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イシュカとフォクルハルト(後)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

いつか旅行に。


102イシュカとフォルクハルト(後)


 チチ、チチと言う小鳥のさえずりで、フォルクハルトは目を覚ました。

 ラベンダーの香りがほんのりする清潔な寝具のお陰で、夜中に目を覚ます事もなく熟睡していた。

 客間のドア越しに、住人が動き回る音が微かに聞こえていた。持って来ていた魔銀ジルバー製の懐中時計の針は、七時を回った所だった。

 ベッドから起き上がりドアを開ける。廊下の奥にあるバスルームから、テオと錆柄さびがらのケットシールッツが出て来たのと目が合う。ルッツが何も着ていないので、顔を洗って来たのだろう。

「おはよー」

「おはようございます。フォルクハルト」

「おはよう。テオ、ルッツ」

 昨夜の夕食時に敬称は付けなくて良いと頼んだので、テオが気軽に挨拶して来た。ちなみにケットシーは誰にも敬称を付けない。

 二人と入れ代わりでバスルームを使う。熱めのシャワーを浴びて目をしっかりと覚ます。

 着替えて居間に向かう途中から、美味しそうな香りがして来た。

「おはよう」

 ヴァルブルガをケットシー用の椅子に座らせながら、イシュカがフォルクハルトに笑い掛ける。

「おはよう」

「おはようございます。食べられない物ってありますか?」

 オーブンからホットサンドを取り出して皿に載せ、孝宏たかひろがフォルクハルトに訊く。既に椅子に座っているエンデュミオンが、じっとフォルクハルトを見ている。

「いや、大抵の物は平気だ」

「良かった。ハム(シンケン)チーズ(ケーゼ)を挟んで焼いたパン(ブロェートゥ)と葉野菜とトマト、コンソメスープです」

 テーブルに料理の載った皿が置かれていく。朝食は大きめの皿にサラダとパンが一緒に載っていた。それにスープカップに薄切りの玉葱と溶き卵がふんわりと浮かぶスープ。皿の上に硝子の小鉢が載っていて、冷凍された大きな紫色の葡萄トゥラウベンが数粒入っていた。収穫期の間に冷凍して置いたものだろう。

「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」

「きょうのめぐみに」

『頂きます』

 それぞれ食前の祈りをして、朝食に手を付ける。

「おいしーねー」

「むう。トマト(トマーテ)、少し酸っぱい」

 エンデュミオンが鼻の頭に皺を寄せる。

蜂蜜ホーニック掛ける?エンディ」

「うん」

「ルッツもー」

「ヴァルブルガも掛けて欲しいの」

「はいはい」

 孝宏がケットシー達のトマトに蜂蜜を垂らしてやる。

「トマトに蜂蜜……?」

「俺の子供の頃は、トマトに砂糖掛けてたんですよ。今程甘くなかったし……ええと、俺の国のトマトは改良されて甘くなったんです。料理として蜂蜜煮と言うのもありますけど」

 不思議そうに呟いてしまったフォルクハルトに、孝宏が律儀に答えた。

「そうなのか」

 〈異界渡り〉の孝宏の知識が、イシュカや<Langueラング de chatシャ>に恩恵を与えていると、父親のハルトヴィヒから聞いてはいた。

 どうやって孝宏がイシュカの前に現れたのかまでは聞いていないが、エンデュミオンは最初から一緒に居たらしい。

(良くエンデュミオンと居られるものだな)

 エンデュミオンは稀代の大魔法使い(マイスター)だ。かつて王家はエンデュミオンの力を利用しつつも、死の時までその身を契約により魔法使いのトラムに留め置いていた。ケットシーの身体に生まれ変わっても、エンデュミオンの知識も魔力もそのまま継承していると言う話だ。大魔法使いエンデュミオンと言えば、畏怖の対象だったのだが。

 にも拘らず、孝宏もだがイシュカもテオも平然としているのだ。イシュカの徒弟のカチヤは、エンデュミオンの正体を知っているのか、言葉遣いは変えないが、それとなく歳上の相手に対する態度を取っている。

(う……)

 フォルクハルトと目が合ったエンデュミオンがニヤリと笑う。何か考えている事を読まれている気分だ。

 食事を終えた後、フォルクハルトはイシュカに話し掛けた。

「少し、話したいのだが」

「ああ。じゃあ下に行こうか」

 二人が居間から廊下に出るのを見たヴァルブルガも付いて来た。階段を下り始める前に、イシュカがヴァルブルガを抱き上げる。ケットシーが階段を下りる姿は危なっかしいからだろう。

 階段を下り、先に立つイシュカは一階の居間に入った。

「座って居ると良い」

 ソファーを指差し、イシュカは台所に向かう。慣れた手付きで蛇口のレバーを開きヤカンに水を入れる。料理が得意ではないイシュカだが、お茶は淹れられる。

 お湯が沸くまで少し掛かるので、茶葉の缶とティーポット、カップの用意をして、イシュカは居間に戻った。台所と続いているので、お湯が沸けば解る。フォルクハルトの向かいに座ったイシュカの膝に、ヴァルブルガがよじ登った。

