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ギルベルトのお披露目

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

リュディガーとギルベルトのお散歩。


100ギルベルトのお披露目


「ゼルマ、靴を届けてくれないかね。わしは、一寸急な修理が入ったからの」

 祖父オパオイゲンの頼みに、店に並んでいた靴を軟らかい布で拭いていたゼルマは顔を上げた。

「良いわよ。何処に届けるの?」

「〈ナーデル紡糸(スピン)〉だよ。ギルベルトが居たら履いて貰って、様子を確認して来ておくれ」

「ギルベルト?」

「ヘア・リュディガーに憑いているケットシーの名前だよ」

「前に聞いた、元王様ケットシーね」

 リュディガーが療養中なので、ギルベルトも表には殆ど出て来ていない。その為、リグハーヴスの街の住人はギルベルトの存在を知らないと言って良かった。

 茶色いざら紙に包んだ冬用のモカシンブーツを抱え、ゼルマは〈針と紡糸〉に向かった。夏用の靴はこれから作るのだ。春までリグハーヴスは雪が解けないし、急ぎで要るのは冬用だ。

「こんにちは」

 〈針と紡糸〉のドアを開け、白い壁に明るい色の家具と言う、軟らかな印象の仕立屋に顔を出す。

「いらっしゃいませ」

 カウンターに居たのは綺麗な森林族だった。男性服を着ているので、フラウ・マリアンだろう。

「〈オイゲンの靴屋シューゲシュフトゥ〉の職人ゼルマです。注文されていたギルベルトの靴をお持ちしました」

「わざわざ有難う。ギルベルトは二階に居るのよ。上がって貰って良いかしら?」

「はい。お邪魔します」

 マリアンの後について二階に上がると、居間になっていた。居間のソファーに森林族の青年と、大きなケットシーが居た。大きいと言っても、人の子供程度だが。

「ギル、フラウ・ゼルマが靴を持って来てくれたわよ」

「ゼルマ?」

 ソファーに座っていたギルベルトが、首を傾げる。初めて会ったからだろう。ギルベルトはマリアンかリュディガーの物らしい、淡い黄緑色のシャツを着ていた。腕捲りをしているし、裾が長い。パジャマの様に見える。

「私はオイゲンの孫です。私も靴職人なの」

「ギルベルト」

 ケットシーが自分の名前を名乗る。隣に座っていたリュディガーが、ギルベルトの頭にてのひらを置いた。

「俺はリュディガーです。ギルベルトは妖精猫風邪ケットシーエッケルトンの病み上がりなんで、楽な格好をさせてます」

「靴を履いて具合を試して見て貰いたいんですが、大丈夫でしょうか」

 仕立屋が自分の所に居るケットシーに、きちんとした格好をさせない訳が無い。休んでいた方が良いなら出直そうと思ったゼルマだったが、ギルベルトの方がとことこ近付いていた。

