クヌートと杖職人
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
魔法使いコボルトは杖が宝物です。憑かれた主は一日一回はミルクをあげましょう。
116クヌートと杖職人
そわそわしながら、クヌートはディルクとリーンハルトを待っていた。
午前中の早い内にマリアンが来て、新しい服を届けてくれたので、早速着てみている。白いシャツに濃い青のズボン、ベストは〈針と紡糸〉に居るギルベルトの顔を織り込んだコボルト織だ。
カチカチと床に爪を鳴らしながら歩き回って居るが、特に叱られもしない。
眠るグラウの揺り籠の近くでは、ヴァルブルガがレース編みをしていた。二階からはトントンカラリとヨナタンが機を織る音がしている。ルッツはラグマットの上で蜂蜜色の本を読んでいた。
(本、ある。凄い)
<Langue de chat>はルリユールなのだが、貸本もしていた。しかも物語の本なのだ。ルッツが読んでいるのは、活字が大きくて、版画の挿し絵も多い本だった。
店の方に行けばもっと本が置いてあるので、ディルク達に借りて貰えば良いとエンデュミオンに言われている。水晶雲母の貸出カードは、既に作られているらしい。
「クヌート、お迎え来たよ」
「うん!」
孝宏の声が店から聞こえ、クヌートは居間から廊下へ出て、店へのドアを潜った。
「ディルク!リーンハルト!」
駆け寄ってカウンターの横に居たディルクの脚にしがみつく。
「お待たせ。可愛い服作って貰ったんだな」
「これ、コボルト織か?この柄はギルベルトなのか……」
「ふん。コボルトがコボルト織を着ないでどうする」
カウンターに前肢を掛けていたエンデュミオンが半眼で言う。コボルトの自家用の布まで人間が搾取したりするのだから始末が悪い。最近はハイエルンも取り締まりが厳しくなった様だが。
「じゃあ、行って来るね」
「おやつの時間には戻る」
「気を付けてな。クヌート、試し撃ちは〈灯火〉三回位にしておけよ」
「うん」
杖の試しは自分の魔力で行うのだ。ちなみに〈灯火〉は生活魔法で最初に覚える魔力消費の少ない魔法である。
「意外と杖が無い……」
ディルクとリーンハルトは自分達の行き付けの武器屋を見て回ったものの、杖を置いている、もしくは杖職人が居る店は無かった。
リグハーヴスに来る魔法使いは、基本的に既に杖を所持しているので、需要が少ないらしいのだ。杖を置いていたとしても、杖職人が居なければ、クヌートの身体に合わせられない。
街を移動しつつ通り掛かったついでに〈麦と剣〉で、哀愁豚のベーコンと凶暴牛のチーズ、葉野菜の挟まったサンドウィッチを買い求める。
「あら、この子は初めてね」
プレーン生地とココア生地をマーブルにしたパンの切れ端を試食に渡しながら、ベティーナがクヌートに微笑む。
「南方コボルトのクヌートだよ」
我慢出来ずにパンを頬張るクヌートの代わりにディルクが答える。
「火蜥蜴のルビンに会って行く?」
「お邪魔じゃなければ」
「今は大丈夫よ。店の横の路地から回って貰えれば、工房へ直接入れるドアがあるわ」
サンドウィッチの代金を払い、ディルクとリーンハルトはクヌートを連れて路地に入った。途中にある青く塗られたドアが開き、カールの息子カミルが顔を出した。
「こんにちは、どうぞ」
「有難う」
パン焼きは済んだらしく、香ばしい香りが染み付いている工房の中はきちんと片付けられていた。
「よいしょ。ルビン、お客さんだよ」
カミルは耐火布の手袋を嵌めて、竈の扉を開いた。熱気の奥に赤く焼けた熱鉱石と、その上に寝そべる火蜥蜴が見えた。
こちらに気付いた火蜥蜴が、ぺちぺちと近寄って来る。ディルクに抱かれて顔の高さを合わせたクヌートを見て、火蜥蜴は笑う様な表情になった。
「初めましてルビン。南方コボルトのクヌートだ」
「こんにちは」
クヌートもルビンに挨拶する。ルビンの方が遥かに歳上だ。
ルビンは何度も頷いて尻尾を振った。友好的である。クヌートも尻尾を振って好意を示した。
「クヌートは魔法使いなの?」
「ああ。杖を探しているんだけど、杖職人を知らないか?」
