とディルクが頭に掌を乗せて来た。勢い良く座るのは危ないと、クヌートは学習した。
「まだ若いのだな」
「七回春が来た」
アルフォンスの感想にクヌートは答えた。
「ルッツより幾つか上なだけなんだ……」
ルッツは四つ位の筈だ。精神的成長は個体によって異なるらしいのだが、まさかの一桁年齢だった。
思わず呟いたディルクに、アルフォンスもこめかみを指先で押さえた。
「また子供のコボルトの流出か。ハイエルンが騒ぐであろうな」
「クヌートは、ディルクとリーンハルトと居る」
二人のシャツをぎゅっと握る。
「ああ、それは大丈夫だ。ハイエルンでもコボルトの意思を尊重するからな。クヌートは好きにして良いのだ」
アルフォンスが請け負う。主持ちのコボルトに手を出せば、噛まれるのが落ちだ。
「今朝、地下迷宮から精霊便が来て、コボルトに噛まれたらしき冒険者達が管理小屋まで辿り着いたそうだ。一度聖都へ〈治癒〉の為連れて行ってから、ハイエルンへ送致後裁判となる。鉱山送りになるだろうがな」
ハイエルンにのみ集落を持つ妖精犬を、勝手に領外に連れ出した罪は重い。ちなみに妖精猫をリグハーヴスから勝手に連れ出した場合は、地下迷宮へ強制ご招待される。
「クヌートの意思確認にハイエルンの官吏が来るかもしれないが、質問に答えるだけで良いからな」
「はい」
「クヌート」
「なあに?」
「たまに私の妻のロジーナや息子のヴォルフラムに会ってくれないか?」
「たまになら良い」
クヌートはディルクとリーンハルトに憑いているので、それ以外の人間は好きか嫌いかで判断する。アルフォンスは嫌いではないので、ロジーナ達にも会ってみる事にした。
「呼び出して済まなかったな。また何か解れば知らせよう」
「はい」
「失礼します」
ディルクとリーンハルトはソファーから立ち上がり、アルフォンスに一礼してからクヌートを抱き上げ応接室を退室した。渡り廊下を歩き、別館の宿舎へと戻る。
「何か忘れている気がする……あっ、リーンハルト、今日夜番だったよ!」
「そうか、どうしようか」
ディルクとリーンハルトは同じ当番なのだ。部屋にはクヌートだけになる。早速<Langue de chat>に預ける羽目になるのかと慌てて部屋に戻ると、ドアの隙間に二つ折りの紙が挿してあった。
「何だこれ」
ディルクが紙を手に取り開いてみる。書かれている内容は今夜の当番を別の組に変えると言う連絡だった。
「そういや詰所に知らせるって言ってたっけ……。詰所に隊長居たのかも」
「気を使ってくれたんだな」
お礼は<Langue de chat>のクッキーだろうか。
「お仕事?」
「ううん。今日は一緒にお風呂に入って寝られるよ」
リーンハルトが抱いていたクヌートが、少し寂しそうな声を出したので、安心させてやる。
鍵を開けて部屋に入り、バスルームに行く用意をする。精霊魔法が使えるので、風呂に入るついでに洗濯もしてしまうのだが。生活魔法は便利だ。
「俺とリーンハルト、今日はどっちと風呂に入る?」
「ディルク」
「んじゃ、寝るのはリーンハルトと一緒な」
「うん!」
歯ブラシ等が入った洗面器とバスローブを持ち、バスルームに向かう。リーンハルトも一緒に部屋を出て別のバスルームに行く。
カチカチと爪を鳴らしてディルクの足元を付いてくるクヌートに、少し爪を切った方が良いのかと思ってしまう。
「爪、伸びてる?」
「大丈夫」
「伸びた時はドクトリンデに切って貰えば良いのかな?」
白い爪なので切り損ねる事はなさそうだが。犬系の爪は血管が通っていると聞いた事がある。
「自分でやるよー。道具、あれば」
「爪鑢とか?」
「うん」
「鍛冶屋のエッカルトの所の火蜥蜴に会いに行く時に頼もうか」
「うん!」
ディルクがクヌートと風呂に入っている頃、騎士詰所では夜番と交代したばかりの昼番上がりの騎士達が犇めき合っていた。
話題はディルクとリーンハルトが連れて来たコボルトについて。
男が多い騎士達であるが、彼らが見てもコボルトは可愛い。彼らの癒しの的ともなる可愛いコボルトを狙う奴がいれば殲滅させようと、二人の騎士が預り知らぬところで一致団結していたのだった。
クヌート、領主館に到着です。
ハイエルン以外ではコボルトはとても珍しい妖精です。
嫌われると噛みつかれ呪われるので、注意が必要。通常は温厚で人懐こい性格をしています。
美味しいものが好きで、自分で料理も出来ます。
魔法使いコボルトの場合、人型の魔法使いよりも古い魔法を使います。
エンデュミオンの場合、本人が古い(知識持ち)ので、コボルト並みに古い魔法を知っています。




