ハイエルンからの訪問者
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ハイエルンから許可を貰いましょう。
107ハイエルンからの訪問者
妖精犬が<Langue de chat>に来てから一週間経った。その間にヨナタンはリグハーヴスのケットシー全てと、召還師のスヴェンとザシャの妖精達、パン屋〈麦と剣〉とエッカルトの鍛冶屋の火蜥蜴と会った。
〈麦と剣〉にはカチヤとパンを買いに行き、エッカルトの鍛冶屋には爪鑢を頼みに行ったのだ。織り子の爪を整えるのに、薄い鑢が必要だったのだ。
ヨナタンは勿論、元王様ケットシー・ギルベルトとエンデュミオンの幼馴染みであるラルスに可愛がられた。幼い妖精犬は当然、元王様ケットシーの保護対象なのだ。
エンデュミオンが他の人に見えない様にニヤリとしたのを、カチヤは見てしまった。見なかった事にしようと思う。
コボルト用の織機は、リュディガーがギルベルトと一緒に来た時に運んでくれた。お礼は孝宏とカチヤの作ったお菓子で良いと言う。
織機はコボルトの自家用型で小さかった。コボルトの身幅より少し大きい程度の幅しか無かったのだ。結局、織機はカチヤとヨナタンの部屋で直射日光が当たらない角に置かれる事になった。
小柄なヨナタンに、織機の踏み板の調整が必要で、椅子作りと合わせて大工のクルトに依頼した。ヨナタン用の宝箱も頼んだので、織り始めるまでにはもう少し掛かる。マリアンに頼んだ糸もまだ届いていない。
ヨナタンは織機が気に入ったらしく、身体を擦り付けて匂い付けをしていた。
カチヤ達はヨナタンに趣味で織らせるつもりだ。ハイエルンが本来の生産地でもあるし、あちらではコボルト織り工房専門のギルドがあると言う。だからもしヨナタンの織った布地を何かで使って売るとしたら、ハイエルンの値段に売値を合わせなければならない。とは言え、リグハーヴスにコボルト織りギルドはないので、ヨナタンもヴァルブルガと同じ服飾ギルドにも入る事になる。
「その時はその時」とカチヤはイシュカと頷き合ったのだった。
テオは隠す事無く、冒険者ギルドと商業ギルドに、ヨナタンの追加情報を報告した。トルデリーゼが<Langue de chat>に本を借りに来た時、カチヤに頼んでヨナタンと会わせているので、外見情報も伝えた事になる。
人狼のトルデリーゼに、ヨナタンは尻尾を振って好意を示した。人狼と妖精犬は友好度が高い。集落も近い場所にある事が多いと言う。
リグハーヴス領主アルフォンス・リグハーヴス公爵は、冒険者ギルドと商業ギルドの報告を受けて、ハイエルン領主コンラート・ハイエルン公爵へ、コボルトの移住について親書をしたためたのだった。
「コンラート公!」
コンラート・ハイエルン公爵の元にハイエルンの冒険者ギルドと商業ギルドの長が駆け込んで来たのは、彼がアルフォンス・リグハーヴス公爵からの親書を読み終わった頃だった。
執事に案内されて来た二人を、コンラートは苦笑いで迎えた。
「コボルトの流出の件だろう?リグハーヴス公爵からも知らせがあったぞ」
「笑い事ではございません、コボルトを保護した時点でハイエルンの冒険者ギルドに連絡する事案です。それをリグハーヴスに連れ帰るなど」
「コボルトに意思確認をしたそうだから、そちらが優先だろうに。ハイエルンで拐われて違法労働させられていたのに、ハイエルンの者を信じろと言えるかのう?」
「それは……」
コンラートに言われてしまうと、二の句が継げない。
「しかしコンラート公、コボルト織の織り子は貴重です」
「確かにのう。リグハーヴスからもせっつかれたと思うが、抜き打ちで織物工房全てを立ち入り検査させい。同時刻に一斉でだぞ」
「承知致しました」
「それから、リグハーヴスのコボルトの様子を見させに、強面ではない者を向かわせい。連れ帰るのが目的ではないぞ。既にリグハーヴスの者と契約をしておるからの、そこのところは注意が必要だの。織物をする様であれば、値段の設定を教えてくると良いの」
リグハーヴスでコボルト織を安売りされては、本家ハイエルンの市場が困る。
