表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/448

テオとルッツと妖精犬

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

テオとルッツ、妖精犬と遭遇する。


103テオとルッツと妖精犬コボルト


 黒森之國くろもりのくにの北西部にあるハイエルンの二の月は、時折暴風雪に襲われる。

 西の空から白くけぶる黒い雲がじわじわと広がって来るのを見て、ルッツは「ふぶきになるよ」とテオに教えた。

 テオも吹雪の気配に気が付いていたので、無理をせずに一番近い村へと馬首を向けた。既に囲壁いへきのある街を出てしまっているので、村の宿か教会に泊めて貰うしかない。

 最悪の場合はルッツの〈転移〉を使うが、普段は馬や乗り合い馬車を使って移動している。

「なんとか間に合ったかな」

「まにあったー」

 本格的に雪が降り始める前に、テオとルッツは村を囲む防風林の内側に入った。そして何度か世話になった事のある宿屋の前に辿り付き、馬繋ぎ棒に馬の手綱を結わえた。

 雑嚢ざつのうと振り分け鞄を手に取り、足元を歩くルッツを連れて宿屋のドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

 カウンターには顔馴染みの女将が立っていた。

「あら、お久し振りね」

「お久し振りです。吹雪きそうだから御厄介になりたいんですが、部屋空いてますか?」

「いつもの一人部屋ならあるわ。吹雪で足止めされた人が他にも居てね」

 奥の食堂から賑やかな声が聞こえてくる。

「それで構いません」

 この宿は部屋代と食事代が別なのだ。ルッツと二人で使っても部屋代は変わらない。そもそもテオはルッツと一緒に寝るので、ベッドは一つで良い。

「はい、これ鍵よ。食堂が混んでるから、食事は部屋に持って行ってゆっくり召し上がって頂戴」

「有難うございます」

 テオとルッツは一度部屋に行き、荷物を置いてから馬を馬小屋に置きに行った。

 店の中も混んでいたが、馬小屋も混んでいた。テオ達に気付いたのか、奥の馬房から青年が顔を出した。

「申し訳ありません。空いている馬房に入れておいて下さいますか。こちらの後にお世話します」

「解りました」

「テオ、ここあいてる」

「ん」

 近くの馬房が空いていた。テオは横木を外して馬を中に入れ掛け、動きを停めた。馬房の隅に黒い小さなものがうずくまっていた。

「おっと、危ない」

 このまま馬を入れたら蹴られてしまうかもしれない。馬の首筋を軽く叩いてなだめ、テオはルッツを見下ろした。

 ルッツは変えたばかりらしい敷き藁の上をサクサク歩いて、蹲っている黒い物に近付いた。

「こんちはー」

「……」

 返事をしない相手を、ルッツは覗き込んだ。

「ここにおうまさんいれるから、あぶないよ?」

「……」

「ルッツとテオのところいこ?」

 ルッツの差し出した前肢をおずおず握って、小さな影は立ち上がった。立ち上がってみると、ルッツと大きさは殆ど変わらなかった。

 二人が出て来たのを見て、テオは馬房に馬を入れた。横木を渡し、鞍を外して鞍掛に載せ、背中に冷えない様に毛布を掛けておく。

「良し」

 テオは横木を潜って馬房から出て、ルッツと隣に立つ者の前に屈んだ。二人はまだ手を繋いでいた。

「……」

 黒いぼろぼろの布を頭から被ったのは、人ではなかった。口元が出ている獣の顔だった。

(犬……?)

 しかし直ぐにテオはそれを否定した。犬はこんな風に二足でずっと安定して立ち続けたりしない。

「……妖精犬コボルト?」

 びくりと小さな身体が震えた。当たりらしい。

「誰かと一緒に来たのかい?」

「……」

 ふるふるとコボルトが首を振った。

「そうか。ここに居ても見付かってしまうから、俺達の部屋においで」

 キュウ、とコボルトが鳴いた。

「だいじょうぶ、テオはルッツのなの」

 ケットシーを連れている者に悪人はいない。

「ルッツ、部屋まで〈転移〉して」

 コボルトを連れて宿屋の中を通る訳にはいかない。

「あい」

 次の瞬間には荷物を置いてある部屋の中に立っていた。部屋に鍵が掛かっているのを確認してから、テオは腰のポーチ付きベルトを外し、ナイフも外してベッドの上にまとめて置いた。コートも脱いでハンガーに掛ける。

 丸腰である事をコボルトに見せてから、ルッツのフード付きケープも脱がせる。

「布を取って良いかな?」

「……」

 こくんとコボルトが頷いたので、テオは身体に巻き付けられていた黒い布を取ってやった。ぼろぼろの布の下には擦りきれたシャツとズボンを着ていた。シャツは元の色が何色か解らない位に汚れている。

