イシュカとフォルクハルト(前)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
イシュカの弟がやって来ます。
101イシュカとフォルクハルト(前)
フォルクハルトは苛ついていた。
先日信じられない話をヴァイツェア公爵である父ハルトヴィヒから聞いたのだ。
生まれてすぐに死んだとされていた腹違いの兄が生きていたと言う。側妃エデルガルトが生んだ子を執事ローレンツが誘拐していたと言うのだ。
刺繍から血縁を疑い会いに行って、エデルガルトと良く似た青年を見付けらしいが、女神シルヴァーナにも認定されたので、間違いないらしい。
フォルクハルトの兄はイシュカと言う名前だと言う。古風な名前なのは、エデルガルトの祖父の名前だかららしい。
イシュカは王都で育ち、ルリユールの徒弟に入り親方になってからリグハーヴスに居を移した。ヴァイツェアには住んだ事が無いらしい。学院にも入っていないので、位階もない。
その上、イシュカは〈異界渡り〉の保護者であり、ケットシーに憑かれていた。既に王により、〈異界渡り〉はリグハーヴスに降りたと四領の公爵には内密に告知されている。これはリグハーヴス公爵が、彼らの後見にある事を示す。他の三領の領主が彼らを引き抜く行為は禁じられている。
〈異界渡り〉とイシュカ双方が転居の意思があれば別だが、彼らはリグハーヴスに住む事を選んだ。
ヴァイツェア公爵の長子だと知らされても、イシュカは継承権を求めなかったらしい。それでも継承権二位にイシュカの名を入れたのはハルトヴィヒだ。森林族の家臣達からはかなりの反発があったが、「継承権一位にしないだけ良いと思え」と突っぱねていた。
つまり、イシュカと言う人物は、ヴァイツェアで育っていれば、領主になっても良い器だったと言う事だ。
そんな有能な人物だったイシュカを勝手に追放したローレンツに、フォルクハルトは怒りを覚える。フォルクハルトの継承権がそのままだった事に祝い事を言いに来る者も居たが、余計なお世話だ。フォルクハルトにしてみれば、イシュカは一緒に育ったかもしれない唯一の兄なのだ。
(どんな人なんだろうな)
まだ二の月であり、王都以北は雪が積もっているだろう。領主家の人間なので、魔法使いギルドの転移陣は使えるのだが、「兄に会いたいので」と言う理由で使用許可が降りるのかは甚だ疑問だ。
(そうなると馬車か……)
フォルクハルトはおもむろに座っていた椅子から立ち上がり、旅の準備を始めるのだった。
ヴァイツェアから王都までは通常の馬車で移動出来るが、王都から北に向けてとなると特殊な馬車になる。車輪に風の精霊魔法を掛け車体を浮かせた物で、御者が魔法を使えるか、もしくは魔法使いを雇うので、馬車賃は値上がりする。勿論値段の分、馬車内は暖かく保たれていたりするのだが。
一週間掛けて、フォルクハルトはヴァイツェアからリグハーヴスにやって来た。
ハルトヴィヒには「一寸出掛けてくる」と言って来たが、リグハーヴスに行くとは言わなかった。付いてきそうな気がしたので。
「寒い……」
馬車から降り、トランク片手に市場広場に向かって歩き出したフォルクハルトは首を竦めてしまった。
ヴァイツェアで二の月と言えば春の兆しが見え隠れする頃で、水仙などが既に咲いている。しかし、リグハーヴスは冬の最中だった。今も灰色の空から雪がちらついていた。
「市場広場を右区に一本入るんだったな」
〈本を読むケットシー〉の看板だと聞いている。
右区への路地を入ったフォルクハルトの先端が尖った耳に、子供の声が聞こえて来た。ちりりりん、とドアベルが鳴る。
「イシュカー」
「はいはい、おやつ買いに行くぞ。何味が良いんだ?エンディは緑の葡萄味で、カチヤはクランベリーだって」
「ルッツ、りんごー」
「ヴァルブルガ、苺が良いの」
「そうか」
ざくざくと雪を踏む音が近付き、フォルクハルトが居る路地と交差する路地を、赤みの強い栗毛の青年が通り過ぎて行く。青年の肩には青みがかった黒毛に橙色の錆があるケットシーが乗り、腕には三毛のハチワレケットシーが抱かれていた。
(ええ!?)