「承知致しました。直ぐに向かわせます」
ハイエルンで織物工房の一斉立ち入り検査が行われ、違法労働させられていた多数のコボルト達が救出されるのは、二日後の事である。
「ヨナタン」
孝宏の声に、ラグマットの上でルッツと蜂蜜色の本を読んでいたヨナタンはぴょこんと顔を上げた。孝宏はヨナタンの隣にしゃがんだ。
「コボルトって縞模様ばかり織るの?」
「……」
しゅ、とヨナタンが右前肢を挙げる。
「俺の国にも織物があってね、縞模様も有名だったけど、他の柄もあったんだよ。もしかしたら倭之國にはあるのかもしれないけど。見てみる?」
しゅ、と右前肢が挙がる。孝宏はスマートフォンに入れていた織物の画像をヨナタンに見せた。
「これは格子縞、これは霰。これはね、縦糸を計算して染めておいてから織っていくと、模様が浮かび上がる遣り方だね」
「きれいー」
「……!」
色々な技法の織物を見せていく。ヨナタンとルッツは目を輝かせて画像を見ている。フスフス!とヨナタンが鼻を鳴らす。
画像の捲り方を覚えた様なので、ヨナタンとルッツに好きに見させていた孝宏は、イシュカとテオが階段を上がって来たのに気が付いて振り向いた。イシュカは手に紙を持っている。
「どうしたの?」
「招聘状が来た。ヨナタンを連れて領主館に来て欲しいそうだ。全員で行った方が良いだろう。返還請求では無く、現状を知りたいそうだ。仕事が終わってから来てくれと書いてある」
内容からして、急ぎでもないらしい。
「本当はコボルトを見付けたら、ハイエルンのギルドに知らせなきゃいけなかったみたいだな。そうしたらそこで保護されたみたいなんだ」
「……!」
ぶるぶるとヨナタンが顔を振る。それは嫌だったらしい。
「まあね、もうカチヤと契約をしているから、どういう環境で暮らしているかの調査だって」
「閉店したら行く事にしよう」
イシュカとテオは、ヨナタンとルッツを撫でてから店に戻って行った。
何事もなく開店時間は過ぎ、閉店後に孝宏達は身嗜みを整え、エンデュミオンの〈転移〉で領主館前に移動した。
イシュカはヴァイツェア公爵の第二位継承者になっているので、正面扉から入らないとアルフォンスも困る。
ノッカーを鳴らすと執事のクラウスが扉を開けた。
「お招きにより参上致しました」
「お待ちしておりました。どうぞ、ご案内致します」
クラウスについて応接室に案内される。部屋の中は暖かく保たれていたが、想像通り無人だった。
ソファーに座って待っていると、メイドがお茶とお菓子を運んで来た。
カップに注がれたお茶を、ケットシーとコボルトがスンスンと香りを嗅いで毒見する。主を守る習性である。
「ふうん?イェレミアスは腕を上げたな」
マドレーヌの様な焼き菓子を摘まみ、エンデュミオンは目を細めた。中に杏のジャムが仕込んであって美味しい。
カチヤの膝の上に居るヨナタンも、口に入れて貰い尻尾を振っている。
十分程お茶を楽しんでいるとドアが開き、アルフォンスと採掘族と平原族の男性が現れた。ハイエルンから来たらしい二人は、どちらも温厚そうな顔をしていた。平原族の方は魔法使いのローブを着ている。恐らく魔法使いギルドの転移陣を使って来たのだろう。
イシュカ達はソファーから立ち上がって会釈した。アルフォンス達がソファーに腰を下ろしてから座り直す。
「この度はコボルトを保護して頂き有難うございます」
お互いに自己紹介の後、採掘族の青年が頭を下げる。彼の名前はヘルムフリート、平原族の魔法使いはヨルンと言う名前だった。
「会ったのは偶然だったんですが、ハイエルンのギルドにその場で連絡する機転が無くて申し訳ありませんでした」
「ごめんね」
テオとルッツも頭を下げる。
「いえ、コボルトには主があった方が安全ですし、結果的には良かったかと。一応確認しますが、ヘア・カチヤとヨナタンがハイエルンに移住する予定はありませんか?」
「……!」
ブンブン!とヨナタンが頭を振る。断固拒否の様だ。カチヤもやんわりと断る。
「私はまだ修行を始めたばかりの徒弟の身ですから」
「解りました。その様にハイエルン公爵に申し伝えます」
