5◆暴走
「誰かアイツを止めろーーっ!」
「あの小娘、下士なんだろ?なんであんな機能がついてんだ!」
「アイツァ記録士だよ……!D-5の全ログデータにアクセスできる権限の持ち主だ!D-5のあらゆるデバイスを使えてもおかしくねェ!」
「なんでロボにあんだけの権限を与えんだよ!発展委員会のヤツら、バカじゃねぇの!」
「何千年も前からあったヤツに今更ツッコミ入れるか!上官命令無しでロボが勝手に権限使おうなんて、誰が予想できるかよ!」
彼女はブロック124の車庫から強奪した輸送車【サーペント】のサドルを跨ぎ、身を前に乗り出してハンドルを握る。彼女の太股の内側から四本のコードが伸び出し、車体の横にあるソケットに差し込んで、輸送車のダイレクト・コントロール・モードを起動させる。
「人間がサーペントに乗っても追いつけやしねェぞ!」
「ロボたちはどこだ?」
「後半部へ支援しに行ったんだよ!忘れたのか?」
「ちっ!じゃあアイツを撃ち殺せ!」
サーペントは車体の底から紫色の火を噴き出し、空に浮かんで発進して直ぐ右へ曲がり、後ろからの射撃を避けた。車庫内の兵士達は続々と発砲するのだが、コーナーリング性能が売りなサーペントには到底当たるものではない。
彼女自身にも、なぜこんなことをしようという発想をしたか良く分からない。確かに、ブロック124に足を踏み入れた際、彼女が自分自身に投げかけた最初の質問が、輸送キャリッジが使用不可になっているこの状況で、如何にブロック340に最も速く赴けるかだった。そして車庫の兵士達の言う通り、彼女にはブロック124の車庫の位置と、車庫のゲート・キーと、いま彼女に繋がっているこのサーペントのイグニッション・キーを調べる権限もあった。唯一の疑問は、彼女が「知りたい」と思った次の瞬間、答えが既に浮かび上がっていたことだ。彼女は、権限すら行使しなかったのだ。つまり、過去のある時点で、彼女はこれらの情報を調べ、自分のメモリーにバックアップしていたことになる。いつだったのか?
車庫のシャッターは兵士達によってマニュアル・モードに切り替えられ緊急閉鎖したのだが、それも虚しい抵抗に過ぎず、フルスピードで突っ込んでくる35トンの車体にシャッターは一瞬で凹まされ、枠から丸ごと引き千切られていった。金属のクラッシュ音と切れた電線の火花の合間に、サーペントは雄叫びを上げ、紫のアフターバーンを曳きながら荷物用通路へと駆け込むのであった。
自分が暴走しているか否か、彼女には判断できない。記録士という務めは創始以来、ヒューマノイドが担当してきた。ヒューマノイドは私欲が無いから、機密データの管理にはもってこいだからだ。動ける躯体を持ってることを除けば、ヒューマノイドはコンピューター・プログラムとはなんら違いは無い。プログラマーは、機密データの管理プログラムが外部から侵入されることを心配しても、プログラム自体が私欲の為に管理権限を乱用することを心配はしない――設計上、プログラムに私欲は存在しないから。
そう。彼女の今の行動は、私欲の為ではない。本日早朝、水陽門に一体何が起きていたかに対して、彼女は全然興味を持たない。プログラムとして、自分自身の稼働方策を維持する為に、思考の中の矛盾と不安を排除する必要がある――それだけのことだ。機密データの管理員なのだから、外部からの侵入は防止しなければならない。従って、自分の身体が外部から侵入された場合、当然侵入者の正体を追及しなければならない。55分隊の副官両名は最有力容疑者である。そしてその態度から推測して、現在彼らもまた水陽門に向かって移動しているはずだ。
124貨車部隊の人達が追いかけてきた。サーペント4両、そして他タイプの輸送車と防衛用アーマーが数機。サーペントは35トン級とは思えないほどの機動性を有しているが、直線上でのスピードは他タイプに劣ってしまう。もし彼女が逃げたいなら、横道に回り込んで追っ手と鬼ごっこでもすればいいのだが、彼女に逃げる理由は無い。D-5とはまだ繋がっている。今までの行動に、授かった権限から逸脱するものは無かった。そんな彼女を止めるのならば、正当な手順を踏まえて上に報告し、D-5にその権限を剥奪させる、乃至は機能を停止させることだ。勝手に輸送車とデファームで追跡することではない。124貨車部隊の対応は、完全に規則違反だ。
だからといって、タダで追っ手に止められてやる訳にも行かない。が、サーペントに武装は無いから、後ろのマシンガン装備のデファーム隊と輸送車の上でレーザー・シューターを構えている兵士達を追い払うことはできない。
「妙なことをされる前に、あの蛇を減速させろ!」デファームに乗ってる指揮官の一声で、レーザーが乱射する。サーペントは広くない荷物用通路の中でクネクネ躱し続けるも、5秒も持たずに後部電磁ホイールを壊されてしまう。激減したスピードのせいで猛左折を強いられた彼女は、咄嗟に近くの横道に入り込むのであった。
「ちっ、結局隠れられちまった……」とイラつく指揮官は再び指示を出す。「輸送班は副官のデータ通りに包囲ポイントに就け!デファーム班は俺と一緒に追うぞ!ここはまだ我々の縄張りだ、奴に125へは行かすな!」
輸送車は二手に分かれて、片方は後ろに散開し、もう片方は加速してブロック124の境界線に向かって行った。5機のデファームの方は横道に入って、手分けして捜索を始めた。
指揮官が横道に入ってみたら、サーペントに乗った記録士は碁盤の目状の道路を利用して逃げ回ることをせず、真っ直ぐに進んでいた。「後輪が壊れていて、どこへ行ける!ワイヤーを射出しろ!」
