騎士と南方コボルト(前)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ディルクとリーンハルトが妖精と出会います。
114騎士と南方コボルト(前)
リグハーヴスの五の月は雪解け後の緑が一気に芽生え、花も咲き初めて色彩豊かだ。
ここ数日雨が降っていないので、爽やかな初夏の風を受けながら、騎士のディルクとリーンハルトは領主館の丘を下っていた。
二人は休暇には<Langue de chat>に行って本を借り、お茶を飲むのを楽しみにしている。
「天気良いねえ」
ピヨヨヨヨと雲雀が高く飛びながら鳴いている。上空では風が強いのか雲が流れ、地表に落ちる影が動いていくのが見えた。
休日なので二人とも私服で、腰のベルトには財布が入ったポーチと剣を帯びているだけだ。前回も二人で本を借りに行ったので、二冊入った革袋をリーンハルトが持っていた。
「今日のクッキーは何味かな──うお!?」
ぱちん、と言う音と共に目の前に何か黒っぽい物が落ちて来て、咄嗟にディルクは受け止めた。
「何!?」
「……コボルトじゃないか?」
ディルクの腕の中には、気を失った黒褐色の毛色のコボルトが居た。黒いフード付きのケープの下は汚れた白いシャツと縞柄のズボンを着ていて、裸足だ。コボルトからは土埃と血の匂いがした。
「お前のシャツに血が付いてる。怪我をしているのかも」
「早くドクトリンデに診せないと、ってこら暴れるな」
途中でパチリと目を開けたコボルトは、ディルクに抱かれているのに気付くと暴れだした。
「お前に危害を加えたりしないと誓う。これからコボルトとケットシーに憑かれている人間が居る場所に連れて行くから、大人しくしてくれ。傷が開くぞ」
「私達は騎士だ」
ぴたりとコボルトが暴れるのを止めた。騎士は誓いを違えない。例え相手が人間であろうとなかろうと。不測の事態でもない限り誓いを破った騎士は、誇りを失うのだ。
「良い子だ」
リーンハルトがコボルトの頭を撫でる。クウ、とコボルトが喉を鳴らした。
なるべくコボルトを揺らさない様に注意しながら、ディルクとリーンハルトは街に入り<Langue de chat>のドアを開けた。
ちりりりん。
「いらっしゃい──すぐに奥に入れ。エンデュミオンはグレーテルを連れて来る」
カウンターに居たエンデュミオンが、二人と抱えられたコボルトを見るなり指示を出し姿を消す。
「水と布を用意します。テオ、ルッツ、カウンターお願い」
「解った」
「あいー」
丁度客が居らず、閲覧スペースのテーブルを拭いていたテオとルッツに声を掛け、孝宏がディルク達を一階の居間に通す。
「テーブルの上に寝かせて下さい」
「有難う。服脱がせるぞ」
コボルトに声を掛けてディルクが汚れた服を脱がせて行く。
「カチヤとヨナタン呼びますから」
水と布を近くに置いて、孝宏が工房へ知らせに行く。
「うわ、背中に大きな切り傷がある」
「深くは無いな。洗うから少し痛いぞ」
騎士は精霊魔法も学ぶ。ディルクとリーンハルトも使えるので、水の精霊の力を借りて傷を洗浄してやる。
目の端で床に銀色の魔方陣が現れ、エンデュミオンと魔女グレーテル、マーヤが部屋に現れる。
「どんな具合だい?」
「背中の傷が大きくて、洗浄したところです」
「良い子だ。もう少しだけ我慢おしよ」
藍色の瞳を潤ませるコボルトに話し掛け、グレーテルが〈治癒〉を掛ける。みるみる内に傷が塞がり、コボルトの身体にあった細かな怪我もグレーテルは治していった。
「もう痛い所はないかい?」
「……」
フス、と鼻を鳴らして答える。
「無いみたいだね。魔力が枯渇しかけているけれど、休めば回復するからね。暫く魔法は使っちゃいけないよ。ここに居れば安全だからね」
グレーテルは孝宏が用意した水と布で、コボルトの身体を拭いてやった。
「あ、ドクトリンデ」
「治療は済んだよ。命に別状は無いから安心おし」
「良かった」
カチヤとヨナタンを呼んで来た孝宏が胸を撫で下ろす。カチヤの後ろにはイシュカも居る。