〈麦と剣〉を出て通りまで付いて来たカミルに、リーンハルトが尋ねる。カミルは直ぐに口を開いた。
「最近看板は見たかも」
「どこで?」
「エッダの家の近く。えーと、エッダは家具職人のとこの女の子。だから大工通りだったと思う」
「有難う、行ってみるよ」
思えば杖も木で出来ている。
左右区にはそれぞれ公園がある。小規模ながら涼やかな音を立てる噴水を見る位置にある木陰のベンチに腰を下ろす。公園の定位置にある出店で、氷入りの水で冷やされていた冷たい紅茶を買い、サンドウィッチを食べる。薄く削られた木のコップは後で返却するのだ。自分で水筒を持っていれば、それに入れて貰う事も可能だ。
「今日の恵みに」
ディルクとリーンハルトの間に座り、クヌートは包み紙を器用に剥き、両手でサンドウィッチを持って齧りついている。
「美味しいか?」
「美味しい」
ふるふると尻尾が揺れている。主憑きの妖精は主と居ればそれだけで嬉しいが、美味しい食べ物があれば尚良い。
「ほら、お茶だ」
リーンハルトにストローを近付けて貰い、ちゅーとお茶を吸い上げる。蜂蜜が溶かしてあってほんのりと甘い。
「これも美味しい」
「そうか」
三人並んでサンドウィッチを食べ、飲み終わったコップを出店に返し、木陰で強くなり始めた陽射しを避けて少し休んでから大工通りに向かう。
「杖、杖……ここかな?」
それほど大きくない看板に、〈杖・木製付与装飾品〉と書いてあるこじんまりとした店があった。〈Kreszenz〉と言うのが店の名前らしい。クレスツェンツ、は女性名だ。木製限定と言う事は、木の精霊か妖精と相性が良い職人なのだろう。
かららん。
ドアを開けると、木製のドアベルが乾いた音を立てた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませー」
ドアの向かいに面している磨かれたカウンターの上に、大きな茶色い栗鼠がいた。明らかに普通の栗鼠ではない。大きさがルッツ位あるのだ。しかも丸まった尻尾の先の方が若草色だ。
「木の妖精?」
こてり、とクヌートは首を傾げる。
「ゼーフェリンクは木の妖精」
栗鼠はふっくらとした頬をこくりと動かした。
「クヌート、杖欲しい」
「杖のお客様!クレスツェンツ呼んで来る!」
ゼーフェリンクと名乗った木の妖精は前肢を打ち鳴らし、カウンターの横の壁に開けてある穴から奥に入って行った。ゼーフェリンクが移動しやすい様に、改造しているらしい。
間もなく足音が近付き、銀色の毛並みの人狼の女性が現れた。首の後ろで長い髪を一つに結んでいる。
「いらっしゃいませ。親方のクレスツェンツです。杖をご希望だとゼーフェリンクから聞きましたが?」
「この子の杖です」
ディルクはクヌートの頭に掌を置いた。
「南方コボルトの魔法使いですね。どんな感じの杖が欲しいですか?」
クヌートに視線を合わせてクレスツェンツが問う。
「クヌート、打撃も出来るやつ欲しい」
「ちょうど良い素材がありますよ。ゼーフェリンク、水晶狼の魔石を取って来てくれる?」
「はいよー」
ゼーフェリンクは壁の穴に入って行き、戻って来た時には尻尾の先に、透明な魔石を巻き付けていた。クレスツェンツがカウンターに広げた布の上に楕円形の魔石を置く。
クレスツェンツは窓際に並べてあった鉢植えの苗木から一つ選び、カウンターに乗せた。
魔石を手に取り、苗木と一緒に握り混む。指の隙間から緑色の光が溢れ、苗木が成長して行く。あっという間に魔石を取り込んだ杖が産み出されていた。
「クヌートをカウンターに乗せて下さい」
「はい」
ディルクはカウンターにクヌートを立たせた。
「この位かな……」
クレスツェンツはクヌートに合わせて杖を苗木から切り取った。正確にはゼーフェリンクが前歯で削り取ったのだが。
コボルトの杖は身長と同じ位あるものらしい。蔦の様な細い枝が透明な魔石に絡み付いた登頂部を持つ以外は、所々にぽこぽこと節がある位で簡素な形をしている。人間の魔法使いの杖はもう少し派手なのだが、クヌートは目を輝かせて杖を軽く振ってみている。
「魔法、使ってみて良い?」