5機のデファームが、ヒート・ワイヤーを一斉射出。横道は荷物用通路以上に狭いから、サーペントでは避けようも無く、5本のフックが全弾命中した上、内の1本が彼女の左脛を貫通した。
「もう逃げるな!大人しく減速しろ!さもないと電流を流すぞ!もしくは魚のように引っ張り上げてもいいぞ!」
彼女は最初から逃げるつもりなど無かった。この時、この場所で、彼女が計算しているのは、やはり如何に最高効率で水陽門に辿り着くかということだった。左脛が引っ掛けられるという厄介な出来事は予想外だったが。
「あくまでも減速しないってのか!」指揮官はヒート・ワイヤーの電流スイッチを押す。「4番、引けい!他の各機は通電!」
電撃されたサーペントはコントロールがイカれて、ハンドルが左右に振り狂うのだが、曲がることは叶わなかった。その時、強い牽引力が彼女の左脛を斜め上へと引っ張り上げ、太股の内側のサーペントとのダイレクト・リンクも切れてしまった。彼女は飛び出そうとする凧の様に身体ごと一直線に伸ばされ、両手だけ辛うじてハンドルに引っかかっているのであった。
どうやらこの指揮官も、ヒューマノイドの仕組みをよく知らないようだ。牽引力が増強し続けても、彼女をサーペントの背中から引き剥がすことはできなかった。彼女は減速していくサーペントに掴んだまま、車体ごとデファーム4号機へと飛んでくるのであった。
「ま、待て!手ェ離さねェのかよーーっ!」と悲鳴を上げる4号機パイロット。デファームのヒート・ワイヤーは、実は回収中にも一時停止できたのだが、この瞬間となってはもう何を言っても遅いのであった。4号機パイロットは、ワイヤーに真っ二つに引き裂かれる彼女を見た。残された上半身は上へひっくり返って、やっとハンドルを手放したが、その結果、慣性によって真正面にブッ飛んでくるのは、35トンのサーペント車体だけになった――
「4番――」指揮官は叫びが途切れる前に、自分の身も危ういことに気付く。4号機を潰したサーペントは止まらずに横道を滑り続けているのだ。このままだと他の4機のデファームまで持っていかれる。「切り離せ!切り離せぇーーっ!!」
幸い、4機のデファームは全てワイヤーを即時切断してブレーキを掛け、反動に弾かれることを上手く回避した。
「あのロボは?」と問う指揮官。部下三名は一緒に振り返るのだが、横道には誰の姿もいなかった。「ちっ、車も無くなったってのにどこまで逃げられると思って……。各機、手分けして探すんだ!4号機は後で片付けろ!」
彼女は逃げていなかった。というか、その場からまだ完全には離脱していない。上下に引き裂かれる前の一瞬、上半身が合流の指令を下半身に伝送していた。左足が損傷しており、ワイヤーを取り除く術も無い状態に於いても、両足の移動能力は上半身のそれを遥かに凌駕している。4機のデファームが去った後、彼女の下半身は煙まみれになってる4号機の残骸の中から膝で立ち上がり、左脛でワイヤーを引きずりながら、残骸を通り過ぎて横道の先へと歩いていく。80メートルぐらい歩いたら、左脛のワイヤーが限界まで伸ばされたらしく、前へ進めなくなった。彼女の下半身は再び倒れた。ワイヤーを取り除く手段を持たないようでは、今度こそ合流は絶望的のようだ。
一方、彼女の上半身は両手を駆使して、450秒後に臨時停止している輸送キャリッジ線路の124番ゲートに辿り着いた。彼女が折り返すことはおろか、上半身だけになった状態で輸送キャリッジの線路上に這い上がるなど、追跡者達は想像もしなかったようだ。ただ、上手く行けば機動力の高い下半身は途中で追いつくだろうという見積もりだったが、未だに現れないし、レーダーのレンジ内にすら入っていない。
「誠に申し訳ありませんが、緊急事故の為、本輸送キャリッジはここで臨時停止となります。ご迷惑をおかけいたします」
彼女も彼女で緊急事故なので、キャリッジの愚痴に耳を傾ける暇は無い。腕で身体を持ち上げてキャリッジに這い込み、床にあるメンテナンス用ハッチを見つけて、力いっぱい抉じ開けるのであった。ハッチの下はキャリッジのメイン・コンピューター。緊急事態によって、キャリッジとD-5セントラル・コントロールとの接続が切れた場合のみ、このメイン・コンピューターが自主運行の権限を獲得できるのだ。
彼女はまだD-5と接続中だから、キャリッジのD-5との接続を強制解除して、コントロールを引き継いでも、ただの再接続になるだけで、自主運行の権限は得られない。となると、彼女がメイン・コンピューターに丸ごと取って代わることで、キャリッジの動力システムをそのまま乗っ取るしかない。彼女はメイン・コンピューターの筐体を取り外し、回路の分析を始めるのであった。
分析が5%にも達さない内、彼女は妙な親近感を覚えるようになった。記憶の中に浮かび上がったのは、動力システムの仕様データ。サーペント強奪の時と一緒だ――彼女は知っていた。いつから?
でも彼女はもう、ここでこの問題について考える必要は無いと理解した。メイン・コンピューターの配線を全部外し、本体を抜いた後、彼女は身体を持ち上げ、指で腰部に内蔵されたコードを引き出して、下にある動力システムに繋げた。一瞬、両足が戻った感触が伝わってきた。もっと巨大で、もっと複雑な何かになっているが。
――疑問の答えは線路の先にある。彼女が軽く力を入れただけで、輸送キャリッジは再び発進し、艦尾へと向かって加速していくのであった。