鍛冶屋の娘
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
<家族割>始めました。
10鍛冶屋の娘
アストリットと妹のコルネリアは、採掘族の父エッカルトと平原族の母ヘンリエッテの娘だ。
黒森之國に一番多いのが耳の丸い平原族で、寿命は百年から二百年。
次に採掘族で耳の先が尖っていて、男性でも身長が百六十センチあれば大柄と言われる頑強な種族だ。ちなみに女性は小柄な平原族と変わらない体格だ。寿命は平原族とあまり変わらない。
黒森之國で一番少ないのが森林族だ、少ないと言っても絶滅する程ではない。他の種族に比べて少ないだけだ。彼等は総じて美しく、耳が長く尖っている。魔法に長けているのも特徴だ。彼等は他の二種族より遥かに長く生きる。
黒森之國では他種族同士の結婚は特に問題にならない。産まれてくる子供は必ず母親の種族の特徴を引き継ぐからだ。
だから、アストリットとコルネリアは平原族だ。
父親のエッカルトはリグハーヴスの鍛冶屋だ。リグハーヴスには鍛冶屋は何軒もあるが、エッカルトは剣から包丁まで、刃物であれば何でも打つ。冒険者だけではなく、住民寄りの鍛冶屋だ。
今日も欠けた鍬が持ち込まれ、文句も言わずに直していた。これが冒険者専門の鍛冶屋だったら、客は追い返されていただろう。
そんなエッカルトをアストリットは誇りに思っている。
アストリットの最近の楽しみは、母親の手伝いの後に読む本だ。
先日おつかいの途中で新しい店があるのに気付いた。丁度そこから、若草色の本を抱えた女の子が出て来たのを見掛けたのが切っ掛けだった。
「こんにちは、エッダ」
「こんにちは、アストリット」
顔見知りの少女に、エッダは明るい笑顔を向けた。
エッダは大工の娘で、大工と鍛冶屋は懇意だ。エッダの父親クルトが使う釘をエッカルトが作っている。
エッダは妹のコルネリアと同い年だった。
「このお店は何を売っているの?」
青銅の吊り看板には〈本を読むケットシー〉の姿と<Langue de chat>の金文字。
「あのね、本を作るお店なんだって。るりゆーるって言ってた。あと、本を貸してくれるの。アストリットも借りる?」
そう言ってエッダはアストリットの手を握って店に戻った。
ちりりりん。
「あれ?エッダ?」
「お客さまだよ。ヒロ、エンディ。じゃあ私は帰るね」
「え、待って、エッダ」
「帰ったらお手伝いあるのー」
エッダはアストリットを店員に引き渡し、帰って行ってしまった。
おろおろするアストリットに、黒髪の少年と灰色のケットシーは顔を見合わせたあと、「ご説明します?」と微笑んだ。
そこで孝宏とエンデュミオンに、ルリユール<Langue de chat>が貸本をしている事を教えて貰い、持っていたお小遣いで薔薇色の本を借りたのだった。
文字は母ヘンリエッテから習い覚えていた。
薔薇色の本を持ち帰ったアストリットに、母親は「そんな店が出来たのね」と嬉しそうだったが、エッカルトは余り面白く無さそうな顔をした。
エッカルトは自分の名前しか書けない。重要な手紙や書類は、いつもヘンリエッテが音読しているのだ。
幼い頃から徒弟に入り、生粋の職人であるエッカルトは、文字を学ぶ機会がないまま来たらしく、それを負い目に感じている節がある。大人になると、文字を覚えるのは子供よりも難しくなるのだそうだ。
子供用の本もあったとコルネリアに教えて、本を借りに行った妹も若草色の本に夢中になった。
食後の食器を片付けた後のテーブルで、並んで本を読む娘達をヘンリエッテは微笑ましく、エッカルトは複雑そうな顔で眺めていた。
「お母さん、今度から借りた人しか本が開けなくなったの」
最初の本を借りた時は誰でも開けたので、アストリットが読み終わった後、ヘンリエッテも読めたのだが、翌月借りようとしたらエンデュミオンにそう変わったと言われ、水晶雲母で出来たカードを貰ったのだ。
店員が処理しなければいけないらしく、裏表紙の内側にあるポケットからカードを抜いても、アストリットしか本を開けなかった。
アストリットとコルネリアのお小遣いは一ヶ月銅貨三枚だ。使わずに貯めている金もあるが、本を借りるのは月に一度と決めていた。