「靴、出来た?」

「ええ。履いてみてくれるかしら?」

「うん」

 ざら紙を広げ、その紙の上でギルベルトにモカシンブーツを履いて貰う。冬用なので内側に起毛があって履くと暖かい仕様になっている。

「わあ」

 肢を靴に入れた瞬間、ギルベルトが緑色の目を大きくする。両肢を靴に入れ、床をとことこ歩いてみる。

「何処か気になったりする場所はないかしら?当たって痛い場所とか」

「ううん。無い」

 軟らかい茶色の革で作られたモカシンブーツは、ギルベルトの肢にきちんと合った様だ。

「後からでも気になった所があったら教えてね」

「うん」

 嬉しそうに歩き回っているギルベルトを目の端に見ながら、ゼルマはざら紙を畳んだ。

「ふふ。ギルは靴が出来るのを楽しみにしていたのよ」

「そうなんですか?」

「ええ。ここまで裸足で来て冷たかったみたいだから」

 驚いた事に、ギルベルトは自分で〈黒き森〉からリグハーヴスまで来たと言う。

「リュディガー」

 財布を取りに部屋に戻っていたリュディガーに、ギルベルトが抱き着く。

「うん。似合ってるよ、ギル」

「ふふ」

 本当に嬉しそうにギルベルトはリュディガーに頭を擦り付けた。

「夏用の靴はこれから作ります」

「ゆっくりで良いですよ。まだまだ雪は解けませんし。これでお散歩行けるね、ギル」

「うん」

 王様ケットシーと聞いていたが、随分と子供っぽいとゼルマ思った。エンデュミオン達と余り変わらない印象だ。

 実際、ギルベルトは引退した王様ケットシーとしては若い方の個体だったのだが、当然ゼルマは知らなかった。

 オイゲンの作った靴を履いて喜んで歩き回るギルベルトの様子を確認して、ゼルマは帰って行った。


 ギルベルトの妖精猫風邪も回復し、靴も出来たので、リュディガーは散歩がてらに冒険者ギルドに行く事にした。

「暖かくしてね」

 マリアンが作った服にセーターを着て、ギルベルトは緑色のフード付きマントを羽織った。シャツの襟元の釦は一つ開けている。首元の毛がアスコットタイの様に見えるのだが、マリアンは四角く編んだモチーフを繋いだ市松模様のマフラーを巻いてやった。

「行って来ます」

「行ってらっしゃい」

 マリアンとアデリナに見送られ、リュディガーとギルベルトは手を繋いで街に出た。晴れた日を選んだので、空気は冷たいが太陽の光は暖かい。

 きゅっきゅっと足を踏み出す度に、締まった雪が鳴る。

「ふふ」

 楽しげにギルベルトが笑い声をあげる。寒いのでフードを被った頭を左右に揺らしながら歩いている。

 路地を通って市場広場に出る。今日は市場が立っている日だった。夏場よりは店の数は少ないが、近くの集落の女将が加工品を売っていたり、南部につてのある商人が野菜や果物、冬の寒さで解けないので冷凍魚を売っていたりする。

 栗や芋を焼いている屋台もあり、香ばしい香りも漂っている。

「帰りに見ようか?」

「うん」

 一先ず市場広場の端を通って、冒険者ギルドに向かう。

 ギイッ。

 ここのドアを開けると、いつも軋む音がする。

「こんにちは」

「こんにちは、リュディガー。身体の調子はどう?」

 カウンターに居たトルデリーゼが立ち上がってリュディガーを迎えた。

「かなり良くなったよ。今日はこの子の登録に来たんだ。俺とのパーティー登録も」

 リュディガーはギルベルトが被っていたフードを下ろした。

「!?」

 ギルド付属の食堂に居た冒険者達が一斉に口に含んでいた物を噴いた。

「まあ!ケットシー?」

「うん。ギルベルトって言うんだ」

 ギルベルトはカウンターに頭の天辺しか出ないので、トルデリーゼは応接室に二人を案内した。

「はい、ギルベルトのギルドカードよ」

「有難う」

 受け取ったギルドカードに革紐を通し、リュディガーはギルベルトの首から掛けてやった。ふかふかの襟元の毛で埋もれてしまうのだが。

「ギルベルトって、王様ケットシー?」

「元、だ。今はただのケットシーだ」

 大きめの耳をピッと動かし、ギルベルトは緑色の瞳でトルデリーゼを真っ直ぐに見る。

「ギルド長がまた騒ぎそうだわ」

「騒ぐ程の事かな?」

「ケットシーが憑く人って皆そうね。ケットシーを特別視しないの」

 リュディガーとギルベルトは顔を見合わせた。

「エンデュミオンだけでもかなりの騒ぎだったのよ?それが今じゃ五人もリグハーヴスにケットシーが居るんですもの」

 しかも右区レヒツにばかり集中している。

「領主様に知らせて構わないのかしら?」

「うん、構わないよ。まだ丘を登るのはキツいし。そうか、兄上にも知らせないといけないのか」

 ぽん、とリュディガーが手を打つ。

「ヴァイツェア公爵ね。それはしておいた方が良いわよ」

 曲がりなりにもヴァイツェア公爵家の第三位継承権を持つのがリュディガーなのだ。流石にギルドではリュディガーの身元は知られている。先日は冒険者ギルドには加入していないものの、イシュカがヴァイツェア公爵の長子だと回報が来た。しかも第二位継承権を与えられたと言う。

