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開業準備のルリユール

この場所にはルリユールが開業予定です。開業準備の為、物音などご迷惑をお掛け致します。

1開業準備のルリユール


 イシュカは独立したばかりのルリユールだ。十二の時から親方マイスターの元に徒弟として修行に入り、真面目に努めて来た。

 二十二になった時、最初から最後まで自分で一冊製本をしてみろと言われてイシュカが作り上げた本を眺め回した親方は、「もう教える事は無い。あとは自分で精進しろ」と言って、徒弟卒業を認めてくれた。

 それからイシュカは親方の推薦書を持って正式にルリユールギルドと商業者ギルドに登録しに行った。独立して店を持つには、この二つに加入しなければならない。

 衣食住はみても徒弟や職人にはまともに給金を支払わない親方も多い中、イシュカの親方はきちんと給金を少ないながらも毎月くれていた。住み込みで食事付きだったにも関わらず。イシュカはその給金をコツコツ貯めていた。徒弟でもそれぞれの職業のギルドに仮登録し、金を預けておく事が出来るのだ。

 イシュカには仕送りする家族も居なかったので、使わない金はそれなりの額溜まっていた。

 その金で、イシュカは北の街、リグハーヴスに一軒の家を買った。元々細工師の物だったと言うその家には、広い作業部屋があったのだ。細工師の主が亡くなり、老いた妻は細工師を継がず、官吏になった息子の住む王都へと越したのだ。

 空き家になって間もないその家が家具付きだったのも、イシュカの決め手だった。仕事道具と家を買っただけで手持ちのお金の殆どは無くなっていた。売れば幾ばくかの金になるのに、「家具はそのまま使ってくれて構わない」と言う老婦人の伝言は、イシュカにとって涙が出る程有難かった。

 親方から職人卒業を言い渡されてから半年後、トランク一つ持ってイシュカは新居へと越して来たのだった。

「やっぱり埃は溜まるか」

 家具に掛かっている白い埃避けの布を外して行くと、窓から差し込む光に埃がキラキラと舞った。

 季節は秋の半ば。肌寒いが窓を開け、掃除をして行く。一番先に二階の寝室に手を付けた。流石に寝具は新調したので、新品のマットレスにシーツを敷き掛布団を掛けて、ベッドカバーをヘッドボードまで引き上げておく。他の部屋は片付かなくても、とりあえずは眠れるからだ。続けて同じく二階にある客室やバスルーム、居間と台所を掃除する。

 この家は一階が店舗だったので、二階に住居部分があるのだ。王都から離れると、庶民の家は家族数が多くなるので部屋数も多い。イシュカ一人だと確実に部屋を持て余す事請け合いだ。

 客室として二部屋用意してあるが、他には空き部屋や使っていない家具がまとめて置いてあるだけの部屋もある。細工師の子供が家を出た時に片付けたままになっていた模様だ。

(まあその内物置にでもすれば良いし)

 北東の街リグハーヴスは<黒き森>が比較的近い。と言うか、<黒き森>に一番近い街がリグハーヴスだろう。途中に集落はあるが、大きな街はここが最短だ。

 <黒き森>は王家直轄地だ。そこには各種動植物が生息し、精霊ジンニー妖精フェアリーの棲み処ともなっている。そして、地下迷宮ダンジョンがあった。

 地下迷宮を持つくにはそう多くない。この黒森之國くろもりのくにはその数少ない國の一つだ。

 地下迷宮に湧く魔物からは魔石が取れ、色とりどりの魔石は女性たちの指や胸を飾り、輸出品ともなっていた。

 腕に覚えのある者は冒険者ギルドに登録し、地下迷宮に潜る。そして魔石を集めるのだ。王家の直轄地である以上、魔石は地下迷宮の出口で回収されるので、冒険者が手にしたい場合は、金を払って買う事になる。

 そうなると彼らの実入りは無くなると思われがちだが、魔物の肉や皮、爪などと言った素材は冒険者が持って帰っても良いのだ。肉や皮はギルドや業者に売れるし、爪は武器や薬の材料になる。