ととと、とテーブルに座る黒褐色のコボルトの前に、ヨナタンが近付いた。
「みなみの?」
ヨナタンの問い掛けに、黒褐色のコボルトが頷いた。逆に問い返す。
「北の?」
「うん。ヨナタンはカチヤがあるじ」
「主は居ない。拐われて地下迷宮まで連れてこられた。魔力枯渇して捨てて行かれたから逃げた」
黒褐色のコボルトは魔法使いタイプらしい。エンデュミオンが唸った。
「エンデュミオンだ。ならば、追われている訳ではないのだな?」
「うん。あいつらが生きているかは知らないが。最後に噛みついて来たから」
「自業自得だから、気にするな」
コボルトに噛まれると激痛に見舞われるのだ。聖女の祈りでないと快癒しないと言われている。
「少なからず出血しているし、魔力も足りないから療養が必要だね。ディルクとリーンハルトは仕事があるだろう?」
「ええ……」
領主に雇われている騎士の為、勝手に休めないのだ。本来であれば、怪我をした主が居ないケットシーやコボルトは発見者が保護する。
「元気になるまでうちで預かりますよ。ヘア・ディルクとヘア・リーンハルトはいつでも来て下さい」
「そうだな。回復してからどうするか決めれば良い」
イシュカとエンデュミオンの言葉に、ディルクとリーンハルトはほっとした顔になる。
「む。ディルク、服が汚れているな。洗うぞ?コボルトも風呂に入ると良い」
「有難う」
シャツを脱いだディルクは、コボルトを風呂に入れる事にした。一階のバスルームにリーンハルトとコボルトを連れて行く。
バスタブにコボルトを入れ、シャワーでお湯を掛けて土と血の汚れを落としてから、お湯を溜めて身体を洗ってやる。クウクウと鼻を鳴らしているが、気持ち良い様だ。石鹸の泡を綺麗に流し、浴布で包み込んで水気を取る。
「ちゃんと名乗ってなかったな。俺がディルク」
「私がリーンハルトだ」
ディルクが浴布ごと抱き上げたコボルトの身体を、リーンハルトが風の精霊に乾かして貰う。
「ふわふわになったなー。可愛い可愛い」
「……」
ぐうーとコボルトの腹が鳴った。ディルクはコボルトをリーンハルトの腕に渡した。
「ご飯貰おうな。後片付けしとくから頼む」
「解った」
バスタブの水気を拭いてからディルクが居間に戻ると、コボルトは白いシチューを貰って一生懸命食べていた。
いつの間にかグレーテルとマーヤは帰っていて、診察代を払っていないと気付く。
「ディルク、シャツ乾いたぞ」
「有難う、エンデュミオン」
綺麗になったシャツを着て、ディルクはソファーに放置されたままになっていた、本入りの革袋を取り上げた。
コボルトがピタリとスプーンを停める。 澄んだ藍色の瞳で、ディルクとリーンハルトを見上げた。
「また明日顔を見に来るよ」
「ここは安全だからな。エンデュミオン達と仲良くな」
「……」
二人に交互に頭を撫でられ、黒褐色の巻き尻尾がフリフリと揺れた。
客の居ない店に出て、ディルクとリーンハルトは見送りに出て来たイシュカとエンデュミオンに頭を下げた。
「面倒掛けて済まない。これは診察代とコボルトの食費だ」
リーンハルトは銀貨を数枚イシュカの手に握らせた。
「いえ、うちに連れて来て下さって良かったです。これで美味しい物食べさせますね」
主の居ないコボルトに何かあれば一寸した騒動になってしまう。
「戻ったら、領主様に報告しないとならないだろうな」
「治らない怪我をした冒険者が居ないか、地下迷宮に問い合わせもしないと」
ディルクとリーンハルトが溜め息を吐く。エンデュミオンがニヤリと笑った。
「ふうん?魔物に食われてなければ出て来るだろう。見付かったらハイエルンに送致だな」
コボルトに関する懲罰はハイエルンが請け負うのだ。
ぽんぽんと二人の膝をエンデュミオンが叩く。
「名前がないと不便だから、コボルトに名前を考えると良い」
ディルクとリーンハルトは顔を見合わせた。
「解った」
「明日までに考えておく」