「〈灯火〉程度なら、店内でも使えますよ」
事故防止に魔法の発動低下の魔方陣が敷いてあるのだろう。〈灯火〉は種火にも明かりにもなる生活魔法だ。
「〈灯火〉」
クヌートの詠唱の後に、杖の先に小さな火が灯った。火の大きさに比べてかなり明るい。
「クヌート、気に入った」
〈灯火〉を消し、クヌートは杖を抱き締めた。
「この杖の特徴は、魔力回復上昇、魔力消費減少、打撃強化、精霊との友好度上昇です。杖に石突きを付けますね」
一度クヌートから杖を受け取り、クレスツェンツは魔銀製の石突きを先端に嵌め込んだ。
「お幾らですか?」
「ハルドモンド銀貨十枚です」
魔法使いの杖は決して安くない。それは解っていたので、特に普段散財をしないディルクとリーンハルトは、財布から五枚ずつ銀貨を出した。これだけの効果がある杖ならば、安い方だろう。
「初めて杖をお買い上げ頂いたお客様なんです。こちらはサービスです」
クレスツェンツはカウンターから出て、ガラス張りの展示テーブルから木製の指輪を二つ取り出して、ディルクとリーンハルトに手渡した。
「一度だけ死を回避してくれます」
「え!?」
「まさか〈生命の指輪〉!?」
魔道具職人の親方しか作れないと言う希少価値がある装飾品だ。
「良いんですか?」
「ええ」
ばさぱさと銀色の尾を振りながら、クレスツェンツがにこにこと笑う。恐らくクレスツェンツは杖の片手間に魔道具装飾品を作っているのだろう。杖は全然売れていない様だが。
何となく思い付いた事をディルクは口に出してみた。
「多分ですね、冒険者ギルドと魔法使いギルドにチラシを持って行くと良いと思いますよ」
「あ……」
「はうう」
クレスツェンツとゼーフェリンクが意表を突かれた顔になった。開業連絡したのは、領主と商業ギルドにだけだったのだろう。
「抜かった……」
カウンターに突っ伏すクレスツェンツとゼーフェリンクを、クヌートがぽんぽんと前肢で叩いて慰める。
「これだけ良い物なら、魔法使いクロエや大魔法使いフィリーネも来ますよ。あれ、エンデュミオンは杖を使わないのかな?」
「今はケットシーだから、使わないかも」
クヌートが答える。
「エ、エンデュミオン?」
人狼と栗鼠がカウンターからがばりと顔を上げた。
「市場広場から右区に一本入った路地にある<Langue de chat>って言うルリユールにケットシーが今は四人居て、そこにエンデュミオンも居ますよ」
「北方コボルトも居る」
「〈針と紡糸〉と〈薬草と飴玉〉にもケットシーが二人ずつ居ますね」
ディルクにクヌートが付け足し、更にリーンハルトが追い討ちを掛ける。
「え?え?何でそんなに?」
「子守り中らしいです。ちなみに冒険者ギルドの受付と領主館の騎士と〈水晶窟〉に住む冒険者の人狼が居るの知ってます?」
ぶんぶんとクレスツェンツが首を降る。
「親方クレスツェンツは、ハイエルン出身であってますか?」
「はい。人狼の集落に長く居たものだから、世間に疎くて」
はああ、と溜め息を吐いてクレスツェンツが髪を掻き上げた。
「<Langue de chat>はお薦めですよ。近所の人も来ますから、顔見知りを作れますよ」
「有難うございます。行ってみます」
そういや名乗って無かったな、とディルクは名乗る事にした。
「俺は領主館の騎士ディルクです」
「同じく私はリーンハルトです」
「クヌート」
しゅっとクヌートが右前肢を上げた。
「領主館に戻ったら、こちらの店の話を仲間にしてみます」
魔法が主体の騎士も居るし、クレスツェンツの付加装飾品にはかなりの価値がある。アルフォンスは出店許可を出したのだから、クレスツェンツの腕前は知っている筈だが、改めて執事のクラウスに話したら慌てるかもしれない。
「石突きが傷んで来たら取り替えますから、いらしてくださいね」
「うん」
クレスツェンツとゼーフェリンクに手を振って、店を出る。
かららん。
木鈴の音が後を追う。
帰りはリーンハルトがクヌートを抱いて戻る。クヌートは杖をしっかり抱えていた。
「何か凄い杖職人だったな……」
「ああ」
