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カチヤのお客様

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

カチヤも苦労人です。


109カチヤのお客様


 春光祭フルューリングカァネヴァルの前に、黒森之國くろもりのくにには降臨祭プフィングステンと言うものがある。黒森之國に月の女神シルヴァーナが降りた記念日らしい。

 春光祭は大人のお祭りの様なものだが、降臨祭は子供が喜ぶお祭りである。当日には教会でミサがあり、アイの形のお菓子が貰えるのだ。パン屋では兎の形のパン(ブロェートゥヒェン)が売り出される。

 卵菓子は子供が優先で、大人の場合は一家族一つが基本だ。孝宏たかひろ達はルッツの分しか貰わなかったが、木工細工の卵の中に、ボンボンアーモンド菓子(ドラジェ)などが入れてあった。ルッツは飴を皆に分けてくれたので知っている。

(今年はルッツとヨナタンかな)

 去年はお祝いのご飯は作ったものの、特に降臨祭らしいお菓子は作らなかった。そんな訳で、孝宏は降臨祭の数日前から、兎と卵の形のクッキー(プレッツヒェン)を店でも出していた。

 いつもと違うのは卵の形のクッキーには、アイシングで飾りつけをしている点だろう。先に押し型で模様を付けていて、その窪んだところをアイシングで埋めている。一口サイズの卵型クッキーに、色とりどりのアイシングで、星や花が浮かぶ。お客には兎と卵のクッキーが一枚ずつ、お茶と共に出される。

 ちなみにアイシングを失敗したクッキーは、自家用のおやつになる。

「おいしーねー」

「……!」

 居間のテーブルにある、アイシング失敗クッキーが載った皿から、ルッツとヨナタンが先程から摘まんでいる。ちなみに夕飯が食べられないと困るので、おやつ分しか載せていない。アイシングをやった事が殆ど無かったので、少々搾る加減が難しかった。

 ちゅーと、二人揃って蜂蜜ホーニック入りミルク(ミルヒ)をストローで飲んでいる。

 ルッツとヨナタンは仲が良い。ケットシーとコボルトという種別の違いは関係ないらしい。

 ヨナタンがリグハーヴスに慣れるまではと、配達屋の仕事を休んでいたテオとルッツだが、そろそろ再開する予定になっている。そうなるとヨナタンは少し寂しくなるが、エンデュミオンやヴァルブルガの他、ギルベルトにラルス、マーヤも居るので遊んで貰えるだろう。

「ごちそうさまー」

「……」

 フス!とヨナタンは満足そうに鼻を鳴らす。相変わらず喋らない。だが表情や尻尾の動きが豊かなので、特に困らない。

「はい、お粗末様。手を拭いてから下行こうね」

 孝宏はルッツとヨナタンの前肢を濡れ布巾で拭いてやった。ラグマットの端で靴を履かせてやれば、二人はとてとて足音を立てて居間を出て行った。

(後ろ姿が可愛いなあ)

 ふふっと笑い、孝宏は二人が使ったコップを洗うのだった。


 午前中は手順書の写本をしたり、イシュカの仕事を手伝ったりしているカチヤだが、午後は店のカウンターにも立つ。

「おやつたべてきたー」

「……」

 一階の居間からルッツとヨナタンが戻って来た。子供の二人におやつは重要だ。

「眠くなったら言うんだよ?」

 テオが二人の頭を撫でる。ルッツは眠くなると結構どこでも寝ようとするらしい。

「エンディ、交代でおやつを食べてくると良い」

「うん。そうする」

 丁度閲覧スペースの客が切れていた。エンデュミオンが尻尾を心持ち上げ気味に、カウンターの奥にあるドアから居間に繋がる廊下へと入って行く。ここのドアは、営業中は開けてある。

 ちりりりん。

 ドアの上部に付けてあるドアベルが揺れた。

「いらっしゃいませ」

「カチヤ、久し振り!」

「姉さん?どうしたの」

 ドアを開けたのはカチヤの姉のユリアだった。祖父似の焦茶の髪に薄い茶色の瞳カチヤと違い、ユリアは母似の濃い金髪に水色の瞳の美人だ。村では結婚したい娘の筆頭に常に名前が上がっている。カチヤはそんな姉の陰にずっと居て、父と兄と猟に出掛けてばかり居たので、〈娘〉としては殆ど知られていない。