今確かにイシュカと呼んでいた。しかもケットシーだ。
(今のがイシュカ?)
後を追い掛けたくなったが、それでは不審人物過ぎるので、フォルクハルトはイシュカの店<Langue de chat>に行く事にした。
ちりりりん。
顔高に窓のあるドアを開けると、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
カウンターには蜜蝋色の髪をした、背の高い青年が居た。
革と甘い菓子の香りのする店内を、フォルクハルトは見回してしまった。
「親方にご用事でしたら、今外出していますのでお待ち頂いても宜しいですか?」
「え、はい」
青年につい頷いてしまい、色とりどりの本の並ぶ棚の向こう側にあるテーブル席に案内される。
意匠はバラバラなのに不思議とまとまり感のあるテーブルと椅子には、平原族の少年と少女、平原族の青年と人狼の騎士らしき青年が居た。
平原族の少年と少女が居るテーブルには、鯖虎柄のケットシーも居た。フォルクハルトが移動するのに合わせてケットシーの顔が動く。
髪の長い少年が紅茶と焼き菓子を運んで来た。ここまで来る間に冷えていたフォルクハルトには嬉しい。
「……」
しかしその間も鯖虎柄のケットシーは、ずっとフォルクハルトを見ていた。何もしていないのに。
ちりりりん。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
出掛けていたのは近所だったらしい。イシュカがケットシー達と戻って来た。
「テオー、飴ー」
カウンターに居た青年がイシュカの肩から、錆柄のケットシーを抱き下ろす。
「ケープ脱いで手を洗ってからな。孝宏が居るから居間に行っておいで」
「あい」
床に下ろされた錆柄のケットシーが、奥にとことこと入って行った。イシュカが抱いていた三毛のケットシーも床に下ろされたが、奥には行かずにテーブル席の方にやって来た。
「エンデュミオン、緑の葡萄飴なの」
「うん、有難う、ヴァルブルガ」
蝋紙の袋を受け取り、エンデュミオンと呼ばれた鯖虎柄のケットシーが三毛のケットシーの頭を撫でる。
「ふふ」
笑ってヴァルブルガはイシュカの元に向かい掛け、くるりとフォルクハルトに振り返った。
「?」
不思議そうな顔になり、とことことフォルクハルトに近付いて来た。すんすんと鼻を鳴らしてフォルクハルトの匂いを確かめる。エンデュミオンは一つ息を吐いた。
「やっぱり気付いたか?ヴァルブルガ」
「ハルトヴィヒの匂いが少しするの」
「つまり?」
イシュカがエンデュミオンとヴァルブルガを交互に見る。
「つまり、そこに居るのはヴァイツェアのお客だな。名前は知らん」
「……フォルクハルトだ」
ハルトヴィヒの名前の一部が入っているからか、フォルクハルトが何者かイシュカも気付いたらしい。
「ドクトリンデ・グレーテルかリュディガーに用事でも?」
しかし、自分に会いに来たとは思わなかった様だ。
「いや、イシュカに会いに来た」
「宿は?」
「まだ取ってない。これから行こうかと」
「ここに泊まれば良い」
あっさりとイシュカはフォルクハルトの宿泊先を決めてしまったのだった。
「孝宏」
「はーい」
名前を呼ばれて、孝宏は濡れた手を手拭いで拭きながら、台所から居間に顔を出した。既におやつの時間が過ぎ、孝宏は二階の台所で夕食の準備をしていたのだ。
居間にはイシュカとヴァルブルガの他に、黒髪の森林族の青年が居た。