「話とはなんだ?」

「イシュカは……恨んだりしていないのか?」

「恨む?」

 意外そうな顔になったイシュカは暫しの黙考の後、口を開いた。

「特には」

「いや、生まれて直ぐに執事に拐われて孤児院に置き去りにされて、この間まで親に見付けて貰わなかったんだぞ!?本来であれば、ヴァイツェア公爵領の嫡子はイシュカだったんだ!」

 イシュカは気不味きまずげに頭を掻いた。

「そこはなあ、殺されなくて良かったと思っている。置き去りにされた孤児院のシスター達は良い人達だったし、飢える事はなかった。徒弟に入ったルリユールの親方マイスターも徒弟を大切にする人だったし。ついでに言うと嫡子はフォルクハルトの方が良いだろう。正妻の子供なのだし、森林族の多い土地柄だからな。平原族の俺が領主になっても民意を得られるのか解らないと思うぞ」

 孤児に両親が名乗り出るのはかなり珍しいからなあ、とイシュカは笑った。

「そもそも期待などしていないもんだよ」

「何その達観した見解……」

「孤児は何も持っていないからな。俺は名前と家の紋らしきものは解っていたが、平民の家の紋などまともに取りまとめて居ないから、誰の物か解らなかったんだ」

 その時点で既に、イシュカのは母親しか使っていない物だったらしい。子供の頃にシスターも調べたが、解らなかったと言っていた。

「今は店もあるし、家族も居るから不満はないんだ」

 膝の上のヴァルブルガの頭を撫で、イシュカは微笑む。太めの尻尾をぱたんぱたんと上下に振るヴァルブルガが目を細める。

「ん?」

 ちりん、ちりん。

 店のドアの上部に付けてあるベルが小さく鳴るのが聞こえた。誰かがドアを叩いているのだ。

「誰だろ。一寸見てくる」

 膝からヴァルブルガを下ろし、ソファーから立ち上がったイシュカが店に出て行く。ヴァルブルガも後を追い掛けて行き、二人が戻って来た時には、人数が増えていた。叔父のリュディガーと見た事の無いケットシーが居た。

「リュディガー!?」

「あ、本当に居た。エンディから精霊ジンニー便が来て。フォルクハルトが来ているからって」

 リュディガーは腰丈の大きなケットシーを連れていた。黒いが襟元のふわふわした毛が雪の様に白い。大きなケットシーはヴァルブルガを抱いていた。

「ええと、この大きい子は……?」

「ギルベルトだよ。兄さんに聞いていない?」

「名前だけは聞いていたけど……」

 こんなに大きいとは聞いていない。

 ギルベルトは緑色をした大きなアーモンド型の瞳で、じっとフォルクハルトを見ている。目が大きい分、見られている感が半端無い。

「お湯が沸いたな」

 しゅんしゅんと台所から、ヤカンが湯気を立ち上げる音が聞こえ始め、イシュカがすたすたと向かって行く。

「座って、座って」

 ヴァルブルガに勧められ、フォルクハルトとリュディガー、ギルベルトがソファーに腰を下ろした。ヴァルブルガはギルベルトの膝の上だ。大人のケットシーが子供のケットシーを膝に載せている様に見えるが、ヴァルブルガも一応大人のケットシーの筈だ。

「フォルクハルトはイシュカに会いに来たの?」

「ああ」

 新年祝賀会ノイヤァフレヤァの時、王と領主達の会議の後、「急用につき先に戻る」言付けだけを残して姿を消したハルトヴィヒ。

 置いていかれたと機嫌を損ねた母親とヴァイツェアに戻ってみれば、ハルトヴィヒは側妃と共にリグハーヴスへと旅立っていた。

 フォルクハルト達も、そこで漸くイシュカの存在をメイド長から聞かされたのだった。何故メイド長からかと言うと、執事は既に拘束されていたからだ。

 しかし、ハルトヴィヒが知るより先に、リュディガーはイシュカと知り合いになっていたと言うのだから、巡り合わせと言うものは解らない。

 イシュカがお茶を運んで来て、フォルクハルトの隣のソファーに座る。

「イシュカもリュディガーもヴァイツェアには来ないのか?」

「俺は店があるからなあ、そのうち皆で旅行には行きたいと思っているけど」

 <異界渡り>とケットシー三人が移動するので、事前にリグハーヴス領主アルフォンスとヴァイツェア領主ハルトヴィヒに連絡しなければならない気がする。

「俺もマリアンが居るからなあ。樹木医の仕事以外では戻らないかも」

 マリアンはいまだにヴァイツェアでは立場が無いのだ。マリアンが悪い訳では無いのに。

「そうか。もし来るなら連絡してくれ。歓迎するから」

「フォルクハルトの母君は大丈夫なのか?」

「執事の仕業には怒り狂っていたから、平気かな。曲がった事が嫌いなんだよ、あの人」

 ハルトヴィヒの正妃イングリットは誇り高い性格をしているのだ。イシュカの母である側妃エデルガルトと率先して仲良くなろうともしなかったが、嫌いもしなかった。

 既に公爵の跡継ぎとしてはフォルクハルトで決まっているし、今更イシュカがヴァイツェアに旅行に来ても、騒ぎ立てたりしないだろう。返ってハルトヴィヒの不興を買ってしまう。