 <黒き森>に近い街リグハーヴスはそんな冒険者が装備を整えられる最後の街であり、まともな食事付きのベッドで眠れる宿屋がある場所なのである。

 イシュカが店を開こうとしているのは、そんな街だった。


「まずはこんなものかな」

 先住の老夫人が綺麗好きだったのだろう、普通に掃き掃除と拭き掃除をするだけで良かった。家具はあると言えども、イシュカの持ち物は少ないので、殺風景だ。

 一階の店舗部分も、作業場には工具などが並んでいるものの、肝心のカウンターのある部分はガラガラだ。元細工屋だったので、在りし日には硝子が嵌った陳列棚が並んでいたのだろうが、今はその棚も取り払われていて何も無い。カウンターの前は本当に居間一つ分の広さで何もないのだ。

(応接場所位要るよな)

 製本の為の皮や布など、客に選んで貰わねばならないからだ。元居た店では小さめの小部屋を専用応接室に当てていたが、この店ではカウンターでの対面で済ませていたのだろう。そう言った部屋は無かった。店主の休憩に使っていたらしい台所付きの居間が一階にもあるだけだ。

「まだまだ用意する物あるよなあ。カーテンも無いし」

 カーテンは取り払われていて付いていなかった。布を通す木製の棒が受け金に乗っているのが丸見えだ。磨かれた少し歪んだ窓硝子から、夕陽が差し込んでいる。もうすぐ陽が暮れるだろう。

「腹減った」

 ぐぎゅう、と腹の虫が鳴った。

 イシュカは一階の台所に入った。荷物を運び入れた時、こちらに食材を置いたのだ。

 実はイシュカが作れるのは目玉焼き位である。親方の店ではメイドが一人居て、彼女が家事の全てをやっていた。しかし、目玉焼きだけでもおかずは無いよりある方が良い。

 フライパンと保冷庫から出した卵を手にし、「いざ!」と思った所で物音が聞こえた。

「ん?」

 イシュカはフライパンと卵を作業台に置き、音が聞こえた店舗部分へと出た。秋の陽は落ちるのが早い。既に外は暗くなり、店舗のカウンターに残していたランプが辺りを照らしていた。そのランプを持ち、イシュカは扉に近付いた。

 厚い木製の扉には大人の胸から顔にかけての高さに硝子が嵌っている。ランプをかざすが、硝子の向こうには誰も居ない。

(あれ?)

 イシュカが首を傾げるのと同時に、再び扉が叩かれた。かなり下の方で。

(もしかして子供?)

 慌ててイシュカは扉の掛け金を外して扉を開いた。

「うお!?」

 足元に居たのは子供では無かった。妖精猫ケットシーが二本足で立っていた。ランプを近付けると、灰色の鯖虎柄さばとらがらだと解った。イシュカの膝丈までしか身長が無い。

「助けてくれ」

 開口一番、ケットシーは変声期前の少年の声で言った。

「どうしたんだ?追われてでもいるのか?」

「違う。エンデュミオンが憑いている人間の具合が悪い」

 ケットシーは自分の名前を主語に使うとイシュカは聞いた事があった。前に居た店に寄った吟遊詩人が、一杯の水のお礼に一曲歌い教えてくれたのだ。

 つまり、このケットシーの名前はエンデュミオンなのだ。

(大層な名前だなあ) 

 しかし、そこを今気にしている場合では無い。

「何処に居るんだ?」

「ここ」

 エンデュミオンが前肢で差したのは、扉の横だった。顔を出してみれば、扉横の壁にイシュカより若い少年がもたれ掛かっていた。

「どれ」

 しゃがんで少年の頬に触れてみると、熱が高い様だった。意識も朦朧としている様だ。イシュカはエンデュミオンにランプを渡し、少年を横抱きにして店の中に運び入れた。エンデュミオンも、とことこと入って来る。

