妖精犬と逃避行
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
テオとルッツ、コボルトとバレない様に脱出です。
104妖精犬と逃避行
パチリと妖精犬は目を覚ました。びくんと身体を振るわせてから、力を抜く。コボルトの両隣には昨日会ったばかりの青年と妖精猫が眠っていた。
彼らはコボルトを叩く事もなく保護し、風呂に入れてくれ、食事も摂らせてくれた。
ケットシーは善人にしか憑かない。もし主が悪人になった場合は、見捨てて〈黒き森〉に帰ると言う。
小さなコボルトは今よりもっと小さな頃に、集落の近くで遊んで居た時に人の冒険者に拐われて売られた。
織物工房の片隅に繋がれてひたすら機織りをさせられていた。コボルト織は独特の縞模様で好事家に人気がある。数が少ないのでそれなりに高価だ。
コボルトは工房主にばれない様に、少しずつ首輪の内側に切れ込みを入れていき、吹雪の気配を待って脱走したのだ。
工房主はコボルトに名前を着けなかったし、例え名前を着けられていても認める気はなかった。つまり、コボルトは誰とも主従契約を結んでいない。工房主は、もしコボルトを買ったのが役人に判明した時には、主従契約を結んでいない、保護したのだと、しらばっくれるつもりだったのだろう。
吹雪に巻き込まれる前に宿屋の馬小屋に潜り込んだが、テオとルッツに見付かってしまった。殴られるのかまた売られるのかと泣きそうになったが、彼らはコボルトを保護する気満々だった。
テオが怒りの感情を滲ませたのは、コボルトが不衛生で叩かれる生活をしていたと察した時だった。きっと、テオはとても強い。そして優しい。
既にルッツが憑いているから、テオに憑く気はないが、誘われるままリグハーヴスに付いて行っても悪い事にはならないだろう。
「ん……?」
テオが目を覚ました。コボルトが起きているのに気付いて、掛け布団の上からお腹を撫でてくれた。
「まだ寝てても良いんだよ?」
まだ早い時間だったらしい。クウ、と鼻を鳴らしてコボルトは素直に目を閉じた。
テオが起きた時、コボルトは青い眼で天井を見上げていた。「まだ寝てても良いんだよ?」と言えば、再び眠り始めた。
ルッツと同じ年頃だと言うのに、かなり気を張っている。やはり、このコボルトを拐った関係者をぐーで殴りたい。いや、ルッツが呪うのが先かもしれないが。
ルッツとコボルトを起こさない様にベッドから抜け出て、窓の外を見る。窓硝子に雪がこびりついていたが、吹雪は過ぎた様だ。この分ならば、リグハーヴスを目指して進める。
コボルトを寝返りで潰さない様に気を付けていたので少々強張った身体を湯に浸かって解し、テオが部屋に戻った時には、ルッツもコボルトもまだ寝ていた。
清潔な服に着替え、寝巻き代わりにしていたシャツと昨日着ていた服を三人分、精霊魔法で洗う。コボルトの着ていたぼろぼろの服も別に洗った。特にズボンはコボルト織で作られていたので、〈針と紡糸〉のマリアンが見れば何処の物か解るかもしれないからだ。
風の精霊魔法で乾かした服を軽く畳み、ベッドの端に置く。コボルトが着ていた服はきちんと畳んで、孝宏が〈風呂敷〉と言っている大きさの布で包んで振り分け鞄に入れた。
コボルトは靴を履いていなかった。きっとずっと室内にいたのだろう。肢の肉球も軟らかかった。
「……」
二度寝していたコボルトがむくりとベッドに起き上がった。バスルームを見て、テオを見る。
「トイレかな?」
踏み台が無いので、ルッツやコボルトは一人でトイレを使えないのだ。抱き上げてバスルームに運びトイレを使わせ、ついでにお湯にも浸からせてやった。
「……」
ぱしゃぱしゃとお湯の中で、尻尾が揺れているので、気持ちいいらしい。綺麗になってふわふわの毛を取り戻したコボルトに服を着せてやる。
「うー」
ルッツはその頃漸くベッドの中で眼を半分覚ましていた。
「……」
ベッドに上がったコボルトが、俯せのルッツの背中をぽんぽんと叩く。もぞりとルッツが動く。
「あい……」
「お風呂行くぞー」
ふらふらと起き上がったルッツを掬い上げ、テオはバスルームに向かう。コボルトが足元をちょこちょこと付いて来た。コボルトに見守られながらルッツをお湯に入れ、着替えさせてから、テオは朝御飯を食堂に取りに行った。
「お早うございます」
「お早うさん」
この宿では朝食のメニューは一種類と決まっている。今朝はオムレツと温野菜サラダ、絶叫鶏の旨味たっぷりスープ、白パンもしくは黒パンだった。
テオは白パンを選んで、朝食を部屋に運んだ。勿論蜂蜜入りのミルクは忘れない。
持ち歩いている茶葉で紅茶を淹れ、朝食にする。
「今日の恵みに、女神シルヴァーナに感謝を」
「きょうのめぐみに」
「……」