本を返し、新たな本を借りて領主に館に帰って行く騎士二人を見送った後、イシュカはエンデュミオンの前にしゃがんだ。
「あの二人、名着けの意味を知らないみたいだけど、良いのか?」
「コボルトは気に入っているみたいだから、構わない。きっと既に何か誓いを立てたのだろう」
「南方コボルトみたいだな。魔法使いの子か」
「ヨナタンよりは歳上だな」
「またハイエルンから誰か来るのかな」
「まあ、仕方がない」
ぽしぽしとエンデュミオンが頭を掻く。もしハイエルンの冒険者に拐われて来たのなら、帰るとは言わないだろう。ヨナタン然り、コボルトは裏切られるのが余程嫌いな種族らしい。
「でぃー!」
二階からグラウの声が聞こえて来た。ヴァルブルガに子守りを頼んでいたが、エンデュミオンに遊んで欲しくなったらしい。
「呼んでるぞ、エンディ」
「うむ」
エンデュミオンはしかつめらしい顔をしつつ、いそいそと階段を上がって行った。
「コボルトの子、ヘア・ディルクとヘア・リーンハルトに憑きそうなの?」
カウンターに居たテオがルッツの頭を撫でながら、イシュカに訊いた。イシュカも疑問に首を傾げる。
「二人に憑くってあるのか?」
「あるよー」
あっさりルッツが答えてくれた。
「どっちもすきならふたりにつくの」
「成程」
それで良いらしい。納得しつつ工房へ戻るイシュカだった。
「ヘア・クラウス!」
領主館に戻るなり、ディルクとリーンハルトは執事室に居たクラウスを訪問した。
「コボルトを保護して<Langue de chat>に預けて来た……ですか?」
「魔法使いのコボルトらしいです。魔力が戻るまで<Langue de chat>で療養させて貰う事にしたので」
「名前何にしようかな……」
ディルクの呟きにクラウスがハッとする。
「名前を着ける気ですか?」
「エンデュミオンが名前を考えろと言ったんです」
「エンデュミオンがですか……なら決まりでしょう。あなた達のどちらかか、二人ともがそのコボルトに憑かれる事になりますよ。妖精に名前を着けるとはそう言う事です」
「そうなんですか!?」
ディルクとリーンハルトは目を瞠る。
「良く考えて着けないと……」
「そうだな」
そんな二人にクラウスは微笑んだ。
「……あなた達なら問題無さそうですね。もし憑かれたら教えて下さい」
「はい」
男の子の名前を互いに呟きながら宿舎に戻って行く二人に背を向け、クラウスはアルフォンス・リグハーヴスの執務室に向かった。
「御前、宜しいですか?」
「お入り」
「失礼致します」
ドアを開け、クラウスは執務室に入った。執務机で書類を眺めて居たアルフォンスの前に立つ。
「先程、ディルクとリーンハルトが南方コボルトを保護したそうです。現在は療養の為、<Langue de chat>に預けているとの事です」
「南方コボルト?」
書類からアルフォンスが視線を上げてクラウスを見る。
「毛色が黒褐色なんだそうです。魔法使いコボルトで、拐われて地下迷宮に連れて行かれた様です。コボルトに噛まれた冒険者が居ないか手配致します」
「頼む。主憑きなのか?」
「いえ。でもディルクとリーンハルトに憑きそうですよ」
「そうなると又ハイエルンに連絡せねばなるまいな」
誰に憑く憑かないはコボルト次第なので構わないが、もし二人に憑いたらリグハーヴスに南方コボルトも定住する事になる。
「やれやれ……」
頭が痛くなるが、何より恐い目に遇ったそのコボルトの方が大切だ。少し位嫌味を言われるのは仕方がない。
「ディルクとリーンハルトならコボルトが憑いても大丈夫だろう。<Langue de chat>のケットシー達とも仲が良い様だし」
「そうでございますね」
「ロジーナとヴォルフラムが喜びそうだな……」
そのコボルトは遊び相手になってくれるだろうか。領主館の寮に来たら聞いてみようと思うアルフォンスだった。
ディルクとリーンハルト、南方コボルトと遭遇です。
そして、エンデュミオンは南方コボルトを二人に憑かせてしまおうと画策中。
騎士二人と南方コボルトのお話が続きます。