 イシュカは少年を一度床に下ろし、扉を閉めて掛け金を掛けた。それから再び少年を抱き上げた。

「二階に客間があるから連れて行くよ」

「うん」

 カウンターの奥の廊下にある階段を上って客間に行き、ケットシーにベッドカバーと掛布団を捲って貰い少年を下ろす。

 少年が背中に背負っていた鞄を下ろしてベッドの脇に置き、見た事の無い金具の付いたフード付きの上着を脱がせる。靴と靴下も脱がせてやってから、枕に後頭部を乗せてやった。

 掛布団を掛けてやり、額に改めててのひらを当てる。

「やっぱり熱があるな。熱冷ましはあるが、何か食べた方が良いだろう。所で最大の問題としては、俺はスープが作れないんだが、エンデュミオンは作り方を知っているか?」

「……知っている」

 一瞬ケットシーが物凄い顔をした。ケットシーも驚いた顔をするのだな、とイシュカは初めて知った。


 一階の台所でエンデュミオンの指導の下、イシュカはスープを作った。仕事でも刃物は使うので、包丁は危なげなく使える。玉葱やニンジン、セロリと言った野菜を刻み、ベーコンで出汁を利かせて塩胡椒で味を調え、出来上がったスープと買ってあった黒パンを薄く切って、薬の瓶とコップに入れた水と共に少年の元に運んだ。

 少年の名前は<孝宏たかひろ>と言うらしい。きちんと呼べるまでエンデュミオンにダメ出しを食らった。エンデュミオンの名前はエンディと略して良いと言う。

 スープを煮込む間に水を運び、濡れタオルを額に乗せていたのだが、殆ど動かず寝ていたらしくそのままになっていた。

『孝宏、御飯と薬』

 エンデュミオンが聞きなれない言葉で声を掛け孝宏の肩を揺すると、微かに呻き声を上げて目を覚ました。この辺りでは珍しく髪と目の色が両方黒いらしい。

『ここどこ?』

『さっきの家。イシュカの家』

『イシュカ?』

 自分の事を言っているのだと、流石にイシュカも気付く。イシュカはエンデュミオンを突いた。

「ここは俺の店兼住居だから、安心して良いって言ってあげてくれ」

 その通りに伝えたのか、孝宏はイシュカを見て会釈をした。

『イシュカがスープ作ってくれたから、食べて薬飲んで』

『うん、有難う』

 起き上がった孝宏の膝の上に食事の乗った盆を乗せてやれば「有難ダンケう」と言われた。簡単な黒森之國の言葉は話せるらしい。

 孝宏はスープに黒パンを浸しながらゆっくりと食事をした後、掌に落としてやった熱冷ましの丸薬を素直に飲んだ。熱冷ましを飲んだ事が無さそうだったので、子供の分量で飲ませておく。

 孝宏はそのまま眠り始めたので、イシュカとエンデュミオンは一階に下りて食事を済ませた。洗い物はイシュカも一人で出来るので、エンデュミオンを孝宏の看病に戻らせた。

「俺は客間の隣の部屋だから、欲しい物があったら起こしてくれ。台所にある物は好きに使って良いから。バスルームは廊下の突き辺りだ」

「うん。有難う」

 小さなケットシーは尻尾を揺らして頷き、階段を上がって行った。



ムーンライトの方で書いている『チェンジリング。』シリーズと同じ世界の別の國のお話です。

倭之國わのくにと違って言語が日本語でありません。言語チートは孝宏には無いのです。

黒森之國にはケットシーが居ます。その代わり猫は居ません。


徒弟は徒弟→職人とランクアップします。独立で親方です。女性親方も存在します。

親方は徒弟の衣食住をみる義務があります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何度目かの読み返しです。 そういえば、孝宏はスマホに保存したレシピを見れたのに、晧のスマホは画面を開くこともできなかったな~と今更気が付きました。晧は、お菓子の分量もちゃんと覚えていたってこ…
[気になる点] 「王家の直轄地である以上、魔石は地下迷宮の出口で回収されるので、冒険者が手にしたい場合は、金を払って買う事になる。そうなると彼らの実入りは無くなると思われがちだが」  「実入りが無くな…
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