「良く噛んで食べるんだぞ」
「あい」
「……」
こくこくと頷いたコボルトが、真っ先に蜂蜜入りのミルクを飲んで、ぱあっと嬉しそうな顔になる。どうやら気に入ったらしい。<Langue de chat>に帰ったら、栄養補給の為に霊峰蜂蜜入りのミルクを飲ませようかと思う。
「おいしー」
白パンにスープを吸わせて口に入れたルッツが、頬に両前肢を当てる。それを見て、コボルトも両前肢を頬に当てた。
「うん、美味しいね」
綺麗に朝食を食べ終え、食器を食堂に返して来てから、荷物をまとめ直した。
「コボルトをどうやって隠すかだなあ」
少し考え、テオは振り分け鞄に細く丸めて留めていた茶色の毛布を広げた。大きめに畳んでコボルトを包んだ。
「少し我慢出来る?」
「……」
こくんとコボルトが頷いたので、これで行く事にした。外が寒いので、毛布を使っても違和感はない。
テオはコートを着て、ポーチとナイフが付いたベルトを腰に留めた。ルッツにもフード付きケープを着せた。コボルトは上着が無いので、テオの眠り羊のセーターを上から着せる。
ルッツが足元を歩き、荷物とコボルト入りの毛布を抱いたテオは、無事に宿の支払いを終え鍵を返した。
「随分立派な馬橇だな……」
宿の前に馬車に車輪ではなく橇を下部に付けた物が停まっていた。昨日馬小屋に居た青年が馬橇の馬を繋げていた。
「お早うございます」
「お早うございます。すみません、お待たせします」
「いえ、自分で鞍を着けますから構いませんよ。立派な馬橇ですね」
「昨日遅くに来られたお客様のですよ。何でも捜し人らしいです。……それもコボルトだそうですよ」
最後は小声で青年が囁いた。テオは惚けて訊いてみる。
「へえ。コボルトって殆どハイエルンに隠れ里があるんですよね。中々遭遇出来ないと聞きますけど」
「ハイエルン生まれでもそうですよ。コンラート・ハイエルン公爵になられてから、隠れ里の保護が強化されたんですが、今でも時々コボルトが拐われるそうです。お客様の事を悪く言うのは失礼ですが、あのお客様も正式に契約しているのかどうか怪しいものです」
青年が溜め息を吐く。
「ヘア・テオのケットシーの様に、コボルトも大切にされると良いのですが」
ハイエルンではコボルトが不遇なのだ。意思疏通が出来る妖精だと言うのに。
テオは青年に挨拶をして、馬小屋に入った。馬房の端に荷物とコボルト入りの毛布を置き、ルッツに傍に居て貰う。寒いからか、コボルトも大人しくしている。
愛馬に手綱と鞍を着け、しっかり腹帯が締まっているか確認してから、振り分け鞄を載せる。雑嚢を背中に背負い、馬を馬房から引き出し、片手で横木を戻す。
「ルッツ」
「あい」
ルッツを馬に乗せ、コボルト入りの毛布を背中から抱えて貰い、二人をロープで結ぶ。
「よっ」
ルッツの後ろに跨がり、テオは軽く馬の腹を蹴った。パカパカと馬が宿の前に出て行く。
「お世話になりましたー!」
「行ってらっしゃいませ!」
馬橇の横に居た青年に声を掛け、テオは馬を速足で走らせ始めた。村から出て暫く走った所で、風の精霊の力を借りて地吹雪を起こして姿を隠し、ルッツに〈転移〉でリグハーヴス領内に一気に移動して貰った。
(ずるい手だけど、他領には簡単に手を出せないからな)
「ルッツ、コボルト、寒くないか?」
「だいじょうぶー」
ぽこ、とコボルトが毛布から顔を出した。フスフスと鼻を鳴らす。厚めの耳がぴるぴる動く。
「ここからなら夕方には<Langue de chat>に着く。お昼は携帯食糧で我慢してくれな」
「ヒロのグラノーラバーおいしいよ」
確かに甘いので、ルッツにしてみればおやつの様なものだろう。
視線を感じ眼を落とすと、じっとコボルトが振り返っていた。テオは馬を停め、腰のポーチから蝋紙に包まれたグラノーラバーを取り出した。端を折り、コボルトの口に入れてやる。カリカリと音を立ててグラノーラバーを噛み、フスフス!と興奮して鼻を鳴らすコボルトの顎の下を撫で、ルッツにもグラノーラバーの欠片を食べさせる。
「おいしー」
「残りは後でな」
ルッツの頭を撫で、グラノーラバーをしまう。孝宏が味の良い携帯食糧を持たせてくれるので、ルッツがぐすった時にもおやつ代わりにあやせたりする。
「次の休憩で温かい物飲もうな」
「あいっ」
「……」
右前肢を上げるルッツと、こくこく頷くコボルト。
「じゃあ、寒いからな」
ルッツにフードを被せ、コボルトの頭を毛布の中に戻す。
凍てついているが薄青く晴れている空の下、テオはリグハーヴスの街に向けて馬を走らせた。
コボルトも人に憑かなければ、基本的には集落から出ません。
その為名前も仲間内で解る呼称で呼ばれ、本名はありません。
ケットシーと同じで善人が解るので、テオに付いて来ました。