「兄さんの買い出しに付いて来たのよ。服飾ギルドにレース糸を買いに来たかったし」

「そうなんだ。姉さん、こちらはヘア・テオとルッツ。<Langueラング de chatシャ>に下宿している冒険者だよ。テオ、ルッツ、姉のユリアです」

「こんにちは」

「こんちは」

 ルッツはテオのズボンを前肢で握ったまま、ユリアを見上げた。

「えっ、ケットシー憑き!?」

「姉さん、<Langue de chat>の住人は私以外ケットシー憑きだよ。最初に説明したよ」

 驚くユリアに、内心溜め息を吐く。ユリアは昔から思った事をそのまま口に出す傾向がある。それに聞きたい事しか聞かない。

 カチヤの家で〈ちゃんとした娘〉はユリアだけだ。愛妻に似たユリアに父親も甘い。言葉数が少ないカチヤの方が、両親を苛つかせる事が多かった。正直なところ、カチヤを〈弟〉と見てくれているのは、兄のアヒムだけだ。

 くいくい、とカチヤのズボンが引かれた。下を見るとヨナタンがカチヤのズボンを握っていた。片前肢で自分を指差す。ユリアからヨナタンがカウンターで見えない位置に居たので、まだ紹介していなかった。

「おいで、ヨナタン」

 カチヤはヨナタンを抱き上げた。ケットシーよりしっかりとした骨格をしているコボルトだが、ヨナタンは毛が軟らかいので服の上からだと、感触がふかふかする。

「コボルトのヨナタン。私に憑いている子だよ」

「え!?コボルトって、もしかして職人型?何でリグハーヴスに居るの?」

「色々あってね。ヨナタンは織り子だよ」

 フス!とヨナタンが右前肢を挙げる。

「普通コボルトの織り子って仕立屋に憑くでしょ!何であんたなの!?」

「姉さん、声が大きいよ……」

 あまり騒ぐとエンデュミオンが飛んで来る。だがカチヤの心配を余所に、ユリアは呆れた口調で続けた。

「あんたって本当に宝の持ち腐れよね。猟が出来ても男じゃないし、裁縫も出来ないのに織り子のコボルトが憑くなんて」

「……カチヤのかちはヨナタンがしっていればいい」

 ルッツの物ではない子供の声が、ユリアの台詞を遮った。

「カチヤはここでたいせつにされている。おまえはなにをきたいしたんだ?」

 子供の声がヒヤリとした冷気を含んだ。カチヤの腕の中で、ヨナタンがユリアを睨んでいた。

「ヨナタン、良いんだよ」

「ヨナタンが喋った!」と一瞬カチヤは固まったが、慌ててヨナタンの背中を撫でてなだめる。

「姉さんは脳味噌と口が直結している人なんだ。裏表が無い人なんだよ。一応心配してくれているんだよ、これでも」

(多分、だけど)

「えー」

「えー」

 物凄く残念そうな声をヨナタンとルッツが上げた。危うくユリアは呪われる所だったらしい。反りの合わない姉でも、呪われるのは少々避けたい。

「賑やかだな、誰だ?」

「うわ、エンディ!」

 アイシングがはみ出た卵型クッキーを片手に、エンデュミオンが戸口から顔を出していた。キラリ、と黄緑色の目が光る。テオとカチヤは本気で驚いた。心臓が跳ねる。

「わ、私の姉のユリア」

「閲覧スペースに案内しておけ。イシュカを呼んで来てやる」

 口に卵型クッキーを押し込み、すたすたとエンデュミオンが工房の方に行ってしまった。

「……何、今のケットシー……」

「エンデュミオンだよ。怒らせたら呪われるからね、本当にさ……」

 流石に危険な相手はユリアでも解ったらしく、安堵と同時にカチヤはどっと疲れてしまった。


「イシュカ」

「どうした?エンディ」

「にゃう?」

 表紙に貼る皮を薄く削っていたイシュカは手を止め、工房の入口に立つエンデュミオンに振り向いた。工房の窓際のスツールに座ってレース編みをしていたヴァルブルガも顔を上げる。

「カチヤの姉が来たぞ」

「姉?」

 カチヤの家族で頻繁に顔を出すのは、兄のアヒムだけだったので、イシュカは怪訝そうな声を出してしまった。

 徒弟として預かる時も、挨拶に来たのはカチヤの荷物を運んで来たアヒムだけだった。両親が既に亡いのなら解るが、家督を譲られても居ない兄だけが挨拶に来るのは、本来はおかしな事なのだ。それは、カチヤが家族の中で、価値を見出だされていない表れでもある。