「……ルッツ、この子幾つ位?」

「ルッツとおなじくらい」

 つまり子供だ。チリッとテオの胃の底が怒りで熱くなった。

 コボルトは殆どがハイエルンに隠れ里を作って暮らしている。手先が器用で織物や細工物を得意とし、身体の大きなコボルトや、人間と契約したコボルトが村や街に売りに行く。

 黒森之國では奴隷は犯罪者以外認められていない。しかし、大人しいコボルトは時折集落から出ているところを拐われる場合があった。

「もしかして、拐われた所から逃げて来たのかな?」

「……」

 こくり、とコボルトが頷いた。首輪はしていなかったが、していた跡が毛に残っていた。

「自分の集落の場所は解る?」

 今度は首を横に振った。帰る場所はないらしい。もっと幼い時に拐われたのなら、仕方がないのかもしれない。

「俺達はリグハーヴスに住んでいるんだけど、一緒に行くかい?<Langueラング de chatシャ>って言うルリユールなんだけど、皆良い人だから」

 エンデュミオンに認められれば、このコボルトをもし追って来た者が居ても、盛大に呪われるだろう。

「……」

 こくん、と小さいコボルトは頷いた。


 まずは汚れの激しいコボルトを風呂に入れる事にする。服を脱がせ、部屋に付いているバスルームに連れて行く。ルッツもとことこ付いてくる。

「……」

 バスタブに入れた途端、コボルトの上向きに巻いていた尻尾がくるりと股の間に入ってしまった。

「そんなにお湯溜めたりしないから、怖がらないで」

 蓮口から温めのお湯を弱く出し、毛を濯いでいく。流れていくお湯が濁らなくなってから、お湯の温度を上げてバスタブに浅く張る。今度はバスキューブを入れたので、もわもわと泡が立つ。

「……!」

 コボルトは澄んだ青い眼を瞬かせ、前肢で泡を掴もうとする。少し楽しそうだ。コボルトの前肢は、犬と人を合わせた感じだ。指は長めだが、爪が犬の爪なのだ。そしててのひらは肉球の様にプニプニしている。

「はい、洗うよ」

 脅えさせない様に気を付けて、優しい手付きでコボルトを洗う。頭を洗おうとした時、びくりと震えたので、日常的に叩かれていたのだろう。コボルトを拐った犯人を見付けたら、絶対ぶっとばしてやろうとテオは決めた。

「良い子だね。泡を流したらおしまいだからね」

 誉めながら洗い上げ、バスタブの栓を抜いて泡を流してやる。

「頑張ったね」

「テオ、あい」

「有難う、ルッツ」

 ルッツが持っていてくれた浴布トゥーフでコボルトを包み、水気を拭いてやる。

「自分で乾かせる?」

「……」

 ふるふると首を横に振る。コボルトは精霊ジンニー魔法を得意とする者と、職人として手先が器用な者とに分かれる。つまりこのコボルトは、職人型なのだろう。

「あいっ」

 ルッツが風の精霊(ウィンディ)に頼んで、コボルトの毛を温かな風で乾かしてやった。乾いてみると、コボルトは明るい小麦色の毛並みだった。長毛種でなかったので、手入れしていなくても悲惨な事にならなかったのだろう。

 フスフスと鼻を鳴らして、コボルトがルッツに頬を擦り寄せる。お礼を言っているらしい。

「ルッツ、この子にルッツの服を貸してあげても良い?」

「あいっ」

 身体の大きさが殆ど変わらないので、ルッツの服で着られる。但し、<Langue de chat>に来たばかりのヴァルブルガと同じく、ガリガリだった。

 振り分け鞄から着替えを出して、テオはコボルトに着せてやった。恐らく栄養失調なのか、ぶるぶる震えているので、眠り羊のセーターも着せる。

 それから、テーブルをベッドに近付けた。二人用のテーブルなので、椅子が足りない。ベッドも椅子代わりだ。

「ご飯持って来るから、二人で待っていてね。俺以外にドア開けなくて良いからね」

 そもそも身長的にドアノブに手が届かない二人だが、一応言っておく。

「あい」

「……」

 同意の印に、ルッツとコボルトが右前肢を上げた。

 テオは部屋のドアに鍵を掛けてから、食堂に降りた。吹雪で足止めされた商人や冒険者で賑わう中を抜けて、調理場のカウンターへ行く。

「今日のメニューはこれだよ」

 白い服を着た料理人が、メニューを書いた紙を滑らせる。テオは料理人に部屋番号のついた鍵を見せ、メニューに目を通してから、注文した。

「そうだな……蜂蜜ホーニック入りのミルク(ミルヒ)を二つ、人肌でストロー付けて。それと白パン(ヴァイスブロェートゥ)潰した芋(カァトッフェルブライ)付きの狂暴牛のシチュー、プフィァズイッヒェの蜜煮を二人分」