早く読めた時は二冊目を無料で借りられると言うが、余り本を早く読めないアストリットが読んだ後ではヘンリエッテが読めないので、月に一度なのだ。
今までは一週間ずつ、アストリットとヘンリエッテで読んでいた。
「仕方がないわね。お母さんは諦めるわ。アストリットがもう一冊借りて読みなさい」
家計から新たに銅貨三枚を出すのははばかられたのだろう、ヘンリエッテ残念そうに言った。
本は贅沢品だ。でも、手が届く場所にあるのに諦めるのは、アストリットは嫌だった。
ちりりりん。
「いらっしゃいませ。フラウ・アストリット」
挨拶をしながら、カウンターに居たイシュカは内心首を傾げた。アストリットは昨日妹と本を借りに来たばかりだ。
独身者ならともかく、家族があるものは大抵月に一度だけ本を借りる事が多い。月に一度の贅沢なのだろう。
「あの、ご相談なんです」
「どのような事でしょう?」
なるべく柔らかく聞こえる様に気を付けて、イシュカは問う。
胸の前で両手を握りしめながら、アストリットは切り出した。
「お借りした本は早く読んだ時は、二冊目を借りられますよね」
「はい」
「それをですね、私が一週間で読んだ後で、同じ本を残りの一週間母が借りられませんか?」
カードで鍵が掛けられる前は、そうやって読んでいたのだろう。
「……少々お掛けになってお待ち頂けますか?」
イシュカはアストリットを閲覧スペースの椅子に案内し、一階の台所で昼食の用意をしていた、孝宏とエンデュミオンに相談した。
「良いと思う。家族、一人まで」
「エンデュミオンもそれで良いと思う」
「なら、そうしよう」
イシュカはアストリットを待たせていた閲覧スペースに向かった。その後ろから丁度お茶を淹れていたところだったので、少女の分をカップに注ぎ、クッキーと共に孝宏が運んだ。
「大変お待たせを致しました。一週間目で一度会員証を入れ換える為に、こちらにおいで頂く事になりますが、それでも宜しいですか?」
「良いんですか!?」
「フラウ・アストリットの他に、ご家族お一人までですが」
「ええ、母が借りられればそれで充分です」
「お母様は会員証をまだお作りになっていらっしゃいませんでしたね。お名前をお伺いしても宜しいですか?」
「ヘンリエッテです」
「只今作って参りますので、ごゆっくりなさっていて下さい」
「有難うございます!」
(相談して良かった!)
本を借りに来た訳でもないのにお茶とお菓子をサービスしてもらい、今度は母を店に連れて来ようと思うアストリットだった。
「お母さんも読めるって!この会員証を入れ換えて貰いに行けば良いの。今度はお母さんが<Langue de chat>に行ってくるといいわ」
出来上がったヘンリエッテの会員証を片手に家に走って帰ったアストリットは、勢いのまま母親に抱きついた。
「まあ、本当?」
「なんでえ、賑やかだな」
今日の仕事はもう終わったのか、風呂上がりのエッカルトが、短く切っている焦げ茶色の髪を浴布でごしごし擦りながら居間に現れた。思春期の娘が居る為、嫌われない様に清潔には気を使っているのだ。
採掘族にしては大柄のエッカルトは、十六歳のアストリットと殆ど身長が変わらない。
どさりとソファーに腰を落とした父親の横に、若草色の本を持ったコルネリアがちょこんと座る。
最近、エッカルトはアストリット達が本を読んでも、複雑そうな顔をしなくなった。何故なら。
「お父さん、昨日の続きね」
「ああ、コルネ。読んでくれ。フリッツとヴィムはどうなったんだ?」
コルネリアがエッカルトに読み聞かせる様になったのだ。時々つかえたり、解らない言葉をアストリットやヘンリエッテに教えて貰いながら読んでいくのだが、穏やかな団欒がそこにあった。
幼い娘に本を読んでもらうエッカルトは、幸せそのものだった。
この日から<Langue de chat>には〈家族割〉と言う借り方が登場する。
そして「二人で読みたくなる本もありだよな」と、孝宏の創作意欲を掻き立てる一因にもなるのだった。
鍛冶師家族登場。仲の良い家族です。
アストリットのおかげで<家族割>が出来ました。
黒森之國は平原族が多いので、種族を書いていない場合は平原族です。
孝宏も平原族扱いです。