 ヴァイツェア公爵領の重要人物がケットシー憑きでリグハーヴス公爵領に二人も居ると言う状況に、アルフォンス・リグハーヴス公爵も胃が痛いかもしれないが、イシュカもリュディガーも位階を持っていないので、平民なのである。これでもし準貴族ならば騎士が護衛に付いてもおかしくないが、平民に護衛を付けるとなれば、目立ちすぎる。

 とは言えケットシー一人の呪いでもキツいのに、五人も居るのだ。手を出す馬鹿はそう居ない。

「春までは薬草採集には行かないから、ゆっくりしてるよ」

「そうね、しっかり身体を治す方が良いわ。マリアンとアデリナをあんまり心配させないでね」

「はい」

「うん」

 リュディガーとギルベルトは同時に頷いた。二人とも心配させた自覚があったので。


 冒険者ギルドを出て、二人は市場広場を見回った。ギルベルトは勿論初めて見るので、目をキラキラさせている。

 リュディガーは養蜂家の屋台でクローバーの蜂蜜を一瓶買った。

「はい、可愛い子にはこっちだよ」

 店主はギルベルトに棒付きの蜂蜜飴ホーニックボンボンをくれた。飴がくっつかない様に粗目ざらめ砂糖をまぶしつけた物だ。蝋紙の細長い袋に入れて端を捻り、ギルベルトに渡してくれる。