 ここの料理は盛りが良い。それに三人分頼む訳にはいかない。テオとルッツは二人で宿台帳を書いている。常連なので、食事量が増えると後で怪しまれるかもしれない。

 携帯用の食器は持ち歩いているので、取り分ければ良い。

「はい、お待ちどうさま」

 大きめの盆の上に、鉢に入ったシチューと芋、桃の蜜煮が載せられる。それに大振りの陶器のコップに入ったミルク。取り皿とカトラリー、持ち手付きの籠に山盛りの白パンが追加される。

 部屋にティーポットとカップ、お湯が沸かせる熱鉱石入りのポットは備え付けられているので、お茶は淹れられる。

 少々重い盆を持って二階にある部屋に上がる。

「ルッツ、開けてー」

 中から鍵が回り、ドアがキイッと開いた。部屋の中に入り、テーブルに盆を置く。腕に通していた籠も置いてから振り返ると、ルッツがドアノブから飛び降りてドアを前肢で押して閉めていた。

 身軽なケットシーは、ドアノブに飛び付けるのだ。ドアを開ける時は、横の壁を蹴っているに違いない。テオが一応注意したのは、この為である。

 ドアに鍵を掛け直し、テオは椅子に枕を載せて、ルッツとコボルトを座らせた。衣装箪笥の中に予備の枕があったので、拝借した。

「ごはんー」

「……」

 二人の口元が気のせいではなく濡れている。かなり空腹の様だ。

 テオはスタイを振り分け鞄から取り出して、ルッツとコボルトの襟元に着けた。それから、ミルクのコップにストローを挿して、白パンを皿に一つ載せて二人の前に置いてやる。

「お腹空いている時に一気に食べると、お腹痛くなるから、先ずはこれをゆっくり食べてて。その間にシチューのお肉切るから」

 根野菜ごろごろのシチューは肉も大きかった。ナイフで一口大に野菜と肉を切り分け、小鉢に注ぎ分ける。テオの分は携帯食器に注ぐ。

 コボルトは「きょうのめぐみに!」と言うルッツの食前の祈りを待ってから、ミルクをストローで吸った。

「……!」

 ぱあっと驚いた顔になる。次に白パンを千切り口に入れ、あぐあぐと噛んでぱあっとまた目をみはった。

「沢山あるから、慌てなくて良いよ」

「……」

 フスフスと鼻を鳴らして頷く。コボルトも喋る筈だが、今のところこの子は口を利かない。外傷性なのか心因性なのか、魔女グレーテルの診察を受けさせるべきだろう。

 ゆっくりとシチューも食べさせたが、お腹を痛がる様子は無いのでホッとする。

「甘い桃の蜜煮もあるんだよ」

「ももー!」

「……!」

 ルッツも喜んでいるが、コボルトの尻尾もブンブン振られている。人狼と同じで尻尾に感情が現れやすいので、誤解しなくて済むのが有難い。

 桃の蜜煮も食べ、残っていたミルクに紅茶シュバルツテーを継ぎ足した物を飲み干し、ルッツとコボルトは満腹になったのかうつらうつらし始めた。

「歯磨いて無いぞ」

「あいー」

 まず予備の歯ブラシでコボルトの歯を磨いて服を脱がせ、ベッドに入れてやる。

「寝て良いからな」

「……」

 返事の代わりに寝息が聞こえた。ルッツも歯を磨いて、身体をお湯で絞った布で拭いてからコボルトの隣に寝かせる。取り合えず、テオが寝る場所はある様だ。

 食べ終わった食器を盆に載せて食堂に返しに行った。代金は宿を出る時、鍵の返却時にまとめて請求される。

 部屋に戻って来たテオは携帯食器を洗って拭き、巾着に入れて振り分け鞄にしまった。

 風呂に入ってからベッドの端に潜り込む。ルッツとコボルトの寝顔を見てから、テオはそっと光鉱石のランプを消した。



ハイエルンにはリグハーヴスのケットシーの里と同様に、コボルトの里があります。

リグハーヴスと違って、コボルトはハイエルンでは不遇です。

コボルトは職人型と魔法使い型の二種類の属性があり、体色は北が茶色、南が黒褐色です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