人狼の集落から真っ直ぐリグハーヴスに出て来たに違いない。木の妖精が店番をしているのは、妖精猫が店番をしている<Langue de chat>も似た様なものだが。
「まず栗鼠の大きさに驚くな……」
「ああ」
物凄い衝撃だった。クレスツェンツに憑いているのだろうが、木の妖精は必ず栗鼠なのだろうか。後でエンデュミオンに聞いてみよう。
「良い杖手に入って良かったな、クヌート」
「うん!有難う!」
魔法使いコボルトは杖が常態装備なのかもしれない。杖を手に入れて、表情が明るくなった。
「じゃあ、散歩しながら<Langue de chat>に戻ろうか」
「帰ったらおやつの時間だぞ、クヌート」
「おやつ!」
おやつにこれだけ喜ぶのだから、ルッツより歳上でもエンデュミオンよりは歳下だろう。
(あー、和む)
精霊言語で歌を歌い出したクヌートに、笑みが溢れてしまう。
のんびりと少し遠回りして帰るディルクとリーンハルトだった。
ちりりりん。
「ただいま」
「お帰り。む?」
カウンターで出迎えたエンデュミオンは、ディルク達を見るなり踏み台にしていた三本足の椅子から飛び降りた。
「奥に。クヌートおやつだぞ」
「おやつ!」
「先に手洗いだ」
バスルームで手を洗ってから、一階の居間に入る。
「お帰りなさい。おやつ用意しますね」
台所で孝宏が器を用意し始める。カチャカチャと言う食器の音を聞きながら、ソファーでディルクとリーンハルトの間に座るクヌートを見て、エンデュミオンは黄緑色の瞳をきらりとさせた。
「魔力回復上昇、魔力消費減少、打撃強化、精霊との友好度上昇か。凄い杖にしたな。水晶狼の魔石は、魔力と相性が良いが希少素材なんだ」
「そうなんだ……」
本来ならもっと高価なのではないかと、ディルクとリーンハルトは思ってしまった。
「その杖があれば魔力も直ぐに戻るから、今日から領主館に行けるぞ?」
「良いのか?」
「暫く無理をしなければな。帰る時クヌートの服を忘れずに持って行けよ。客間に包んであるから」
「有難う」
「それにしても腕の良い杖職人だな。〈生命の指輪〉まで作れるのか」
ディルクとリーンハルトの右手中指に嵌まった木製の指輪を見て、ふふんとエンデュミオンは鼻を鳴らした。
「クレスツェンツと言う人狼の女性職人だよ。ゼーフェリンクって名前の木の妖精が居た。ルッツ位の大きさの栗鼠」
「木の妖精は栗鼠の姿を取るのか?」
「いや、エンデュミオンは兎の木の妖精も見た事があるぞ」
基本属性妖精の姿は大抵固定だが、厳格には姿は決まっていないらしい。
おやつは角切りの苺が入った赤いゼリーだった。苺のシロップを使った色だと孝宏が説明してくれた。
「にゃー」
ゼリーの器を持って近付くエンデュミオンを、揺り籠に立ち上がったグラウが歓迎する。
「グラウ、苺のゼリーだぞ」
揺り籠から下ろしラグマットの上に座らせて首に布を軽く巻き、弟にゼリーを食べさせるエンデュミオンの姿は中々見られないだろう。
「んまー」
「そうか、そうか」
言葉使いはぶっきらぼうだが、エンデュミオンは尻尾をピンと立てている。グラウの相手をするのが嬉しいに違いない。
赤ん坊のケットシーが預けられるのだから、ここが安全な場所だと言う証明だ。
ディルクとリーンハルトは「美味しいー」と良いながらゼリーを食べているクヌートを揃って見下ろした。
「?」
クヌートがスプーンをくわえたまま、不思議そうな顔で二人を見上げる。
「俺達が夜勤の時、クヌートが泊まりに来ても良いかな?」
「〈転移〉が出来るんだから、好きな時に遊びに来れば良いのではないか?ヨナタンも喜ぶし。誰も迷惑になんて思わないぞ」
リグハーヴスにコボルトは、ヨナタンとクヌートしか居ないのだ。
「こら、グラウ」
「なーっ」
余所見していて、グラウにゼリーの器に前肢を突っ込まれそうになり、慌ててエンデュミオンが避けている。
「宜しく頼むね」
流石に二人とも夜勤で部屋に居ない夜に、クヌート一人で寝かせるのは可哀想だ。
「連れて帰る」と言う連絡なしにクヌートと一緒に寮に戻り、彼らが食堂で一騒動起こすのは数時間後の事である。
クヌート、杖をゲットです。
コボルトは殴り魔法使いなので、杖は鈍器でもあります。