 アヒムはカチヤを可愛がっている様だった。村から買い出しの度に顔を見に来るアヒムを、カチヤも楽しみにしている風でもある。しかし、以前コサージュを送った以外は、カチヤは姉や両親の話はしなかった。

 男所帯の<Langue de chat>に最初は徒弟に出すのを反対したのだから、家族に疎まれている訳でもないのだろうが、家を継がない末子で嫁に出すのにも支障のあるカチヤを、家族も持て余していたのだろう。カチヤは狩りが出来るので、無駄飯食らい扱いは出来ない分、余計に。

 イシュカは革の前掛けを脱ぎ、店へ出た。エンデュミオンとヴァルブルガは後からとことこ付いて来る。

「初めまして。親方マイスターのイシュカです」

 イシュカの挨拶に、ユリアはソファーから立ち上がった。

「カチヤの姉のユリアです。まあ、森林族みたいな目の色をなさっているんですね」

 不躾なユリアの言葉にカチヤは姉を掴んで揺さぶりたくなった。

「姉さんっ」

「構わないよ、カチヤ。俺は父が森林族なので、目の色を継いだ様です」

 姉をたしなめるカチヤに、イシュカはやんやわりと微笑んだ。ヴァイツェア公爵が父だとは、面倒臭くなりそうなので黙っておく。

「そうなんですか。カチヤはちゃんと娘働き出来ていますか?この子ったらお裁縫はからきしでしょう?」

「いえ、俺はカチヤをルリユールの徒弟として雇っています。家事は皆でやりますから、カチヤだけに負担はさせませんよ」

 カチヤも初歩的な生活精霊魔法は使える。最初の頃はぎこちなかったが、エンデュミオンが指導して精霊ジンニーとの親和性が上がったりしている。地味に今では初級魔法使い並みだ。

「あら、私てっきり、家政婦なのかと思ってましたわ」

 くすくすユリアが笑う。

 イシュカはきちんとカチヤを徒弟とする誓約書を、カチヤの両親に渡している。

「その、うちの家族は私と兄以外、余り字が読めないので……何となく勘違いしているのかもとは思ってましたが」

 両親もユリアも、カチヤをあくまでも〈女の子〉として見ているらしい。この手の問題は、理解しない人は一生理解しようとしない。

 イシュカはカチヤの頭にぽんと掌を載せた。

「カチヤは誠実な仕事をしますから、良いルリユールになりますよ」

「親方……」

「でも父さんも母さんも、裁縫が出来ないからカチヤを徒弟に出したけど、職人型コボルトが着いたのなら村に帰って来ても良いんじゃない?コボルト織なら買い手は必ずいるんだし。母さんにも伝えておきましょうか?」

 へっ!とヨナタンが鼻を鳴らした。

「カチヤは<Langue de chat>にいるんだ。ヨナタンはカチヤとここにいる」

 ぎゅっとヨナタンがカチヤの薄い胸に抱き付いた。そのヨナタンの後頭部を、ソファーによじ登ったエンデュミオンが肉球で撫でた。

「大丈夫だ。徒弟契約はそんなに簡単なものではないのだ」

「それにマリアンの紹介なの」

 イシュカの足元に居るヴァルブルガも頷く。カチヤが村に帰れば、マリアンの顔に泥を塗る事にもなる。

 人よりも妖精フェアリーの方が、契約には厳しい。

「ヨナタン」

 カチヤは茶色の小さなコボルトを抱き締めた。

「良い子だね。私はどこにも行かないよ」

「……」

 フスフス鼻を鳴らしながら、ヨナタンが巻き尻尾を振った。

 ちりりりん。

「こんにちは」

「アヒム兄さん!」

 濃い金髪に薄茶の瞳の背の高い青年が店に入って来た。

「親方イシュカ、皆さん、お久し振りです」

 カウンターのテオとルッツ、閲覧スペースのイシュカ達にアヒムが挨拶する。

「兄さん!カチヤにコボルトが憑いたのよ!」

「コボルトが?」

 ソファー席に近付いて来たアヒムが、カチヤに抱き付いているヨナタンを見下ろした。

「……」

 じっとヨナタンがアヒムを見上げる。アヒムはにっこり笑った。

「良かったじゃないか、カチヤ。仕事に張り合いが出るだろう」

「うん。兄さん、この子はヨナタンって言うんだよ」

「撫でても良いか?」

 しゅっとヨナタンが右前肢を挙げる。

「良いって」

 アヒムが手を伸ばし、ヨナタンの頭を撫でる。耳を巻き込んで撫でる大きな手に、ヨナタンが青い目を細めた。

「可愛いな」

「職人型コボルトなんですって。母さんが喜ぶわね」

 ユリアがはしゃいだ声を出す。呆れた顔でアヒムが溜め息を吐く。

「母さんは関係ないだろう。うちからカチヤに援助出来ないんだし、見返りを求めるのは間違っている。妖精が生産した物は、妖精と妖精の主の物だ。カチヤは将来独立して店を持つかもしれないんだからな。ちゃんと蓄えておくんだぞ」

