生きる意味など
最後の一文の続きはおのおの好きな言葉を考えてみてください。
ただの作者の価値観ですので、あしからず。
読んでいただき、ありがとうございます。
僕らはこの地球にとって、完全にイレギュラーな存在である。
誰かが言っていた。何かの本に書いてあった。
我々の、人間の生きている意味など存在しない。
完全なる捕食者であり、非完全なる被食者である僕たちは、地球の循環に貢献することもせず、むしろその恩恵を横取りする害虫でしかない。
僕たちが生きている意味といったら、受け取ったDNAをバトンタッチする、というリレーの仲介役、というのが精々だろうか。
この広い広い空の下。
何故僕は、私は生きているのだろうと考えるそこのあなた。
残念ながらその答えを知っている人は誰もいない。
その問いの答え自体が存在しないのだから。
その問い自体が、無意味なものなのだから。
社会に貢献するために、よりよい世界にするために。
あの、この、その人のために。
そんなのはただの後付けでしかない。
自分がつけた定義、自分だけが理解できる定義でしかない。
別にそれでもいいじゃないか。
うん、いいとおもう。
だって、元々僕らに生きる意味などないのだから。
元々ないものに、何をとってつけても、その人の自由だ。
自分は自分のために生きればいいのだから。
他人のために生きるべきだ?
だから、他人のために生きる自分のために生きればいいのだよ。
うん、よくわからないな。
そう、よくわからないものなんだ。
誰も、よくわからない。
けど、生きている。
僕は自分に問う。
何故僕は生きているのか。
僕は自分に問う。
何故生きない理由があるのか。
だけど誰もその答えをしらない。
なら、そんなことを問う必要もない。
この問題は、そんなに重要なことじゃない。
生きることの意味がないことを不安に思う必要もない。
その問題の根本はないのだから。
みんなそんなもの持っていないのだから。
ただ僕は君にこれだけは言っておこう。
この広い空の下にある世界は、案外広いものだ。
そしてこの広い世界の上にいる僕らは、案外ちっぽけなものだ。
ちっぽけな僕は、ちっぽけなりにもがいてみようと思う。
そうすれば、明日はなにか変わるかな、変わらないかな、なんて期待を抱いて。明日の空を見上げてみたいと思う。明日の空気を吸い込んでみたいと思う。
それが僕の、いまのところの生きる意味。
なんちゃって、ね。
僕は僕のために生きる。
誰の許しなど、ある必要はない。
生きる意味など、