「もしかして、イシュカの弟?」
「良く解ったな」
「目がそっくりだもん」
他のパーツはそれぞれの母親似らしいが、目の形と色がハルトヴィヒ似なのだ。
「フォルクハルトだ。泊まるから客間の準備を頼む」
「うん」
「フォルクハルト、俺はまだ店の方に居なければならないから。ゆっくりしていてくれ」
「ああ、有難う」
イシュカが店に降りて行ったので、孝宏はフォルクハルトにソファーを勧めた。ちなみにソファーには、ルッツが先に座っている。隣に座ったフォルクハルトに、ルッツがぺこんとお辞儀する。
「こんちはー」
「こんにちは」
「その子はルッツでテオのケットシーです。この子はヴァルブルガで、イシュカのケットシーです」
ヴァルブルガは孝宏のズボンをそっと掴んでいた。人見知りを発動しているらしい。寝室に逃げていかないので、それほど苦手な相手ではない様だ。
「店に居た鯖虎柄のケットシーがエンデュミオンで、俺に憑いている子です」
「ではあなたが〈異界渡り〉?」
「はい、孝宏と言います。ルッツ、ヴァル、ヘア・フォルクハルトとお話ししていてくれるかな。俺は客間の支度をして来るから」
「あい」
ルッツが前肢を挙げる。ヴァルブルガはこくりと頷いた。
孝宏が廊下に出て行くと、ヴァルブルガはラグマットにぺたりと座った。
ルッツは持っていた蝋紙の袋から薄紅色の棒付き飴を取り出した。細い木の棒に飴を巻き付け細かい粗目砂糖をまぶしてある物だ。袋の中にはまだ何本か入っているのが見える。
「あい」
ルッツは前肢に持った棒付き飴をフォルクハルトに差し出した。
「くれるのかい?」
「あい。りんごのあじだよ」
「有難う」
自分の分を紙袋から取り出し、ルッツは飴を口に入れる。ぴこぴこと大きな耳を動かしながら、飴を舐め始める。ヴァルブルガもルッツの飴より赤い飴を舐めていた。
フォルクハルトも飴を口に含んだ。優しい甘さで林檎の甘酸っぱい風味が強い飴だった。
「美味しいな」
「これはねー、ドロテーアとブリギッテとラルスのあめなの」
「ドロテーアと言うと薬草魔女の?」
「あい」
薬草魔女ドロテーアは、ヴァイツェアにも名が知られている人物だ。だがドロテーアはフィッツェンドルフに居た気がしたのだが。首を傾げたフォルクハルトに、ヴァルブルガが飴を口から出した。
「この間ドロテーア達はフィッツェンドルフから越してきたの」
「腕の良い薬草魔女を手放すとは、フィッツェンドルフも考えなしだな」
「リグハーヴスには良かったの」
「確かに」
他の領に比べると首都が小さいリグハーヴスでは、魔女や医者の数も少ない筈だ。薬草魔女は産婆でもあるから、リグハーヴスとしては移住を歓迎したに違いない。
「リグハーヴスのケットシーは、ここの三人とリュディガーの所に居る一人か?」
「ドロテーアのラルスもケットシーなの」
「五人か」
固まった場所に五人もケットシーが居るのは異常だったりする。王都でさえ迂闊にリグハーヴスにちょっかいは掛けられないだろう。呪われてしまう。
途中支度の出来た客間にトランクを置いて来たフォルクハルトだが、その後はルッツとヴァルブルガが飯事をしているのを眺めて過ごした。
(ケットシーに玩具を与えているのか)
それはフォルクハルトには驚きだった。ケットシーに服は与えるのは知っていた。しかし平原族の子供の様に玩具を与えるとは。
木で作られた子供用の流し台や鍋。木や編みぐるみで作られた野菜や果物。丸みのある木の包丁。それは平原族の子供でも上流層でないと持っていなさそうな代物だった。