「有難う」

 リグハーヴスにケットシーが居ると言うのは知られているのだろう、蜂蜜屋の店主はギルベルトを見ても驚かなかった。

「他に何か見たい物ある?」

「パチパチ鳴っているの」

 ギルベルトが前肢で指したのは焼き芋と焼き栗の屋台だった。熱鉱石で熱せられた石の中で、芋と栗が焼けている。冬場には人気のおやつだ。子供の小遣いでも買える。

 パチッと栗が弾ける音に、ボッとギルベルトの尻尾が太くなる。

「栗の皮が弾ける音だよ」

 屋台を出しているのはリュディガーも買い物をしている八百屋だった。

「いらっしゃい」

「焼き芋を四本と焼き栗を一袋下さい」

「はいよ」

 焼き芋は新聞に手早く包まれ紙袋に入れられる。焼き栗も火挟みでヒョイヒョイ拾い上げられ、別の紙袋に飛び込む。

 鮮やかな手付きにギルベルトが見惚れている内に、リュディガーは代金を払って紙袋を受け取っていた。

「おうち帰ろうか」

「うん」

 手を繋ぎ帰って行くリュディガーとギルベルトが市場マルクト広場から居なくなるなり、広場が騒然となった事を二人は知らなかった。

 実は、王様ケットシーの身体が大きいのは、説話集にも書かれているので、黒森之國くろもりのくにでは一般常識なのだ。

 ギルベルトが居る間に騒がなかったのは、ケットシーの王に対する敬意と畏怖の為だ。

 他領から来ていた行商人により、リグハーヴスに大きなケットシーが居ると言う情報は、この日より要所に広まって行くのだった。

 しかしながら、本人達にはどうでも良い事で。

「ただいまー」

「ただいま。おやつ買ってきたよ」

「お帰りなさい。わあ、お芋と焼き栗ですね!お茶を入れましょう」

 店のカウンターに居たアデリナが、いそいそとお茶を入れに一階にある簡易台所に行く。

 店番をしつつのおやつは、カウンター後ろの作業台で摂るのだ。丁度綺麗に片付いていた。

「お帰りなさい。寒かったでしょう?」

 倉庫に居たらしいマリアンも戻って来た。

「今日は市場が立っていたから、少し覗いて来たんだ。はい、蜂蜜とおやつ」

「有難う」

「ギルベルトも飴を貰った」

 ずっと握っていた棒付き飴を、ギルベルトはマリアンに見せる。マリアンは両手でギルベルトの頭を撫でた。

「良かったわね、ギル。蜂蜜飴は喉に良いわよ。さ、上着を脱いで、手を洗っておやつにしましょう」

 お茶道具を持って来たアデリナと入れ替わりに簡易台所で手を洗う。濡れた前肢の毛は風の精霊(ウィンディ)に乾かして貰った。

「お芋熱いから吹いて冷ますんだよ」

 赤紫色のサツマイモをリュディガーがぽくりと半分に割ると、白い湯気と共に黄金色の実が現れる。

「冷めるまでスプーン使うと良いわ」

 マリアンが木匙をくれたので、ギルベルトは焼き芋をスプーンで掬った。盛んに上がる湯気を吹く。甘い香りに我慢出来なかったので、芋の欠片を口に入れた。

「あち」

 まだ少し熱かったが、口の中で転がす。香ばしい甘みが美味しい。

 ケットシーは〈黒き森〉では果物や川魚を食べている。森で採れない物は、冒険者が分けてくれた時にしか食べられない。

 ジャガイモやサツマイモは「植えたら取れる」と教わってから、ケットシー達で植え始め、〈黒き森〉でも採れる様になった。調味料は香草だけなので、ケットシーの食事は簡素だ。

「よっ」

 布で焼き栗を包み、リュディガーがパキリと音を立てて割れかけていた殻を剥く。

 黒森之國の栗は熱を加えると、殻から実が簡単に取れる品種なのだ。

「はい、ギル」

 肉球の上に渋皮も取れた、暖かくて黒っぽい栗の実が載せられる。この実は半分に割れば淡く黄色いのだと、ギルベルトは知っている。

 あぐ、と口の中に入れる。ぽくぽくと噛めば、独特の味と甘みが広がる。

「美味しい」

「甘くて美味しいわね。はい、ギルお茶よ。倭之國のお茶なんですって。この間ヒロに教えて貰ったの。このお茶も風邪の予防になるんですって」

 カップの中には鮮やかな黄緑色のお茶が注がれていた。少し温めのお茶は甘くは無かったが、口の中がすっきりする。

「このお茶、紅茶と同じ木から取れるんですってよ」

「へえー」

 お喋りをしながら、おやつを食べてお茶を飲む。

 いつも主を見付けたケットシーを送り出す側だったギルベルトには、とても新鮮だ。

 リュディガーもマリアンとアデリナも皆優しい。

(幸せ)

 今までも勿論幸せだったと思うのだけど。

 ケットシーは、やはり主に憑いている方が満たされるのだ。

 春になったらリュディガーと薬草採集に行けるし、マリアンとアデリナは散歩がてら買い物に連れて行ってくれるだろう。

 近所にはケットシー達が暮らしているので、心細い事もない。

「ふふ」

 程好い温度になった焼き芋を両前肢で持ち、ギルベルトは齧りついた。

「あち」

 まだ中心部は熱かった。食べたいが食べられない。舌先で焼き芋を舐めて温度を測る。

「もう少し割ろうか?」

「うん」

 リュディガーが焼き芋を冷めやすい様に割る間、剥いてくれていた栗に前肢を伸ばす。

 ケットシーの肢で毬のある栗を収穫するのは難しく、知り合ってからは、毎年リュディガーが秋に来た時拾って持って来てくれたものだ。リュディガーが来る前は木の精霊(エルム)に頼んでいた。

 だから栗は思い出の味でもある。

「栗と言えば、来年もケットシーの集落に収穫の手伝いに行かなきゃな」

「良いのか?」

「勿論。皆で焼き栗しよう」

「うん」

 ギルベルトの尻尾がピンと立ち、ふるふると揺れる。嬉しい。

 ケットシーの集落に迷わず辿り着ける者は少ないが、その中で悪意の無い人間は更に少ない。今なら、リュディガーとテオ位ではないかと思う。孝宏たかひろとイシュカは〈黒き森〉には来られないだろうし、ドロテーアも良い年齢だ。

 秋になったらテオとルッツを誘って、〈黒き森〉に栗拾いに行っても良い。栗を幾らか持って帰って来たら、孝宏が何か美味しいものを作ってくれるかもしれない。

(楽しみ)

 ふくりと口元を膨らませ、ギルベルトは漸く食べ頃になった焼き芋を頬張った。



祝100話。

よく100話もエピソードがあったと自分でも思うのですが、まだ続きます。

そして、冒険者ギルドのドアはまだ直っていない様です。

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