ヘルムフリートは背中に嫌な汗をかいていた。ケットシー三人の目がギラリと光ったからだ。この話題はもう無しだ。
「ふん、安心すると良い。ヨナタンの事はラルスとギルベルトも可愛がっているからな」
「ラルスとギルベルトと言うのは……?」
ヨルンが恐る恐るエンデュミオンに訊く。
「ケットシーだ。ギルベルトは元王様ケットシーだ。何かあれば、五人全員で呪ってみせよう」
ニヤリと笑ってエンデュミオンが孝宏の膝の上で胸を張った。
「それは心強いですな」
ヘルムフリートとヨルンは笑うしかない。ハイエルンがヨナタンの返還を求めていれば、リグハーヴス中のケットシーに呪われるところだったのだ。アルフォンスも知らなかった証拠に顔が引きつっていた。
ヘルムフリートは話題を変える事にする。
「ところでヨナタンは織物をしそうですか?」
しゅっと、ヨナタンの右前肢が挙がる。
「仕立屋のフラウ・マリアンからコボルト用の織機を譲って貰えましたので、好きに織らせるつもりです。ですが、売る目的で強要するつもりはありません」
イシュカが代表して説明した。
「もしヨナタンの織った布地を売る時の為に、布地の大きさ別の価格表を持って参りました。これは服飾ギルドや仕立屋に卸す値段です。<Langue de chat>で小物などを作った場合は、この値段に手間賃を上乗せして下さい」
「解りました」
コボルト織は決して安くはない。ハルドモンド銀貨から金貨の値段が書かれていた。これが服飾ギルドや仕立屋に卸す値段だとするならば、これらの場所からコボルト織を購入しようとすれば、更に金額が上がる。
コボルト織の織り子である職人型コボルトを抱え込めば、手間賃を取られないと短絡的に考える者が居ても不思議はない。
職人型コボルトが拐われて集落から減る事で、織り子を継ぐコボルトが減っているのだろう。そしてコボルト織の価格が上がる。悪循環だ。
「あの、ヨナタンみたいに拐われていたコボルトはどうなるんでしょう?」
カチヤはヘルムフリートを真っ直ぐに見詰めた。ヘルムフリートは笑みを返した。
「先日一斉立ち入り検査をしましてね、違法労働させられていたコボルトは集落に帰しました。工房主も刑罰を与えるべく、余罪を追及しています。ヨナタンの工房主も捕らえましたよ」
テオが居る方から「工房主を殴り損ねた」と言う声が聞こえた。
「コボルトを誘拐している冒険者も、捕らえた工房主から聞き出しています。人狼にも協力を頼んでいます。逃がしません」
「あー、それは良い」
テオは口元を掌で覆った。笑いを隠しているのかもしれない。
コボルトを可愛がる人狼が犯人を許す訳がない。冒険者ではない集落の人狼に協力して貰ったのならば、条件はきっと「死んでなければ良しとする」だろう。
〈治癒〉があるので治せるし、捕り物中に少しばかり怪我をしても仕方がない。
「事前に頂いていた情報と、実際に会って確認出来ましたが、ヨナタンは北方コボルトですね。ハイエルンには北と南にコボルトの集落が分布していまして、毛並みの色の濃さが異なるのです。北方コボルトの方が毛色が淡いのですよ。それから、北方コボルトは感情豊かですが、無口です。これは寒い場所に住んでいるからか、感情のままに喋ると賑やか過ぎるからかは謎です」
「……納得しました」
<Langue de chat>の面々は全員頷く。流石のグレーテルも北方コボルトの習性までは知らなかったらしいが、強ち間違っていなかった。
「ハイエルン公爵はヨナタンの穏やかな暮らしを望んでいます。どうか可愛がって下さい」
「勿論です。ね、ヨナタン」
問うカチヤに、ヨナタンは右前肢を挙げる。
こうしてハイエルンからの訪問者との面会は円満に終わり、帰り際エンデュミオンの隠れファンだったヨルンが握手を求めて感激に震えるという一幕もあった。
ヨナタンが織り出した布地が少しばかり騒動を起こすのは、また別のお話。
孝宏、ヨナタンに縞柄以外の織物を教えてしまいました。
ヨナタンは喋らない事に苦を感じないタイプ。身振り手振りで普通に会話が成り立ちます。
でも、喋る時は普通に喋ります。