「ヴァイツェアとはどんな所なんだ?」

「森林族の集落は巨木が多くて、それを用いたツリーハウスもある。領の中央には湖があって、湖の中の島に大魔法使いフィリーネが住む魔法使いギルド本部があるんだ」

「へえ、それは凄い」

「他にも森の中に大きな滝があって、滝の裏に洞窟がある」

「それはどこに繋がっているんだ?」

 夢中になって話す年上の甥二人であるイシュカとフォルクハルトを、クッキーを摘まみつつ、リュディガーはヴァルブルガとギルベルトと一緒に、にこにこしながら眺めていた。

 子供の様にはしゃぐフォルクハルトを見るのは初めてだなあ、と思いつつ。


 <Langue de chat>で三日過ごしたフォルクハルトは、ヴァイツェアから来た「フォルクハルトはそちらに行って居ないか?」と言う精霊便により、帰る事になった。

 何でも、何処に行くのか言わず、しかも一週間掛けてリグハーヴスまで来ていたと言う。

「魔法使いギルドの転移陣を使えば良かったではないか」

 呆れ顔でエンデュミオンが言うと、フォルクハルトは顔を顰めた。

「兄に会いに行くのに、使わせて貰えるか解らないではないか」

「<Langue de chat>に関わる事で、フィリーネが許可を出さない訳が無かろう」

「では、次からは使わせて貰う」

「そうしろ。余りハルトヴィヒを慌てさせてやるな。送って行ってやろう」

 荷物を纏めるフォルクハルトの腕を前肢でぺしぺし叩き、エンデュミオンが気前の良い事を言う。確かにエンデュミオンならば、〈転移〉はお手の物だろう。

 孝宏の作った菓子や、<薬草ハーブ飴玉(ボンボン)>の飴の詰め合わせなどを土産に詰め、来る前よりも荷物が増えた。

「フォルクハルト」

 とことこ足音を立てて、ヴァルブルガが客間に入って来た。

「ヴァル」

「抱っこして欲しいの」

「うん?」

 言われるままに抱き上げると、ヴァルブルガはぎゅっと抱き着いた後に、フォルクハルトの額にぺろりと舐めた右前肢を押し付けた。

「<ケットシーの祝福を>」

「……祝福をくれるのか?」

「うん。フォルクハルトは良い子」

「有難う」

 柔らかい身体を抱き締め返す。このケットシーが憑いているのなら、イシュカは大丈夫だろう。

「フォルクハルト、エンディが魔法陣マギラッドを出すって」

「ああ」

 フォルクハルトはヴァルブルガをイシュカに渡し、荷物を床から取り上げる。居間ではエンデュミオンの他、孝宏達も待っていた。

「魔法使いギルドまでで良いのか?」

「ああ。そこからは船と馬車で移動出来るから」

 実家に直接行かれたら大騒ぎになると思う。エンデュミオンの正体を皆知っているのだ。森林族は無駄に長生きしていない。

「エンディ、大魔法使いフィリーネに渡すお菓子だよ」

 孝宏がエンデュミオンに持ち手付きの籠を渡す。常連客なので行くなら挨拶を、となったのだろう。

「また遊びに来ると良い」

「イシュカも、ヴァイツェアに遊びに来い」

 握手をし、どちらともなく抱擁する。

「では、〈転移〉するぞ」

 イシュカが孝宏の隣に移動したのを確かめ、エンデュミオンが術を発動した。床の上に銀色の魔法陣が浮かび上がり、エンデュミオンとフォルクハルトの姿は直ぐに掻き消えた。


 数分後、事前連絡も無くエンデュミオンの突撃訪問を食らうフィリーネの悲鳴が、ヴァイツェアの湖に響いたのだった。


エンデュミオンがヴァイツェア公爵家へ直接行ったら、「呪われる!」と大騒ぎになるでしょう。イシュカが保護者をしている孝宏のケットシーなので。

それはそれで面白いな、と思ったエンデュミオンですが、実行していません。


この時、突撃訪問された魔法使いギルド本部は大騒ぎになりました。エンデュミオンは魔法使いの頂点に居る存在なので。

でも、フィリーネにお菓子を届けに来ただけなので、エンデュミオンはさっさと帰っています。

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