実際は孝宏が発案し、大工のクルトに作って貰っているので、街の住民でも買える値段設定なのだが。
「とんとんとんー」
玩具の包丁を前肢で握り、編みぐるみのリーキをルッツが刻む素振りをする。
専ら飯事をしているのはルッツなので、錆柄ケットシーの玩具なのだろう。
「ぐつぐつー」
窓の外がいつの間にか藍色に染まっていた。台所から美味しそうな匂いが漂って来ていた。
「はい、どーぞ」
木のスプーンが入った持ち手付きの木の碗が、ヴァルブルガに渡される。三毛のハチワレケットシーが、「今日の恵みに」とスープを飲む動作をして「ふふ」と笑う。
「美味しいの」
「あいー」
お玉を持ったルッツが、嬉しそうに鍋を掻き回す。
「ルッツ、ヴァル、そろそろ晩御飯だよ。お片付けしてね」
「あい」
「解ったの」
台所からの孝宏の声に、ケットシー二人が玩具を片付け始める。木の玩具は流し台の扉の中に、編みぐるみは籠の中に入れて行く。全部をきちんと片付けた後、ルッツは目をきらきらさせてフォルクハルトを見上げた。
ひょっこりと孝宏が台所から顔を出す。
「あ、誉めて撫でてあげて下さい」
「……良く出来たね」
「あい!……みゃうー」
言われるままに声を掛けルッツの耳の間を撫でてやる。ふわふわした柔らかい毛は温かかった。ヴァルブルガの丸い頭も、もう片方の手で撫でてやる。ルッツとは手触りの違う細く密集した毛の柔らかさだった。
「ふふ」
暫く近くに居たからか、ヴァルブルガもフォルクハルトに慣れたらしく、嫌がらなかった。
「お片付けした後は誉めてあげるんですよ」
テーブルクロスを持って孝宏が居間に来た。居間にあるテーブルにクロスを広げる。
「子供みたいですね」
「ルッツは本当に子供ですよ。エンディとヴァルは同じ位の年齢みたいなんですけど」
でもケットシーは年齢関係無く子供っぽいですよ、と孝宏は笑った。
「店閉めて来たぞ」
階段を上がって来る足音が続き、イシュカとテオ、カチヤとエンデュミオンが居間に入って来た。
「テオー」
「良い子にしてたか?」
テオは駆け寄って来たルッツを抱き上げた。ぐりぐりとルッツが額をテオの肩に擦り付ける。
テオとルッツは親子か兄弟の様な関係に見える。ヴァルブルガもイシュカに抱き上げられ、額にキスをして貰っている。
とことこと鯖虎柄のエンデュミオンが、フォルクハルトに近付いて来た。じろじろと黄緑色の大きな瞳でフォルクハルトを観察する。
「ふうん?ルッツとヴァルブルガに嫌われなかったか。まあ、合格としよう」
穏やかではない台詞を吐き、ニヤリと笑ってエンデュミオンはカチヤと台所に居る孝宏の元に行ってしまった。
(怖い……)
エンデュミオンは大魔法使いエンデュミオンの転生体だとハルトヴィヒから聞いていた。中身はそのままなのだと。
(見た目は可愛いのにな……)
ちなみに、三人の中では幼いルッツが一番呪いを発動しやすいので、彼に懐かれれば無害であると言う証明だとエンデュミオンは思っている。が、一々説明しないので、フォルクハルトを無駄に戦慄させたのだった。
イシュカの腹違いの弟フォルクハルト登場です。
イシュカとフォルクハルトは現在のところ、二人だけの兄弟です。
実は兄弟が欲しかったフォルクハルト、リグハーヴスへとイシュカに会いにやってきます。
イシュカとフォルクハルトは眼元がそっくりなので、並ぶと兄弟だとばれます。身長も同じ位です。