 最後の部分はカチヤに向かってアヒムが言った。

「うん」

「……!」

 しゅっとヨナタンも右前肢を挙げる。

「ユリア、服飾ギルドに寄って帰るぞ。ほら」

 アヒムはユリアをソファーから立ち上がらせ、背中を押してドアへ追いやった。

「何よ、兄さんっ」

「先に服飾ギルドに行ってこい。後で迎えに行くから」

 ユリアを店から追い出し、アヒムはイシュカ達に頭を下げた。

「ご迷惑をお掛けしました」

「ふん、妖精憑きを見れば、ああいう反応をする者もいる」

 エンデュミオンは長い縞柄の尻尾でぱしんとソファーの座面を叩いた。

「実家には関わらせるつもりはないから。ヨナタン、カチヤを頼むな」

 もう一度ヨナタンを撫で、アヒムはユリアを追い掛けて行った。


『えっ、そんな人だったの?カチヤのお姉さん』

 孝宏たかひろは二階の台所でずっとクッキーを作っていた。実は店側に行こうとしたのだが、エンデュミオンが「行かなくていい」と言って、自分が行ったのだ。

 ユリアとアヒムが帰った後、エンデュミオンが台所に戻って来て孝宏に店でのあらましを報告したのだった。

『カチヤって苦労したんだろうなあ』

 主に精神的に。エンデュミオンの話から、ユリアはかなり自由な人らしい。子供の頃から変わらないとするならば、アヒムは両親やユリアからカチヤを守っていたのだろう。

(ヨナタンがカチヤに憑いて良かったかも)

 ヨナタンはカチヤの支えになるだろう。

『陽の日の降臨祭までの分、これで出来たかな』

 最後の卵型クッキーにアイシングを載せ、孝宏は腰を伸ばした。流石に凝っている。

『家で食べる分もあるのか?』

『うん。ちゃんと取ってあるよ。アイシングはみ出てないやつね』

『ふふん』

 ゆらゆらと尻尾を振り、エンデュミオンが嬉しそうな顔になる。

『今回の降臨祭、カチヤとヨナタンはベネディクト司祭に会うんだよね?』

『ベネディクトとヨナタンはまだ会ってないからな』

 ベネディクト司祭は〈異界渡り〉の孝宏の様子を定期的に視察している。リグハーヴスの街の教会司祭なので、<Langue de chat>の皆でミサに行く時に会う他、ベネディクト司祭は本を借りに来る。孝宏が書いていると知っているので、内容を確認する為に全て読んでいる猛者もさである。

<Langue de chat>に住人が増えた事で影響が無いかどうか、ヨナタンと会いたいと言っていたのだが、降臨祭の準備で忙しそうなので、ミサの時に連れて行く予定なのだ。

『ルッツとヨナタンは、オースタンの卵を貰うのを楽しみにしてるみたいだけどね』

『卵の意匠は毎年違うのだ。ルッツは去年のを宝箱に入れているぞ』

『そうなんだ』

 孝宏はアイシングクッキーを店用のクッキーを入れるホウロウ容器にしまった。

 降臨祭は陽の日なので、店は休みだ。街の人達も午前中にミサに行き、あとは家でご馳走を食べてゆっくりするのだ。

『降臨祭の前は寒さが戻る事があるからな。風邪を引くなよ、孝宏』

『うん』

 クッキー作りを終えた孝宏は、鼻唄混じりに夕飯の支度に取り掛かるのだった。


マリアン同様、中と外の性別が違うカチヤ。両親と姉には理解されず、家族で味方は兄だけです。

ヨナタンは怒らせると結構怖いかも。

住み込み徒弟の衣食住は、親方が用意します。カチヤは実家を継がないので、実家からの援助は一切ありません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ねこ好きなのでケットシーの出番が楽しいです。 カチヤの姉は結婚できたとしても、無神経で自分勝手な発言で 出戻ってきそう。
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